《グユク・ハーン》(1992)

モンゴル音楽 @wiki内検索 / 「《グユク・ハーン》(1992)」で検索した結果

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  • オペラ・バレエあらすじ
    ...》(1990)? 《グユク・ハーン》(1992)? 《はざまの世界》(1999)? 《チョイジド夫人》(2005) 《ゲセル法王》(2007) 《天の鞭》(2011)? もどる
  • Ts.ナツァグドルジ
    Ts.ナツァグドルジ(Tsogzolyn Natsagdorj, b.1951)  ドンドゴビ県生まれ。66年中学校からウランバートルの師範学校音楽教育科に入り、70年卒業後72年まで同校で音楽理論、和声学講師。72年にウラル音楽院に留学。作曲科でN.プゼイに師事。78年に帰国し音楽舞踊中学校にて理論、書法、和声学の講師を務めた後82年から2年間文化省芸術課長、84~87年国立歌劇場長、87年より作曲科同盟器楽作品部会代表、同同盟国際部長、84~90年同同盟書記長。94年より再び国立歌劇場長。93年に国家賞。それまで作曲家がひとりで何でもこなす(音楽活動においても作風においても)のが普通だと考えられていたモンゴル音楽界において、ハンガルやナツァグドルジの世代からは個々の作曲家が独自の路線で活動を始めた。同世代でナツァグドルジと同じく管弦楽作品の多いハンガルが感傷性や現代的な激しい表現主義...
  • B.シャラフ
    B.シャラフ(Byambasurengiin Sharv, b.1952) ヘンティー県生まれ。68年中学校からウランバートルの師範学校音楽教育科に入り、卒業後72年より中学校の音楽教師、75年にウラル音楽院へ留学、作曲をB.ギバリン、N.プゼイに師事。83~86年音楽舞踊中学校にて音楽理論講師、86~87年民族歌舞団コンサートマスター、87年よりモンゴル作曲家同盟声楽作品部会代表、90年より作曲家同盟幹部。92年国家賞。83年に作曲した交響曲第1番において編成にオルティンドー(モンゴル民謡の一大形式で追分のように音を引き伸ばし装飾をつけて歌うのが特徴。歌い手として大河ドラマ《北条時宗》の音楽にも参加したN.ノロブバンザド(1931-2002)などが有名。)を加えたことで注目された(ただしオルティンドーのこのような使い方は初めてではなくD.ロブサンシャラフ(b.1926)が1961...
  • 歴史―通史
    通史、大テーマ 岡田英弘(1999)『世界史の誕生 (ちくま文庫)』筑摩書房 地中海世界も中国も結び付けた「世界史」はモンゴル帝国から始まった、という論を杉山正明よりも先に展開していた岡田英弘の著作。 小松久男編『中央ユーラシア史』山川出版社 杉山正明(2003)『遊牧民から見た世界史―民族も国境もこえて (日経ビジネス人文庫)』日本経済新聞社 ドーソン/田中萃一郎(1936)『蒙古史 上』岩波書店 ドーソン/田中萃一郎(1938)『蒙古史 下』岩波書店 岩波文庫の古いやつですがリクエスト復刊されてます。 日本放送協会(1992)『大モンゴル1 蒼き狼チンギス・ハーン』角川書店 日本放送協会(1992)『大モンゴル2 幻の王プレスター』角川書店 日本放送協会(1992)『大モンゴル3 大いなる都』角川書店 日本放送協会(1992)『大モンゴル4 草原の民、自由の民』角川書...
  • 文学・古典籍・口承伝承
    近代文学 荒井伸一他編訳(1984)『帽子をかぶった狼 モンゴル短編集』、恒文社 Ch.オイドブ/小沢重男訳注 (1994)『道』、大学書林 岡田和行、上村明、海野未来雄(1999)『「モンゴル文学を味わう」報告書(アジア理解講座 1997年度第1期)』、国際交流基金アジアセンター 芝山豊(1987)『近代化と文学 モンゴル近代文学史を考える』、アルド書店 芝山豊、岡田和行編(2003)『モンゴル文学への誘い』、明石書店 モンゴル文学を俯瞰する決定版の本。翻訳や論文も価値があるが、巻末のモンゴル文学に関する文献表もすごい。モンゴル文学や文化に興味があるなら必ず手に入れること。 橋本勝、E. プレブジャブ(1998)『モンゴル文学』、大阪外国語大学モンゴル語研究室 リグデン著/佐治俊彦、ボルジギン・ブレンサイン訳(2009)『地球宣言 大草原の偉大なる寓話』、教育史料出...
  • 《王鷲》(1966)
    救国英雄マンライバータル・ダムディスレンを主題としたオペラ。ダムディンスレンは内モンゴル、バルガのソムの長だった人で、1911年フレー(現ウランバートル)でモンゴル独立が宣言されるとバルガの代表として馳せ参じ、バルガのモンゴル国への合併を申し出て外務副大臣になり、モンゴル軍を率いて中国軍と戦い、尊敬をこめて「マンライバータル(さきがけの英雄)」と呼ばれた。 第一幕 第一場:ダムディンスレン(バリトン)ら率いるモンゴル軍はホブドの町を漢人の軍隊から解放し、勝利を祝っていた。清朝の役人ゴ・リン(テノール)が連れてこられ武装解除を行う。するとフレーからボグド・ハーン活仏の側近ナサンバト(バス)、その娘ノロブルハム(ソプラノ)、台吉のデムチグバル(バリトン)、高僧のゲンデンバト(バリトン)が使者としてやってきて、ダムディンスレンにマンライバータルの称号を与える。以前から好意のあったノロブ...
  • モンゴル音楽史簡易年表
    下の年表は《青木隆紘(2008)「《モンゴル音楽》の20世紀小史―モンゴル国音楽文化研究に向けて」(『日本とモンゴル 116』、日本モンゴル協会、pp.77-99)》の年表を大幅に改訂したものです。 モンゴル音楽関連簡易年表 年代 出来事 BC400~93年頃 匈奴がモンゴル高原を支配。匈奴軍は鼓吹楽という軍楽隊のようなものを持っていた。またモンゴル国中央県アルタンボラグ郡からは匈奴時代の骨製口琴が出土。 2~3世紀頃 蔡琰(蔡文姬、177?-239?)が自身の運命を綴った詩『胡笳十八拍』(後世の創作説あり)で南匈奴のツォールと思われる管楽器について歌う。 554~559年 この期間に成立した『魏書』「高車伝」によると、紀元前3世紀頃からモンゴル高原に居住していたテュルク系の高車が狼の吠声のように「好んで声を引いて長く歌」っていたとの記述がある。 6世紀~11世紀 柔然、突厥、ウイグ...
