序論


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要約

 

 音楽が政治権力によって利用されること、政治的な介入を受けることは、音楽が自由な創作活動とみなされるようになった20世紀以降の西洋的近代化の進んだ社会でもみられる。筆者は常にこの動向に注意をしている。音楽が政治権力に利用され干渉を受けた事例としてはソ連、ナチスドイツなどの事例がよく研究されている。しかし日本のモンゴル国の音楽研究において、音楽の政治的利用と音楽への政治的介入についての調査はまだ不十分である。そこで筆者はこの論文で、「モンゴルはソ連の衛星国」とまで言われるほど社会主義時代のモンゴルと関わりの深かったソ連で音楽が政治権力にどう取り扱われたかをまず具体的に示す。その具体例がモンゴルで行われたか、入手できる限りのモンゴル音楽に関する出版物、モンゴル現代史に関する日本の出版物、日本でのモンゴルの演劇と芸能政策に関する論文、筆者が2006428日に行ったモンゴルの音楽家ロブサンシャラフ氏へのインタビュー、以上を中心に探った。なおこの論文で扱った地理的範囲は現在のモンゴル国の範囲であり、時間的範囲は1911年のモンゴル独立から1990年代初頭の社会主義放棄までである。

 この論文で、20世紀モンゴルにおいて政治権力による音楽の利用と音楽への干渉が存在したか、という仮説に対し、存在したことを証明できた。まず、1911年から1920年のボグド・ハーンのモンゴル国では、国歌とそれを演奏する軍楽隊がボグド・ハーンの威光を高めるために使われた。1921年の人民革命以降のモンゴル国では音楽は国家によってかなりの部分が統制されていった。民衆の教育啓蒙と共に革命思想、社会主義思想を普及させるために音楽が使われた。アマチュア芸能活動も国家統合の手段とされた。また国家の主導によってオペラ、オーケストラ、合唱などの西洋音楽が発展させられ、民族音楽の近代化が図られた。そして音楽家の活動において、国家によって想定された「社会主義的な生活」に沿わない作品を手がけるは制限されたことが、第二次世界大戦後は特に明確に示された。1930年代から1940年代の粛清が盛んであった時期には、音楽家の中に逮捕者も出た。

ただし、モンゴルにおける4つの特殊事情を加味する必要がある。1つ目は、20世紀モンゴルはロシアと中国という大国にはさまれ、また1945年以前は日本の脅威にもさらされた時期があり、早急な近代化を求めていたことである。音楽の分野でも同じであり、そのため国家による介入によって音楽が急速に近代化を遂げることができた。2つ目に、20世紀モンゴルは封建制の色濃く残る社会から急激に社会主義化と近代化を行ったことがある。西洋音楽の思想的な側面が普及することが技術的な近代化と全く同時に進行することは難しかったと考えられる。3つ目に、モンゴルはソ連の影響下にありソ連という「窓」を通じて近代文明を摂取した。よってソ連の民族政策の影響と、ソ連での統制された音楽の影響が非常に大きかった。4つ目にモンゴルでは西洋音楽はソ連ほどの歴史を有していなかったことがあげられる。そのためソ連のように音楽の表現技法や楽譜テクストの面で政治権力と音楽家が衝突することは、少なくとも今回の調査で分かった限り存在しなかった。


序論

0.0. 序論の構成

 この論文の目的はモンゴル音楽史における音楽の政治的利用、干渉の内容を明らかにすることである。序論では、第1節でなぜ筆者が音楽史を政治と結び付けて語るのか、筆者の問題意識と、音楽を政治と関係づけて考察することに関する一般的な問題と意義を示す。第2節でなぜ特にモンゴルの音楽史を選択したか、その動機について述べる。第3節ではこの論文の扱う範囲と構成を示す。第4節ではこの論文の問題提起と概要を述べる。第5節ではこの論文に用いた方法を示す。

 

