エマヌエル・メッテル

モンゴル音楽 @wiki内検索 / 「エマヌエル・メッテル」で検索した結果

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  • 日本の音楽家たち
    ...・メーソン?() エマヌエル・メッテル?(1884-1941) ヨーゼフ・ラスカ(1886-1964) シャルル・ルルー(1851-1926) ヨーゼフ・ローゼンシュトック?(1895-1985)
  • 参考文献リスト2(論文、雑誌記事など)
    ...ル・チェレプニン エマヌエル・メッテル? ヨーゼフ・ラスカ <自伝・回想録> 中島健蔵「音楽と私-3-「スルヤ」前後」『季刊芸術 5(4)』p,156~170,1971/10/00(ISSN 05187524) (季刊芸術出版株式会社 〔編〕/季刊芸術出版) 信時潔「東京音楽学校の想い出」『民芸』p32~37,1956/12(ISSN 04626133) (日本民芸協会) 信時潔「明治末期の音楽教育と私」『文部時報』p36~38,1964/01(ISSN 09169830) (文部省 編/ぎょうせい) 吉田隆子「私の作曲した詩と詩人たち」『女性線 5(1)』,p84~87,1950/01(女性線社) <音楽家研究・伝記> 内田るり子「沖縄音楽の中に燃焼しつくした生命--作曲家金井喜久子さんの生涯」(『芸能 28(11)』,p15~17,1986...
  • シャルル・ルルー
    シャルル・エドゥアール・ガブリエル・ルルー(Charles Edouard Gabriel Leroux/1851-1926) <参考文献> 江藤淳『南洲残影』ISBN 4-16-353840-2 阿部勘一・細川周平・塚原康子・東谷護・高澤智昌『ブラスバンドの社会史 軍楽隊から歌伴へ』青弓社ライブラリー、ISBN 4-7872-3192-8 『お雇い外国人の見た日本~日本洋楽事始』(CD)
  • 参考文献リスト1(書籍など)
    |<総史> 伊沢修二(山住正己校注)『洋楽事始 音楽取調成績申報書』東洋文庫188(平凡社、1971年) 井上武士監修・秋山龍英編著『日本の洋楽百年史』(第一法規出版社、1966年) 歌崎和彦編著『証言―日本洋楽レコード史(戦前編)』(音楽之友社、1998年) 大森盛太郎(1986)『日本の洋楽 ペリー来航から130年の歴史ドキュメント1』、新門出版社 大森盛太郎(1987)『日本の洋楽 ペリー来航から130年の歴史ドキュメント2』、新門出版社 小宮多美江『受容史ではない 近現代日本の音楽史 1900~1960年代まで』(音楽の世界社、2001年) 園部三郎『音楽五十年』(時事通信社、改訂版1956年) 團伊玖磨『私の日本音楽史―異文化との出会い』(日本放送出版協会、1999年) 千葉優子『ドレミを選んだ日本人』音楽之友社、2007 中村洪介『西洋の音、日...
  • アレクサンドル・チェレプニン
    アレクサンドル・ニコラエヴィチ・チェレプニン Александр Николаевич Черепнин (1899・サンクト・ペテルブルク~1977・パリ) <参考文献> 太田丈太郎(2002)「チェレプニンと音楽の〈近代〉」(『スラヴィアーナ(17)』pp.3-29) 熊沢彩子(2002)「アレクサンドル・チェレプニンと日本--昭和初期の作曲における影響」(『昭和音楽大学研究紀要(22)』、pp.1-16)
  • モンゴル音楽事典その他
    演奏団体、劇場 国立歌劇場(Монгол Улсын Дуурь Бүжгийн Эрдэмийн Театр) 公式HP http //opera-ballet.mn/ 1924年設立のスフバートル記念クラブの芸能サークルが1927年建設の人民娯楽場(“緑ドーム”の愛称で呼ばれた)に移ったのが前身。同じ建物内で1931年国立中央劇場(劇団)が組織され1949年同建物が家事で消失するまでそこで活動。1943年には専属のオーケストラを設立(それまでは伝統楽器で劇の伴奏をしていた)。1951年に開場した現在の国立歌劇場の建物で活動再開。1963年に演劇部が分離、国立ドラマ劇場に本拠地を移し、オペラ、バレエ中心の国立歌劇場として再スタート。名称を変えながら現在に至る。510人収容。現在の正式名称はモンゴル国立オペラ・バレエ・アカデミック劇場。総合芸術監督B.ジャミヤンダグワ(バレエマイスター...
  • モンゴル国歌
    モンゴルの国歌 Монгол Улсын Төрийн Дуулал (詞:Ts.ダムディンスレン(1908-1986)、曲:B.ダムディンスレン・L.ムルドルジ共作) モンゴルの国歌の歴史について見てみたい。  まず、ボグド・ハーン政権下の1914年にロシア人の手による国歌が新設の軍楽隊により演奏されたという記録がある。これはロシアの作曲家でありマリイーンスキー劇場でヴァイオリン奏者も務めていたカドレツ・サンがペテルブルグ大学東洋学部に所蔵されていたモンゴル民謡の旋律を元に作曲したもの。  次いでモンゴル人民共和国成立当初の1924年から1950年迄は「モンゴル・インターナショナル」(1922-23)というソノムバルジリーン・ボヤンネメフ(С. Буяннэмэх;1902年 - 1937年粛清)が作詞した歌が国歌の代わりとして歌われていた(これは社会主義運動の中でよく歌われた「...