  • J.チョローン
    J.チョローン(Jamiyangiin Chuluun,1928-1996) 1928年ホブド市生まれ。父は文化施設の音楽指導者だった。9歳のとき地元の馬頭琴伝承者に習い始める。1939年ウランバートルに行き国立劇場に見習い楽員として入り、そこでO.ダシデレグに揚琴を習う。のちB.F.スミルノーフに音楽理論を学び、N.I.モトーリンにヴァイオリンと打楽器を学ぶ。国際青年フェスティバルに参加。1956年国立劇場でアサフィエフの《バフチサライの泉》を指揮して指揮者デビュー(ちなみにこれがモンゴルでの本格的バレエ公演の最初)。1959-60年、66年、67年プラハ音楽アカデミーにて指揮法、音楽理論の研鑽を積む。1960年から28年間にわたり国立歌劇場主席指揮者の任にあった。1988年からはナムスライジャブの穴埋めとして国立フィルハーモニー芸術監督に就任。ヴァイオリニスト、作曲家としても名...
  • Z.ハンガル
    ゾンドイン・ハンガル(Zunduin Khangal 1948-1996) 1948年ウランバートル市生まれ。音楽舞踊中学校に学び、1963~1966年建築業者文化宮殿にて演奏家として働き、1966~1968年音楽舞踊中学校助教、1968~1970年カザフ共和国の首都(当時)アルマ・アタ(アルマトイ)市立音楽院に留学し作曲法をG.ジュバノフに、1970~1976年にはスヴェルドロフスク(現エカテリンブルグ)市のウラル音楽院でB.ギバリンに作曲を学ぶ。1976~1979年音楽舞踊中学校教師、1979~1984年国立オペラ・バレエ・アカデミック劇場座付き作曲家、1984~1986年国立サーカス座付き作曲家、1987年より作曲家同盟会員。1990年、弦楽四重奏曲、ヴァイオリン協奏曲、バレエ音楽《宝珠の山》により国家賞受賞。1910年代から20年代生まれの第一世代の作曲家たちの多忙により若い作...
  • G.アルタンホヤグ
    ガーダンギーン・アルタンホヤグ(1948- ) Гаадангийн Алтанхуяг Gaadan Altanhuyag 経歴 作曲家。ウランバートル市生まれ。1962年~1966年音楽舞踊中学校で音楽を、1972年~1977年ブルガリアのソフィア音楽院で作曲をそれぞれ学ぶ。1966年~1969年まで音楽舞踊中学校と師範学校で教鞭をとる。1976年より国立師範大学で教師、1982年よりモンゴル国立テレビで音楽編集者を務める。2004年~2007年、モンゴル作曲家同盟代表。1993年功労芸術家の称号を受ける。 作品 交響詩《1921年》(1982)、弦楽オーケストラのための変奏曲(1976)、民俗楽器オーケストラのための組曲(1986)、ヴァイオリン協奏曲(1978)、子供のためのピアノ協奏曲(1979)、弦楽四重奏曲第1番(1978)、第2番(2006)、オーケスト...
  • E.チョイドグ
    E.チョイドグ(Eregzengiin Choidog, 1926-1988) 1926年ウランバートル生まれ。内務省付属小学校から1940年に芸能学校(現音楽舞踊専門学校)に入る。1942~49年国立劇場の楽員。1954~56年国立民族歌舞団芸術監督、56~63年モスクワ音楽院作曲科にてプロコフィエフの《イワン雷帝》をバレエ用に編曲したことで知られるM.チュラーキに師事。1963~67年ドルノド県立劇場専属作曲家、音楽講師、67~81年国立民族歌舞団指揮者、81~88年ダルハン市立青年劇場音楽講師。師と同じく舞踊音楽を得意とし多数の舞踊作品を書いた(少々ハチャトゥリアンを思わせるが)。また管弦楽作法においてもオリジナリティを発揮した。ムルドルジの後を受け民族楽器オーケストラを育て、民族楽器のための作品も多い。1986年国家賞受賞。ちなみに今日よく演じられるバレエ《チョイジド夫人伝...
  • モンゴル国歌
    モンゴルの国歌 Монгол Улсын Төрийн Дуулал (詞:Ts.ダムディンスレン(1908-1986)、曲:B.ダムディンスレン・L.ムルドルジ共作) モンゴルの国歌の歴史について見てみたい。  まず、ボグド・ハーン政権下の1914年にロシア人の手による国歌が新設の軍楽隊により演奏されたという記録がある。これはロシアの作曲家でありマリイーンスキー劇場でヴァイオリン奏者も務めていたカドレツ・サンがペテルブルグ大学東洋学部に所蔵されていたモンゴル民謡の旋律を元に作曲したもの。  次いでモンゴル人民共和国成立当初の1924年から1950年迄は「モンゴル・インターナショナル」(1922-23)というソノムバルジリーン・ボヤンネメフ(С. Буяннэмэх;1902年 - 1937年粛清)が作詞した歌が国歌の代わりとして歌われていた(これは社会主義運動の中でよく歌われた「...