0.1. 動機―なぜ政治と音楽を結び付けて語るのか

 音楽が他のあらゆるものから独立して存在していると考えるなら、それはあまりに素朴な見方である。それは、あらゆるものを分業化してきた西洋近代化の洗礼を受ける以前、音楽が言葉や物語、踊り、宗教的儀礼などと不可分であった例を引くまでもなく、現在でもテレビにおけるコマーシャルソングの例[1]や、外交問題にまで関連する日本の国歌「君が代」の問題を見れば分かるであろう。現代においても音楽と、例えば政治問題を全く別個に考えることは難しい。これはどの社会、どの時代にも共通して言える。

音楽にはそれ自身に様々な効能がある。日本でここ数年に「癒し系」が流行した。この風潮の中で、音楽による「癒し」の効果、これは音楽による「精神の高揚」と共にあるものだが、これが繰り返し語られた。「癒し」と「精神の高揚」は人類史上古くから知られる音楽の効能である。「音楽療法」や宗教音楽が果たす役割を思い起こせばよいであろう。他にも、音楽は「『音楽は本来人と人をつなぐ』ことができるもの」[2]である。そう述べた平泉金弥は論文の中で、地域社会内の結びつきや、人間と神との結びつきにおいて果たしてきた音楽の役割に着目し、音楽を通じた「人間の共同体」の創造への可能性を示し、音楽が平和学において大いに貢献することを指摘している。「癒し」と「精神の高揚」、そして「人と人をつなぐ」ことは音楽の重要な効能である。

さて、一般的には音楽から遠いとイメージされるであろう、音楽と政治との繋がりというのは常にある。上に述べた、音楽が必ずしも独立して存在しえないということ、そして音楽が上に挙げたような効能があるということ、この2つはどちらも音楽の政治的な利用に好都合である。音楽の効能、特に「精神の高揚」の効能と政治利用の関係について、田之倉稔は「音楽という表現芸術はイデオロギーを伝達するのに適した媒体かもしれない。(中略)群集が一体となってある歌を合唱するとき、個人は意識の外へ飛び出して、ある精神の高揚状態に達することになる。」[3]と述べている。西洋における市民革命後の国民国家、そして近代化され、そういった意味での「国家」となった他の国々に話を限定しても[4]「人と人をつなぐ」効果、精神の高揚の効果は、国民統合やナショナリズム高揚、世論操作に役立つ。

もっと言ってしまえば音楽を自由に発信し、享受することを国家が侵害することにもなる。ソヴィエト連邦での音楽史をショスタコーヴィチ[5]などの音楽家への抑圧と音楽を使ったイデオロギー宣伝など音楽の政治性と絡めて研究するのは現在でも行われているし、またナチス・ドイツや戦時中日本での同様の研究を見れば明らかである。こういった場合は「音楽の美しさ」は国家に規定されて、可能性を狭められてしまい、音楽を通じた幅広い交流も難しくなり、政治的なメッセージに規定された力のない音楽が闊歩することになる。自由権の侵害であるし、危険な状態だといえる。このことについてこれ以上論じる紙面はないが、これは社会主義や軍国主義の中だけでの問題でないということだけ、ここでは触れておこう。

音楽を政治との関係で論じることの重要性は、上記の他、アドルノの音楽社会学[6]や、ポップミュージックの政治性を扱ったもの[7]などが示している。

 一般に、政治と音楽との結びつき、はイメージしにくいかもしれないが、上記のさまざまな研究の語る通り重大な問題であり、筆者もソヴィエトや戦時中日本の研究[8]からこの種の問題意識を持つに至った。

 

0.2. なぜ「モンゴル近現代」音楽史なのか

1節の内容を、モンゴルでの音楽に限定して述べれば、モンゴルは1924年から1990年代初頭まで社会主義国家であった。社会主義国家では、ソ連を代表に、音楽の政治的利用、音楽への政治的干渉が資本主義国に比べ非常に分かりやすい形で行われた。モンゴルでも音楽がそのように扱われていたのが事実なら、政治的利用、干渉の実態は比較的掴みやすいだろうと思われた。これはこの論文の目的の2つ目、音楽の政治利用、干渉のわかりやすい例としては適している。

