G.ジャミヤン

Гомбодоржийн Жамъян(1919/11/28-2008/2/17)

ゴムボドルジーン・ジャミヤン Gombodorjiin Jamiyan

経歴

 1919年、ツェツェン・ハン盟、サロール・グン旗のスーデリーン・オハーというところ(現・ドルノド県ボルガン郡)に生まれる。貧しいながらタイジ(チンギスハーンの血を引く貴族)であった父ゴムボドルジよりモンゴル文字の読み書きと馬頭琴を習う。18歳まで両親の元で暮らすが、1937年ウランバートルへ上京、芸能者学校へ入学しD.トゥデブ(1898-1938)及びS.トゥブデン(1901-?)に馬頭琴を師事(1939年卒業)。1938年からは国立中央劇場で演奏者として働くようになる。また1940年ソ連より招聘された作曲家、音楽学者B.F.スミルノフ(1912-1971)に音楽理論を学んだ。同じ時期ブリヤート社会主義自治共和国(当時)国立劇場がウランバートルで演奏会を行った際に同行したチェリストB.ボルドィロフより十数日間チェロを習い、以後独学で習得した。1944年国家第一級音楽家、1946年国家功労芸術家の称号を授与される。1947、1949、1951、1953年には世界青年フェスティバルに参加し、四度とも入賞。1966年にはその演奏活動を評価され国家賞受賞、1969年労働功労赤旗勲章授与、1974年北極星勲章授与、1979年にはモンゴル人民共和国人民芸術家の称号を授与される。モンゴルの民族音楽芸術を広く海外に紹介もしており、チェコスロヴァキア(当時)、ハンガリー、東ドイツ(当時)、フランスなど約20ヶ国へ演奏旅行を行った。
 1938年から1958年まで国立中央劇場(現・国立オペラ・バレエ・アカデミック劇場)所属馬頭琴奏者及びチェリスト、1958年より音楽舞踊中学校(現・ゴンチグソムラー記念音楽舞踊専門学校)及び文化芸術専門学校(現・文化芸術大学)で後進の育成に当たった。『馬頭琴教科書』を出版し、現代馬頭琴奏法を確立した。また作曲も行い作曲家同盟のメンバーだった。晩年はモンゴル馬頭琴センター所長を務めていた。

作品

舞踊劇《我がネグデル員》(1953)、馬頭琴とピアノのための小品
最終更新:2010年02月13日 10:36
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