ヨーチン

ヨーチン/ヤンチル


ヨーチン(ёочин)は漢語の揚琴または楊琴(yang qin)に由来する語で、同語から発生したヤンチル(янчир)の名で呼ばれることもある。基本的な構造は漢人音楽の楊琴または洋琴と呼ばれる楽器と同じである 。モンゴル人地域においては、20世紀初頭までは王府あるいは都市部で用いられていた楽器だった。バドラハは1936年当時、近年になってモンゴル人の間で使われるようになった楽器としている 。
 20世紀初頭の楽器について、ゴンチグソムラーは1939年当時、ヨーチンは3列で、B♭3、C4、D4、E4、F4、G4、A4、B♭4、C5、D5、E5、F5、G5、A5、B♭5、C6を奏せた としている。
 この後、1954年に民族楽器コンクールで優勝してオリアスタイ市からウランバートルにやってきたG.ダシダワー がこの楽器の改良の中心となった。チョローンツェツェグ によれば1953年には既に中華人民共和国から小揚琴(バガ・ガリーン(бага гарын)・ヨーチン)が輸入されていたが、1954、1955年に中国から輸入した10列の揚琴を改造して利用した。その後人民歌舞団に入っていた1960年には、再度中国から24列の揚琴を輸入した。これを1962年に二重にあったE音の弦をC♯に張りなおした。それを再度1970年にF6の弦を加えた。1980年にはこれに更にG6の列が加えられ、1990年にはもう一列加えられた。この要領で、1960年以前に輸入された揚琴にも順次弦列を加え、音域の拡大と半音階の演奏が徹底された。
 ダシダワーは1962年より音楽舞踊中学校で教え、その弟子には傑出したヨーチン奏者で作曲家としても活躍したJ.メンドアマル、カルムイクに派遣され、ヨーチンを教えたSh.エンヘトヤーがいる。
 1990年代以降、中国より北京401号、402号、501号の揚琴を輸入し、音楽舞踊学校、国立文化芸術大学のヨーチン科では上記のヨーチンと併用している。

最終更新:2012年10月13日 10:31