monkey tail
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monkey tail
ja
2005-09-10T00:42:18+09:00
1126280538
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蛍
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頬にあたる風がひんやりとして、ふと気付くと疎水の畔を歩いていた。酷く酒に酔っていて、悲しかったり悔しかったりして、塀を叩いたり露地に叫んだりしていたような気がする。それがなんだか自分のこととも思われず、胸の奥がぽっかりとして、みるみる涙が溢れてきた。なんだかよく分からないけれど泣いてちゃいけない、涙なんか流しちゃいけないと思うと、お腹の辺りがひくひくと動き、それで喉を出たり入ったりする空気を押し止めることができなくなって、頻りに漏れる嗚咽をどうすることもできなくなった。このままじゃ、歩き続けてもどうなってしまうか分からないので、疎水縁の長椅子に座ってうずくまった。
時折吹く風が束の間だけ蒸した熱気を追いやった。何度も何度もひんやりするうち、もうただぼんやりと川面を見ているだけで、何をしていたのかも頭の中で朧気になっていた。吹くか吹かないかの風に揺られて、蛍がゆらりゆらりと流されてきた。こんなに遅くにと見ていると、少し離れた土手の方ではらりと転がった。しばらくすると草叢の中で薄青緑の光が弱々しく瞬いているのが見えてきた。もう少しそばで見てみたいと椅子から立ち上がり土手の方へ歩いていくと、蛍はふわりと浮き上がり、川面の上をあちら岸へと渡っていこうとする。立ち止まってその行く先を見つめていると、微かな光はふわりふわりと戻ってきて先ほどの草叢へ舞い降りた。腰を浮かすとまた舞い上がる。しゃがむと舞い戻る。立ち上がると浮かび、座っていると戻ってくる。もういいやとそのまま地べたに座り込む。そこから蛍の光を見つめていた。いつまでもいつまでも見つめていようと思った。
涼しげな風が吹き抜けたので、おやと思う間もなく、小さなつぶてが木の葉や地面を叩く音がし、すぐに大粒の雨が落ちてきた。烈しく叩き付ける雨の中でも蛍は光るのを止めなかった。紫の閃光が木々を書き割りのように浮き立たせ、腰掛けた地面がびりびりと震えた。それでも蛍を見続けた。川の水嵩がどんどん増えて溢れそうになる。蛍のいる草叢の辺りまで水が来そうになったが、草の葉を伝って先に行ったり、また戻ったりをするだけだった。雲の切れ間はみるみる拡がり満天の星が現れた。半円を縁取ったような細い月がしだいに膨らみ、白く煌めく欠けのない円盤となり、疎水の畔が冷たく照らされ、銀色の水底のように夜が輝いても蛍は変わらぬ光りを放っている。
雲が渦巻き大風が吹いた。梢はざわめき、根が軋むような音が絶え間なく響いた。蛍は風に波打つ葉にしがみついている。風が収まり夜が透き徹っていった。向こうの土手で鈴虫の鳴くような気がした。そこかしこの草叢で虫達がそれに応えた。木々や草々の表に薄く霜が輝いている。半袖の服なのでひどく寒かったが、それでも蛍を見ていた。夜が静かになり、強い風に連れられてきた雲が星を隠したかと思うと雪が降りてくる。いつまでもいつまでも降り続ける雪が疎水縁を白く染め上げ、冷たく淡い光が町明かりに浮かぶ雪景色に溶け込み、また新たに光が生み出されているみたいに明滅し、そうこうするうち、この光の中に世界が溶け込み、また湧き出てくるような気になった。やがて雪解け水が疎水に流れ込み、埃っぽい風が吹き抜け、桜の花びらが舞い散るころになると、もう頭がぼんやりとしてきて、それでも蛍は光り続けるので、そのまま座り続けた。こんなところを知った人に見られたらどうしようかと思ったけれど、もう蛍から目を離すことなど考えられなくなっていた。
地面が揺れたとき、何軒かの家から人が飛び出してきて、そのままどこかに行ってしまい戻らなかった。川の水が干上がったときにも、何軒かの家の人々が荷物を抱えて行ってしまった。月はぐるぐると回り、幾万もの星が流れた。ほんの少しの間だけうつらうつらして、夢の中でもう何年も見たことのないような青く眩しい空のせいで蛍の光が草の露みたいに小さくなっていくので吃驚して目を覚ました。ずっと見続けた夜の中に、変わらぬ微かさで蛍が光っている。それがゆっくりとゆっくりと草の先から浮かび上がっていく。夜に浮かぶ蛍の方へ手を伸ばすと、蛍は動きを止めた。淡い光りがみるみると強くなっていく。白い掌が闇に輝き、指の間から漏れた光が舗道を照らした。眩しくて目が霞み、涙で視界が揺らいでくる。空を流れる雲まで仄白く浮かび上がり、空の闇が青く抜けていく。やがて強烈な光が眼の奥を焦がし、光しか見えなくなる中で、そこかしこから小鳥のさえずりが聞こえてきた。
2005-09-10T00:42:18+09:00
