《天の鞭》(2011)

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  • オペラ・バレエあらすじ
    ...王》(2007) 《天の鞭》(2011)? もどる
  • Ch.サンギドルジ
    チョイギウィーン・サンギドルジ(Чойгивийн Сангидорж、1940-2012) モンゴル国の作曲家。 略歴 1940年バヤンホンゴル県ボグド郡生まれ。 1972年カザフスタンのアルマトゥイ音楽院卒業。 代表作に歌曲《息子の思い》、《ま白きアルタイ山》、オーケストラのための《交響的序曲》(2008)
  • B.シャラフ
    B.シャラフ(Byambasurengiin Sharv, b.1952) ヘンティー県生まれ。68年中学校からウランバートルの師範学校音楽教育科に入り、卒業後72年より中学校の音楽教師、75年にウラル音楽院へ留学、作曲をB.ギバリン、N.プゼイに師事。83~86年音楽舞踊中学校にて音楽理論講師、86~87年民族歌舞団コンサートマスター、87年よりモンゴル作曲家同盟声楽作品部会代表、90年より作曲家同盟幹部。92年国家賞。83年に作曲した交響曲第1番において編成にオルティンドー(モンゴル民謡の一大形式で追分のように音を引き伸ばし装飾をつけて歌うのが特徴。歌い手として大河ドラマ《北条時宗》の音楽にも参加したN.ノロブバンザド(1931-2002)などが有名。)を加えたことで注目された(ただしオルティンドーのこのような使い方は初めてではなくD.ロブサンシャラフ(b.1926)が1961...
  • Ts.ナツァグドルジ
    Ts.ナツァグドルジ(Tsogzolyn Natsagdorj, b.1951)  ドンドゴビ県生まれ。66年中学校からウランバートルの師範学校音楽教育科に入り、70年卒業後72年まで同校で音楽理論、和声学講師。72年にウラル音楽院に留学。作曲科でN.プゼイに師事。78年に帰国し音楽舞踊中学校にて理論、書法、和声学の講師を務めた後82年から2年間文化省芸術課長、84~87年国立歌劇場長、87年より作曲科同盟器楽作品部会代表、同同盟国際部長、84~90年同同盟書記長。94年より再び国立歌劇場長。93年に国家賞。それまで作曲家がひとりで何でもこなす(音楽活動においても作風においても)のが普通だと考えられていたモンゴル音楽界において、ハンガルやナツァグドルジの世代からは個々の作曲家が独自の路線で活動を始めた。同世代でナツァグドルジと同じく管弦楽作品の多いハンガルが感傷性や現代的な激しい表現主義...
  • S.ソロンゾンボルド
    スレンギーン・ソロンゾンボルド(Сүрэнгийн Соронзонболд、1958- ) モンゴル国の作曲家、音楽学者。作品はモンゴル国内のみならず、中国、モナコ、ドイツ、オランダなど海外でも演奏され高い評価を得ている。 略歴 1958年、アルハンガイ県ツェツェルレグ市に生まれる。1976年、ウランバートル市で十年制学校を卒業。同年、バンド「ハランガ」の現メンバーであるエンフマンライとオドスレンがウランバートル鉄道のウランバートル駅付属楽団のメンバーとして採用された際、彼らと一緒に働こうと同鉄道に就職した。様々な業務につく傍ら、サーカスの楽団員やピオネール宮殿で指導員のプレブジャブの元で小太鼓を演奏したりもした。 1983年、ジャズ楽団のために初めての作曲をする。同年、サーカス楽団で長年指導受けたことを実績とし、文化省専門家認定委員会にプロ音楽家となるための申請をし、試験に...
  • Kh.ビレグジャルガル
    Kh.ビレグジャルガル(Khaltaryn Bilegjargal, 1954-2008) ザブハン県生まれ。68年に中学校からウランバートル市の師範学校に入学、音楽教育科卒(シャラフと同級生)。1972~76年アルハンガイ県師範学校で講師をした後、スヴェルドロフスクのウラル音楽院作曲科に入り76~82年B.ギバリンに、82~84年D.ネメスキーに師事。帰国後は84~87年、音楽舞踊中学校講師、1988年より国立歌劇場専属作曲科、90年から95年モンゴル作曲科同盟委員長。2008年病没。新奇さを出すのが難しいといわれたオペラの分野で《お坊さまの涙》などモンゴルオペラにしてはかなり革新的な作品を残した。 代表作 オペラ《お坊さまの涙》(原作:D.ナツァグドルジ、台本:B.ルハグワスレン)(1985)、《弦楽とピアノ、打楽器のためのパッサカリア》(2007)、《ピアノ・トリオ...
  • 《ゲセル法王》(2007)
    第1幕第1場:場所はゲセルの宮殿。十方を治めるゲセル・ハーンは臣下の者たちと宴を開いているが、やがて手勢を連れて狩に出かける。妻のアルルンゴア妃が宮殿に一人残された。それを知った叔父のチョトン公が突如やって来る。アルルンゴアは供応するが、チョトンは「おお、かわいい我が甥嫁よ、ゲセルはそなたに影すら見せぬではないか。心細いことであろう。わしがそなたを娶ろうぞ」と彼女に迫る。アルルンゴアは「チョトン叔父様、何をおっしゃるのですか?万の兵を率いる叔父様も我が夫ゲセルに敵いましょうか。ご自身の体面をお考えくださいませ。」と門番を呼んで追い返させてしまった。第2場:呪いの黒い鳥の住処。チョトンは何とかアルルンゴアをゲセルと別れさせる方法はないかと地獄に住む呪いの黒い鳥のところへ行く。真夜中、黒い鳥は従者と共に現れ、怯えるチョトンに来た訳を問う。チョトンが訳を話し供物を差し出すと、黒い鳥と策謀をめぐら...