  • J.メンドアマル
    ジャムバリーン・メンデアマル(1945-2003) МЭНД-АМАР Жамбалын Mend-Amar Jambalyn ヨーチン奏者、作曲家 略歴 中央県のルン郡に生まれる。家庭内で民俗音楽を教わって育つ。1960年に国立人民歌舞団に入団し、そこで亡くなるまでヨーチン奏者として活躍する。作曲も行い、1990年に国家功労芸術家受賞。民謡旋律に基づき、モンゴルの四季を思わせるような作風と評価される。 作品 バレエ音楽《業の三座山》(1987)、劇音楽《命の泉》(1989)、その他《労働の喜び》《ヨーチンのための独奏曲》《弦楽器の調べ》など多数の民族楽器のための作品、編曲。
  • S.ソロンゾンボルド
    スレンギーン・ソロンゾンボルド(Сүрэнгийн Соронзонболд、1958- ) モンゴル国の作曲家、音楽学者。作品はモンゴル国内のみならず、中国、モナコ、ドイツ、オランダなど海外でも演奏され高い評価を得ている。 略歴 1958年、アルハンガイ県ツェツェルレグ市に生まれる。1976年、ウランバートル市で十年制学校を卒業。同年、バンド「ハランガ」の現メンバーであるエンフマンライとオドスレンがウランバートル鉄道のウランバートル駅付属楽団のメンバーとして採用された際、彼らと一緒に働こうと同鉄道に就職した。様々な業務につく傍ら、サーカスの楽団員やピオネール宮殿で指導員のプレブジャブの元で小太鼓を演奏したりもした。 1983年、ジャズ楽団のために初めての作曲をする。同年、サーカス楽団で長年指導受けたことを実績とし、文化省専門家認定委員会にプロ音楽家となるための申請をし、試験に...
  • 牧畜・生活
    石毛直道編/有賀秀子ほか著(1997)『モンゴルの白いご馳走』、チクマ秀版社 石毛直道監修/小長谷有紀編著(2004)『くらべてみよう!日本と世界のくらしと遊び』、講談社 石毛直道編著(2008)『世界の発酵乳 発酵乳の文化・生理機能 モンゴル・キルギスそして健康な未来へ』、はる書房 石山彰監修/久保田陽子文(2001)『アジアの民族衣装』、小峰書店 「アイヌ・沖縄・近くの国の衣服-日本、朝鮮半島、モンゴル」所収 今西錦司(1995)『遊牧論そのほか』、平凡社 梅棹忠夫(1976)『狩猟と遊牧の世界』、講談社 梅棹忠夫(1990)『梅棹忠夫著作集2 モンゴル研究』、中央公論社 越智猛夫(1997)『乳酒の研究』、八坂書房 風戸真理(2009)『現代モンゴル遊牧民の民族誌 ポスト社会主義を生きる』、世界思想社 銀城康子文/高松良己絵(2009)『モンゴルのごはん(絵本世...
  • G.ジャミヤン
    Гомбодоржийн Жамъян(1919/11/28-2008/2/17) ゴムボドルジーン・ジャミヤン Gombodorjiin Jamiyan 経歴  1919年、ツェツェン・ハン盟、サロール・グン旗のスーデリーン・オハーというところ(現・ドルノド県ボルガン郡)に生まれる。貧しいながらタイジ(チンギスハーンの血を引く貴族)であった父ゴムボドルジよりモンゴル文字の読み書きと馬頭琴を習う。18歳まで両親の元で暮らすが、1937年ウランバートルへ上京、芸能者学校へ入学しD.トゥデブ(1898-1938)及びS.トゥブデン(1901-?)に馬頭琴を師事(1939年卒業)。1938年からは国立中央劇場で演奏者として働くようになる。また1940年ソ連より招聘された作曲家、音楽学者B.F.スミルノフ(1912-1971)に音楽理論を学んだ。同じ時期ブリヤート社会主義自治共和国...
  • B.ダムディンスレン
    ビレギーン・ダムディンスレン(1919年-1991年) Билигийн Дамдинсүрэн Biligiin Damdinsuren 社会主義時代のモンゴルを代表する作曲家の一人。1919年トゥブ県生まれ。父親はボグド・ハーンの自治モンゴル軍で活躍した軍人。このことは彼の作品のテーマ(モンゴルの自由と独立のために命をかける人民の英雄たち)に影響を与えているという。1924~28年ウランバートルのガンダン寺で小僧。その後小学校に入り技術職に就き、1935年国立劇場の楽員になる。41年から54年まで国立劇場指揮者、54年から56年までレニングラード音楽院作曲科にてO.S.チーシコに師事。帰国後バヤンウルギー県立劇場、国立歌劇場の芸術監督を勤めた後、58~62年今度は北京音楽院作曲科で学ぶ。帰国後国立歌劇場専属作曲家、演出家、ドルノド県立劇場芸術監督、「モンゴル・キノ」映...
  • モンゴルを主題とした音楽作品
    モンゴルを主題とした音楽作品 オペラ 高田三郎(1913-2000)歌劇《蒼き狼》(1972年) 管弦楽作品 大中寅二(1896-1982)《成吉思汗廟に捧げる曲》 大中寅二(1896-1982)《蒙古青少年に贈る小組曲》 大木正夫(1901-1971)《蒙古》 早坂文雄(1914-1955)《民族絵巻(第2楽章が“蒙古の草原”、他に“娘々廟会”、“ラオスの子守歌”といった楽章をもつ「大東亜共栄圏」の音によるパノラマを意図した作品)》 紙恭輔(1902-1981)交響詩《ホロンバイル》 呉泰次郎(1907-1971)《成吉思汗》(1939年。朗読付き) 山田耕筰(1886-1965)交響詩《神風》(1940年) ヘルムート・フェルマー(1902-1977)蒙古の主題による管弦楽組曲《熱河、寺院の町》(1943年。日本人の作品ではないが、作曲者が東京音楽学校の教授職にあった時に書かれ、マ...
  • モンゴル音楽研究ノート2
    20世紀外モンゴル地域における音楽史研究 私の大学での専攻はモンゴル語とその文化である。モンゴル人の居住する地域は、モンゴル国に加えて中国の内蒙古自治区、ロシア連邦内のブリヤート共和国、カルムイク共和国などがあるが、それぞれ異なった歴史的経緯を持つため、ここではモンゴル人の所有する国家であるモンゴル国に限定して話を進める。さてこの現在のモンゴル国には、もちろん素晴らしい音楽の伝統がある一方、主に社会主義革命以降、ソ連・ロシアを通じての近代化と共に西洋的な音楽を受容してきた。現在でもポップミュージックは盛んであるし、オペラも日常的に興行を続けている。西洋音楽は十分に浸透していて、その状況は非常に興味深い。一方でモンゴルは特異な歴史を持つ。この歴史と先の音楽状況を重ね合わせると、モンゴルの音楽状況においての興味深く、また難しい問題が浮かび上がる。そのうち私は2つの点に注目したい。 一...
