ソ連の試作機・実験機


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目次



ポリカルポフ(Polikarpov、Поликарпов)

「戦闘機の王様」と呼ばれたニコライ・ニコラエビッチ・ポリカルポフが率いた設計局。1938年に起きたI-180試作戦闘機の墜落事故で、ソ連邦英雄で国民的人気のあったテストパイロット バレリー P. チカロフを死亡させて以降その地位を失い、1944年のポリカルポフの死を契機に他の設計局に吸収され消滅した。1930年代にI-15やI-16といったソ連軍の主力戦闘機を生み出し、第二次世界大戦中はそれらの拡大型とも言える空冷星型エンジン搭載の戦闘機を開発していたが、前述の事故以降はスターリンに嫌われたこともあり制式採用されたものはない。
I-180、戦闘機、単座単発機、空冷
I-16 の後継として開発された戦闘機。複列14気筒の星型エンジン M-88 を搭載し、機首形状がスマートになった一方、胴が短いスタイルはそのままだった。性能は良好だったものの、試作機の墜落が相次ぐなど開発は順調に進まず、ポリカルポフ設計局没落のきっかけになった。開発は1940年に中断され、より高出力のエンジンを搭載する I-185 が作られることになった。■ 初飛行:1938年12月25日 ■ 製造数:13機 ■ 全備重量:2429kg ■ エンジン:ツマンスキー M-88 空冷星型14気筒(1700hp)■ 最高速度:585km/h ■ 12.7mm BS x3、7.62mm ShKAS x2

I-185、戦闘機、単座単発機、空冷
I-180 をさらに発展させたもの。全体的には I-180 を拡大したような形状をしており、I-16 の最終形ともいうべき機体だった。18気筒の M-71 エンジンを搭載するタイプと、14気筒の M-82 エンジンを搭載するタイプの二種類が試作されたが、M-71 はまだ完成の域に達しておらず(結局その後開発中止になった)、M-82 は既にLa-5戦闘機に使用されていたため、I-185 が制式採用されることはなかった。■ 初飛行:1941年1月11日 ■ 製造数:機 ■ 全備重量:3500kg ■ エンジン:シュベツォフ M-71 空冷星型18気筒(2000hp)■ 最高速度:630km/h ■ 20mm ShVAK x3

I-187、戦闘機、単座単発機、空冷、計画のみ
I-185 のエンジンを2200馬力の M-71F に強化し、風防形状を後方視界の優れたバブルキャノピー型に変更した派生型。実機が製作される前にポリカルポフ設計局が消滅してしまった。 ■ 製造なし ■ エンジン:シュベツォフ M-71F 空冷星型18気筒(2200hp)

I-188、戦闘機、単座単発機、空冷、計画のみ
I-185のエンジンをM-90に変更した派生型。I-187と同様にポリカルポフ設計局の消滅までに完成することはなかった。 ■ 製造なし ■ エンジン:ツマンスキー M-90 空冷星型18気筒(2000hp)

I-190、戦闘機、単座単発機、複葉機、空冷
I-153 の後継として1939年から開発された試作複葉戦闘機。複葉機ならではの高い旋回性能を維持しつつ、I-153 の M-62 エンジンと比べ直径が小さく出力の大きい M-88 エンジンを搭載して速度の向上を図ったものの、最高速度 450km/h は仮想敵のドイツの Bf109 戦闘機より 100km/h 以上遅く、実用的ではなかった。試作2号機はターボチャージャーを装備した高高度戦闘機になる予定だったが、完成前に計画はキャンセルされた。 ■ 初飛行:1939年12月30日 ■ 製造数:1機 ■ 全備重量:2112kg ■ エンジン:ツマンスキー M-88 空冷星型14気筒(1100hp)■ 最高速度:450km/h ■ 武装:20mm ShVAK x2 または 7.62mm ShKAS x4

I-195、戦闘機、単座単発機、複葉機、空冷、計画のみ
I-190 のエンジン強化型として開発された複葉戦闘機。高出力の M-90 星型18気筒エンジンを搭載する予定で、最高速度は591km/hと計算さていたが、すでに複葉機で単葉機に対抗することは不可能だと考えられたため、初期段階で計画は放棄された。■ 計画年:1940年 ■ 製造なし ■ 全備重量:2916kg ■ エンジン:ツマンスキー M-90 空冷星型18気筒(1750hp)■ 最高速度:591km/h(計画値)