先に挙げたこの論文の目的の1つ目である、モンゴル音楽史研究の間口を拡げる、という点に関しても述べてみよう。戦前から現在まで、日本においてもモンゴル音楽に関する研究がなされてきた。しかしその大半は所謂「民族音楽」や口承文芸との関連のものであった。これがなぜなのかをここで論ずることはこの論文ではできない。ただこういった視点の研究がほとんどなのは、モンゴル音楽を知る上で、不十分といえる。

しかしこの論文によって、モンゴル音楽の他の分野の研究の可能性を広げることができる。モンゴルでは実際20世紀、特に1911年の活仏を君主とした君主制国家ボグド・ハーン制モンゴルの独立[9]1921年の人民革命以降[10]、あらゆる分野で近代化を図られた。音楽においても、西洋音楽を受容し、伝統音楽もそれに伴って変容し、音楽の近代化を行ってきた。オペラやオーケストラが生まれ[11]、今ではヒップホップが親しまれるようになっている。モンゴル音楽の実態を捉えるのに、20世紀に何がおきたかを研究することは必要である。

最後に、筆者がモンゴルでの音楽の政治的利用と干渉に関する研究を可能であると判断した経緯を述べる。

先にモンゴルの音楽の日本での研究は偏っていると述べたが、この状況は変わりつつある。音楽の周辺、芸術、芸能と政治との繋がりを論じたものが近年増えてきた。英雄叙事詩やホーミーなどを、西部モンゴルの伝統から、国民芸能として国家が再構成したことを示した上村明の研究がまず挙げられる[12]。さらに演劇が1921年からの人民革命の思想宣伝に果たした役割について木村理子が詳細に検討している[13]。文学に関しては恐らくもっとも詳細な研究が行われているだろう。現代文学史の研究家は増えている。文学と政治との関連にしてみても、研究が進んでいる。岡田和行のチョイノム研究[14]はその代表的なものであろう。

これらの研究を見るとモンゴルでの音楽以外の芸術分野の政治的干渉や政治的利用があったことが分かる。

加えて、モンゴルは1921年以降、ソ連をモデルにし、ソ連とコミンテルンからの強い影響下にあった[15]。モンゴルにおける粛清や仏教弾圧[16]、言語政策[17]などは、実際にソ連の強い関与があったことが指摘されている。その他にも社会主義時代のモンゴルがソ連から指導を受けた、あるいはソ連をモデルにした事柄は多い。ソ連が行ったような音楽の扱いに関しても、ソ連から何らかの指導があったか、モンゴルがまねた可能性は高いと筆者は判断した。

 モンゴルの近現代音楽史、それも音楽の政治的利用と干渉に関して日本での研究はなかったものの、モンゴル音楽においてこのような事態があったと、上述したモンゴルの状況を元に予測し、この研究に結びついた。

 

0.3. 範囲と構成

 

0.3.1.1. 地理的範囲

なおこの論文は20世紀のモンゴルの音楽史である。この論文中、モンゴルとは現在のモンゴル国に限定したい。現在ロシア連邦内にあるブリヤート、カルムイク、中華人民共和国内にある内モンゴルはモンゴル国とは20世紀においては政治的に断絶してきた、あるいは断絶させられてきた。政治と音楽の関係ではそれぞれ別個に論じる必要がある。この中でモンゴル国を選んだ理由は、第2節で述べたとおりである。ただ、ここで付け加えるなら、資料の入手の問題が挙げられるだろう。中国、ロシア両国においてはモンゴル人は少数民族であり、その近現代史、特に政治にかかわる問題の研究は難しいといわざるを得ない。

 

0.3.1.2. 時間的範囲

20世紀の」としているが、厳密に言うとこの論文の扱う時代範囲は、1911年のボグド・ハーン制モンゴルの独立から1980年代のモンゴルにおける「ペレストロイカ期」までである。1911年はモンゴル帝国時代以来久方ぶりに本格的に西洋への窓が開き、国家の近代化の始まった年でもある。そして1921年人民革命が起こり1924年から社会主義国家への道を選択する。社会主義時代、ソ連という窓を通した本格的近代化を行った。この時期の音楽史を見ていく。1980年代以降が含まれていないのは時間と調査の不足のためで、本論では扱わない。