  • 貴志康一
    貴志康一 Koichi Kishi (1909-1936) <参考文献> Ontomo mook(「音楽芸術」別冊)『日本の作曲20世紀』(音楽之友社、1999年) 梶野絵奈(2011)『貴志康一と音楽の近代―ベルリン・フィルを指揮した日本人』、青弓社 河内厚郎『天才音楽家貴志康一と都島』都島区役所企画総務課、1997年 喜多ちえ「貴志康一―大阪生まれの天才マエストロ」(梅棹忠夫監修/なにわ文化研究会編『なにわ大阪再発見 第4号』大阪21世紀協会文化部、2001年) 日下徳一『貴志康一 よみがえる夭折の天才』(音楽之友社、2001年) 仲万美子; 三島郁「ベルリンの聴衆に届けられた「日本の西洋音楽」 貴志康一の考える「日本音楽」、編み出した「西洋音楽」」『総合文化研究所紀要 22』p,145-164,20050331(ISSN 09100105) (同志社女子大学) 野瀬吉信...
  • 政治・経済・社会
    現代社会 青木信治『変革下のモンゴル国経済』、アジア経済研究所、1993年。 青木信治『モンゴル国経済顧問日記』、日経、1994年。 赤羽恒雄、アンナ・ワシリエバ編(2006)『国境を越える人々 北東アジアにおける人口移動』、国際書院 ツェデンダンバ・バトバヤル(2006)「モンゴルにおける外国人移民問題」、pp.263-288 岩田伸人編(2008)『モンゴルの光と風 蒼き環境・観光大国の挑戦』、日本地域社会研究所 岩田伸人(2010)『モンゴルプロジェクト―日本・モンゴルのFTA(自由貿易協定)形成の意義と課題 (青山学院大学総合研究所叢書)』、日本地域社会研究所 内田勇四郎、神沢有三、山原秀『躍進するモンゴル―視察記録と数字的分析』、経済往来社、1974年。 岡洋樹編(2011)『歴史の再定義―旧ソ連圏アジア諸国における歴史認識と学術・教育』、東北大学東北アジア...
  • 《チョイジド夫人》(2005)
    第1幕:36歳の貴婦人チョイジドは重い病を患っている。ある時突如回復したかと思いきや、また病は悪化しついには死んでしまう。魂となった彼女の片方を黒い衣をまとった地獄からの死者が、もう片方を白い衣をまとった浄土からの使者がひっぱり奪い合う。仏神はチョイジドを精霊に変えてしまい、彼女を地獄へと行かせる。そこで彼女は、閻魔大王の玉座の前であらゆる身分の亡者が罪と善行の裁きを受けているのを目の当たりにする。信徒も僧侶も、富者も貧者も、男も女も地獄の裁判官の前で申し開きをし、その行状を言いつくろう。第2幕:閻魔大王の威光と地獄の有様をまざまざと見せられたチョイジドは、今度は極楽浄土に送られる。浄土では仏神たち、ターラー菩薩、精霊たちが祈りをささげる踊りを踊っている。そこで彼女は生前に善行を行った人々が幸福に暮らしている姿を目の当たりにし、彼らと共に踊り、浄土の素晴らしさを身をもって知る。仏より善行の...
  • モンゴル近現代史入門書
    モンゴル国 青木雅浩『モンゴル近現代史研究 1921‐1924年-外モンゴルとソヴィエト、コミンテルン』早稲田大学出版部 生駒雅則『モンゴル民族の近現代史(ユーラシア・ブックレットNo.69)』(東洋書店、2004年) 薄っぺらい本だが新しい研究が反映されている。19世紀末から1940年代に入るまで、特に独立モンゴルが社会主義路線へと舵を切っていく時期の研究としてよくまとまっている。 磯野富士子『モンゴル革命』(中央公論社、1974年) 小貫雅男『モンゴル現代史』(山川出版社、1993年) 山川だけど、使ってる研究や資料が社会主義時代の頃のままで最早参考に出来ません。 木村毅『モンゴルの真実』(中西出版、2002年) 注)1921年の革命と1990年の民主化について書かれている入門書。 小長谷有紀『モンゴルの二十世紀』(中央公論新社、2004年) 歴史書じゃ...
  • 歴史―モンゴル帝国時代
    江上波夫『モンゴル帝国とキリスト教』、サンパウロ、2000年。 岡田英弘『モンゴル帝国の興亡 』(ちくま新書 、2001年) 岡田英弘(2010)『モンゴル帝国から大清帝国へ』、藤原書店 川本正知『モンゴル帝国の軍隊と戦争』、山川出版社、2013年 栗生沢猛夫(2007)『タタールのくびき ロシア史におけるモンゴル支配の研究』、東京大学出版会 志茂碩敏『モンゴル帝国史研究 正篇 中央ユーラシア遊牧諸政権の国家構造』、東京大学出版会、2013年 白石典之『チンギス=カンの考古学 (世界の考古学)』、同成社、2001年。 白石典之『モンゴル帝国史の考古学的研究』、同成社、2002年。 白石典之『チンギス・カン―“蒼き狼”の実像 (中公新書)』、中央公論新社、2006年。 杉山正明『大モンゴルの世界 陸と海の巨大帝国』(角川選書、1992年) 杉山正明(1996)『モンゴル帝国...
  • 言語
    社会言語学 荒井幸康(2006)『「言語」の統合と分離 1920-1940年代のモンゴル・ブリヤート・カルムイクの言語政策の相関関係を中心に』三元社 モンゴル国、ロシア連邦内のブリヤート、カルムイクなどと国境に隔たれてしまったモンゴル民族。今日その言語はおおもとでは同じながら、異なる正書法を持つことで方言差は大きくなり、政治的にも言語的にも分断されている。しかし共通の正書法をもつ可能性があった時代もあった。民族が言語政策によって分断される歴史を描いた。 田中克彦(2003)『言語の思想 国家と民族のことば』岩波書店 岩波現代文庫の1冊。言語と国家の関係を分析した論集。特に民族問題と密接に結び付いていたソ連の言語政策に詳しい。モンゴルについて、上の『「言語」の統合と分離』のもっと大まかな話題が扱われている。ちなみに荒井氏はこの田中氏の弟子。 その他言語学 小澤重男(199...