  • 概説書
    青木信治/橋本勝編(1992)『入門・モンゴル国』平原社 資本主義以降直後に出た本なので、今となってはだいぶ古い情報が含まれているが、編者が経済畑と言語畑の人なのでその方面は詳しい。 NHK取材班(1982)『モンゴルを行く』日本放送出版協会 ソ連経由でモンゴルに行っていた頃の本。今となっては社会主義時代の写真などは貴重かも。大阪外国語大学の名物先生だった小貫雅男氏も登場。 小沢重男/鯉渕信一(1992)『モンゴルという国』読売新聞社 モンゴル言語学の重鎮小沢重男氏がこんな本も出しているとは意外。 加藤久晴/吉田順一(1986)『蒼き狼たちのモンゴル』日本テレビ放送網 金岡秀郎(1993)『モンゴルは面白い』トラベルジャーナル 金岡秀郎編著(1995)『モンゴル まるごと情報局』トラベルジャーナル 小長谷有紀編(1997)『アジア読本 モンゴル』河出書房 日本人...
  • 旅行記
    池内紀(1997)『江上波夫の蒙古高原横断記』五月書房 日本の騎馬民族征服王朝説で有名な江上波夫は実は1930年に内モンゴルのシリンゴルを踏査しており、その記録がこれ。1937年に出た『蒙古高原横斷記』(東亞考古學會蒙古調査班著、東京朝日新聞社)のうち第1章を抜粋したもの。 磯野富士子(1986)『冬のモンゴル』中央公論社 ラティモアのモンゴル学研究所で研究主任を務めた磯野富士子氏が1944年から1945年にモンゴル慣習法研究をしていた夫の磯野誠一と共に内モンゴルのシリンゴル盟西ウゼムチン旗を4ヶ月旅した際の記録。モンゴル人との交流や民間伝承の話が楽しい。 オドリコ/家入敏光訳(1979)『東洋旅行記―カタイへの道』桃源社 14世紀にインド洋、南太平洋経由で中国へ伝道旅行を行ったイタリアのフランシスコ派宣教師オドリコの旅行記。中国で3年間の不況の後、帰途は陸路をとり、中央...
  • 漫画
    モンゴルが出てくる漫画 石川球太(1969/1989)『狼ジンギス汗』、講談社 全3巻の漫画文庫、または大判のスーパー文庫が入手可能。1969年より『ぼくらマガジン』に連載。1988年にまったく新しい構想のもとに制作され、完成されたという。しかしこの漫画、メルキトを滅ぼしジャムカを処刑したところで終わっている上、最終頁に書かれたアオリ文句からすると打ち切りのように見えてしまう。作者は1983年、ジンギス汗取材のために戦時下のバグダッドに4ヶ月滞在もしている。またアメリカ留学もし、その卒業論文は「アメリカン・インディアンと日本民族と狼」だった。その勉強熱心さ、勉強の成果は服装や景色など細部に表れているものの、清朝時代の文化であるツァムの仮面や、馬頭琴や三弦などの楽器が出てくる点で時代考証が甘いところがある。また石川自身の特長である動物描写はこの漫画でも生きている。 伊藤悠(2009...
  • 早坂文雄
    早坂文雄(Hayasaka humiwo/1914-1955) <参考文献> 著者なし(2004)「作曲家 早坂文雄(北海学園の先人たち)」(『日本教育学会大会発表要旨集録 63』pp.379-380、日本教育学会 (2000)『早坂文雄年譜』、日本近代音楽館 秋山邦晴著/林淑姫編(2003)『昭和の作曲家たち 太平洋戦争と音楽』、みすず書房 岩本憲児(2004)『黒澤明をめぐる12人の狂詩曲』、早稲田大学出版部 木部与巴仁(1999)「伊福部昭のいる3つの風景--楽器と人と~箜篌、武満徹、早坂文雄 (特集 伊福部昭の時代が来た!!--ゴジラの大作曲家の肖像--音楽誌初!鬼才の魅力と背景に迫る)」(『音楽現代 29(10) (通号 342)』pp.90-93,芸術現代社 〔編〕/芸術現代社) 小林淳(2001)『日本映画音楽の巨星たち 1』、ワイズ出版 相良侑亮(1992)「早...
  • モンゴル近現代史参考文献リスト
    「モンゴル近現代史文献」 M.アリウンサイハン「モンゴルにおける大粛清の真相とその背景 ソ連の対モンゴル政策の変化とチョイバルサン元帥の役割に着目して」(『一橋論叢』第126巻第2号、2001年8月号) M.アリウンサイハン(2004年)「日ソ関係とモンゴル 満洲事変から日ソ中立条約締結までの時期を中心に」(一橋大学・博士論文手稿、国立国会図書館所蔵) M.アリウンサイハン(2007)「モンゴル・ソ連相互援助規定書の締結と日本・ソ連・中国」(『一橋社会科学 第2号』一橋大学) O.バトバヤル「 補論 第二次世界大戦後のモンゴルにおける日本人軍事捕虜」『スラブ研究センター研究報告シリーズ 81』,p59-69,20020329(北海道大学) Ts.バトバヤル「一九一〇年代のモンゴル在留日本人」(古厩忠夫編 環日本海叢書3『東北アジア史の再発見』有信堂、1994年) Ts.バトバヤル...
  • 宗教
    阿拉坦宝力格ほか著;芝山豊編(2008)『南北モンゴルカトリック教会の研究』清泉女学院教育文化研究所 石濱裕美子(2001)『チベット仏教世界の歴史的研究』、東方書店 板橋区立美術館編(1998)『モンゴルの仏教美術 展覧会カタログ』、産経新聞社 煎本孝(2002)『東北アジア諸民族の文化動態』、北海道大学図書刊行会 第11章  モンゴル・シャマニズムの文化人類学的分析 (煎本 孝) 第12章  内モンゴルにおけるチャハル人の生計活動の変化 (Alta)所収 小野田俊蔵, 岡本康兒編 ; 岡本康兒, 田上操, 赤澤ジャコバ訳(2006)『アジアにおける仏教美術の諸様式 チベット・モンゴル・ブータン』、 佛教大学アジア宗教文化情報研究所 外務省情報部編(1936)『蒙古ラマ教の話』、外務省情報部 木村理子(2007)『モンゴルの仮面舞儀礼チャム 伝統文化の継承と創造...
