モリン・ホール(馬頭琴)


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馬頭琴/モリン・ホール


 モンゴル民族の象徴ともなっている二弦の擦弦楽器。多くの場合、四角い共鳴箱からそれよりも長い棹が伸びていて、緩急を手でつけられる弓で弾く。弾き方は写真のように弾くか、現在では主に椅子に座ってひざに挟みチェロのようにして弾く。「ホール」とはモンゴル語で、弦楽器や口琴など広く楽器を指す語(気鳴楽器や膜鳴楽器は含まれない)である。「モリ」は馬のことであり、ネックの部分に馬の頭が彫刻されているのが特徴である(その下に守護神的なものとして龍が彫刻されている場合もある)。
 使用される場面としては、伝統的には(伝統的と一般的に言われているやり方としては)オルティン・ドー(音楽用語の項参照)の後につけてヘテロフォニックな伴奏として用いるか、本当にそっくりな馬やラクダの鳴き声や馬の走る様子、家畜の呼び声などの模倣を含むこともある器楽曲、祝辞の伴奏、叙事詩の伴奏などがある。20世紀以降、比較的新しくできた演奏形態としては、他民族楽器とのアンサンブル(ただしモンゴル王族が宮廷での儀式の際、多数の踊り手と楽人が呼ばれたとの記録があり、そこにアンサンブル的なものがあったかもしれない)、民族楽器、あるいは馬頭琴によるオーケストラ、民族楽器オーケストラあるいは西洋管弦楽団との協奏曲、ポップスとの共演などがある。
 この楽器の起源説話は地方により様々であり、日本では内モンゴルの「スーホ(スフ)の白い馬」の物語が教科書にも取り上げられ有名であるが、モンゴル、特にモンゴル国では「フフー・ナムジル」の物語が有名である。しかし楽器がおこった時代は、18~19世紀とおそらくそれほど古いものではない。
 日本、中国で使われる「馬頭琴」という語は人類学者鳥居竜蔵夫人、鳥居きみ子が名付けたとされる。モリン・ホールという名称自体も20世紀中頃に定着した語である。鳥居きみ子はこの種の楽器を1906年にハラチン王府で見た際、モンゴル人は「ムリン・トロガイヌ・ホーレ(morin toluγain quγur)」と呼んでいたとしている 。またハスルンド=クリステンセンは1930年代にこの種の楽器が「ヒール ・ホール(khil khuur)」と呼ばれていたことを報告している 。 
 マタル・ホールやフン・ホール、シャナガン・ホール(共鳴箱が楕円で全体が杓子のようであることから) なども古くにはあり、このような二弦の擦弦楽器が馬頭琴に統一されていく以前には様々な形のものがあったことが考えられる。
 西モンゴル(オイラート)やトゥバで使われるイケルというこれまた二弦の四角い共鳴箱の擦弦楽器(ただし棹の先に馬の頭がないことが多い)との関係は諸説ある。
 なお馬頭琴が今日のように民族の象徴の中でも重大な位置を占めるようになったのは、1980、90年代以降のモンゴル国での民族意識高揚の中でのことである。

代表的な演奏者に中国内モンゴルのチ・ボラグ、モンゴル国のG.ジャミヤン、バトチョローン、バヤルサイハンらがいる。

<参考>
•青木隆紘(2012)「馬頭琴とは何か(特集:遊牧民の音楽)」(『もこもこ通信vol.3』
、東京外国語大学モンゴル研究サークル「モコモコモンゴル」、pp.8-9)