ITP、戦闘機、単座単発機、液冷
重武装の戦闘機というコンセプトのもとに1941年から設計された機体。VK-107A エンジンを搭載し37mm機関砲と20mm機関砲2門とを装備する1号機と、AM-37 エンジンを使用し20mm機関砲3門を装備する2号機が作られたが、双方ともエンジンの不調のために実用の域にまで達することが出来ず、1944年にポリカルポフ設計局が解体されると開発は未完のまま終了した。■ 初飛行:1941年2月23日 ■ 製造数:2機 ■ 全備重量:3570kg ■ エンジン:ミクーリン AM-39 液冷V型12気筒(1700hp、2号機改修後)■ 最高速度:655km/h ■ 20mm ShVAK x3

TIS、戦闘機、複座双発機、液冷
爆撃機護衛用の双発戦闘機として1938年に開発が開始されたもの。ポリカルポフ設計局に混乱・縮小があったことや、バトル・オブ・ブリテンで同様のコンセプトに基づき作られたナチス・ドイツのBf110が全くの役立たずであることを露呈したことから、開発は遅々として進まず、AM-38Fエンジンを搭載し武装等に変更を加えた2号機が初飛行を行ったのは1944年のことだった。同年にポリカルポフの死によって設計局が解体されると、計画は同時に消滅した。■ 初飛行:1941年 ■ 製造数:2機 ■ 全備重量:8280kg ■ エンジン:ミクーリン AM-38F(2号機)液冷星型12気筒(1700hp)■ 最高速度:535km/h


ミコヤン・グレビッチ(Mikoyan Gurevich、Микоян Гуревич)

アルチョム・イワノビッチ・ミコヤンとミハイル・ヨシフォビッチ・グレビッチがリーダーを努めた設計局。I-200(後のMiG-1)を完成させるためにポリカルポフ設計局に作られた設計チームが元となっており、1940年はじめに正式にポリカルポフから独立した。第二次世界大戦初期にはMiG-1やMiG-3といった量産機を生み出し、大戦中期以降はMiG-3の改良型とI-220シリーズという大型の高高度単発戦闘機の開発を主に行うことになるが、いずれも試作段階に留まった。戦後はジェット戦闘機メーカーとして花開くことになる。
I-210(MiG-9、MiG-3-82)、戦闘機、単座単発機、空冷
1941年5月から量産が開始された M-82(ASh-82)空冷エンジンを MiG-3 の胴体に取り付けた戦闘機。大直系の空冷エンジンに適合させるため胴体は拡大されている。予定のプロペラが使用できなかった上に稚拙な空力的処理が重なり、試作1号機は計算された最高速度を90km/hも割り込む失敗作となった。その後の改修で速度性能は多少改善されたものの、結局予定値には遠く及ばず開発は中止となった。なお、MiG-9 の名称は後のジェット戦闘機に再利用された。 ■ 初飛行:1941年7月23日 ■ 製造数:5機 ■ 全備重量:3382kg ■ エンジン:シュベツォフ M-82(ASh-82)空冷星型14気筒(1700hp)■ 最高速度:565km/h ■ 武装:12.7mm UBS x 3

I-211(MiG-9E)、戦闘機、単座単発機、空冷
失敗に終わった I-210 のリベンジ作で、改良された ASh-82F エンジンを使用した上で各部の設計を見直した。側面図は I-210 に似るが、I-210 の中・後部胴体が左右に幅のある形をしているのに対し、I-211 は左右に絞り込まれている。重量と空気抵抗の大幅な削減に成功し最高速度は100km/hも向上した一方、旋回性能は今一つで、既に生産ラインにある La-5 と比べて特別に優れてもいなかったため試作のみに終わった。試験飛行で収集されたデータはラボーチキン設計局に手渡され、La-5 の開発に役立てられた。 ■ 初飛行:1943年2月24日 ■ 製造数:不明(1~10機程度) ■ 全備重量:3070kg ■ エンジン:シュベツォフ ASh-82F 空冷星型14気筒(1700hp)■ 最高速度:670km/h ■ 武装:20mm ShVAK x2

I-230(MiG-3U)、戦闘機、単座単発機、液冷
MiG-3 の性能向上型。エンジンは AM-35A のままで、胴体をやや延長し構造を木金混合から木製に改め、MiG-3 で問題となっていた武装を20mm機関砲2門に強化した。改良の結果性能は全般にわたり MiG-3 を上回ったが、新たに量産を開始するには不十分だった。■ 初飛行:1943年5月31日 ■ 製造数:6機 ■ 全備重量:3260kg ■ エンジン:ミクーリン AM-35A 液冷V型12気筒(1350hp)■ 最高速度:656km/h ■ 武装:20mm ShVAK x2