  • Ts.ナムスライジャブ
    Ts.ナムスライジャブ(Tsegmidyn Namsraijav,1927-1987) アルハンガイ県生まれ。8歳のとき国立劇場付属芸能者養成グループに入り、胡琴をO.ダシデレグについて学び劇場の楽員となる(1930年代から40年代前半までモンゴル国立劇場には管弦楽団はなく民族楽器の合奏が劇の伴奏をしていた。1943年モスクワ音楽院出身のロシア人音楽指導者B.F.スミルノーフを招き1944年にはオーケストラの体裁が整った)。1945年劇場の管弦楽団にホルン奏者として入団。1947、49、51年世界青年フェスティバルに参加。1949年から指揮を始める。1952~57年モスクワ市音楽院へ留学、指揮科でE.Y.ラーツェルに師事、卒業。1957年国立フィルハーモニー協会管弦楽団設立に参加し、1987年まで国立フィルハーモニー芸術監督の任にあった。1950年に作曲した《革命英雄行進曲》(革命...
  • モンゴル音楽史参考文献(日本語)
    モンゴル音楽史参考文献 青木隆紘(2008)「《モンゴル音楽》の20世紀小史―モンゴル国音楽文化研究に向けて」(『日本とモンゴル 116』、日本モンゴル協会、pp.77-99) 青木隆紘(2008)「面白管楽器発見!エヴェル・ブレー」(『PIPERS 11月号(327)』杉原書店、pp.18-21) 青木隆紘(2008)「モンゴル音楽用語小辞典」(『モンゴル研究 25』、モンゴル研究会、pp.54-74) 青木信治/橋本勝編著(1992年)「入門・モンゴル国」より“音楽―国際化する伝統音楽”pp.115-121.(平原社) G.Arkhincheev/小川信吉訳(1941)「ブリヤート蒙古演劇音楽学校」(『蒙古111』、善隣協会、pp.99-104) ルイク・イシドール/高橋勝之訳(1941)「ブリヤート蒙古の民族楽器」(『蒙古114』、善隣協会、pp.59-62) 石原邦子(2...
  • Kh.ビレグジャルガル
    Kh.ビレグジャルガル(Khaltaryn Bilegjargal, 1954-2008) ザブハン県生まれ。68年に中学校からウランバートル市の師範学校に入学、音楽教育科卒(シャラフと同級生)。1972~76年アルハンガイ県師範学校で講師をした後、スヴェルドロフスクのウラル音楽院作曲科に入り76~82年B.ギバリンに、82~84年D.ネメスキーに師事。帰国後は84~87年、音楽舞踊中学校講師、1988年より国立歌劇場専属作曲科、90年から95年モンゴル作曲科同盟委員長。2008年病没。新奇さを出すのが難しいといわれたオペラの分野で《お坊さまの涙》などモンゴルオペラにしてはかなり革新的な作品を残した。 代表作 オペラ《お坊さまの涙》(原作:D.ナツァグドルジ、台本:B.ルハグワスレン)(1985)、《弦楽とピアノ、打楽器のためのパッサカリア》(2007)、《ピアノ・トリオ...
  • G.ビルワー
    G.ビルワー(Gonchigiin Birvaa,1916-2006) 1916年バヤンホンゴル県生まれ。1936~45年軍楽隊員として働き(軍楽隊はモンゴルでも西洋楽器の合奏の受容のさきがけだった)ノモンハン戦にも従軍。地方に派遣されていたとき、楽譜の読み方を教わったのが当時文化施設で働いていたロブサンシャラフだった。45~47年モスクワ音楽院軍楽隊指導者クラスに学ぶ。1947~67年、人民軍模範吹奏楽団、国立交響楽団、国立サーカスバンドなどの指揮者を務めた。1985年モンゴル作曲家同盟責任書記長に就任。1998年国家賞受賞。 代表作 映画音楽《赤い吹流し》(1971)、ヴィオラと管弦楽のための《叙情旋律集》など
  • 大澤壽人
    大澤壽人(1906-1953) Hisato Ohsawa 新資料 『煌きの軌跡 一大澤壽人作品資料目録一』 (関西に在住する音楽評論家でつくる「音楽クリティック・クラブ」特別賞受賞) 内容:この資料が神戸女学院に寄贈された経緯にはじまり、作品が、器楽曲、声楽曲、放送作品、といったジャンルで整理され、創作ジャンル不明作品、未確認作品まで、さらには編曲作品まで収録されている。 出版日:2007年12月4日 編集・発行:神戸女学院 頒価:1,000円 問い合わせ:662-8505 西宮市岡田山 4-1        神戸女学院史料室(0798-51-8503)  注:大澤壽人の生年については、1906年と1907年と二説あり、本人も両方使っていた形跡があるが、1906年が正しい。  名前の読みについても、おおさわ (Osawa) と、おおざわ (Ohzawa) と二...
  • G.バドラハ
    Гажидын Бадрах(1894-1938) Gajidiin Badrakh ガジディーン・バドラハ 内モンゴル出身で、北京で絵画などを学び、モンゴル国へは1920年にボグド・ハーンに自治返上を迫るためフレーを占拠した安徽派軍閥・徐樹錚の通訳としてやってきた。1920年代から30年代、モンゴル人民共和国の小学校、および師範学校で教師をしていた。中国語をよくし、当時の典籍委員会(現モンゴル国科学アカデミー)の依頼を受け、漢語歴史文献(『元史』など)を用いてモンゴル人として初めてモンゴル民族の音楽史『モンゴルの器楽の歴史より(Монголын хөгжмийн түүхээс)』を1936年に著すも、民族学研究シリーズとしてB.ソヨルトイ(1901-1937粛清)の挿絵付きで出版されたのは没後かなりたってからの1960年。この際、校訂とまえがきを担当したのは民族主義的文学者と...
