第3章 結論 あとがき 参考文献表


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3章 結論

 2章で見てきたような政治権力による音楽の利用と音楽への干渉があったわけである。これを第1章でまとめた事例を使って整理してみよう。

モンゴルで実際にあった政治権力による音楽への干渉は、Aの1「音楽家を組織化する」とAの2「音楽に“分かりやすさ”、体制側に立った政治的メッセージを込めること、あるいは政策に沿った作品にするよう要求し、それに応えていない作品、体制に沿わない作品、音楽を検閲その他によって洗い出し、そういった作品を書いた、あるいは演奏した音楽家へ圧力をかける」が存在したことが認められた。Aの1はモンゴル作曲家同盟がそれであるし、多くの演奏の団体は党政府の支持により結成された。Aの2では1928年から検閲が始まり、1930年代にはスターリン・テーゼが実行され、戦後も党政府は作曲活動に干渉した。ただし、Aの1に関して、モンゴル作曲家同盟がソ連作曲家同盟ほど音楽家の統制に強い役割を果たしていたのかが分からないこと、Aの2に関して、ソ連ほど音楽家に対する直接の弾圧が厳しくなかったこと、それに抵抗する音楽家はいなかったことを指摘しておかねばならない。逆に海外の音楽への排他主義はジャズが許容されていたように、ソ連のような事態は観察されなかった。むしろ近代化への欲求から、海外のものへの憧れも強かったと思われる。ただし、海外の文化はほとんどソ連経由で、1960年代までは中国からも、入ってきていたことに注意したい。ロブサンシャラフ氏もインタビューでこの点を指摘し、ソ連で禁止されたものはモンゴルにも入ってこなかった、と証言している。

モンゴルにおける政治権力による音楽利用も整理するとBの1「クラブなど文化施設における大衆の実践を通しての国家統合」もBの2「イデオロギー宣伝を兼ねた巡回芸能興業」もほぼそのまま行われた。しかし、この2つの目的は政治宣伝だけではなく、モンゴルでは近代化推進のための啓蒙教育のため、という役割があった。特に1920年代はそれが強く政策にも現れている。Bの3「放送、その他メディアの普及と利用」は今回詳しく調べることはできなかったが、上村明がその存在を指摘している。Bの4「政治的パフォーマンスの場に音楽を有効活用する」は1921年革命を記念する行事に音楽や芸能コンテストなどが関わっている例が少なからずあることからも分かる。ボグド・ハーン政権の音楽の利用もこれにあてはまる。

 音楽の政治利用、音楽への政治権力の干渉が行われ、それに対する抵抗もほとんど見られなかった。そのことはモンゴルの特殊性から説明することができる。

 まずモンゴルが封建主義的社会から資本主義的、自由主義的発展の中での西洋近代の思想を経験せずに社会主義に移行したことである。芝山豊によると[1]文学においても、近代化以前は、「書かれた文学」も存在したが、口承文芸が一般的であり、モンゴル人作家は言文一致の文学を作り出す際、口承文芸を参考にした。人民革命後にできた「『近代文学』を西洋的なモデルの中から作り出そうとしていた文学サークルの中でさえ、作品はまず朗読され、書きとられ、つぎつぎに変容していく過程をたどった」という。自立的で作曲者に帰属する音楽、という思想は社会主義発展と共に入ってきたのであり、またモンゴルにおける西洋的な音楽の思想の発展は、西洋的音楽の吸収の発展と必ずしも同一歩調とは限らなかったものと思われる。

また、その封建社会からの脱出のため、近代化への強い欲求があった。社会主義時代のモンゴルの芸術に対し1960年代にモンゴル国を訪れたラティモアが発言している。彼は、モンゴルがロシアとは違い、封建主義的文化から、ブルジョワ的、資本主義的文化のもとでのあらゆる社会的活動を経験せずに社会主義に移行したことを述べてから、以下のように続けている。「したがって、『社会主義リアリズム』は模倣されはしたが、モンゴルの文芸復興、創造性と知的活力の途方もない爆発に従属させられたように見える。モンゴル人にとっての真の問題は往々にして、あることをブルジョワ的なやり方ですべきか社会主義的なやり方ですべきかではなく、それが一体モンゴル人の手でやれるか否かであったのだ[2]」。「社会主義リアリズム」が完全に「従属」させられたわけではないことは、戦後の音楽家への干渉を見れば明らかである。しかし近代化への欲求は並大抵のものではなかった。筆者はロブサンシャラフ氏以外の音楽家にも話を伺う機会があったが、社会主義時代国家が主導して音楽を発展させたことで、西洋音楽の理論、技術でモンゴル音楽を豊かにすることができた、といったような言説は多く聴かれた。ただし、音楽上の問題ではないとはいえ、音楽家の中にも粛清された人物がいたことは、全体主義の非人道的な一例としても記憶に留めておくべきだろう。

