ヤタグ


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ヤトガ(ヤタグ/yatuG-a)


ヤトガ (ятга)は現在では弦の柱をもつ箏型の楽器を指す言葉である。バドラハは元朝時代におおよそ2種類が使用されており、この楽器を担当する数多くの楽士がいたとしている 。
 20世紀初頭、鳥居きみ子がハラチン王府でヤトガが行われていたことを記している。しかしエムシュハイマーによれば、この頃ヤトガは稀にしか見られず、モンゴル人の多くが「古い流行おくれ」のものと感じていたという 。ただモンゴル国で近代化以前と革命後のヤトガをつないだ人たちがいて、それはダムディンオチルやプレブといった人たちであった。ダムディンオチルはボグド・ハーンのお抱え楽士でホール奏者のトゥデブとトゥブデンの師匠ではあったがヤトガを最も得意とした 。また1936年、プレブ公旗(現在のバヤンホンゴル県)の高名なヤトガ奏者だったプレブを国立中央劇場に招き、Dam.ロブサンシャラフやB.ツェデンらにヤトガを教授させたという 。当時、ヤトガに興味を持った人々が装飾を施したヤ十二弦のヤトガを作ったという。また上記のツェデンは1959年に十三弦の改良ヤトガ「ウルズィー・ヤトガ」を作り 、マグナイスレンらに奏法を教えた。
 しかしこの流れとは別に、北朝鮮の奏法が現代ヤトガの流派により大きな変化をもたらす。1950年、朝鮮民主主義人民共和国の歌舞団がモンゴル国で公演を行ったが、出演したカヤグムを見たB.リンチェンがモンゴルのヤトガも復興すべきとしたという 。更に1960年に音楽舞踊中学校にヤトガのクラスが設置されたが、そこで最初に専任講師を務めたのは1961年に朝鮮民主主義人民共和国より派遣されてきたキム・ゾンアム(Ким Зон Ам) であった。授業は彼が持ってきたカヤグムが用いられたといい、1967年に帰国するまで、16人の弟子を育てた 。その弟子の中には後に音楽舞踊中学校でヤトガの教育に携わったD.アルタントールやD.サンダグに加え、ブリヤートに行き国立「バイカル」歌舞団で芸術監督まで務めたB.ナランバートルらがいた。
 『北韓の音楽あれこれ』 によると北朝鮮では、音楽においても「民族の遺産」を継承し、発展させるという政策の下、伝統的な楽器の改良が西洋音楽のシステムに合わせて行われており、民族楽器によるオーケストラも作られ、カヤグム(十三弦)も1940年代より弦を絹糸からナイロンや鉄に交換するなどの改良が始まっていたという。
この時期以降もヤトガは非常に多くの種類が作られた。

十三弦ヤトガ

 最も一般的に用いられるヤトガ。おそらくキム・ゾンアムの持ち込んだ楽器が元となっている。幅21cm、長さ143cm。柱によって調弦をハ長調、ヘ長調、変ロ長調、変ホ長調、変イ長調などに変更できる。音域はG4からD7。1オクターブ下に記譜する。

バガ・バヤン

 この楽器はбага(小) баян(豊か)という意味。人民歌舞団付属楽器工房でゴーシチが製作 。細いものから太いものまで16の弦を持つ。左側にギターかマンドリンのペグが取り付けられ、柱ではなくこれで弦の張力を容易に調整できる。D4からD6の音域を持つ。

イフ・バヤン

 их(大) баян(豊)という意味の名を持つ。これもまたゴーシチの製作によるもの。バガ・バヤンと糸巻きの構造は同じながら、二十四弦。低音を受け持つことができ、C2からG6までの音程を有する。

十五弦バス・ヤトガ

 北朝鮮のカヤグムの構造をそのまま受け継いだ楽器。人民歌舞団で使用されている。G3からA4までの音域で、半音階を奏することができる。

ヤトガリグ

 人民歌舞団のヤトガ奏者I.ツォグバドラハが提案して製作された 。八弦で、弓で奏する。ペンタトニック専用で、演奏する際は水平の台の上に乗せる。音域はC4からG5である。ヤトガリグという楽器はバドラハが弓で弾く七弦のものと十弦のものを記している が、どのような場で用いられたのかは不明。

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