  • 宗教
    阿拉坦宝力格ほか著;芝山豊編(2008)『南北モンゴルカトリック教会の研究』清泉女学院教育文化研究所 石濱裕美子(2001)『チベット仏教世界の歴史的研究』、東方書店 板橋区立美術館編(1998)『モンゴルの仏教美術 展覧会カタログ』、産経新聞社 煎本孝(2002)『東北アジア諸民族の文化動態』、北海道大学図書刊行会 第11章  モンゴル・シャマニズムの文化人類学的分析 (煎本 孝) 第12章  内モンゴルにおけるチャハル人の生計活動の変化 (Alta)所収 小野田俊蔵, 岡本康兒編 ; 岡本康兒, 田上操, 赤澤ジャコバ訳(2006)『アジアにおける仏教美術の諸様式 チベット・モンゴル・ブータン』、 佛教大学アジア宗教文化情報研究所 外務省情報部編(1936)『蒙古ラマ教の話』、外務省情報部 木村理子(2007)『モンゴルの仮面舞儀礼チャム 伝統文化の継承と創造...
  • 管理者プロフィール
    管理者プロフィール 某大学のヘボ院生だったが最近ようやく職に就く。血液型はA型。 モンゴルを「愛している」のかはなはだ怪しい(まあ「愛は盲目」と言いますし)けどモンゴル音楽に関してダラダラ研究まがいのことを続けています。 一応、日本最初のエヴェル・ブレー(モンゴルの角笛)奏者でもあります。 頭の弱い子なのでどこまでできるか分かりませんが、生暖かく見守ってやってください。 管理者の書いたもの 青木隆紘(2008)「《モンゴル音楽》の20世紀小史―モンゴル国音楽文化研究に向けて」(『日本とモンゴル 116』、日本モンゴル協会、pp.77-99) 青木隆紘(2008)「面白管楽器発見!エヴェル・ブレー」(『PIPERS 11月号(327)』杉原書店、pp.18-21) 青木隆紘(2008)「モンゴルの中心で角笛を吹く」(『日本とモンゴル 117』、日本モンゴル協会、pp.41-5...
  • 青木孝義作品表
    青木孝義 Aoki Takayoshi(1951-2011) 作曲家 【生年】昭和26(1951)年7月22日 【出身】岡山県 【学歴】津山工業高等専門学校(昭和47年)卒 【賞】音コン作曲室内楽曲部門第1位(昭和46年),音楽之友社創立30周年記念作曲賞(昭和46年),大阪文化祭奨励賞(昭和47年) 【プロフィール】鐘紡生産技術研究所に勤務の傍ら、作曲家として活躍。昭和46年「シンクロニゼーション」で音楽コンクール作曲室内楽曲部門第1位となり注目される。主な作品に「協奏的変奏」「Geschwatzigkeit 72」「無伴奏フルートのための“呪咀2”」がある。 【所属団体】日本現代音楽協会,大阪楽友協会 <参考文献> 秋山邦晴(1979)『日本の作曲家たち〈下〉―戦後から真の戦後的な未来へ』、音楽之友社 細川 周平、片山 杜秀監修(2008)『日本の作曲家...
  • 歴史―通史
    通史、大テーマ 岡田英弘(1999)『世界史の誕生 (ちくま文庫)』筑摩書房 地中海世界も中国も結び付けた「世界史」はモンゴル帝国から始まった、という論を杉山正明よりも先に展開していた岡田英弘の著作。 小松久男編『中央ユーラシア史』山川出版社 杉山正明(2003)『遊牧民から見た世界史―民族も国境もこえて (日経ビジネス人文庫)』日本経済新聞社 ドーソン/田中萃一郎(1936)『蒙古史 上』岩波書店 ドーソン/田中萃一郎(1938)『蒙古史 下』岩波書店 岩波文庫の古いやつですがリクエスト復刊されてます。 日本放送協会(1992)『大モンゴル1 蒼き狼チンギス・ハーン』角川書店 日本放送協会(1992)『大モンゴル2 幻の王プレスター』角川書店 日本放送協会(1992)『大モンゴル3 大いなる都』角川書店 日本放送協会(1992)『大モンゴル4 草原の民、自由の民』角川書...
  • モンゴル近現代文化の参考文献
    モンゴル近現代文化の参考文献リスト(音楽以外) (#印付きはモンゴル語の資料、それ以外は原則日本語) 多分野に亘るので、私一人ではどうにもならないページの一つです。修正や追加があればどんどん編集お願いいたします。 文化史 モンゴル国立文化芸術大学文化芸術研究所編纂(1999年)《Mongoliin soyoliin tu ukh(モンゴル文化史)》(全3巻)、ウランバートル# Sh.Natsagdorj編纂(1981/1986年)『モンゴル人民共和国文化史(BNMAU-iin soyoliin tu ukh)』(全2巻、モンゴル国立出版所、Ulaanbaatar)# 秋津紀穂(1972年)「モンゴルの文化革命」朝日アジアレビュ- 3(2),152~155,1972/06/00(ISSN 03872785) (朝日新聞社) 田中克彦(1992年)『モンゴル 民族と...
  • 参考文献リスト2(論文、雑誌記事など)
    <総史> 後藤暢子「明治・大正・昭和三代の音楽雑誌を読む」〔『フィルハーモニー』54巻10-11号(NHK交響楽団、1982年)〕 同「第2次世界大戦期を中心とする洋楽関係誌の系譜」〔『フィルハーモニー』55巻4-5号(NHK交響楽団、1983年)〕 諸井三郎 他 「日本の作曲1世紀の歩み」『音楽芸術 21(5)』,????,1963/05(ISSN 00302600) (音楽之友社 〔編〕/音楽之友社) 古川隆久; 吉原潤; 京極典子 他 「昭和前半期の上流社会と音楽・芸能--京極典子氏・勝田美智子氏談話記録」『横浜市立大学論叢, 人文科学系列 54(1-3)』p,395~431,2003(ISSN 09117717) (横浜市立大学学術研究会) 秋岡陽「1920~50ニッポン空白の洋楽史(1)山田耕筰--日本近代音楽史の鏡像」『レコ-ド芸術 50(1)』p,329...