I-231、戦闘機、単座単発機、液冷
I-230 に続いて作られた高高度戦闘機。基本設計はI-230を踏襲したものだったが、エンジンをより強力なAM-39A に変更し、胴体の一部を再び金属製に戻したり、燃料タンクを拡大するなどの細かい修正を行った。しかしAM-39エンジンの開発が上手くいかず、このエンジンの開発が中止されるのと同時にI-231は放棄された。以降のミコヤン・グレビッチ設計局の高高度戦闘機は、並行して開発されていたI-220シリーズに一本化されることになる。■ 初飛行:1943年10月19日 ■ 製造数:1機 ■ 全備重量:3280kg ■ エンジン:ミクーリン AM-39A 液冷V型12気筒(1700hp)■ 最高速度:707km/h ■ 武装:20mm ShVAK x2

■ I-220シリーズ(I-220、I-221、I-222、I-224、I-225)
MiG-3の後継として開発された高高度戦闘機で、I-220からI-225までの5種類が作られた(223は製作されていない)。機体規模はMiG-3より二回りほど大きく、この時代のソ連の単発戦闘機としてはかなり大型の部類に入る。ミコヤン・グレビッチ設計局は、第二次世界大戦中期から戦後の一時期までの長きに渡りこのシリーズに労力を注ぎ込んだが、I-220が技術的に成熟する頃にはすでにレシプロ機の時代は過ぎ去っていた。

I-220、戦闘機、単座単発機、液冷
I-220 シリーズの最初のタイプ。この型はまだターボチャージャーを持たず、本格的な高高度戦闘機となるのは I-221 以降である。エンジンは当初 AM-37 を搭載する予定だったが、このエンジンの開発中止にともない AM-39 に変更され、さらに1号機が製造された時点ではまだ AM-39 が完成していなかったため仕方なく中低高度向けの AM-38F を搭載して完成した(その後 AM-39 に換装されている)。飛行テストでは良好な性能と操縦性を示したものの、エンジンの故障によってテストの中断を余儀なくされ、新型の I-221 が開発されることになった。■ 初飛行:1942年12月26日 ■ 製造数:2機 ■ 全備重量:3835kg ■ エンジン:ミクーリン AM-39 液冷V型12気筒(1800hp)■ 最高速度:695km/h ■ 武装:20mm ShVAK x4

I-221、戦闘機、単座単発機、液冷
I-220の改良型として設計された戦闘機。主翼を左右に1メートルずつ延長し、TK-2Bターボチャージャーを装備した結果、より高高度での運用に特化した戦闘機になっていた。新型の AM-39 エンジンの開発が難航したため、初飛行が行われたのはI-220の初飛行から1年近く経ってからで、その上満足な試験も行えないうちに空中火災を起こして墜落した(パイロットは脱出した)。 ■ 初飛行:1943年12月2日 ■ 製造数:1機 ■ 全備重量:3800kg ■ エンジン:ミクーリン AM-39A 液冷V型12気筒(1550hp)■ 最高速度:690km/h ■ 武装:20mm ShVAK x2

I-222、戦闘機、単座単発機、液冷
1944年に製造された型で、与圧コクピットを採用し、キャノピー以降の胴体の背を低くして視界を改善したこと、ラジエーターを胴体下部から大きく飛び出す形に変更したことなどが I-221 からの変更点である。飛行試験では到達高度14000mが期待されたが、潤滑油系統と燃料系統の不調のため達成できなかった。その後は1945年はじめにエンジンが耐用寿命を迎えるまで各種テストに使用されていた。■ 初飛行:1944年5月7日 ■ 製造数:1機 ■ 全備重量:3790kg ■ エンジン:ミクーリン AM-39B 液冷V型12気筒(1900hp)■ 最高速度:691km/h ■ 武装:20mm ShVAK x2

I-224、戦闘機、単座単発機、液冷
シリーズ中最も遅くに登場したタイプで、エンジンを AM-39B から AM-39FB に、ターボチャージャーを TK-2B から TK-300B にそれぞれ変更し、ラジエーターの形状も若干修正されている。上昇限度は目標値の14000mを超えることができた。試験と改良は第二次世界大戦後まで続けられていたが、ジェット機の実用化の目処がたったこともあり、1946年11月にキャンセルされた。 ■ 初飛行:1944年9月16日 ■ 製造数:1機 ■ 全備重量:3780kg ■ エンジン:ミクーリン AM-39FB 液冷V型12気筒(1800hp)■ 最高速度:693km/h ■ 武装:20mm ShVAK x2

I-225、戦闘機、単座単発機、液冷
AM-42B エンジンを搭載する I-220 シリーズの最終モデルで2機が製造された(ただし初飛行は I-224 より遅い)。主翼をI-220と同じ長さに戻し700km/hを優に超える最高速度を発揮した一方、上昇限度は12,600mにとどまり高高度戦闘機としての性格はやや薄れている。I-224 と同様に戦後も引き続き開発が進められたていたが、ジェット機の台頭のために中止となった。■ 初飛行:1944年7月21日 ■ 製造数:1機 ■ 全備重量:3780kg ■ エンジン:ミクーリン AM-42FB 液冷V型12気筒(1800hp)1号機はAM-42B ■ 最高速度:726km/h ■ 武装:20mm SSh-20 x4