  • D.ロブサンシャラフ
    ダグウィーン・ロブサンシャラフ 1926年- Дагвын Лувсаншарав Dagva Luvsansharav 経歴 作曲家、合唱指揮者。現在モンゴル国で最も尊敬を集める音楽家の一人。ヘンティー県バヤンホタグ郡出身。県のクラブで西洋音楽と出会い、16歳でマンドリンやアコーディオンを習う。最初はアマチュア音楽家であったようで、県の道路局などで働いていたが、1944年、国立中央劇場に演奏者として入団、1949年から52年、国立ドラマ劇場の合唱指導者を務める。1954年から59年、モスクワ・チャイコフスキー音楽院へ留学。翌1960年から63年まで引き続き国立ドラマ劇場での合唱指導、1975年国立民族歌舞団芸術監督、1992年から95年同団団長を務め現在も現役で音楽活動を続けている。また音楽以外では1964年から1990年まで革命青年同盟書記長を務めた。1951年モンゴル国功...
  • D.ジャルガルサイハン
    ダシゼウェギーン・ジャルガルサイハン(1959- ) ЖАРГАЛСАЙХАН Дашзэвэгийн Jargalsaikhan Dashzevegiin ロック歌手、ロックバンド「チンギス・ハーン」のバンド・リーダー 略歴 1959年9月25日ウランバートル市の芸術家の一家に生まれる。父親はモンゴルの造形芸術界の旗手でモンゴル国功労芸術家の彫刻家Ch.ダシゼウェグで、彼と母親はジャルガルサイハンに美術と音楽の面でもっとも大きな影響を与えた。そんな彼は10歳のときから両親の買い与えたガルモーニ(アコーディオン)に夢中になり、ソ連のイルクーツクのロシア語学校、レニングラード市立高等学校、モンゴル作曲家同盟付属作曲コースで学んだ。著作に(2002)「モンゴル民俗芸能が現代ポピュラー音楽に与えた影響」(『MONGOLICA Vol.12(33)』国際モンゴル学会、pp.10...
  • 言語
    社会言語学 荒井幸康(2006)『「言語」の統合と分離 1920-1940年代のモンゴル・ブリヤート・カルムイクの言語政策の相関関係を中心に』三元社 モンゴル国、ロシア連邦内のブリヤート、カルムイクなどと国境に隔たれてしまったモンゴル民族。今日その言語はおおもとでは同じながら、異なる正書法を持つことで方言差は大きくなり、政治的にも言語的にも分断されている。しかし共通の正書法をもつ可能性があった時代もあった。民族が言語政策によって分断される歴史を描いた。 田中克彦(2003)『言語の思想 国家と民族のことば』岩波書店 岩波現代文庫の1冊。言語と国家の関係を分析した論集。特に民族問題と密接に結び付いていたソ連の言語政策に詳しい。モンゴルについて、上の『「言語」の統合と分離』のもっと大まかな話題が扱われている。ちなみに荒井氏はこの田中氏の弟子。 その他言語学 小澤重男(199...
  • 橋本國彦
    橋本國彦(1904-1949) Qunihico Hashimoto 参考文献 『オーケストラ・ニッポニカ 芥川也寸志メモリアル第1集』(Mittenwald,2003年) 『Symphony no. 1 in D ; Symphonic suite "Heavenly maiden and fisherman"』(Naxos/アイヴィー,2002年) 『Just for me Noriko Ogawa plays Japanese piano music』(BIS/King International、1997年) 藍川由美『舞 橋本國彦歌曲集』(Camerata, 1998年) Ontomo mook(「音楽芸術」別冊)『日本の作曲20世紀』(音楽之友社、1999年) 川上晃(2007)「橋本国彦の白秋歌曲」(『群馬大学教育学部紀要, 芸術...
  • モンゴル近現代史入門書
    モンゴル国 青木雅浩『モンゴル近現代史研究 1921‐1924年-外モンゴルとソヴィエト、コミンテルン』早稲田大学出版部 生駒雅則『モンゴル民族の近現代史(ユーラシア・ブックレットNo.69)』(東洋書店、2004年) 薄っぺらい本だが新しい研究が反映されている。19世紀末から1940年代に入るまで、特に独立モンゴルが社会主義路線へと舵を切っていく時期の研究としてよくまとまっている。 磯野富士子『モンゴル革命』(中央公論社、1974年) 小貫雅男『モンゴル現代史』(山川出版社、1993年) 山川だけど、使ってる研究や資料が社会主義時代の頃のままで最早参考に出来ません。 木村毅『モンゴルの真実』(中西出版、2002年) 注)1921年の革命と1990年の民主化について書かれている入門書。 小長谷有紀『モンゴルの二十世紀』(中央公論新社、2004年) 歴史書じゃ...
  • 《幸福への道》(1951)
    第一場:1945年のナーダムも終わったある日、ネグデル(牧民協同組合)の組合員たちが、バータル翁(テノール)の仕事を手伝いに家から出てくる。皆祖国を称える歌を歌いながらフェルトを作る。今日は優秀な牧民としてバータルが勲章を受け、そのお祝いをする日だ。すると、怠け者で組合員たちからつまはじきにされているジャルサル(テノール)がやってきて、バータルの娘ハリオン(ソプラノ)に言い寄ろうとするが、周りの娘たちに散々に言われすごすご退散する。牧民のボル(テノール)とその友チョローン(テノール)がナーダムから戻ってきて、相撲でどんなに活躍したか皆に話して聞かせ、皆の賞賛を浴び、皆相撲の話で盛り上がる。そして愛し合うボルとハリオンが語らっているとバータル叙勲のお祝いが始まる。年長者からお祝いの言葉が述べられ、バータルは大変だった昔の思い出を語り、歌が歌われ宴たけなわとなる。すると突然、モンゴル国が日本の...