  • エヴェル・ブレー
    エウェル・ブレー  古代の角笛を復元、改良した楽器。1960年代楽器ができた当初は角製だったが、現在は木製、金属製キィ付き。サックスと同じマウスピースにアルト・サックスのリードを取り付けて奏する。 「エウェル(эвэр)」はモンゴル語で「角」、「ブレー(бүрээ)」は「ラッパ」を意味し、日本語に訳すと「角笛」というほどの意味である。これは1960年に初めて作られた楽器である。当初ゴーシチが楽器の提案し、自身で試作し、それをこの楽器の最初の奏者L.サムバルフンデブが試奏し、改良点を見つけていくというその試行錯誤を繰り返して作られた。後にはインドゥレーが製作に当たった。1960年、最初に完成されたものは、金属の筒状の芯の外側をハイナグ(ヤクと牛を掛け合わせた動物)の角を継ぎ合わせてカバーするという方法で作られた。象牙をはめ込んだ飾りつきで、孔は6つ。五音音階のみ演奏可能で、音域は...
  • モンゴル音楽事典用語2
    Е ерөөл ヨロール;祝詞。他の人物や事物の将来について幸多かれと祝福する内容の韻文の口承文芸。ほとんど無伴奏で語られる。 есүүл 九重奏 есц 9度 еслөл 9連符 Ё ёочин【器】ヨーチン;洋琴《中》 ёхор 【伝】ヨホル;ブリヤート・モンゴル人の間で伝統的に行われる円舞。狩猟の成功などを祝って氏族ごとに行われる。地域により歌詞やテンポ、踊りの形態は様々。 Ж жаран дөрвөт эгшиг 六十四分音符 жигд хөдөлгөөн よどみない流麗な動き жигдрүүлэг 音律 жигдэлсэн хөг 平均律 жимбүүр【器】 オーボエ(гобой) жингэнэх бүжиг ジーグ(古典舞曲)(жиг) жиргүүлэг トリル жиргээ モルデント жүжиг 劇 жүжгийн хө...
  • J.メンドアマル
    ジャムバリーン・メンデアマル(1945-2003) МЭНД-АМАР Жамбалын Mend-Amar Jambalyn ヨーチン奏者、作曲家 略歴 中央県のルン郡に生まれる。家庭内で民俗音楽を教わって育つ。1960年に国立人民歌舞団に入団し、そこで亡くなるまでヨーチン奏者として活躍する。作曲も行い、1990年に国家功労芸術家受賞。民謡旋律に基づき、モンゴルの四季を思わせるような作風と評価される。 作品 バレエ音楽《業の三座山》(1987)、劇音楽《命の泉》(1989)、その他《労働の喜び》《ヨーチンのための独奏曲》《弦楽器の調べ》など多数の民族楽器のための作品、編曲。
  • 管理者プロフィール
    管理者プロフィール 某大学のヘボ院生だったが最近ようやく職に就く。血液型はA型。 モンゴルを「愛している」のかはなはだ怪しい(まあ「愛は盲目」と言いますし)けどモンゴル音楽に関してダラダラ研究まがいのことを続けています。 一応、日本最初のエヴェル・ブレー(モンゴルの角笛)奏者でもあります。 頭の弱い子なのでどこまでできるか分かりませんが、生暖かく見守ってやってください。 管理者の書いたもの 青木隆紘(2008)「《モンゴル音楽》の20世紀小史―モンゴル国音楽文化研究に向けて」(『日本とモンゴル 116』、日本モンゴル協会、pp.77-99) 青木隆紘(2008)「面白管楽器発見!エヴェル・ブレー」(『PIPERS 11月号(327)』杉原書店、pp.18-21) 青木隆紘(2008)「モンゴルの中心で角笛を吹く」(『日本とモンゴル 117』、日本モンゴル協会、pp.41-5...
  • モンゴル音楽事典用語3
    О огторгуйлиг хөгжим 空間音楽 огцом スタッカート олон хоолой 多声法;多声性 олуул дуу モテット;経文歌 оноот эгшиглээ 示導音色 оргил [туйл] クライマックス оройлго эгшиглэн ホモフォニー ~ хэлбэр ホモフォニー形式 ~т хэв ホモフォニックなテクスチュア орхиц 音符の旗;符鉤 оруулга аяз インターリュード、間奏曲 оруулгын долооц хам эгшиг 短七の和音をもつ長音階において、2度と7度上の七和音を指す呼び方。ハ長調の7度上のh-d-f-a、2度上のd-f-as-c、イ短調2度上のh-d-f-aなど。 оршил プロローグ、序奏 оршихуй ая 定旋律;カントゥス・フィルムス Ө өгсөх дав...
  • 服部四郎
    服部 四郎 服部四郎(はっとり しろう、1908年5月29日 - 1995年1月29日)は、日本の言語学者。東京大学名誉教授。 人物 三重県亀山市生まれ。第一高等学校時代に読んだ安藤正次の『言語学概論』で、日本語の起源が不明であることを知り、言語学を志すことになる。 言語学者として、日本語、琉球語、アイヌ語、朝鮮語、モンゴル諸語、満州語、テュルク諸語(アルタイ諸語)、中国語、英語、ロシア語など多岐に渡る言語を研究した。それら研究対象言語には話者(インフォーマント)に直接学ぶ、フィールド言語学の方法論を取った。無文字社会の言語の研究のみならず、万葉集や元朝秘史などの文献に基づく言語学も行った。 歴史言語学・比較言語学の方面においても、日本語諸方言アクセントの比較研究、厳密な音声学に基づく日本語と琉球語の同系関係の証明、古モンゴル語の音韻史の解明などもある。 従来...