DIS(MiG-5)、戦闘機、単座双発機
長距離護衛戦闘機として1940年から開発された機体。1号機は AM-37 エンジンを2号機は ASh-82F エンジンを搭載して完成した(当初はディーゼルエンジン案もあった)。双方とも優れた飛行性能を示したが、時既に双発護衛戦闘機というコンセプト自体が陳腐化していた。爆撃機への転用も考えられたが、十分な性能を持った双発爆撃機 Pe-2 が既に生産ラインにあったため、DIS の量産は行われなかった。■ 初飛行:1941年5月 ■ 製造数:2機 ■ 全備重量:8060kg ■ エンジン:ミクーリン AM-37 液冷V型12気筒(1400hp)2号機はASh-82F ■ 最高速度:610km/h ■ 武装:23mm VYa-23、12.7mm BS x2、7.62mm ShKAS x4

I-250(MiG-13)、戦闘機、単座混合動力機
ドイツのジェット機に対抗するため第二次世界大戦末期に試作された混合動力戦闘機。レシプロエンジンとそれによって駆動されるモータージェットエンジンを搭載しており、通常はプロペラによって飛行するが、必要に応じてモータージェットで800km/h以上に加速することが出来た。スホーイ Su-5 との競作に勝利し、戦後になって数十機が量産された(試作のみという資料もある)ものの、程なくして高性能なターボジェットの技術が利用可能になったため、ごく短い間運用されたに過ぎなかった。■ 初飛行:1945年3月3日 ■ 製造数:不明(50機以下) ■ 全備重量:3700kg ■ エンジン:クリーモフ VK-107A 液冷V型12気筒(1650hp)、VRDK モータージェット(300kgf)■ 最高速度:825km/h ■ 武装:20mm B-20 x3

MiG-8(ウートカ)、実験機、単座単発機、先尾翼機、後退翼機
来るべきジェット機の時代に向けて低速飛行時の後退翼の特性を調査するために設計された実験機。終戦後に1機だけ製造された。後退翼を持った先尾翼機という斬新な設計だったが、安定性や操縦性に特に問題はなかったという。元々が低速飛行特性の研究のために作られただけあって最高速度はわずか205km/hに過ぎなかった。愛称のウートカは「鴨(カモ)」の意味。■ 初飛行:1945年 ■ 製造数:1機 ■ エンジン:シュベツォフ M-11F 空冷星型5気筒(110hp) ■ 全備重量:1150kg ■ 最高速度:205km/h ■ 武装なし


トマシェビッチ(Tomashevich、Томашевич)

トマシェビッチは元々ポリカルポフ設計局内の有力者だったが、欠陥を抱えたままのI-180の試作機を初飛行に送り出し死亡墜落事故を招いた罪で逮捕された。そのような彼であるが、収容所内に設立された設計局のリーダーを任されることになった。
110(I-110)、戦闘機、単座単発機、液冷
1400馬力のVK-107エンジンを搭載する戦闘機。設計に当たっては生産性と整備性に最大限の配慮が払われたが、その反面でサイズや重量は既存のソ連製単発戦闘機と比べてかなり大きなものとなった。さらに搭載を予定していたエンジンの信頼性も十分とは言い難く、とても制式採用に値する戦闘機ではなかった。機首下面の大きな張り出しにラジエーターとオイルクーラーをまとめて装備しているが、この部分はアメリカのP-40戦闘機に似ている。■ 初飛行:1942年12月 ■ エンジン:クリーモフ VK-107P 液冷V型12気筒(1400hp) ■ 全備重量:4000kg ■ 最高速度:610km/h ■ 武装:20mm ShVAK x1、12.7mm UBS x2


パシーニン(Pashinin、Пашинин)

パシーニンはポリカルポフ設計局で働いていた有力な設計者だったが、1940年に独自に I-21 戦闘機を設計するために独立した。
I-21、戦闘機、単座単発機、液冷
I-16の後継を目指した戦闘機で。試作1号機は操縦性・安定性や着陸性能に問題があり、2号機と3号機では主翼や水平尾翼の形状が変更されたものの、根本的な解決には至らなかった。結局、同じエンジンを搭載する Yak-1 や LaGG-3 に開発競争で後れを取ることになり、計画は中止された。■ 初飛行:1940年5月18日 ■ 製造数:3機 ■ 全備重量:2670kg ■ エンジン:クリーモフ M-105P 液冷V型12気筒(1050hp)■ 最高速度:573km/h ■ 武装:23mm BT-23、7.62mm ShKAS x2