  • 江文也
    江文也 Bunya Koh (1910-1983) <参考文献> 石田一志『モダニズム変奏曲 アジアの近現代音楽史』(朔北社、2005年) 井田敏『まぼろしの五線譜―江文也という「日本人」』(白水社、1999年) 王徳威、三好章訳『叙事詩の時代の抒情―江文也の音楽と詩作 (研文選書)』、研文出版、2011年。 江文也『上代支那正楽考―孔子の音楽論』(三省堂、1942年) 仲万美子「作曲家の音楽活動空間と帰属文化との関係性 江文也と山田耕筰を事例に」『同志社女子大學學術研究年報 55』,pp.33-47,20041225(ISSN 04180038) (同志社女子大学) 三好章「江文也について 20世紀の日中関係の狭間にあった音楽家(光陰似箭)」『中国研究月報 60(10)』,pp.52-54,20061025(ISSN 09104348) (中国研究所/社団法人中国研...
  • モンゴル近現代文化の参考文献
    モンゴル近現代文化の参考文献リスト(音楽以外) (#印付きはモンゴル語の資料、それ以外は原則日本語) 多分野に亘るので、私一人ではどうにもならないページの一つです。修正や追加があればどんどん編集お願いいたします。 文化史 モンゴル国立文化芸術大学文化芸術研究所編纂(1999年)《Mongoliin soyoliin tu ukh(モンゴル文化史)》(全3巻)、ウランバートル# Sh.Natsagdorj編纂(1981/1986年)『モンゴル人民共和国文化史(BNMAU-iin soyoliin tu ukh)』(全2巻、モンゴル国立出版所、Ulaanbaatar)# 秋津紀穂(1972年)「モンゴルの文化革命」朝日アジアレビュ- 3(2),152~155,1972/06/00(ISSN 03872785) (朝日新聞社) 田中克彦(1992年)『モンゴル 民族と...
  • B.F.スミルノーフ
    B.F.スミルノーフ モンゴル国に国立劇場の音楽指導者として招聘された。彼の主な仕事は西洋音楽をモンゴルの国立中央劇場劇団員および劇場付属学校の生徒に教えることであった。その傍ら彼は、民俗音楽研究にも従事した。彼はレニングラード音楽院でM.F.グネーシンに学んだのだが、グネーシンはリャードフやグラズノーフに師事し、師のリームスキイ=コールサコフの「ユダヤ音楽が自分自身のグリーンカを早急に必要としている」 という言葉に促され、パレスチナに民俗音楽の調査に出向きユダヤ民族楽派の一員として活躍していた経歴を持った人物だった。ロシアの民衆音楽、異民族のあらゆる音楽を源泉とした芸術音楽の作曲を志向したロシア民族楽派の、彼は孫弟子だった。スミルノーフはまさにそのように振舞ったのだった。 彼は任期中、全国的なフィールドワークを行い、多くのインフォーマントから採譜を行った 。この作業自体には多くのモ...
  • 20世紀モンゴル史概略
    仮のものです。 ボグド・ハーン政権のモンゴル国の歴史  1911年から1920年までのモンゴルの全般的な歴史の概略を、田中克彦 、萩原守 、Ts.バトバヤル 、小貫雅男 らの著作を中心に示す。  1691年以降清朝の支配下に入っていた外モンゴル地域は1911年、ボグド・ハーン制モンゴルとして独立した。国家元首にはボグド・ジェブツンダンバ・ホトクト8世というチベット人活仏 が聖俗界の両方のトップとして諸侯により推戴された。首都はフレー(現在のウランバートル)に置かれ、近代化をある程度志向しつつも(ロシアに軍隊、軍楽隊、電信敷設の援助を要請した)実態は清朝の行政システムをかなり踏襲した専制君主国家だった。これは、清朝がその末期に、辺境防備とロシアとの国境策定を有利に進める必要から辺境地域に漢人を積極的に入植する政策を実施したのに対し、モンゴル人側は遊牧社会存続への危機感、漢人商人、入...
  • 音楽
    小方厚(2007)『音律と音階の科学―ドレミ…はどのようにして生まれたか』、講談社 小泉文夫(1984)『小泉文夫 フィールドワーク―人はなぜ歌をうたうか』、冬樹社 櫻井哲男編(1995)『二〇世紀の音(二〇世紀における諸民族文化の伝統と変容1)』、ドメス出版 櫻井哲男、水野信男編(2005)『諸民族の音楽を学ぶ人のために』、世界思想社 クルト・ザックス著/柿木吾郎訳(1965)『楽器の歴史 上』、全音楽譜出版社[Sachs, Curt. The history of musical instruments. New York W.W. Norton, 1940.] 鈴木正美(2006)『ロシア・ジャズ(ユーラシア・ブックレットNo.97)』、東方書店 瀧遼一(1944)『東洋音樂論』、弘学社 田辺尚雄(1943/2003)『大東亜の音楽』、大空社 柘植元一、植村幸生編『アジア音楽史』、...
  • 日本の音楽家たち
    主に日本の洋楽発展に貢献した人々 秋山邦晴?(1929-1996) 朝比奈隆(1908-2001) 安部幸明(1911-2006) 伊沢修二(1851-1917) 石川義一(1887-1962) 伊藤昇(1903-1993) 伊福部昭(1914-2006) 大澤壽人(1907-1953) 大沼哲(1889-1944) 金井喜久子(1906-1986) 紙恭輔?(1902-1981) 貴志康一(1909-1937) 清瀬保二(1900-1981) 江文也(1910-1983) 古関裕而?(1909-1989) 菅原明朗(1897-1988) 滝廉太郎(1879-1903) 武井守成(1890-1949) 成田為三(1893-1945) 信時潔(1887-1965) 橋本國彦(1904-1948) 早坂文雄(1914-1955) 平尾貴四男(190...