  • モンゴル音楽史参考文献
    <モンゴル語>モンゴル語 Ж.Бадраа, Хөгжмийн нэр томьёо, Улаанбаатар, 1956.[バドラー『音楽用語』] Ж.Бадраа,Монгол ардын хөгжим, Улаанбаатар, 1998.[バドラー『モンゴル民俗音楽』] Ж.Бадраа/Н.Жанцанноров, Их дуучны яриа, Улаанбаатар, 2005.[バドラー/ジャンツァンノロブ『大歌手の話』] Г.Бадрах, Монголын хөгжмийн түүхээс, Улаанбаатар, 1960/2008.[バドラハ『モンゴルの器楽の歴史より』] Я.Балжир, Ардын хөгжмийн зэмсэгт суралцах хялбаршуулсан сурах бичиг, Улаанбаатар,1995.[バルジル『民俗...
  • モンゴル語の本
    モンゴル語(キリル文字) Ш.Адьшаа, Галдан Бошигт, Улаанбаатар, 2006.[アディシャー『ガルダン・ボシグト』] Анна Акулова, Монгол улс ОХУ-ын Кемерово мужийн хамтын ажиллагаа,Улаанбаатар, 2009.[アンナ・アクロヴァ『モンゴル国とロシア連邦ケメロヴォ県の共同事業』モンゴル国立大学](著者に献呈していただきました!) Аяако, Кимүра. “Монголын “Үндэсний уламжлалт соёл”.” Bulletin The IAMS News Information on Mongol Studies (40/41) International Association for Mongol Studies Ulaanbaatar. 2008....
  • モンゴル音楽史簡易年表
    下の年表は《青木隆紘(2008)「《モンゴル音楽》の20世紀小史―モンゴル国音楽文化研究に向けて」(『日本とモンゴル 116』、日本モンゴル協会、pp.77-99)》の年表を大幅に改訂したものです。 モンゴル音楽関連簡易年表 年代 出来事 BC400~93年頃 匈奴がモンゴル高原を支配。匈奴軍は鼓吹楽という軍楽隊のようなものを持っていた。またモンゴル国中央県アルタンボラグ郡からは匈奴時代の骨製口琴が出土。 2~3世紀頃 蔡琰(蔡文姬、177?-239?)が自身の運命を綴った詩『胡笳十八拍』(後世の創作説あり)で南匈奴のツォールと思われる管楽器について歌う。 554~559年 この期間に成立した『魏書』「高車伝」によると、紀元前3世紀頃からモンゴル高原に居住していたテュルク系の高車が狼の吠声のように「好んで声を引いて長く歌」っていたとの記述がある。 6世紀~11世紀 柔然、突厥、ウイグ...
  • 江文也
    江文也 Bunya Koh (1910-1983) <参考文献> 石田一志『モダニズム変奏曲 アジアの近現代音楽史』(朔北社、2005年) 井田敏『まぼろしの五線譜―江文也という「日本人」』(白水社、1999年) 王徳威、三好章訳『叙事詩の時代の抒情―江文也の音楽と詩作 (研文選書)』、研文出版、2011年。 江文也『上代支那正楽考―孔子の音楽論』(三省堂、1942年) 仲万美子「作曲家の音楽活動空間と帰属文化との関係性 江文也と山田耕筰を事例に」『同志社女子大學學術研究年報 55』,pp.33-47,20041225(ISSN 04180038) (同志社女子大学) 三好章「江文也について 20世紀の日中関係の狭間にあった音楽家(光陰似箭)」『中国研究月報 60(10)』,pp.52-54,20061025(ISSN 09104348) (中国研究所/社団法人中国研...
  • リンク集
    リンク集 お役立ち CiNii(どうかサイニィと読んで下さい) 論文情報ナビゲータby国立情報学研究所 http //ci.nii.ac.jp/ 論文・雑誌記事検索ができます。非常に便利。 学術研究データベース・リポジトリ http //dbr.nii.ac.jp/infolib/meta_pub/G9200001CROSS Webcat Plus by 国立情報学研究所 http //webcatplus.nii.ac.jp/ 全国の大学図書館などが所蔵する資料(書籍、雑誌、AV資料他)を検索できます。ただし、「連想検索」は「?」。 GeNii (どうかジーニィと読んで下さい)by 国立情報学研究所 http //ge.nii.ac.jp/genii/jsp/index.jsp 研究に必要な情報を総合的に探索できるポータルサイト 大学...
  • 1911年独立の立役者たち
    1911年独立の立役者たち ボグド・ジェプツンダンバ8世? ハイサン? ハンダドルジ? ダーラマ・ツェレンチメット? ダムディンスレン? マクサルジャプ? ナムナンスレン? バボージャブ?
  • モンゴル近現代史参考文献リスト
    「モンゴル近現代史文献」 M.アリウンサイハン「モンゴルにおける大粛清の真相とその背景 ソ連の対モンゴル政策の変化とチョイバルサン元帥の役割に着目して」(『一橋論叢』第126巻第2号、2001年8月号) M.アリウンサイハン(2004年)「日ソ関係とモンゴル 満洲事変から日ソ中立条約締結までの時期を中心に」(一橋大学・博士論文手稿、国立国会図書館所蔵) M.アリウンサイハン(2007)「モンゴル・ソ連相互援助規定書の締結と日本・ソ連・中国」(『一橋社会科学 第2号』一橋大学) O.バトバヤル「 補論 第二次世界大戦後のモンゴルにおける日本人軍事捕虜」『スラブ研究センター研究報告シリーズ 81』,p59-69,20020329(北海道大学) Ts.バトバヤル「一九一〇年代のモンゴル在留日本人」(古厩忠夫編 環日本海叢書3『東北アジア史の再発見』有信堂、1994年) Ts.バトバヤル...