  • 大澤壽人
    大澤壽人(1906-1953) Hisato Ohsawa 新資料 『煌きの軌跡 一大澤壽人作品資料目録一』 (関西に在住する音楽評論家でつくる「音楽クリティック・クラブ」特別賞受賞) 内容:この資料が神戸女学院に寄贈された経緯にはじまり、作品が、器楽曲、声楽曲、放送作品、といったジャンルで整理され、創作ジャンル不明作品、未確認作品まで、さらには編曲作品まで収録されている。 出版日:2007年12月4日 編集・発行:神戸女学院 頒価:1,000円 問い合わせ:662-8505 西宮市岡田山 4-1        神戸女学院史料室(0798-51-8503)  注:大澤壽人の生年については、1906年と1907年と二説あり、本人も両方使っていた形跡があるが、1906年が正しい。  名前の読みについても、おおさわ (Osawa) と、おおざわ (Ohzawa) と二...
  • モンゴルを主題とした音楽作品
    モンゴルを主題とした音楽作品 オペラ 高田三郎(1913-2000)歌劇《蒼き狼》(1972年) 管弦楽作品 大中寅二(1896-1982)《成吉思汗廟に捧げる曲》 大中寅二(1896-1982)《蒙古青少年に贈る小組曲》 大木正夫(1901-1971)《蒙古》 早坂文雄(1914-1955)《民族絵巻(第2楽章が“蒙古の草原”、他に“娘々廟会”、“ラオスの子守歌”といった楽章をもつ「大東亜共栄圏」の音によるパノラマを意図した作品)》 紙恭輔(1902-1981)交響詩《ホロンバイル》 呉泰次郎(1907-1971)《成吉思汗》(1939年。朗読付き) 山田耕筰(1886-1965)交響詩《神風》(1940年) ヘルムート・フェルマー(1902-1977)蒙古の主題による管弦楽組曲《熱河、寺院の町》(1943年。日本人の作品ではないが、作曲者が東京音楽学校の教授職にあった時に書かれ、マ...
  • 牧畜・生活
    石毛直道編/有賀秀子ほか著(1997)『モンゴルの白いご馳走』、チクマ秀版社 石毛直道監修/小長谷有紀編著(2004)『くらべてみよう!日本と世界のくらしと遊び』、講談社 石毛直道編著(2008)『世界の発酵乳 発酵乳の文化・生理機能 モンゴル・キルギスそして健康な未来へ』、はる書房 石山彰監修/久保田陽子文(2001)『アジアの民族衣装』、小峰書店 「アイヌ・沖縄・近くの国の衣服-日本、朝鮮半島、モンゴル」所収 今西錦司(1995)『遊牧論そのほか』、平凡社 梅棹忠夫(1976)『狩猟と遊牧の世界』、講談社 梅棹忠夫(1990)『梅棹忠夫著作集2 モンゴル研究』、中央公論社 越智猛夫(1997)『乳酒の研究』、八坂書房 風戸真理(2009)『現代モンゴル遊牧民の民族誌 ポスト社会主義を生きる』、世界思想社 銀城康子文/高松良己絵(2009)『モンゴルのごはん(絵本世...
  • モンゴル音楽史参考文献(日本語)
    モンゴル音楽史参考文献 青木隆紘(2008)「《モンゴル音楽》の20世紀小史―モンゴル国音楽文化研究に向けて」(『日本とモンゴル 116』、日本モンゴル協会、pp.77-99) 青木隆紘(2008)「面白管楽器発見!エヴェル・ブレー」(『PIPERS 11月号(327)』杉原書店、pp.18-21) 青木隆紘(2008)「モンゴル音楽用語小辞典」(『モンゴル研究 25』、モンゴル研究会、pp.54-74) 青木信治/橋本勝編著(1992年)「入門・モンゴル国」より“音楽―国際化する伝統音楽”pp.115-121.(平原社) G.Arkhincheev/小川信吉訳(1941)「ブリヤート蒙古演劇音楽学校」(『蒙古111』、善隣協会、pp.99-104) ルイク・イシドール/高橋勝之訳(1941)「ブリヤート蒙古の民族楽器」(『蒙古114』、善隣協会、pp.59-62) 石原邦子(2...
  • 参考文献リスト1(書籍など)
    |<総史> 伊沢修二(山住正己校注)『洋楽事始 音楽取調成績申報書』東洋文庫188(平凡社、1971年) 井上武士監修・秋山龍英編著『日本の洋楽百年史』(第一法規出版社、1966年) 歌崎和彦編著『証言―日本洋楽レコード史(戦前編)』(音楽之友社、1998年) 大森盛太郎(1986)『日本の洋楽 ペリー来航から130年の歴史ドキュメント1』、新門出版社 大森盛太郎(1987)『日本の洋楽 ペリー来航から130年の歴史ドキュメント2』、新門出版社 小宮多美江『受容史ではない 近現代日本の音楽史 1900~1960年代まで』(音楽の世界社、2001年) 園部三郎『音楽五十年』(時事通信社、改訂版1956年) 團伊玖磨『私の日本音楽史―異文化との出会い』(日本放送出版協会、1999年) 千葉優子『ドレミを選んだ日本人』音楽之友社、2007 中村洪介『西洋の音、日...
  • G.アルタンホヤグ
    ガーダンギーン・アルタンホヤグ(1948- ) Гаадангийн Алтанхуяг Gaadan Altanhuyag 経歴 作曲家。ウランバートル市生まれ。1962年~1966年音楽舞踊中学校で音楽を、1972年~1977年ブルガリアのソフィア音楽院で作曲をそれぞれ学ぶ。1966年~1969年まで音楽舞踊中学校と師範学校で教鞭をとる。1976年より国立師範大学で教師、1982年よりモンゴル国立テレビで音楽編集者を務める。2004年~2007年、モンゴル作曲家同盟代表。1993年功労芸術家の称号を受ける。 作品 交響詩《1921年》(1982)、弦楽オーケストラのための変奏曲(1976)、民俗楽器オーケストラのための組曲(1986)、ヴァイオリン協奏曲(1978)、子供のためのピアノ協奏曲(1979)、弦楽四重奏曲第1番(1978)、第2番(2006)、オーケスト...