 

0.3.1.3. 政治権力による音楽の利用と干渉の範囲

上記で空間と時間の区分を述べたが、最後にこの論文で扱う、音楽への政治権力の干渉と政治権力による利用について述べる。

この論文の中では、「音楽への政治権力の干渉」は国民に対し影響力を行使できる公式の政府が上からの権力を行使し、音楽家の自由な創作、演奏活動を脅かす行為、及び、音楽の鑑賞者の選択の自由を脅かす行為、とする。

ただし、モンゴルでは1910年代から1920年代にかけて、初めて、西洋近代の思想を学び始めた。音楽においても「作曲者」という存在が認知され尊重され、「演奏者と鑑賞者」を分けて考える思想がようやくこの時期に入ってきたことは想像に難くないが、とはいえ、その考えが国民の間に浸透していたとは考え難い。この問題については、今回は時間、資料ともに不足しているため深く扱わないが、モンゴルでは近代西洋とは音楽というものの概念が異なっていたことは強調しておこう。そのため何をもって「音楽」とするかにも明快な線引きが得られなかった。そこで、音楽が関係するもの、つまり英雄叙事詩、演劇などもこの論文では扱うことにする。上述の「自由な活動を脅かす行為」が具体的にどういう形で立ち現れてくるかについては、第1章で述べる。

音楽の「政治権力による利用」は、この論文中では、国民に対し影響力を行使できる公式の政府が、上からの政治宣伝の明確な目的をもって音楽、歌などを利用することである。ただし、例外として、モンゴル人民革命党が政権政党としての体をなしていないときの、つまり1921年人民革命前夜の人民党による音楽利用については「上からの」政治権力による音楽の利用とは言いがたいが、その後人民党が政権を担っていくため、このことも記述していく。

 

0.3.2. 構成

次に構成であるが、本論第1章では、音楽の政治的利用、国家権力による音楽への過度の干渉が0.3.1.で定義したものから一歩進んで、具体的にどのような形を持ってたち現れるかを示す。手法としては、まず、ソヴィエトの先行研究から例を拾い集める。次に第2章では、モンゴルの音楽史を特徴的な時代ごとに区分して記述していく。そして2章の中のそれぞれの節は、区分された時代ごとの(1)政治史、全般的な歴史(2)音楽の発展、(3)両者の関係と資料から導き出された音楽の政治的利用と干渉の実態、と3つの部分に分けて記述していく。

 第2章についてであるが、時代区分の根拠は政治史に求めた。今のところ、筆者は研究を始めたばかりで実際の音楽の発達の過程よりも、モンゴルでの先行研究に拠らざるを得ない。社会主義時代の研究を基礎にした音楽史はほぼ政治史による区分を行っている。実際は政治的段階と音楽が完全に平行して発展することはないと思われるが、本論は政治と音楽の関係を探るものなので、政治史区分を元に進めていくことにする。

 

0.4. 問題提起と概要

繰り返すことになるが、この論文の命題は20世紀モンゴル国における音楽の政治的利用、政治による音楽への介入がどのようなものであったか探ることにある。

そして筆者はこの論文で、20世紀モンゴルにおいて政治権力と音楽の間に以下のような事象があったことを証明した。まず、1911年から1920年のボグド・ハーンのモンゴル国では、国歌とそれを演奏する軍楽隊がボグド・ハーンの威光を高めるために使われた。1921年の人民革命以降のモンゴル国では音楽は国家によってかなりの部分が統制されていった。民衆の教育啓蒙と共に革命思想、社会主義思想を普及させるために音楽が使われた。アマチュア芸能活動も国家統合の手段とされた。また国家の主導によってオペラ、オーケストラ、合唱などの西洋音楽が発展させられ、民族音楽の近代化が図られた。そして音楽家の活動において、国家によって想定された「社会主義的な生活」に沿わない作品を手がけるは制限されたことが、第二次世界大戦後は特に明確に示された。1930年代から1940年代の粛清が盛んであった時期には、音楽家の中に逮捕者も出た。