  • S.A.コンドラーチェフ
    S.A.コンドラーチェフ(Кондратьев, С.А./1896-1970) 彼は作曲もした音楽民俗学者でペテルブルク大学の物理数学学科を卒業している。1923年、ロシア地理学協会のP.K.コズロフの探検隊に加わり、1924年まで調査を行った。モンゴル側の典籍委員会より招待状を得て1926年から再びウランバートルに滞在し、以降1930年までモンゴルで調査を行っている。当時典籍委員会にいたジャムツァラーノの協力を得、ウラディミールツォフとも親交があった。O’.ロブサンやM.ドガルジャブといったウランバートルにいた優れた歌い手をインフォーマントとし、録音も行った。この録音はサンクト・ペテルブルクのロシア科学アカデミー東洋学研究所に保管されている。1923年の滞在中から積極的に成果を発表し、これが評価され早くも1925年にはソ連国立音楽学研究所研究員に選出されている 。彼の死後に科学アカ...
  • インフォメーション
    インフォメーション 「内モンゴルと日本の近代」 <お話と映像>~モンゴル・ティを飲みながら~ 講師:鈴木仁麗(すずき・にれい)さん 明治大学・非常勤講師、早稲田大学招聘研究員 著書『満州国と内モンゴル』(単著)『モンゴル史研究』(共著)他 参加費:500円(モンゴル・ティ付) 日時:2012年12月16日(日)午後2時~4時 会場:東京都北区王子5丁目団地・6号棟・集会室(予定) JR東十条より徒歩10分 東京メトロ南北線 王子神谷駅より徒歩1分 主催&問合せ NPO法人アジアンロード http //www.asianroad.org/ 2012年 日本モンゴル文学会秋季研究発表会 2012年12月1日(土)午後1時~午後5時30分  (終了後 親睦会) 大阪大学箕面キャンパス・大阪外国語大学記念会館 http //www.osak...
  • 音楽
    小方厚(2007)『音律と音階の科学―ドレミ…はどのようにして生まれたか』、講談社 小泉文夫(1984)『小泉文夫 フィールドワーク―人はなぜ歌をうたうか』、冬樹社 櫻井哲男編(1995)『二〇世紀の音(二〇世紀における諸民族文化の伝統と変容1)』、ドメス出版 櫻井哲男、水野信男編(2005)『諸民族の音楽を学ぶ人のために』、世界思想社 クルト・ザックス著/柿木吾郎訳(1965)『楽器の歴史 上』、全音楽譜出版社[Sachs, Curt. The history of musical instruments. New York W.W. Norton, 1940.] 鈴木正美(2006)『ロシア・ジャズ(ユーラシア・ブックレットNo.97)』、東方書店 瀧遼一(1944)『東洋音樂論』、弘学社 田辺尚雄(1943/2003)『大東亜の音楽』、大空社 柘植元一、植村幸生編『アジア音楽史』、...
  • モンゴル国の音楽学者
    G.バドラハ(教師・研究者、1894-1938) J.バドラー(民俗学者・音楽学者・詩人、1926-1993) S.ツォードル?(民謡歌手・音楽学者、1927- ) J.エネビシ(音楽学者、1937-) D.バトスレン(音楽学者、1938-1996) N.ジャンツァンノロブ(作曲家、1948-) S.ソロンゾンボルド(作曲家、1958-) L.エルデネチメグ?(音楽学者) R.オヨーンバット?(音楽学者)
  • コンクールその他
    コンクールその他 (特記以外はウランバートルでの開催) 『黄金の秋』音楽祭(“Алтан намар” хөгжмийн наадам) 1982年より、毎年10月もしくは11月頃に行われている、国内最大の芸術音楽祭。作曲家のN.ジャンツァンノロブが「モスクワの秋音楽祭」に倣って開催を提唱した。声楽、伝統楽器、室内楽、オーケストラなどの様々な作品が演奏される。また、これに際し作曲コンクールも行われている。2009年からは海外の作曲家も参加できるよう門戸を開き、ロシア、ブリヤート、カルムイク、中国などより参加者があった。 モンゴル国では社会主義時代、音楽家や舞踊家は文化省で試験され、そのレベルによってランク付けされ、給与もそれによって決められていた。社会主義時代はアマチュアが参加できるコンクールの方が多く、プロになって活躍できる才能を発掘する意図があった。そのために、プロの...