  • 山田耕筰
    山田耕筰 Kôsçak Yamada (1886-1965) <参考文献> 秋岡陽「山田耕筰《御大典奉祝前奏曲》原典研究 スコア復元作業を通して見えてくるもの」『フェリス女学院大学音楽学部紀要 7』,pp.27-39,20050324(ISSN 13410601) (フェリス女学院大学) 秋岡陽「山田耕筰と日本の初期オーケストラ運動(1)」『フェリス女学院大学音楽学部紀要 2』,pp.70-90,19970300(ISSN 13410601) (フェリス女学院大学) 秋岡陽(1996)「山田耕筰とアメリカ」(松下鈞編『異文化交流と近代化―京都国際セミナー1996』pp.69-75,大空社、1998年) 小松礼子(2008)「山田耕筰作曲「わが家の歌」(K23,R64)について--国民歌謡からラジオ歌謡へ[含 楽譜、出版楽譜目録]」(『ラジオ歌謡研究 (2)』, pp.40-...
  • モンゴル音楽史簡易年表
    下の年表は《青木隆紘(2008)「《モンゴル音楽》の20世紀小史―モンゴル国音楽文化研究に向けて」(『日本とモンゴル 116』、日本モンゴル協会、pp.77-99)》の年表を大幅に改訂したものです。 モンゴル音楽関連簡易年表 年代 出来事 BC400~93年頃 匈奴がモンゴル高原を支配。匈奴軍は鼓吹楽という軍楽隊のようなものを持っていた。またモンゴル国中央県アルタンボラグ郡からは匈奴時代の骨製口琴が出土。 2~3世紀頃 蔡琰(蔡文姬、177?-239?)が自身の運命を綴った詩『胡笳十八拍』(後世の創作説あり)で南匈奴のツォールと思われる管楽器について歌う。 554~559年 この期間に成立した『魏書』「高車伝」によると、紀元前3世紀頃からモンゴル高原に居住していたテュルク系の高車が狼の吠声のように「好んで声を引いて長く歌」っていたとの記述がある。 6世紀~11世紀 柔然、突厥、ウイグ...
  • E.チョイドグ
    E.チョイドグ(Eregzengiin Choidog, 1926-1988) 1926年ウランバートル生まれ。内務省付属小学校から1940年に芸能学校(現音楽舞踊専門学校)に入る。1942~49年国立劇場の楽員。1954~56年国立民族歌舞団芸術監督、56~63年モスクワ音楽院作曲科にてプロコフィエフの《イワン雷帝》をバレエ用に編曲したことで知られるM.チュラーキに師事。1963~67年ドルノド県立劇場専属作曲家、音楽講師、67~81年国立民族歌舞団指揮者、81~88年ダルハン市立青年劇場音楽講師。師と同じく舞踊音楽を得意とし多数の舞踊作品を書いた(少々ハチャトゥリアンを思わせるが)。また管弦楽作法においてもオリジナリティを発揮した。ムルドルジの後を受け民族楽器オーケストラを育て、民族楽器のための作品も多い。1986年国家賞受賞。ちなみに今日よく演じられるバレエ《チョイジド夫人伝...
  • モンゴル近現代史参考文献リスト
    「モンゴル近現代史文献」 M.アリウンサイハン「モンゴルにおける大粛清の真相とその背景 ソ連の対モンゴル政策の変化とチョイバルサン元帥の役割に着目して」(『一橋論叢』第126巻第2号、2001年8月号) M.アリウンサイハン(2004年)「日ソ関係とモンゴル 満洲事変から日ソ中立条約締結までの時期を中心に」(一橋大学・博士論文手稿、国立国会図書館所蔵) M.アリウンサイハン(2007)「モンゴル・ソ連相互援助規定書の締結と日本・ソ連・中国」(『一橋社会科学 第2号』一橋大学) O.バトバヤル「 補論 第二次世界大戦後のモンゴルにおける日本人軍事捕虜」『スラブ研究センター研究報告シリーズ 81』,p59-69,20020329(北海道大学) Ts.バトバヤル「一九一〇年代のモンゴル在留日本人」(古厩忠夫編 環日本海叢書3『東北アジア史の再発見』有信堂、1994年) Ts.バトバヤル...
  • 金井喜久子
    金井喜久子Kikuko Kanai(1906-1986) <参考文献> 金井喜久子(1954/2006)『琉球の民謠』音楽之友社 金井喜久子(1964)『ミュージカル世界の旅』音楽之友社 金井喜久子(2006)『ニライの歌』琉球新報社 小林緑編著(1999)『女性作曲家列伝』平凡社 富樫康(1956)『日本の作曲家』音楽之友社 内田るり子(1986)「沖縄音楽の中に燃焼しつくした生命--作曲家金井喜久子さんの生涯」(『芸能 28(11)』、芸能学会、pp.15-17 金井喜久子(1959)「琉球の民族音楽の特性について」(『音楽芸術 17(13)』、音楽之友社、pp.39-43) <楽譜> 金井喜久子編(1961)『沖縄民謡による合唱曲集1』音楽之友社 ひめゆりの塔 ; お祭り ; たんじゅかりゆし ; 谷茶前の浜 ; 宮古の子守唄 ; みこの踊り ; ましゅんこ ;...
  • モンゴル音楽史参考文献(その他の言語)
    <ロシア語> Академия Наук СССР. Искусство Бурятской АССР, Улан-Удэ, 1959.[ソヴィエト連邦科学アカデミー『ブリヤート・ソヴィエト自治共和国の芸術』] Берлинский, П.М. Монгольский певец и музыкант Ульдзуй Лувсан хуурчи, Москва, 1933.[ベルリンスキー,P.M.『モンゴルの歌手・音楽家ウルジー・ロブサン・ホールチ』] Дашева, Л.Д. Традиционная Музыкальная Культура Бурят, Издательство ОАО “Республиканская Типография” Улан-Удэ, 2005.[ダシエワ,L.D『ブリヤートの伝統音楽文化』] Кондратьев, С.А. Музыка Монг...