  • 卒業論文
    目次 序論 第1章 音楽の政治利用、音楽への政治的圧力の諸形態 第2章 政治との関連から見た20世紀のモンゴル国音楽史 2.1. 1921年革命以前ボグド・ハーン政権のモンゴル国 2.2. 人民革命期から(1921年~1928年) 2.3. 音楽家と粛清の時代、ドガルジャブの活動と最期(1928年~1940年代) 2.4. 社会主義建設とアマチュア芸能振興(1945年~) 第3章 結論 あとがき 参考文献表 モンゴル音楽史への駄文
  • モンゴル音楽研究ノート1
    まだモンゴルの音楽について全然分かっていなかったころに書いたものです。 西洋音楽の受容と全体主義体制化での芸術音楽~モンゴルにおける近代音楽史研究の可能性~  私は日本のクラシック音楽の歴史、つまり日本におけるシンフォニー・オーケストラ、軍楽隊(吹奏楽)、西洋的な音楽語法の歌曲、オペラ等の歴史に興味を持ち、先行研究を中心に調べている。日本でも音楽の伝統を有しているが、そこにどうやって西洋音楽そのもの、または西洋的な音楽の要素が入ってきたのか、それからもう一つ、日中戦争、太平洋戦争に代表されるようなファシズムが国を覆っていた時代、音楽と音楽家がどのような状況にあったのかに特に興味がある。 モンゴルももちろん素晴らしい音楽の伝統を持っているが、主に社会主義革命後、ソ連を通じて西洋的な音楽を受容してきた。現在でもポップミュージックは盛んであるし、オペラも日常的に興行を続けているという...
  • 《雲の如き運命》(1988)
    第一幕 第一場:旱魃で故郷を出て他のところへ移動した人々が再び戻ってくるところから話は始まる。その人々を束ねる年老いた領主ホロルドイ(バス)の体調が思わしくないことを役人のホーウォンドイ(バス・バリトン)が人々に知らせ、人々は移動を小休止する。ホロルドイは位を譲ることを決め、息子のテヌーン(バリトン)には「人の上に立つにはまだ未熟だ」と告げ、代わりに娘婿のトゥムルトゥルを跡継ぎとする布告を出した。領主の使用人ツォルハイ(メゾ・ソプラノ、ホーウォンドイの妻)は「皆の運命は地に落ちた」と人々を不安にさせる。ホロルドイは息を引き取り、人々は悲しみに包まれる。 第二幕 第二場:トゥムルトゥルの妃ナランゼル(ソプラノ、ホロルドイの娘)は遠くへ出かけた夫を待っているが、ツォルハイはその寂しさにつけ込み、嫉妬の種が生まれるよう仕向ける。旅から戻ったトゥムルトゥルは妃の心変わりに驚き、訳を知ろうとツ...
  • J.エネビシ
    J.エネビシ  芸術学博士、音楽学者、評論家。この20年間に、伝統音楽および現代音楽の歴史、理論の諸問題に関して、『音楽の伝統の革新』1991年、『モンゴル人の歴史文化事典』共著2004年、『チンギス・ハーン辞典』共著2006年、『遊牧民の音楽概念における潜在意識』共著2006年、『モンゴル音楽の口承と記譜の相互関係』2007年、『芸能評論、すなわち精霊を喚起するイラクサなり』2007年、『20世紀モンゴル音楽芸術評論の思想概観』2008年、『20世紀モンゴル音楽研究論文選集』監修2008年、『音楽学(科学アカデミー叢書22)』共著2010年、『文化芸術研究』共著2010年など、単著および共著による本を出し、30以上の修士、博士論文を指導し、無形文化財保護を主題とした10本以上のドキュメンタリー番組の制作に携わった。馬頭琴、オルティン・ドー、ホーミー、民族楽器オーケストラに関する大統領令...
  • モンゴル音楽事典その他
    演奏団体、劇場 国立歌劇場(Монгол Улсын Дуурь Бүжгийн Эрдэмийн Театр) 公式HP http //opera-ballet.mn/ 1924年設立のスフバートル記念クラブの芸能サークルが1927年建設の人民娯楽場(“緑ドーム”の愛称で呼ばれた)に移ったのが前身。同じ建物内で1931年国立中央劇場(劇団)が組織され1949年同建物が家事で消失するまでそこで活動。1943年には専属のオーケストラを設立(それまでは伝統楽器で劇の伴奏をしていた)。1951年に開場した現在の国立歌劇場の建物で活動再開。1963年に演劇部が分離、国立ドラマ劇場に本拠地を移し、オペラ、バレエ中心の国立歌劇場として再スタート。名称を変えながら現在に至る。510人収容。現在の正式名称はモンゴル国立オペラ・バレエ・アカデミック劇場。総合芸術監督B.ジャミヤンダグワ(バレエマイスター...
  • 青木孝義作品表
    青木孝義 Aoki Takayoshi(1951-2011) 作曲家 【生年】昭和26(1951)年7月22日 【出身】岡山県 【学歴】津山工業高等専門学校(昭和47年)卒 【賞】音コン作曲室内楽曲部門第1位(昭和46年),音楽之友社創立30周年記念作曲賞(昭和46年),大阪文化祭奨励賞(昭和47年) 【プロフィール】鐘紡生産技術研究所に勤務の傍ら、作曲家として活躍。昭和46年「シンクロニゼーション」で音楽コンクール作曲室内楽曲部門第1位となり注目される。主な作品に「協奏的変奏」「Geschwatzigkeit 72」「無伴奏フルートのための“呪咀2”」がある。 【所属団体】日本現代音楽協会,大阪楽友協会 <参考文献> 秋山邦晴(1979)『日本の作曲家たち〈下〉―戦後から真の戦後的な未来へ』、音楽之友社 細川 周平、片山 杜秀監修(2008)『日本の作曲家...
  • モンゴル系諸民族・民族問題
    総論 ユ・ヒョヂョン、ボルジギン・ブレンサイン編著(2009)『境界に生きるモンゴル世界 20世紀における民族と国家』、八月書館 中華人民共和国領内のモンゴル系諸族(チャハル、バルガ、ダグール、オルドス、オイラート、青海、ほか) 塚田誠之編(2010)『中国国境地域の移動と交流 近現代中国の南と北』、有志舎 モンゴル帝国期におけるアス人の移動について、「民族分裂主義者」と「中華民族」—「中国人」とされたモンゴル人の現代史、など ブリヤート 池田秀實(1935)『ブリヤート・モンゴル共和國ニ於ケルブリアート族ノ研究』、蒙古事情研究會 宇山智彦編(2008)『地域認識論 多民族空間の構造と表象』、講談社 「カルムイク人とブリヤート人の民族意識—「モンゴル」認識と「独自の道」)」所収 クドリヤフツエフ/蒙古研究所譯(1943)『ブリヤート蒙古民族史』、紀元社 黒田悦...
  • @wiki全体から「《グユク・ハーン》(1992)」で調べる

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