  • モンゴル音楽事典楽器
    弦鳴楽器 シャンズ Shanz ヤタグ Yatga トブショール Tovshuur ホーチル Khuuchir モリン・ホール(馬頭琴) Morin Khuur ヨーチン Yochin 気鳴楽器 ツォール? Tsuur/Tsoor エヴェル・ブレー Ever Buree リムベ Limbe 無鍵の横笛。 ビシグール Bishguur カンリン? ガンダン・ブレー? イフ・ブレー ドン・ブレー 膜鳴楽器 体鳴楽器 ドーダラム Duudaram ヘル・ホール/アマン・ホール(口琴)?  戻る
  • 芸術・スポーツ
    稲垣正浩編著(2002)『紀行文学のなかにスポーツ文化を読む』、叢文社 井上邦子(2005)『モンゴル国の伝統スポーツ 相撲、競馬、弓射』、叢文社 船井廣則、松本芳明、三井悦子、竹谷和之編著(2009)『スポーツ学の冒険 スポーツを読み解く「知」とは』、黎明書房 宮本徳蔵(2009)『力士漂泊 相撲のアルケオロジー』、講談社 (1987)『ナーダム 第66回モンゴル人民革命記念式典』、ベースボール・マガジン社 (1978)『モンゴルのスポーツ』、ベースボール・マガジン社 モンゴルのブックリスト
  • P.ハヤンヒルワー
    プレヴジャヴィーン・ハヤンヒルワー ХАЯНХЯРВАА, Пүрэвжавын(1935年3月1日生まれ) |略歴 作曲家、指揮者。ウランバートル市生まれ。1955年~1957年全軍歌舞団所属。1957年~1961年モスクワ音楽院にて指揮法を学ぶ。1961年~1978年全軍歌舞団芸術監督、1978年~1981年国立歌劇場芸術監督を務め、1979年、バレエ《ジゼル》のモンゴル国初演を指揮した。作曲家としては軍楽隊のために行進曲を多く作曲した。2008年人民芸術家の称号を得る。 |主要作品 行進曲《ハルハ河の英雄たち》、行進曲《エルデネト市の威容》
  • ウルゲル
    ウルゲル ウルゲル(キリル文字:үлгэр、モンゴル文字:üliger)とは民間に伝わる昔話、伝説、物語を指す一般的な語。複合語としてүлгэр домог(ウルゲル・ドモグ、民間の伝説)、үлгэр тууль(ウルゲル・トーリ、叙事詩)などと使われることもある。また本になった有名な物語(この場合は中国の物語の場合もある)を語るものをбэнсэн үлгэр(ベンセン・ウルゲル)という。弦楽器を弾きながら物語を弾き語りするものを内モンゴルでは特にхуурын үлгэр(ホーリーン・ウルゲル)と呼ぶ。これらの物語を文芸として書物化する他に、弦楽器(二胡、四胡や馬頭琴)での弾き語りが録音されることが行われた。
  • 20世紀モンゴル史概略
    仮のものです。 ボグド・ハーン政権のモンゴル国の歴史  1911年から1920年までのモンゴルの全般的な歴史の概略を、田中克彦 、萩原守 、Ts.バトバヤル 、小貫雅男 らの著作を中心に示す。  1691年以降清朝の支配下に入っていた外モンゴル地域は1911年、ボグド・ハーン制モンゴルとして独立した。国家元首にはボグド・ジェブツンダンバ・ホトクト8世というチベット人活仏 が聖俗界の両方のトップとして諸侯により推戴された。首都はフレー(現在のウランバートル)に置かれ、近代化をある程度志向しつつも(ロシアに軍隊、軍楽隊、電信敷設の援助を要請した)実態は清朝の行政システムをかなり踏襲した専制君主国家だった。これは、清朝がその末期に、辺境防備とロシアとの国境策定を有利に進める必要から辺境地域に漢人を積極的に入植する政策を実施したのに対し、モンゴル人側は遊牧社会存続への危機感、漢人商人、入...
  • 戦前の作品の楽譜
    「戦前の日本の作品の楽譜」 伊福部昭『ピアノ組曲,1933』(全音楽譜出版社、1969年) 伊福部昭『日本狂詩曲,1935』(龍吟社) 伊福部昭『土俗的三連画,1937』(音楽之友社、1986年) 伊福部昭『交響譚詩,1943』(音楽之友社、2000年) 大澤壽人『ピアノ協奏曲第三番変イ長調 神風協奏曲,1938』(西宮 大澤壽文、神戸 本庄徳子, 2004年 1 score (149 p.) ; 31 cm 注記 Reproduced from holograph ; 解説 片山杜秀) 大澤壽人『ピアノ曲集』(カワイ出版、2009年)定価2,625円(本体2,500円) 【曲目】 富士山(1933年2月) 三つのプレリュード(1933年4月) 六つのカプリチェッティ(1934年3月) 小デッサン集(1934年) パターンズ(1934年) 丁...
  • 深井史郎
    深井史郎 Shiro Fukai (1907-1959) <参考文献> 秋山邦晴著/林淑姫編(2003)『昭和の作曲家たち―太平洋戦争と音楽』みすず書房 小倉朗「深井さん」『音楽芸術 19(1)』,????,1961/01(ISSN 00302600) (音楽之友社 〔編〕/音楽之友社) オーケストラ・ニッポニカ『第11回演奏会 深井史郎作品展 プログラム』 Ontomo mook(「音楽芸術」別冊)(1999)『日本の作曲20世紀』音楽之友社 富樫康(1956)『日本の作曲家』音楽之友社 深井史郎(1965)『恐るるものへの風刺:ある作曲家の発言』音楽之友社 深井史郎/林淑姫解説(2005)『パロディ的な四楽章(1936)』全音楽譜出版社 林淑姫「「日本主義」と深井史郎の立場〔含 質疑応答〕」 『音楽学 47(3)』p,237~238,2001(ISSN 0030259...
  • モンゴル音楽史参考文献(日本語)
    モンゴル音楽史参考文献 青木隆紘(2008)「《モンゴル音楽》の20世紀小史―モンゴル国音楽文化研究に向けて」(『日本とモンゴル 116』、日本モンゴル協会、pp.77-99) 青木隆紘(2008)「面白管楽器発見!エヴェル・ブレー」(『PIPERS 11月号(327)』杉原書店、pp.18-21) 青木隆紘(2008)「モンゴル音楽用語小辞典」(『モンゴル研究 25』、モンゴル研究会、pp.54-74) 青木信治/橋本勝編著(1992年)「入門・モンゴル国」より“音楽―国際化する伝統音楽”pp.115-121.(平原社) G.Arkhincheev/小川信吉訳(1941)「ブリヤート蒙古演劇音楽学校」(『蒙古111』、善隣協会、pp.99-104) ルイク・イシドール/高橋勝之訳(1941)「ブリヤート蒙古の民族楽器」(『蒙古114』、善隣協会、pp.59-62) 石原邦子(2...