  • 漫画
    モンゴルが出てくる漫画 石川球太(1969/1989)『狼ジンギス汗』、講談社 全3巻の漫画文庫、または大判のスーパー文庫が入手可能。1969年より『ぼくらマガジン』に連載。1988年にまったく新しい構想のもとに制作され、完成されたという。しかしこの漫画、メルキトを滅ぼしジャムカを処刑したところで終わっている上、最終頁に書かれたアオリ文句からすると打ち切りのように見えてしまう。作者は1983年、ジンギス汗取材のために戦時下のバグダッドに4ヶ月滞在もしている。またアメリカ留学もし、その卒業論文は「アメリカン・インディアンと日本民族と狼」だった。その勉強熱心さ、勉強の成果は服装や景色など細部に表れているものの、清朝時代の文化であるツァムの仮面や、馬頭琴や三弦などの楽器が出てくる点で時代考証が甘いところがある。また石川自身の特長である動物描写はこの漫画でも生きている。 伊藤悠(2009...
  • 教育
    教育 小川佳万、服部美奈編著『アジアの教員 変貌する役割と専門職への挑戦』、ジアース教育新社、2012年 神沢有三(1981)『モンゴルの教育・亀跌・異音畳語』、長崎出版 森住衛監修(2006)『モンゴルの中学生』学習研究社 森修『モンゴルの日本式高校』、河北新報出版センター 、2005年 森修『あんだ いつまでも―新モンゴル高校と日本』、森修(自費出版?)、2012年
  • Z.ハンガル
    ゾンドイン・ハンガル(Zunduin Khangal 1948-1996) 1948年ウランバートル市生まれ。音楽舞踊中学校に学び、1963~1966年建築業者文化宮殿にて演奏家として働き、1966~1968年音楽舞踊中学校助教、1968~1970年カザフ共和国の首都(当時)アルマ・アタ(アルマトイ)市立音楽院に留学し作曲法をG.ジュバノフに、1970~1976年にはスヴェルドロフスク(現エカテリンブルグ)市のウラル音楽院でB.ギバリンに作曲を学ぶ。1976~1979年音楽舞踊中学校教師、1979~1984年国立オペラ・バレエ・アカデミック劇場座付き作曲家、1984~1986年国立サーカス座付き作曲家、1987年より作曲家同盟会員。1990年、弦楽四重奏曲、ヴァイオリン協奏曲、バレエ音楽《宝珠の山》により国家賞受賞。1910年代から20年代生まれの第一世代の作曲家たちの多忙により若い作...
  • 音楽
    小方厚(2007)『音律と音階の科学―ドレミ…はどのようにして生まれたか』、講談社 小泉文夫(1984)『小泉文夫 フィールドワーク―人はなぜ歌をうたうか』、冬樹社 櫻井哲男編(1995)『二〇世紀の音(二〇世紀における諸民族文化の伝統と変容1)』、ドメス出版 櫻井哲男、水野信男編(2005)『諸民族の音楽を学ぶ人のために』、世界思想社 クルト・ザックス著/柿木吾郎訳(1965)『楽器の歴史 上』、全音楽譜出版社[Sachs, Curt. The history of musical instruments. New York W.W. Norton, 1940.] 鈴木正美(2006)『ロシア・ジャズ(ユーラシア・ブックレットNo.97)』、東方書店 瀧遼一(1944)『東洋音樂論』、弘学社 田辺尚雄(1943/2003)『大東亜の音楽』、大空社 柘植元一、植村幸生編『アジア音楽史』、...
  • G.ジャミヤン
    Гомбодоржийн Жамъян(1919/11/28-2008/2/17) ゴムボドルジーン・ジャミヤン Gombodorjiin Jamiyan 経歴  1919年、ツェツェン・ハン盟、サロール・グン旗のスーデリーン・オハーというところ(現・ドルノド県ボルガン郡)に生まれる。貧しいながらタイジ(チンギスハーンの血を引く貴族)であった父ゴムボドルジよりモンゴル文字の読み書きと馬頭琴を習う。18歳まで両親の元で暮らすが、1937年ウランバートルへ上京、芸能者学校へ入学しD.トゥデブ(1898-1938)及びS.トゥブデン(1901-?)に馬頭琴を師事(1939年卒業)。1938年からは国立中央劇場で演奏者として働くようになる。また1940年ソ連より招聘された作曲家、音楽学者B.F.スミルノフ(1912-1971)に音楽理論を学んだ。同じ時期ブリヤート社会主義自治共和国...
  • Ts.ナムスライジャブ
    Ts.ナムスライジャブ(Tsegmidyn Namsraijav,1927-1987) アルハンガイ県生まれ。8歳のとき国立劇場付属芸能者養成グループに入り、胡琴をO.ダシデレグについて学び劇場の楽員となる(1930年代から40年代前半までモンゴル国立劇場には管弦楽団はなく民族楽器の合奏が劇の伴奏をしていた。1943年モスクワ音楽院出身のロシア人音楽指導者B.F.スミルノーフを招き1944年にはオーケストラの体裁が整った)。1945年劇場の管弦楽団にホルン奏者として入団。1947、49、51年世界青年フェスティバルに参加。1949年から指揮を始める。1952~57年モスクワ市音楽院へ留学、指揮科でE.Y.ラーツェルに師事、卒業。1957年国立フィルハーモニー協会管弦楽団設立に参加し、1987年まで国立フィルハーモニー芸術監督の任にあった。1950年に作曲した《革命英雄行進曲》(革命...
  • 文学・古典籍・口承伝承
    近代文学 荒井伸一他編訳(1984)『帽子をかぶった狼 モンゴル短編集』、恒文社 Ch.オイドブ/小沢重男訳注 (1994)『道』、大学書林 岡田和行、上村明、海野未来雄(1999)『「モンゴル文学を味わう」報告書(アジア理解講座 1997年度第1期)』、国際交流基金アジアセンター 芝山豊(1987)『近代化と文学 モンゴル近代文学史を考える』、アルド書店 芝山豊、岡田和行編(2003)『モンゴル文学への誘い』、明石書店 モンゴル文学を俯瞰する決定版の本。翻訳や論文も価値があるが、巻末のモンゴル文学に関する文献表もすごい。モンゴル文学や文化に興味があるなら必ず手に入れること。 橋本勝、E. プレブジャブ(1998)『モンゴル文学』、大阪外国語大学モンゴル語研究室 リグデン著/佐治俊彦、ボルジギン・ブレンサイン訳(2009)『地球宣言 大草原の偉大なる寓話』、教育史料出...