ただし、モンゴルにおける4つの特殊事情を加味する必要がある。1つ目は、20世紀モンゴルはロシアと中国という大国にはさまれ、また1945年以前は日本の脅威にもさらされた時期があり、早急な近代化を求めていたことである。音楽の分野でも同じであり、そのため国家による介入によって音楽が急速に近代化を遂げることができた。2つ目に、20世紀モンゴルは封建制の色濃く残る社会から急激に社会主義化と近代化を行ったことがある。西洋音楽の思想的な側面が普及することが技術的な近代化と全く同時に進行することは難しかったと考えられる。3つ目に、モンゴルはソ連の影響下にありソ連という「窓」を通じて近代文明を摂取した。よってソ連の民族政策の影響と、ソ連での統制された音楽の影響が非常に大きかった。4つ目にモンゴルでは西洋音楽はソ連ほどの歴史を有していなかったことがあげられる。そのためソ連のように音楽の表現技法や楽譜テクストの面で政治権力と音楽家が衝突することは、少なくとも今回の調査で分かった限り存在しなかった。

 以上がこの論文の概要である。

 

0.5. 手法

 この論文ではモンゴルの音楽史を記述し、このうち政治的な音楽の利用と、音楽への政治の過度の干渉の実態を探っていくことに大半を費やす。

 このためには、もちろんモンゴル国における音楽研究の文献他の資料に直接当たることも必要である。しかしモンゴル国では、音楽への国家の政治的利用、干渉に関する研究が行われていない。モンゴルでは一体どのようなことが音楽において行われたのか自ら調べていかなければならない。それには2つ問題があった。どこから調べてよいのか、音楽史をのみ調べればよいわけでもない。政治史と音楽史をつき合わせるだけでも不十分であろう。また政治権力による音楽の利用と音楽への干渉がどのような形をもって行われるかを自分で見当をつけるだけでは不十分であった。それらの問題を解決するにはモデルになる他の地域のこの種の研究手法を調べることが有効であろう考えた。

その際ソ連を中心に調べることに思い当たった。なぜソ連かは0.2.の内容を繰り返すことになるが、政治的にも文化的にも社会主義時代のモンゴルはソ連の強い影響下にあったからである。これに関しては第1章でも第2章でも繰り返し記述する。そしてソ連の例を見て、示唆を得、政治と音楽のつながりを、どこの資料から探し出していけばよいか、整理した。そして政治権力による音楽の利用と干渉がどのような形で現れるのか、も整理した。2つの整理した内容を第1章に示す。いわば、実際のモンゴルの諸資料に当たる前段階である。

次に第2章では、第1章で整理された形、一つ一つがモンゴルで実際にあったかどうかを探る作業に移る。この場合、参照するのはモンゴルで出版された音楽史関係書物、人民革命党議定集、日本で出版された文化歴史関係書物、モンゴルで筆者が実際に行った作曲家ロブサンシャラフ[18]氏へのインタビュー[19]である。まず、音楽史関係書物と党議定集から、上記で整理された例の当てはまるものがないか、探す。またインタビューからもその例を拾い出す。そしてそれを歴史資料とつき合わせて、その関係を導き出して記述する。