  • 宗教
    阿拉坦宝力格ほか著;芝山豊編(2008)『南北モンゴルカトリック教会の研究』清泉女学院教育文化研究所 石濱裕美子(2001)『チベット仏教世界の歴史的研究』、東方書店 板橋区立美術館編(1998)『モンゴルの仏教美術 展覧会カタログ』、産経新聞社 煎本孝(2002)『東北アジア諸民族の文化動態』、北海道大学図書刊行会 第11章  モンゴル・シャマニズムの文化人類学的分析 (煎本 孝) 第12章  内モンゴルにおけるチャハル人の生計活動の変化 (Alta)所収 小野田俊蔵, 岡本康兒編 ; 岡本康兒, 田上操, 赤澤ジャコバ訳(2006)『アジアにおける仏教美術の諸様式 チベット・モンゴル・ブータン』、 佛教大学アジア宗教文化情報研究所 外務省情報部編(1936)『蒙古ラマ教の話』、外務省情報部 木村理子(2007)『モンゴルの仮面舞儀礼チャム 伝統文化の継承と創造...
  • 大澤壽人
    大澤壽人(1906-1953) Hisato Ohsawa 新資料 『煌きの軌跡 一大澤壽人作品資料目録一』 (関西に在住する音楽評論家でつくる「音楽クリティック・クラブ」特別賞受賞) 内容:この資料が神戸女学院に寄贈された経緯にはじまり、作品が、器楽曲、声楽曲、放送作品、といったジャンルで整理され、創作ジャンル不明作品、未確認作品まで、さらには編曲作品まで収録されている。 出版日:2007年12月4日 編集・発行:神戸女学院 頒価:1,000円 問い合わせ:662-8505 西宮市岡田山 4-1        神戸女学院史料室(0798-51-8503)  注:大澤壽人の生年については、1906年と1907年と二説あり、本人も両方使っていた形跡があるが、1906年が正しい。  名前の読みについても、おおさわ (Osawa) と、おおざわ (Ohzawa) と二...
  • オペラ・バレエあらすじ
    モンゴルオペラ 《悲しみの三つの丘》(1943) 《幸福への道》(1951) 《真実》(1957)? 《フフー・ナムジル(郭公のナムジル)》(1961)? 《闘争》(1965)? 《王鷲》(1966) 《アマルサナー》(1970)? 《キャフタ砦》(1971)? 《忘れがたき42日間》(1974)? 《ジャルガル》(1978)? 《遊牧の道にて》(1984)? 《はだかの領主様》(1985)? 《お坊さまの涙》(1986) 《雲の如き運命》(1988) 《光と影》(1989)? 《オゴタイ・ハーン》(1991)? 《青絹のデール》(1994)? 《ゲセル》(1995)? 《カラコルム》(2002)? 《世界母さんのお誕生日》(2002)? 《チンギス・ハーン》(2003)? 《蔡文姫》(2005)? 《チンギスの母ホエルン》(2006)? ...
  • B.ダムディンスレン
    ビレギーン・ダムディンスレン(1919年-1991年) Билигийн Дамдинсүрэн Biligiin Damdinsuren 社会主義時代のモンゴルを代表する作曲家の一人。1919年トゥブ県生まれ。父親はボグド・ハーンの自治モンゴル軍で活躍した軍人。このことは彼の作品のテーマ(モンゴルの自由と独立のために命をかける人民の英雄たち)に影響を与えているという。1924~28年ウランバートルのガンダン寺で小僧。その後小学校に入り技術職に就き、1935年国立劇場の楽員になる。41年から54年まで国立劇場指揮者、54年から56年までレニングラード音楽院作曲科にてO.S.チーシコに師事。帰国後バヤンウルギー県立劇場、国立歌劇場の芸術監督を勤めた後、58~62年今度は北京音楽院作曲科で学ぶ。帰国後国立歌劇場専属作曲家、演出家、ドルノド県立劇場芸術監督、「モンゴル・キノ」映...
  • モンゴル近現代文化の参考文献
    モンゴル近現代文化の参考文献リスト(音楽以外) (#印付きはモンゴル語の資料、それ以外は原則日本語) 多分野に亘るので、私一人ではどうにもならないページの一つです。修正や追加があればどんどん編集お願いいたします。 文化史 モンゴル国立文化芸術大学文化芸術研究所編纂(1999年)《Mongoliin soyoliin tu ukh(モンゴル文化史)》(全3巻)、ウランバートル# Sh.Natsagdorj編纂(1981/1986年)『モンゴル人民共和国文化史(BNMAU-iin soyoliin tu ukh)』(全2巻、モンゴル国立出版所、Ulaanbaatar)# 秋津紀穂(1972年)「モンゴルの文化革命」朝日アジアレビュ- 3(2),152~155,1972/06/00(ISSN 03872785) (朝日新聞社) 田中克彦(1992年)『モンゴル 民族と...
  • モンゴル音楽研究ノート2
    20世紀外モンゴル地域における音楽史研究 私の大学での専攻はモンゴル語とその文化である。モンゴル人の居住する地域は、モンゴル国に加えて中国の内蒙古自治区、ロシア連邦内のブリヤート共和国、カルムイク共和国などがあるが、それぞれ異なった歴史的経緯を持つため、ここではモンゴル人の所有する国家であるモンゴル国に限定して話を進める。さてこの現在のモンゴル国には、もちろん素晴らしい音楽の伝統がある一方、主に社会主義革命以降、ソ連・ロシアを通じての近代化と共に西洋的な音楽を受容してきた。現在でもポップミュージックは盛んであるし、オペラも日常的に興行を続けている。西洋音楽は十分に浸透していて、その状況は非常に興味深い。一方でモンゴルは特異な歴史を持つ。この歴史と先の音楽状況を重ね合わせると、モンゴルの音楽状況においての興味深く、また難しい問題が浮かび上がる。そのうち私は2つの点に注目したい。 一...