  • G.ビルワー
    G.ビルワー(Gonchigiin Birvaa,1916-2006) 1916年バヤンホンゴル県生まれ。1936~45年軍楽隊員として働き(軍楽隊はモンゴルでも西洋楽器の合奏の受容のさきがけだった)ノモンハン戦にも従軍。地方に派遣されていたとき、楽譜の読み方を教わったのが当時文化施設で働いていたロブサンシャラフだった。45~47年モスクワ音楽院軍楽隊指導者クラスに学ぶ。1947~67年、人民軍模範吹奏楽団、国立交響楽団、国立サーカスバンドなどの指揮者を務めた。1985年モンゴル作曲家同盟責任書記長に就任。1998年国家賞受賞。 代表作 映画音楽《赤い吹流し》(1971)、ヴィオラと管弦楽のための《叙情旋律集》など
  • 早坂文雄
    早坂文雄(Hayasaka humiwo/1914-1955) <参考文献> 著者なし(2004)「作曲家 早坂文雄(北海学園の先人たち)」(『日本教育学会大会発表要旨集録 63』pp.379-380、日本教育学会 (2000)『早坂文雄年譜』、日本近代音楽館 秋山邦晴著/林淑姫編(2003)『昭和の作曲家たち 太平洋戦争と音楽』、みすず書房 岩本憲児(2004)『黒澤明をめぐる12人の狂詩曲』、早稲田大学出版部 木部与巴仁(1999)「伊福部昭のいる3つの風景--楽器と人と~箜篌、武満徹、早坂文雄 (特集 伊福部昭の時代が来た!!--ゴジラの大作曲家の肖像--音楽誌初!鬼才の魅力と背景に迫る)」(『音楽現代 29(10) (通号 342)』pp.90-93,芸術現代社 〔編〕/芸術現代社) 小林淳(2001)『日本映画音楽の巨星たち 1』、ワイズ出版 相良侑亮(1992)「早...
  • 歴史―モンゴル帝国以降
    岡田英弘編(2009)『清朝とは何か』、藤原書店 岡田英弘(2010)『モンゴル帝国から大清帝国へ』、藤原書店 楠木賢道(2010)『清初対モンゴル政策史の研究 (汲古叢書 87)』、汲古書院 佐藤憲行(2009)『清代ハルハ・モンゴルの都市に関する研究―18世紀末から19世紀半ばのフレーを例に』、学術出版会 現在のウランバートルの基盤となった仏教都市フレーは、清朝時代、モンゴル人と漢人からなるハイブリッドな構造を持った都市だったが、そこから清朝の政策の新しい理解まで、モンゴルの国立公文書館の資料を豊富に使って研究した書。 杉山正明(2008)『モンゴル帝国の長いその後』講談社 宮脇淳子(1995)『最後の遊牧帝国 ジューンガル部の興亡』講談社 村上信明(2007)『清朝の蒙古旗人 その実像と帝国統治における役割 (ブックレット〈アジアを学ぼう〉 4) 』、風響社 モン...
  • J.チョローン
    J.チョローン(Jamiyangiin Chuluun,1928-1996) 1928年ホブド市生まれ。父は文化施設の音楽指導者だった。9歳のとき地元の馬頭琴伝承者に習い始める。1939年ウランバートルに行き国立劇場に見習い楽員として入り、そこでO.ダシデレグに揚琴を習う。のちB.F.スミルノーフに音楽理論を学び、N.I.モトーリンにヴァイオリンと打楽器を学ぶ。国際青年フェスティバルに参加。1956年国立劇場でアサフィエフの《バフチサライの泉》を指揮して指揮者デビュー(ちなみにこれがモンゴルでの本格的バレエ公演の最初)。1959-60年、66年、67年プラハ音楽アカデミーにて指揮法、音楽理論の研鑽を積む。1960年から28年間にわたり国立歌劇場主席指揮者の任にあった。1988年からはナムスライジャブの穴埋めとして国立フィルハーモニー芸術監督に就任。ヴァイオリニスト、作曲家としても名...
  • モンゴル系諸民族・民族問題
    総論 ユ・ヒョヂョン、ボルジギン・ブレンサイン編著(2009)『境界に生きるモンゴル世界 20世紀における民族と国家』、八月書館 中華人民共和国領内のモンゴル系諸族(チャハル、バルガ、ダグール、オルドス、オイラート、青海、ほか) 塚田誠之編(2010)『中国国境地域の移動と交流 近現代中国の南と北』、有志舎 モンゴル帝国期におけるアス人の移動について、「民族分裂主義者」と「中華民族」—「中国人」とされたモンゴル人の現代史、など ブリヤート 池田秀實(1935)『ブリヤート・モンゴル共和國ニ於ケルブリアート族ノ研究』、蒙古事情研究會 宇山智彦編(2008)『地域認識論 多民族空間の構造と表象』、講談社 「カルムイク人とブリヤート人の民族意識—「モンゴル」認識と「独自の道」)」所収 クドリヤフツエフ/蒙古研究所譯(1943)『ブリヤート蒙古民族史』、紀元社 黒田悦...
  • 《幸福への道》(1951)
    第一場:1945年のナーダムも終わったある日、ネグデル(牧民協同組合)の組合員たちが、バータル翁(テノール)の仕事を手伝いに家から出てくる。皆祖国を称える歌を歌いながらフェルトを作る。今日は優秀な牧民としてバータルが勲章を受け、そのお祝いをする日だ。すると、怠け者で組合員たちからつまはじきにされているジャルサル(テノール)がやってきて、バータルの娘ハリオン(ソプラノ)に言い寄ろうとするが、周りの娘たちに散々に言われすごすご退散する。牧民のボル(テノール)とその友チョローン(テノール)がナーダムから戻ってきて、相撲でどんなに活躍したか皆に話して聞かせ、皆の賞賛を浴び、皆相撲の話で盛り上がる。そして愛し合うボルとハリオンが語らっているとバータル叙勲のお祝いが始まる。年長者からお祝いの言葉が述べられ、バータルは大変だった昔の思い出を語り、歌が歌われ宴たけなわとなる。すると突然、モンゴル国が日本の...
