B.ダムディンスレン


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ビレギーン・ダムディンスレン(1919年-1991年)

Билигийн Дамдинсүрэн
Biligiin Damdinsuren

社会主義時代のモンゴルを代表する作曲家の一人。1919年トゥブ県生まれ。父親はボグド・ハーンの自治モンゴル軍で活躍した軍人。このことは彼の作品のテーマ(モンゴルの自由と独立のために命をかける人民の英雄たち)に影響を与えているという。1924~28年ウランバートルのガンダン寺で小僧。その後小学校に入り技術職に就き、1935年国立劇場の楽員になる。41年から54年まで国立劇場指揮者、54年から56年までレニングラード音楽院作曲科にてO.S.チーシコに師事。帰国後バヤンウルギー県立劇場、国立歌劇場の芸術監督を勤めた後、58~62年今度は北京音楽院作曲科で学ぶ。帰国後国立歌劇場専属作曲家、演出家、ドルノド県立劇場芸術監督、「モンゴル・キノ」映画制作所音楽監督などを務めた。1949年《こんなひとりの王様がいたとさ》の劇音楽作曲により、また1951年、前年のムルドルジとの国歌共作により国家賞を受賞し、1969年には人民芸術家の称号を得た。1943年ロシア人音楽教師B.F.スミルノーフとの共作によるオペラ《悲しみの三つの丘》はモンゴル最初のオペラであり、そのため「モンゴル・オペラの父」とされる。同オペラはこんにちでも繰り返し演じられる(年に3回程度)人気演目であり、国民的オペラとなっている(ただし原典版の楽譜は1949年劇場が火災にあった際焼失してしまい、こんにち演じられるのは1951年にダムディンスレンが当時の記憶を元に再構成し、さらにそれを1976年に改訂した版)。英雄的な主題のオペラを得意とした。

代表作:歌劇「悲しみの三つの丘」(B.F.スミルノフとの共作、原作:D.ナツァグドルジ)(1942)、歌劇「幸福への道」(1951)、歌劇「闘争」(1965)、歌劇「アマルサナー」(1970)、歌劇「忘れがたき四十二日間」(1974)、交響詩「ハスバートル」(1962)、ヴァイオリンのための「ヘンティーの高き山にて」(1947)

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