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短冊
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もう随分待っているように思うのだが、一向に信号が変わらない。汗で濡れていた服が、少し乾いてきたようだけど、風は生温く湿り気を帯びている。振り返ると門を閉ざした古い家々が、街灯のない露地にどこまでも連なっていて、こんなに暗い道を通って来たような気がしなくて、何処を通って来たのか思いだそうとしても、目の前の道路を走りゆく夥しい車達が、熱い煤を吐き、油っぽい埃を巻きたてて、暑い上に息苦しく感じてしまう。とても遠くにいるんだと感じた。引き返した方が良いんじゃないかと思った。そのことを言おうとしたけれど、行き交う車の喧噪に呑み込まれて、うまく伝えられそうになかった。それにしても何故こんな夜中に、こんなに沢山の車が通るのだろう。何時だろうかと時計を見ようとしたけれど、今日は着けてこなかったらしい。
頻繁に路面電車が道路の中央を走っていく。どの電車も酷く混んでいて、乗り切れなかった人たちが外から窓枠にしがみついている。揺れた拍子に振り落とされる人もいて、走って電車に追いつき、飛びついて、またしがみついた。何処だか分からない所へ急ぐ人々を見ているのが辛くて目を反らすと、傍らでは道の向こう側を見てじっと佇んでいる。こんなにうるさく車が通るのに、どうして歩道を歩いている人がいないんだろう思ったとき、信号が変わった。
大通りを渡りきり、また細い露地を進んでいく。町中が眠り込んでいるようで、さっき越えてきた通りの喧噪すら聞こえてこない。疲れているんじゃないかと顔をのぞき込むと、ただじっと道の先を見つめている。怒っているんじゃないだろうか。こんな夜更けにこんな遠くまで連れ出して、何処へ連れて行くのか分からないままに、ただただ夜道を急いでいる。帰り道すら朧気だし、そもそも帰る所がどこなのか朦朧としてきた。もう一度、戻ろうかと聞いてみようかと思ったけれど、そうねと言われたときにどうすれば良いのか分からなくて口に出せなかった。
家並みが途切れた所の小さな広場に自動販売機が有り、財布を探しているうちに少し歩みが遅れた。それでもどんどん先に行ってしまう。また流れ始めていた汗が急に冷たくなった。もしかすると連れ回しているのではなく、付け回しているのではないだろうか。そもそもどうしてこんな夜中に一緒に歩いているのだろう。脚が縺れだんだん背中が遠くなっていく。次の角まで行って漸く気付いたらしく。立ち止まって急かすような目をして待っている。追いつこうと走りかけたのだけど酷く脚が重い。
両脇の家と家との隙間がだんだん詰まってきて、ときどき高い建物も混じり、それがどんどん増えてきて、やがて聳える壁のようになってきた。たくさんの様々な色に光る看板が上へ上へと連なり、それぞれの小さな入り口の傍らに客引きが佇み、じっと通りを見つめている。建物の中から沢山の人々の気配が漏れてくる。喉が乾いてしかたがないけれど、ここじゃないから、蜃気楼の合間を歩いているような気になった。
角を曲がると、急に閑寂とした小径に入った。引き戸を閉めた茶屋が連なっている。その通りを抜けると、用水の畔に沿った遊歩道が続いていた。川辺の柵に、短冊を添えられた笹がどこまでも連なっていて、橙色の灯を受けきらきらと瞬いている。今日は七夕だったと時計を見ると、すでに日付が変わって随分経っていた。見上げると、あまり暗くない空にいくつかの星が見えた。腕時計が汗に濡れてぬるぬるしていて、それが妙に気に障った。風が通りにそって吹き抜け、さわさわと紙の鳴る音が耳に付く。
真白い短冊が、目の前に差し出されている。訳も分からないままにそれを受け取ると、いつのまに願い事を書いたのか、短冊を持つ手を笹の枝に伸ばしている。何が書かれているのか気になって覗き込もうとしたら、手に持った白いままの短冊を見て、早く書いてと背中を向けた。何か書こうとしても、言葉が一つたりとも出てこない。ふと目を上げると、短冊を付け終わってじっとこちらを見つめている。書かなければ、早く書かなければ、また怒らせてしまう。そのとき突風が巻き起こり、幾千もの葉と、幾万もの願いを書き込められた短冊が、轟と唸り、辺り一面に舞い散った。人々の願い事たちが渦となって取り囲んでくる。それぞれの反射が、星々の光を伴って、目を眩ますように差し込んでくる。強い視線がずっと、手に持った短冊に注がれている。家並みが霞んでゆく。手の中の短冊が発火して細かい灰が風に散っていくのを見ていると、涙が溢れて来たので滴を落として炎を鎮めた。遠い何処だか分からない涼しげな風が吹くところで、掌に焼け残った短冊の切れ端を握りしめて、遥か彼方へと拡がる沙漠を見ていた。
2005-08-29T23:40:31+09:00
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