S.ゴンチグソムラー


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Сэмбийн Гончигсумлаа(1915-1991)
Sembe Gonchigsumlaa
センビーン・ゴンチクソムラー

経歴
バヤンホンゴル県生まれ。1930年小学校から師範学校に入り、1933年にはイルクーツクに留学、獣医専門学校で学ぶ。そこで同時に音楽も学びイルクーツク放送楽団に楽員として採用された。37年帰国し、ウムヌゴビ県で獣医をした後1939年にはウランバートル市で通訳と教師をしつつ音楽参考書『楽譜をどうやって学ぶか』(この種の本としてはモンゴルで2番目。楽譜の読み方の他マンドリンや鍵盤楽器、さらに横笛や揚琴、三線などの民族楽器で西洋音階をどうやって演奏するかについても書かれている)を出版。1940~43年国立サーカス楽団員(ちなみに1940年に設立された国営サーカスは軍楽隊に次いで西洋楽器の合奏が聴かれるようになったところだった)。1943年モスクワ音楽院に留学、作曲をE.メスネルに、対位法を1950年代にチャイコフスキーの交響曲第7番を「復元した」S.ボガティレフに、管弦楽法をD.ロガリ=レヴィツキーに、指揮法をI.ドゥルージニンに師事した。1950年に帰国し国立劇場専属作曲家、1957年モンゴル作曲家同盟設立準備委員長、1958年より音楽舞踊中学校芸術監督、1960年より国立情報放送局音楽総顧問、また64年から19年間にわたりモンゴル作曲家同盟委員長を勤めた。モンゴルにおいて自他共に認める西洋的な作風のオーソリティであり、放送局では音楽番組を担当しクラシック音楽の啓蒙に努めた。また他人の作品の評価において古典的な作法、形式の面を守っているかどうかで厳しかったという。一方民謡をピアノ伴奏歌曲にしたり民族楽器のための作品を1956年にいちはやく発表するなどもしている。日本で言うなら山田耕筰的存在か。彼の功績をたたえ国立音楽舞踊専門学校は「ゴンチグソムラー記念」を冠し、エントランスに彼の胸像を飾っている。61年国家賞、71年人民芸術家、75、85年スフバートル勲章、75年ソビエト国民友好勲章。

代表作
歌劇「ウネン(真実)」、バレエ「ガンホヤグ」、「ホショー・ナーダム」、交響曲第1番、「党についての交響詩」、ピアノ三重奏曲、ピアノのための24の前奏曲など。


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