ヤコブレフ(Yakovlev、Яковлев)

I-28(Yak-5)、戦闘機、単座単発機、液冷
ミコヤン・グレビッチ設計局のMiG-1に対抗した高高度戦闘機。並行して開発された Yak-1 を基本とし、主翼前縁スラットの追加や視界改善のためキャノピーの拡大を行った。高高度出力を確保するためには二段式過給機付きの M-105PD エンジンが使用され、最高到達高度は 12,890m に達したが、エンジンの信頼性に問題を抱えていたため量産されることはなかった。■ 初飛行:1942年 ■ 製造数:3機 ■ 全備重量:2928kg ■ エンジン:クリーモフ M-105PD 液冷V型12気筒(1160hp)■ 最高速度:650km/h ■ 武装:20mm ShVAK x1、7.62mm ShKAS x2

I-30(Yak-3)、戦闘機、単座単発機、液冷
木金混合製だったYak-1を全金属製に改めたもの。左右の主翼に20mm機関砲を追加し、当時としては重武装の戦闘機になったが、独ソ戦の開戦で金属資源が不足したため開発中止になった。Yak-3とも呼ばれるが後に量産されたYak-3とは別物である。■ 1941年春 ■ 製造数:2機 ■ 全備重量:3130kg ■ エンジン:クリーモフ M-105P 液冷V型12気筒(1050hp)■ 最高速度:571km/h ■ 武装:20mm ShVAK x3、7.62mm ShKAS x 2


ラボーチキン(Lavochkin、Лавочкин)

La-7R、戦闘機、単座混合動力機
La-7 戦闘機の尾部に推力 300kgf の RD-1 ロケットエンジンを追加した試作機。ロケットに点火した場合 80km/h ほど加速することが出来た。しかし、エンジンは試験飛行中に度々爆発し、作動時間はわずか数分に過ぎず、重量の増加によって操縦性や旋回性能も低下していた。さらにジェット技術が発達したこともあり、この種の混合動力機は実用性は薄いとして計画は中止された。■ 1944年後半 ■ 全備重量:3500kg ■ エンジン:シュベツォフ ASh-82FN 空冷星型14気筒(1850hp)、グルシュコ RD-1 ロケット(300kgf)■ 最高速度:752km/h ■ 武装:20mm B-20 x3

La-126、戦闘機、単座単発機、空冷
La-7 の後継として開発された戦闘機。エンジンは La-7 と同じ ASh-82FN を搭載し、外見も似ていたが、木金混合構造は全金属構造に改められ、主翼には層流翼を採用し、武装も23mm機関砲4門に強化されていた(La-7と同じ ShVAK 2門のままだったという資料もあり)。しかし飛行性能の向上が予想されたほどではなかったため、La-126の開発は中止され、新たにLa-130(後のLa-9)が開発されることになった。■ 1944年 ■ 全備重量:3300kg ■ エンジン:シュベツォフ ASh-82FN 空冷星型14気筒(1850hp)■ 最高速度:690km/h ■ 武装:23mm NS-23 x4


グドコフ(Gudkov、Гудков)

ラボーチキンとゴルブノフと共にLaGG-1およびLaGG-3戦闘機を開発したグドコフは、同僚との対立の末に独立し自らの設計局を持った。エンジンをミッドシップに配置した戦闘機 Gu-1 や、ソ連初のジェット戦闘機 Gu-VRD といった野心的な計画を進めていたが、Gu-1 の開発失敗後の1943年に解散した。
Gu-82、戦闘機、単座単発機、空冷
液冷エンジンを搭載していたLaGG-3の胴体に新開発のASh-82(M-82)空冷エンジンを取り付けた戦闘機。大量生産されたラボーチキン La-5 戦闘機と同じコンセプトに基づいているが、エンジン周りの設計を Su-2 爆撃機から流用するなど新規設計部分が減らされおり、1941年8月という早い段階で初飛行に成功していた。しかし遅れて登場した La-5 との比較の結果、性能が劣ると判断され、量産されなかった。■ 初飛行:1941年8月 ■ 製造数:1機~数機 ■ 全備重量:3000kg ■ エンジン:シュベツォフ M-82(ASh-82)空冷星型14気筒(1450hp)■ 最高速度:600km/h ■ 武装:20mm ShVAK x2、12.7mm UBS x2

Gu-1(Gu-37)、戦闘機、単座単発機、液冷、ミッドシップ配置
胴体中央にエンジンを搭載し、延長軸で機首のプロペラを回すという、アメリカのベルP-39「エアコブラ」が採ったのと同様のレイアウトを採用した戦闘機。珍しい構造に不慣れだったためか完成した試作機は重量過大となり、しかも初飛行で墜落事故を起こしたため開発は放棄された。■ 初飛行:1943年6月12日 ■ 製造数:1機 ■ 全備重量:4620kg ■ エンジン:ミクーリン AM-37 液冷V型12気筒(1400hp)■ 最高速度:674km/h(計画値?)■ 武装:23mm 機関砲、12.7mm BK x2、7.62mm ShKAS x2