  • ビシグール
    ビシグール  中国の哨吶やチャルメラとよく似ている。モンゴル地域ではチャム/ツァムという仏教舞踊儀式での伴奏に用いられてきた。  しかし現在伝統芸能の楽団などで使われている楽器は1960年代から1980年代に改良されたものである。まずバヤラグ・ビシグール/バヤジョールスン・ビシグールはオーボエ型のリードを使用し、金属のキーがついている。アルディーン・ビシグール/モンゴル・ビシグールはダブルリードの形状をした小さなマウスピースをもつシングルリードのものである。こちらは基本的に無鍵で、指穴を押さえやすいように縁取りがしてあるが、オクターブキーのみ金属のキーがある。前者はオーボエ的だが、後者はサックス的でファンファーレ的楽句も担当できるように改良されている。
  • ドーダラム
    ドーダラム  ドーダラム(дуударам)は漢語で言うところの九音鑼、雲鑼である 。四角い木の枠に紐で音程の異なる10の皿状の鉦が吊られている。バドラハの書にも元の宮廷楽団の楽器の一つとして13の鉦を持つものがあったこと、当時も別のドーダラムが存在したことがしるされている 。また鳥居きみ子がハラチン王府にて、手で持つ柄を入れて高さ約90cm、幅約50cmの10の鉦を持つ九音鑼が使われていたことを報告している 。  改良ドーダラムは1961年、インドゥレーが製作した。これはほとんど原形をとどめない形で改良された。すなわち2オクターブ強の半音階を演奏できるよう、23個の異なる大きさの円盤型の鉦をグロッケン・シュピールのように木製の台の上に並べたものとなった。これは作曲家と演奏家の要請でこの形になったといい 、この楽器が1961年のカンタータ《祖国、堅き存在》で初めて使用されたことから、ロ...
  • 言語
    社会言語学 荒井幸康(2006)『「言語」の統合と分離 1920-1940年代のモンゴル・ブリヤート・カルムイクの言語政策の相関関係を中心に』三元社 モンゴル国、ロシア連邦内のブリヤート、カルムイクなどと国境に隔たれてしまったモンゴル民族。今日その言語はおおもとでは同じながら、異なる正書法を持つことで方言差は大きくなり、政治的にも言語的にも分断されている。しかし共通の正書法をもつ可能性があった時代もあった。民族が言語政策によって分断される歴史を描いた。 田中克彦(2003)『言語の思想 国家と民族のことば』岩波書店 岩波現代文庫の1冊。言語と国家の関係を分析した論集。特に民族問題と密接に結び付いていたソ連の言語政策に詳しい。モンゴルについて、上の『「言語」の統合と分離』のもっと大まかな話題が扱われている。ちなみに荒井氏はこの田中氏の弟子。 その他言語学 小澤重男(199...
  • G.ジャミヤン
    Гомбодоржийн Жамъян(1919/11/28-2008/2/17) ゴムボドルジーン・ジャミヤン Gombodorjiin Jamiyan 経歴  1919年、ツェツェン・ハン盟、サロール・グン旗のスーデリーン・オハーというところ(現・ドルノド県ボルガン郡)に生まれる。貧しいながらタイジ(チンギスハーンの血を引く貴族)であった父ゴムボドルジよりモンゴル文字の読み書きと馬頭琴を習う。18歳まで両親の元で暮らすが、1937年ウランバートルへ上京、芸能者学校へ入学しD.トゥデブ(1898-1938)及びS.トゥブデン(1901-?)に馬頭琴を師事(1939年卒業)。1938年からは国立中央劇場で演奏者として働くようになる。また1940年ソ連より招聘された作曲家、音楽学者B.F.スミルノフ(1912-1971)に音楽理論を学んだ。同じ時期ブリヤート社会主義自治共和国...
  • L.ムルドルジ
    ロブサンジャムツィーン・ムルドルジ(1915年-1996年) Лувсажамцын Мөрдорж Luvsanjamts Murdorj 経歴 1919年ウランバートル生まれ。1929年小学校に入り、その後経理を学んでいたが1932年国立劇場に楽員として入り1936年兵役により従軍。軍楽隊に入り後に軍楽隊長となった。兵役終了後1941年より国立サーカス楽団の楽員、指揮者。1950~56年、モスクワ音楽院に留学しE.K.ゴロベーフ、V.G.フェーレに師事。帰国後、国立民族歌舞団専属作曲家となり、歌舞団付属民族楽器大オーケストラの設立に尽力する。民族楽器の奏法を研究し、大アンサンブル内で平均律の半音階を演奏できるよう改良する仕事を指揮した。1970~74年国立師範学校作曲科講師、1974年より組織に属さない作曲家として生活していた。1946年と51年に国家賞を受賞し197...
  • S.ソロンゾンボルド
    スレンギーン・ソロンゾンボルド(Сүрэнгийн Соронзонболд、1958- ) モンゴル国の作曲家、音楽学者。作品はモンゴル国内のみならず、中国、モナコ、ドイツ、オランダなど海外でも演奏され高い評価を得ている。 略歴 1958年、アルハンガイ県ツェツェルレグ市に生まれる。1976年、ウランバートル市で十年制学校を卒業。同年、バンド「ハランガ」の現メンバーであるエンフマンライとオドスレンがウランバートル鉄道のウランバートル駅付属楽団のメンバーとして採用された際、彼らと一緒に働こうと同鉄道に就職した。様々な業務につく傍ら、サーカスの楽団員やピオネール宮殿で指導員のプレブジャブの元で小太鼓を演奏したりもした。 1983年、ジャズ楽団のために初めての作曲をする。同年、サーカス楽団で長年指導受けたことを実績とし、文化省専門家認定委員会にプロ音楽家となるための申請をし、試験に...