以上の方法を使ってこの論文を記述する。



[1]:小川博司(1993)『メディア時代の音楽と社会』(音楽之友社)参照

[2]:平泉金弥(2004)「平和研究における音楽の可能性」日本平和学会編『芸術と平和』、早稲田大学出版部、pp.103-121より引用

[3]:田之倉稔(2004)『ファシズムと文化』、山川出版社、p.32より引用

[4]:近代以前の国家観の中でも、音楽を国の「統治」に利用しようという例は多い。有名なのは孔子の礼楽思想とオスマン・トルコの軍楽隊であろう。ただしオスマン・トルコの軍楽隊の楽器編成と、軍隊の規律の保持に貢献し人民の統治に役立つ、といった機能はヨーロッパがトルコの軍楽隊を近代軍制に取り入れたことにより継承、発展させられた。礼楽思想については江連隆(1996)『論語と孔子の事典』大修館書店、pp.233-253参照。オスマン・トルコの軍楽隊については小泉文夫/小柴はるみ(1987)CDオスマンの響き~トルコの軍楽楽曲解説』(キングレコード)または上尾信也(2000)『音楽のヨーロッパ史』、講談社、参照。

[5]Дмитрий Дмитриевич Шостакович(1906-1975)ソヴィエト連邦を代表する作曲家で、表面的には体制に従いながらも、体制が求める音楽と自らの求める音楽との乖離に葛藤したとされる。梅津紀雄他著(1994)『ショスタコーヴィチ大研究』(春秋社)参照。

[6]Th.W.アドルノ著/高辻知義、渡辺健訳(1999)『音楽社会学序説』(平凡社)参照

[7]:このようなものの日本の研究としては、渡辺潤(1995)「ロック音楽と時代精神(1)」『追手門学院人間学部紀要創刊号』pp.99-124、がある。

[8]:詳細なものとしては、秋山邦晴/林淑姫編(2003)『昭和の作曲家たち』(みすず書房)や戸ノ下達也/小宮多美江編(2001)戦時下音楽界の再編統合清瀬保二メモにみる楽壇新体制促進同盟から日本音楽文化協会へ』(音楽の世界社)がある。前者は当時著名だった評論家へのインタビューを中心に、後者は当時活発な活動をしていた作曲家のメモの資料解題という形で戦時下の日本音楽界の様子を明らかにしている。

[9]:ボグド・ハーン制モンゴル(共戴ハーン制モンゴルとも言う)時代の近代化についてはTs.バトバヤル著/芦村京、田中克彦訳(2002)『モンゴル現代史』、明石書店、pp.28-29

[10]1921年人民革命から後の近代化については上掲のバトバヤル(2002)小貫雅男(1993)『モンゴル現代史』(山川出版社)参照。

[11]Н.ЖанцанноровОрчинүеийн мэргэжилийн хөгжим.”History of Mongolian Culture, Mongolian University of Culture and Arts, Research Institute of Culture and Arts, Ulaanbaatar, 1999 ,pp.217-230参照

[12]:上村明(2000)「国民芸能としての英雄叙事詩」(『日本モンゴル学会紀要』No.30日本モンゴル学会、pp.1-26)参照

[13]木村理子(2003)歌で演じた革命期―モンゴル演劇成立の歴史」(『表象文化論研究 2』東京大学大学院総合文化研究科超域文化科学専攻表象文化論、pp.60-94)参照

[14]:岡田和行(1991)「反逆の詩人レンチニー・チョイノム」(『東京外国語大学論集』42、東京外国語大学、pp.201-223)参照

[15]:生駒雅則(2004)『モンゴル民族の近現代史(ユーラシア・ブックレットNo.69)』(東洋書店)参照

[16]M.アリウンサイハン(2001)「モンゴルにおける大粛清の真相とその背景 ソ連の対モンゴル政策の変化とチョイバルサン元帥の役割に着目して」(『一橋論叢126巻第2号』一橋大学、pp.190-204)参照

[17]荒井幸康(2006)『「言語」の統合と分離: 1920-1940年代のモンゴル・ブリヤート・カルムイクの言語政策の相関関係を中心に』(三元社)参照

[18]Дагвын Лувсаншарав (1926- )作曲家、合唱指揮者。現在モンゴル国で最も尊敬を集める音楽家の一人。ヘンティー県出身。童謡”Маамуу нааш ир(ねえそこの子、こっちにおいで)等の作曲者として有名。インタビュー抄訳(p.49)及び写真資料1参照

[19]:筆者は2006428日にロブサンシャラフ氏に聞き取りのインタビューを行った。

 

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