Gu-VRD、戦闘機、単座単発ジェット機
開発中のターボジェットエンジンを装備するジェット戦闘機としてグドコフが提案したもの。ソ連初の具体的なジェット戦闘機計画だったといわれる。しかし搭載予定のエンジンが完成しなかったため開発は進展せず、1943年のグドコフ設計局解体までに実機が製造されることはなかった。■ 計画年:1943年 ■ 製造なし ■ 全備重量:2250kg ■ エンジン:リュールカ RDT-1/VDR-2 ターボジェット(700kgf)■ 最高速度:900km/h(計画値)■ 武装:20mm 機関砲 x2


イリューシン(Ilyushin、Ильюшин)

I-21(TsKB-32)、戦闘機、単座単発機、液冷
1930年代に開発された高速戦闘機。機体を小型に収め、試作1号機は蒸気表面冷却を採用(2号機は通常の冷却方式を使用)するなど速度重視の設計がなされ、武装も当時としては強力なものとされた。しかし試作機は冷却不足や重量過大に悩まされ、それらの問題が解決できなかったことから、1939年に開発は中止された。I-21の名称は後年のパシーニンの戦闘機に再利用されている。■ 初飛行:1936年後半 ■ 製造数:2機 ■ 全備重量:2100kg ■ エンジン:ミクーリン AM-34FRN 液冷V型12気筒(1260hp)■ 最高速度:620km/h ■ 武装:20mm ShVAK x2、7.62mm ShKAS x4

Il-6、爆撃機、多座双発機、液冷、ディーゼル機
Il-4 の改良型として設計された爆撃機。高出力の ACh-30 ディーゼルエンジンの採用により 5000km を超える航続距離を実現したが、操縦性や最高速度に問題があったために採用されなかった。■ 初飛行:1943年8月7日 ■ 製造数:1機 ■ 全備重量:19,600kg ■ エンジン:チャロムスキー ACh-30BF 液冷ディーゼル(1900hp)■ 最高速度:464km/h ■ 武装:20mm Sh-20 x5、爆弾4500kg

Il-1、戦闘攻撃機、単座単発機、液冷
重装甲の戦闘機というコンセプトで設計された機体。大型機との戦闘のほか、攻撃機(シュトゥルモビク)としての運用も考慮されていた。しかし、過大な重量のため速度性能が不足し、戦闘機としての運用が困難になったため開発は中止された。しかし Il-1 は水泡に帰したわけではなく、後に派生型として地上攻撃専用機 Il-10 が開発され量産されることになった。■ 初飛行:1944年 ■ 製造数:1機 ■ 全備重量:5320kg ■ エンジン:ミクーリン AM-42 液冷V型12気筒(1800hp)■ 最高速度:580km/h ■ 武装:23mm VYa-23 x2

Il-8、攻撃機(シュトゥルモビク)、複座単発機、液冷
Il-2 の後継として開発された対地攻撃機。Il-2をベースにエンジンを換装し空力的洗練を行ったものだった。イリューシン設計局内で並行して開発されていた Il-10 と比較すると、使用するエンジンは同じだったものの、機体は一回り大型で、爆弾搭載量に優れていた。1944年に行われた比較テストの結果、飛行性能や操縦性が Il-10 を大きく下回ることが判明したため、Il-10 が Il-2 の後継に選ばれることになり、Il-8の開発は中止された。■ 初飛行:1944年4月 ■ 製造数: ■ 全備重量:7,250kg ■ エンジン:ミクーリン AM-43 液冷V型12気筒(2000hp)■ 最高速度:470km/h ■ 武装:20mm VYa-23 x2、7.62mm ShKAS x2、12.7mm UBT、爆弾1000kg


スホーイ(Sukhoi、Сухой)

Su-1(I-330)、戦闘機、単座単発機、液冷
クリーモフ M-105 エンジンと TK-2 ターボチャージャーを組み合わせた高高度戦闘機。TK-2 の故障が多く実用性は薄かった。1機のみ製作された試作機がドイツ軍の侵攻による混乱で破壊されたため、新たに Su-3 が作られた。■ 初飛行:1940年 ■ 製造数:1機 ■ 全備重量:2875kg ■ エンジン:クリーモフ M-105P 液冷V型12気筒(1100hp)■ 最高速度:641km/h ■ 武装:20mm ShVAK、7.62mm ShKAS x2