ソ連と似通った政治と音楽の関係があったことの理由はすでに何度も述べたがもう一度繰り返しておく。モンゴルが社会主義時代を通しソ連の政治的影響下にあったためと、ソ連という「窓」を通じて近代文明を取り込んだためである。これにはソ連の文化植民地的な民族政策も関係している可能性が第2章で示された。

またロブサンシャラフ氏へのインタビューによると、ソ連のような音楽の表現技法や楽譜テクストの面までの干渉が見られなかったという。これは、モンゴルが、ソ連ほど西洋音楽が浸透していなかったからと前に述べたソ連という「窓」を通じて音楽の近代化が行われたためと、ソ連で禁じられた音楽が入ってこなかったためであろう。

以上、20世紀モンゴル国における政治権力による音楽の利用と、音楽への干渉がいかなるものであったのかを、不完全ながら示すことができた。考察、調査共に不十分な点も多いが、今後のこの分野での研究の先駆けとして、多少なりとも貢献できたと考える。

 


あとがき

この論文を書くまでには非常に多くの方々にお世話になりっぱなしであった。まずはお世話になった全ての方々にお礼を申し上げたい。G.ハイタフ先生(オペラ歌手/モンゴル文化芸術大学)、G.ガンツツェツェグ先生(音楽理論/モンゴル文化芸術大学)、J.エネビシ先生(音楽学、モンゴル文化芸術研究所)、トゥムンナスト先生(社会学/モンゴル国立大学)、T.セルオド先生(作曲、音楽理論/モンゴル文化芸術大学)、D.アリオナー先生(音楽学/文化芸術大学)、D.ナランツァツラル先生(仏教声明研究/モンゴル科学技術大学)、R.オヨンバット先生(音楽史/モンゴル国立大学)、ムンフトゥブシン先生(馬頭琴奏者/モンゴル文化芸術大学)、D.ロブサンシャラフ先生(作曲家、合唱指揮、労働英雄)、ルヒャグワスレン先生(モンゴル文化基金)、T.ボルガンザヤー先生(社会学、モンゴル教育大学)、バトムンフ先生(画家、モンゴル文化芸術大学)、根岸一美先生(音楽学/大阪大学)、今岡良子先生、生駒雅則先生、サンボードルジ先生、橋本勝先生、塩谷茂樹先生、谷博之先生(以上大阪外国語大学)、岡田和行先生、上村明先生(以上東京外国語大学)、萩原守先生(神戸大学)、村井宗行先生(モンゴル国立大学)、藤井麻湖先生(愛知淑徳大学)、田中克彦先生、芝山豊先生(清泉女学院大学)、小長谷有紀先生(国立民族学博物館)そして伊藤麻衣子さん(モンゴルオルティンドー協会日本支部)、大阪在住の民族音楽演奏家のM.ルヒャグワゲレルさん、モンゴル国立教育大学の学生のバヤルマーさん、オーグナーさん、留学生のマンドハイさん、デルゲルマーさん、オユンゲレルさん、バダムハンドさん、論文要約を手伝って下さったボルガーさん、その他大勢の皆さんのおかげでこの論文を書くことができた。特にモンゴルで話を伺った方々との出会いは一生の宝である。

さてこの論文は、自分の中で制御できないほど肥大化し、もはや論文とは言いがたいであろう。本を書くつもりくらいの情熱をもって一気に書き上げた。この論文に向けて、計画しながら果たせなかった、一次資料の探索、世代の異なる数人の音楽家へのインタビュー調査、ラジオ、テレビの放送記録の調査、放送関係者へのインタビュー調査などは先へ持ち越し、次の機会に行いたい。

この論文にある政治権力による音楽の利用、干渉の問題は何も社会主義国家、全体主義国家に特有のものではない。上村明によると、現在の民主化されたモンゴルでも社会主義時代に形成された「民族文化」を引きずり、それがナショナリズムの一端を担っているという。アメリカはベトナムで音楽を使って人々をアメリカ側に引きつけようとした。日本にも、昨今の愛国心高揚に呼応して生まれたような歌もある。しかし音楽は国家権力に利用されるだけではない。モンゴルの民主化にロックが果たした役割は大きいし、「バンド・エイド」、”We are the world”の例もある。反戦歌はいつの時代にも生まれてきた。

筆者が最も恐れるのは、音楽に政治的な要素が入り込んでいる場合が常にありうる、という感覚の欠如である。モンゴルの場合は国家の音楽への指導は分かりやすく実行された。しかし資本主義国ではもっと分かりにくくなっているのである。

 


 <参考文献>

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[1]:芝山豊(2003)「未完の構造D.ナツァグドルジの短編小説について」(岡田和行/芝山豊編『モンゴル文学への誘い』明石書店)p.300引用、参照

[2]O.ラティモア著/磯野富士子訳(1996)『モンゴル―遊牧民と人民委員』、岩波書店、p.240より引用

 

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