モンゴル国歌


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モンゴルの国歌 Монгол Улсын Төрийн Дуулал

(詞:Ts.ダムディンスレン(1908-1986)、曲:B.ダムディンスレンL.ムルドルジ共作)
モンゴルの国歌の歴史について見てみたい。
 まず、ボグド・ハーン政権下の1914年にロシア人の手による国歌が新設の軍楽隊により演奏されたという記録がある。これはロシアの作曲家でありマリイーンスキー劇場でヴァイオリン奏者も務めていたカドレツ・サンがペテルブルグ大学東洋学部に所蔵されていたモンゴル民謡の旋律を元に作曲したもの。
 次いでモンゴル人民共和国成立当初の1924年から1950年迄は「モンゴル・インターナショナル」(1922-23)というソノムバルジリーン・ボヤンネメフ(С. Буяннэмэх;1902年 - 1937年粛清)が作詞した歌が国歌の代わりとして歌われていた(これは社会主義運動の中でよく歌われた「インターナショナル」とは別物。モンゴル語版「インターナショナル」の方は1921年革命で重要な役割を果たしたブリヤート・モンゴル人エルベクドルジ・リンチノが訳詞を行った。)。
 1943年のコミンテルン解散を受け「インターナショナル」が国歌だったソ連では新国歌が制定されるが、モンゴルでは「モンゴル・インターナショナル」が1950年の新国歌制定までそのまま国歌の地位にあった。ただ、同曲を放送開始と放送終了の音楽として用いていたモンゴル国営ラジオでは、同年早々に別の歌に差し替えている(この決定には高名な文学者で当時ラジオ局の責任者であったCh.ロドイダムバが関わっているという)。なぜ新国歌制定がソ連より遅れたのかは不明。1943年と言う時期はソ連から音楽教師が派遣され、自国の作曲家が育ちつつあった時期である。
 その後1950年に上記の作者たちによる現在の国歌の原型が正式に制定された(これによりTs.ダムディンスレンは翌年、三度目の国家賞を受賞)が、その後も歌詞の変更があり、1961年、1961年から1991年のものに変遷。1991年には1950年のものから、レーニンやスターリン、スフバートルチョイバルサンを讃えた歌詞を排したものが採用され、その後、2006年7月6日、更に一部を変更した歌詞を議会が承認した。


  • "1991年から2006年”版の歌詞
1番
Дархан манай хувьсгалт улс
Даяар монголын ариун голомт
Дайсны хөлд хэзээ ч орохгүй
Дандаа энхжин үүрд мөнжинө
コーラス
Хамаг дэлхийн шударга улстай
Хамтран нэгдсэн эгнээг бэхжүүлж
Хатан зориг бүхий чадлаараа
Хайрт Монгол орноо мандуулъя
2番
Зоригт Монголын золтой ардууд
Зовлонг тонилгож, жаргалыг эдлэв
Жаргалын түлхүүр, хөгжлийн тулгуур
Жавхлант манай орон мандтугай
(コーラス)

参考
  • Д.Цэдэв(1999)”Олноо өргөгдсөн хаант монгол улс, түүний сүлд дууны тухай.” Монголын соёл урлаг судлал , Mongolian University of Culture and Arts, Улаанбаатар, pp.15-45)[ツェデブ(1999)「共戴ハーン制(ボグド・ハーン制)モンゴル国とその国歌」(モンゴル国立文化芸術大学文化芸術研究所『モンゴル文化芸術研究Ⅰ-Ⅱ』、ウランバートル)]
  • D.ツェデブ(1996)「『モンゴル・インターナショナル』の背景」(『東京外国語大学論集第52号』東京外国語大学)
  • Kara,G(1991)’A Forgotten Anthem’(“Mongolian Studies Vol.14”,The Mongola Society, pp.145-154)
  • 田中克彦(2003)『言語の思想』、岩波書店