Su-3(I-360)、戦闘機、単座単発機、液冷
Su-1 の改良型で、主翼を再設計し翼面積が2平方mほど減少している。胴体はラジエーターの形状を手直しした以外は Su-1 とほぼ同じものだった。相変わらずターボチャージャーの信頼性は低いままだったため、計画は中止された。■ 初飛行:1942年? ■ 製造数:1機 ■ 全備重量:2992kg ■ エンジン:クリーモフ M-105P 液冷V型12気筒(1100hp)■ 最高速度:638km/h ■ 武装:20mm ShVAK、7.62mm ShKAS x2

Su-6、攻撃機、単座/複座単発機、液冷/空冷
■ 初飛行:1941年3月1日 ■ 製造数:3機

Su-8(DDBSh)、攻撃機、複座双発機、空冷
重装甲・重武装の双発対地攻撃機。乗員やエンジンを防御する装甲板の重量は1680kgに及び、前方固定武装は37mm機関砲4門と7.62mm機関砲8門という強力なものだった。しかし、装備するM-71エンジンの開発が順調に進まなかったため、Su-8の量産が実現することはなかった。■ 初飛行:1944年 ■ 製造数:2機 ■ 全備重量:12,425kg ■ エンジン:シュベツォフ M-71 空冷星型18気筒(2200hp)■ 最高速度:550km/h ■ 武装:37mm N-37x4、12.7mm UBT、7.62mm ShKAS x9、爆弾1400kg

Su-5(I-107)、戦闘機、単座混合動力機
大戦末期になって戦場に現れたドイツ軍のジェット機に対抗するために試作された高速戦闘機。通常はレシプロエンジンでプロペラを回すことで飛行するが、戦闘時には尾部に搭載したモータージェットエンジンをレシプロエンジンの動力で駆動し、レシプロ機では到達が難しい800km/h以上まで加速することができた。しかし、エンジンの作動時間が短く実用的でなかったこと、ドイツやイギリスから高性能なターボジェット技術が流入したことなどから開発は中止された。■ 初飛行:1945年4月6日 ■ 製造数:1機 ■ 全備重量: ■ エンジン:クリーモフ VK-107A 液冷V型12気筒(1650hp)、VRDK モータージェット(300kgf)■ 最高速度:810km/h ■ 武装:23mm NS-23、12.7mm UBS x2

Su-7、戦闘機、単座混合動力機


アントノフ(Antnov, Антонов)

オレグ・コンスタンチノビッチ・アントノフをリーダーとする設計局。第二次世界大戦後に本格的な活動を開始し輸送機メーカーとして名を馳せることになるが、戦中には変り種のグライダーを製作したのみだった。
KT(A-40)、グライダー、飛行戦車
T-60 軽戦車に二枚の主翼と双ブーム型の尾翼を取り付けグライダーとしたもので、戦場付近まで大型機で牽引され、降下後は主翼と尾翼を取り外し直ちに戦闘に入れるようになっていた。TB-3爆撃機を使用して行った滑空試験で牽引機ごと墜落しそうになるなど、既存の航空機で牽引するにはあまりにも重荷であることが判明し、計画は中止された。■ 製造数:1機 ■ 全備重量:7800kg ■ エンジンなし ■ 武装:20mm TNSh、7.62mm DT


ビスノバト(Bisnovat、Бисноват)

SK-1、実験機、単座単発機、液冷、特殊コクピット
空気抵抗を減らすためにコクピットを胴体に完全に埋め込んだデザインの実用性を試すために製作された実験機。レイアウトは普通の単発機と同じで、エンジンの後ろにコクピットがあった。そのままでは前方視界が皆無なので、離着陸時にはパイロットが機体上に体を乗り出せるように設計されていた。結局このアイデアは失敗とみなされ、1機だけ作られた機体は後に開放式コクピットに改造された。

SK-2、戦闘機、単座単発機、液冷
SK-1を元に開発された高速戦闘機。尾翼に近い位置に装備されたコクピットと、かなり小さい主翼(翼面積9.57平方m)が特徴だった。小さい主翼のおかげで空気抵抗と重量の大幅な削減に成功しており、最高速度は660km/hに達したが、M-105エンジンを搭載する戦闘機としては既にYak-1とLaGG-3があったため制式採用されなかった。 ■ 初飛行:1941年1月10日 ■ 製造数:1機? ■ 全備重量:2300kg ■ エンジン:クリーモフ M-105 液冷V型12気筒(1050hp)■ 最高速度:660km/h ■ 武装:12.7mm UBS x2、7.62mm ShKAS