  • 伝記・回想録
    ポンサルマーギーン・オチルバト著/内田敦之ほか訳(2001)『モンゴル国初代大統領オチルバト回想録』、明石書店 ドムチョクドンロプ/森久男訳(1994)『徳王自伝 モンゴル再興の夢と挫折』、岩波書店 A・M・ナイル著/河合伸訳(2008)『知られざるインド独立闘争 A・M・ナイル回想録』、風濤社 インド独立運動家がモンゴルを二度も訪問していたようです。満洲国、新疆も。これはびっくり。 ニコラス・ポッペ著/下内充、板橋義三訳(1990)『ニコラス・ポッペ回想録』、三一書房 モンゴルのブックリスト
  • 深井史郎
    深井史郎 Shiro Fukai (1907-1959) <参考文献> 秋山邦晴著/林淑姫編(2003)『昭和の作曲家たち―太平洋戦争と音楽』みすず書房 小倉朗「深井さん」『音楽芸術 19(1)』,????,1961/01(ISSN 00302600) (音楽之友社 〔編〕/音楽之友社) オーケストラ・ニッポニカ『第11回演奏会 深井史郎作品展 プログラム』 Ontomo mook(「音楽芸術」別冊)(1999)『日本の作曲20世紀』音楽之友社 富樫康(1956)『日本の作曲家』音楽之友社 深井史郎(1965)『恐るるものへの風刺:ある作曲家の発言』音楽之友社 深井史郎/林淑姫解説(2005)『パロディ的な四楽章(1936)』全音楽譜出版社 林淑姫「「日本主義」と深井史郎の立場〔含 質疑応答〕」 『音楽学 47(3)』p,237~238,2001(ISSN 0030259...
  • J.メンドアマル
    ジャムバリーン・メンデアマル(1945-2003) МЭНД-АМАР Жамбалын Mend-Amar Jambalyn ヨーチン奏者、作曲家 略歴 中央県のルン郡に生まれる。家庭内で民俗音楽を教わって育つ。1960年に国立人民歌舞団に入団し、そこで亡くなるまでヨーチン奏者として活躍する。作曲も行い、1990年に国家功労芸術家受賞。民謡旋律に基づき、モンゴルの四季を思わせるような作風と評価される。 作品 バレエ音楽《業の三座山》(1987)、劇音楽《命の泉》(1989)、その他《労働の喜び》《ヨーチンのための独奏曲》《弦楽器の調べ》など多数の民族楽器のための作品、編曲。
  • モンゴル音楽研究ノート1
    まだモンゴルの音楽について全然分かっていなかったころに書いたものです。 西洋音楽の受容と全体主義体制化での芸術音楽~モンゴルにおける近代音楽史研究の可能性~  私は日本のクラシック音楽の歴史、つまり日本におけるシンフォニー・オーケストラ、軍楽隊(吹奏楽)、西洋的な音楽語法の歌曲、オペラ等の歴史に興味を持ち、先行研究を中心に調べている。日本でも音楽の伝統を有しているが、そこにどうやって西洋音楽そのもの、または西洋的な音楽の要素が入ってきたのか、それからもう一つ、日中戦争、太平洋戦争に代表されるようなファシズムが国を覆っていた時代、音楽と音楽家がどのような状況にあったのかに特に興味がある。 モンゴルももちろん素晴らしい音楽の伝統を持っているが、主に社会主義革命後、ソ連を通じて西洋的な音楽を受容してきた。現在でもポップミュージックは盛んであるし、オペラも日常的に興行を続けているという...
  • 概説書
    青木信治/橋本勝編(1992)『入門・モンゴル国』平原社 資本主義以降直後に出た本なので、今となってはだいぶ古い情報が含まれているが、編者が経済畑と言語畑の人なのでその方面は詳しい。 NHK取材班(1982)『モンゴルを行く』日本放送出版協会 ソ連経由でモンゴルに行っていた頃の本。今となっては社会主義時代の写真などは貴重かも。大阪外国語大学の名物先生だった小貫雅男氏も登場。 小沢重男/鯉渕信一(1992)『モンゴルという国』読売新聞社 モンゴル言語学の重鎮小沢重男氏がこんな本も出しているとは意外。 加藤久晴/吉田順一(1986)『蒼き狼たちのモンゴル』日本テレビ放送網 金岡秀郎(1993)『モンゴルは面白い』トラベルジャーナル 金岡秀郎編著(1995)『モンゴル まるごと情報局』トラベルジャーナル 小長谷有紀編(1997)『アジア読本 モンゴル』河出書房 日本人...
  • N.ジャンツァンノロブ
    N.ジャンツァンノロブ(Natsagiin Jantsannorov, b.1948) ウブルハンガイ県生まれ。小学校のとき小さなアコーディオンで遊んでいたのが音楽に親しんだ最初。1971年ウランバートル市の師範学校講師、75~79年ウクライナのキエフ音楽院にて作曲と音楽学を学ぶ。日本でも上映された映画音楽《マンドハイ賢妃》、ラジオ番組のテーマ音楽《モンゴルのメロディー》などは頻繁に聴かれ、人気作家である一方、83~92年モンゴル作曲家同盟委員長、80年代初頭にはモンゴル人民革命党政治局イデオロギー局員、文化省副大臣、国会議員を務め、文化政策に影響力を持っている。また1988年馬頭琴協奏曲、1991年箏協奏曲を作曲したがこれはこの種の民族楽器の協奏曲の最初となった。1989年と2002年に国家賞受賞、2005年には人民芸術家の称号を得た。作曲家としての立場からモンゴル音楽を研究して...
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