  • 歴史―通史
    通史、大テーマ 岡田英弘(1999)『世界史の誕生 (ちくま文庫)』筑摩書房 地中海世界も中国も結び付けた「世界史」はモンゴル帝国から始まった、という論を杉山正明よりも先に展開していた岡田英弘の著作。 小松久男編『中央ユーラシア史』山川出版社 杉山正明(2003)『遊牧民から見た世界史―民族も国境もこえて (日経ビジネス人文庫)』日本経済新聞社 ドーソン/田中萃一郎(1936)『蒙古史 上』岩波書店 ドーソン/田中萃一郎(1938)『蒙古史 下』岩波書店 岩波文庫の古いやつですがリクエスト復刊されてます。 日本放送協会(1992)『大モンゴル1 蒼き狼チンギス・ハーン』角川書店 日本放送協会(1992)『大モンゴル2 幻の王プレスター』角川書店 日本放送協会(1992)『大モンゴル3 大いなる都』角川書店 日本放送協会(1992)『大モンゴル4 草原の民、自由の民』角川書...
  • その他のジャンル
    山路勝彦(2006)『近代日本の海外学術調査』山川出版社 一般的には学術調査と政治権力は無縁のようにも思えるが、実は密接に結び付いてきた。戦前日本ではアジアへの拡大政策の中で、人類学者から見れば研究フィールドが広がる格好の機会であり、為政者からすれば彼らの研究成果が海外領土や勢力圏の統治に利用できる、という関係があった。また学者の側には、政治への無自覚があった。 でもこれ、一般向けの日本史啓蒙書なんだろうけど、話題がマニアックで、たとえば日本史を取ってる高校生にこういった問題のあることをどう説明するのか、難しいところ。 興味のある人は「植民地主義と人類学」や「帝国日本と人類学者」といった本を読み進めばよい ポール・A. コーエン(1988)『知の帝国主義―オリエンタリズムと中国像 (テオリア叢書)』平凡社 アメリカでの中国研究がいかにオリエンタリズム的なものの見方に規定さ...
  • 牧畜・生活
    石毛直道編/有賀秀子ほか著(1997)『モンゴルの白いご馳走』、チクマ秀版社 石毛直道監修/小長谷有紀編著(2004)『くらべてみよう!日本と世界のくらしと遊び』、講談社 石毛直道編著(2008)『世界の発酵乳 発酵乳の文化・生理機能 モンゴル・キルギスそして健康な未来へ』、はる書房 石山彰監修/久保田陽子文(2001)『アジアの民族衣装』、小峰書店 「アイヌ・沖縄・近くの国の衣服-日本、朝鮮半島、モンゴル」所収 今西錦司(1995)『遊牧論そのほか』、平凡社 梅棹忠夫(1976)『狩猟と遊牧の世界』、講談社 梅棹忠夫(1990)『梅棹忠夫著作集2 モンゴル研究』、中央公論社 越智猛夫(1997)『乳酒の研究』、八坂書房 風戸真理(2009)『現代モンゴル遊牧民の民族誌 ポスト社会主義を生きる』、世界思想社 銀城康子文/高松良己絵(2009)『モンゴルのごはん(絵本世...
  • 文学・古典籍・口承伝承
    近代文学 荒井伸一他編訳(1984)『帽子をかぶった狼 モンゴル短編集』、恒文社 Ch.オイドブ/小沢重男訳注 (1994)『道』、大学書林 岡田和行、上村明、海野未来雄(1999)『「モンゴル文学を味わう」報告書(アジア理解講座 1997年度第1期)』、国際交流基金アジアセンター 芝山豊(1987)『近代化と文学 モンゴル近代文学史を考える』、アルド書店 芝山豊、岡田和行編(2003)『モンゴル文学への誘い』、明石書店 モンゴル文学を俯瞰する決定版の本。翻訳や論文も価値があるが、巻末のモンゴル文学に関する文献表もすごい。モンゴル文学や文化に興味があるなら必ず手に入れること。 橋本勝、E. プレブジャブ(1998)『モンゴル文学』、大阪外国語大学モンゴル語研究室 リグデン著/佐治俊彦、ボルジギン・ブレンサイン訳(2009)『地球宣言 大草原の偉大なる寓話』、教育史料出...
  • 金井喜久子
    金井喜久子Kikuko Kanai(1906-1986) <参考文献> 金井喜久子(1954/2006)『琉球の民謠』音楽之友社 金井喜久子(1964)『ミュージカル世界の旅』音楽之友社 金井喜久子(2006)『ニライの歌』琉球新報社 小林緑編著(1999)『女性作曲家列伝』平凡社 富樫康(1956)『日本の作曲家』音楽之友社 内田るり子(1986)「沖縄音楽の中に燃焼しつくした生命--作曲家金井喜久子さんの生涯」(『芸能 28(11)』、芸能学会、pp.15-17 金井喜久子(1959)「琉球の民族音楽の特性について」(『音楽芸術 17(13)』、音楽之友社、pp.39-43) <楽譜> 金井喜久子編(1961)『沖縄民謡による合唱曲集1』音楽之友社 ひめゆりの塔 ; お祭り ; たんじゅかりゆし ; 谷茶前の浜 ; 宮古の子守唄 ; みこの踊り ; ましゅんこ ;...
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