B-5、実験機、単座ロケット動力機
超音速飛行を実現するために製造された高速実験機。下反角を付けた前進翼を備える弾丸形の航空機で、大型機に懸架されて離陸し、空中で分離後にロケットエンジンに点火、音速に達する予定だった。滑空試験は1945年に行われたものの、動力飛行はしなかった。1947年に世界で初めて音速を突破したアメリカのベル X-1 と多くの共通点を持っている。■ 初飛行:1945年(滑空のみ) ■ 製造数:1機? ■ 全備重量:1900kg ■ エンジン:RD-2M3BF ロケット ■ 最高速度:1200km/h(計画) ■ 武装なし


二キーチン・シェベツェンコ(Nikitin Shevetsenko、Никитин Шевеценко)

IS-1、戦闘機、単座単発機、空冷、可変翼機
IS-2、戦闘機、単座単発機、空冷、可変翼機
IS-4、戦闘機、単座単発機、液冷、可変翼機


フロロフ・ボロフコフ(Florov Borovkov、Флоров Боровков)

イリヤ・フロレンチエビッチ・フロロフとアレクセイ・アンドレエビッチ・ボロフコフは、1935年に設計活動を開始し、一連の複葉戦闘機を完成させた。しかし、1941年の独ソ戦の開戦のためにこれらが量産されることはなかった。フロロフはその後ロケット戦闘機の開発に携わったが、ボロフコフは1945年に事故死している。

7211、戦闘機、単座単発機、空冷、複葉機、固定脚機
I-15 の後継として開発された複葉戦闘機。型式自体は旧式なものだったが、尾翼と一体化したようなコクピットと、それまでにない簡素な方法で胴体に固定された上翼が特徴で、複葉機としては翼面積が小さく(18平方m)、I-15 と I-16 の中間的な飛行性能を持っていた。試作機がテスト中に墜落したため、開発の焦点は改良型の I-207 に移行した。■ 初飛行:1937年5月23日 ■ 製造数:1機 ■ 全備重量:1750kg ■ エンジン:トゥマンスキー M-85 空冷星型14気筒(850hp)■ 最高速度:415km/h ■ 武装:7.62mm ShKAS x4

I-207、戦闘機、単座単発機、空冷、複葉機
7211 を改良した複葉戦闘機で、エンジンをシュベツォフの星型9気筒シリーズに変更したことが大きな違いだった。着陸装置は3号機以降引込式になり、さらに改良型エンジンへの換装やキャノピーの密閉化を行った結果、最高速度は500km/hを上回るまでになった。1941年の時点でテスト飛行が続けられている状況だったが、6月の独ソ戦の開戦により、ソ連には将来性の不透明な複葉機の開発を続ける余裕がなくなり、キャンセルされた。■ 初飛行:1939年 ■ 製造数:1機 ■ 全備重量:1750kg ■ エンジン:シュベツォフ M-63 空冷星型9気筒(1100hp)■ 最高速度:520km/h ■ 武装:7.62mm ShKAS x4


ベレズニャク・イサエフ(Bereznyak Isaev、Березняк Исаев)

BI、戦闘機、単座ロケット動力機
液体燃料を使用するロケット戦闘機。全長全幅ともに7mに満たない小型機で、同時期のドイツのロケット機 Me163 と異なり、一般的な飛行機と大差のない形状をしていた。動力全開飛行では800km/hを超える速度を記録するも、いわゆる「音速の壁」の影響でコントロールを失い墜落した。開発は大戦を通しても続けられたが、当時はまだ遷音速域での飛行についての情報がほとんどなかったことと滞空時間が短かすぎることが問題となり実用段階には至らなかった。■ 初飛行:1942年5月15日 ■ 製造数:9機 ■ 全備重量:1700kg ■ エンジン:D-1A-1100 ロケット(1100kgf)■ 最高速度:800~990km/h(墜落により正確な値は不明) ■ 武装:20mm ShVAK x2


モスカレフ(Moskalev、Москалев)

SAM-7、戦闘機、複座単発機、無尾翼機、液冷
SAM-13、実験機、単座双ブームタンデム双発機、液冷


シリバンスキー(Silvansky、Сильванский)

シリバンスキーは飛行機の設計に関しては全くの素人だったが、共産党上層部とのコネで設計チームのリーダーに選ばれた。I-220が唯一の設計機である。
I-220(IS)、戦闘機、単座単発機、空冷
I-16に似た短い胴体に M-88 エンジンを取り付けた戦闘機で、多くの点でポリカルポフ I-180 に類似している。設計ミスにより翼に納まらなかった主脚を急遽切り詰めることになり、このためプロペラと地上との間隔が不足し、プロペラを短縮する必要があった。試験飛行の結果、試作機には耐空性が無いと判断され、計画は放棄された。■ 初飛行:1940年 ■ 製造数:1機 ■ 全備重量:2445kg ■ エンジン:ツマンスキー M-88 空冷星型14気筒(1100hp)■ 最高速度:585km/h ■ 武装:20mm ShVAK x2


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