スヴェン・ヘディン

モンゴル音楽 @wiki内検索 / 「スヴェン・ヘディン」で検索した結果

検索 :
  • モンゴル学者の系譜
    ...田中克彦? 欧米 スヴェン・ヘディン? ハスルンド=クリステンセン? G.ラムステッド? W.ハイシッヒ? O.ラティモア? C.R.ボーデン?
  • J.ドルジダグワ
    ジグザウィーン・ドルジダグワ(1904年-1991年) Жигзавын Дорждагва/Jigzaw Dorjdagwa  社会主義時代のモンゴルを代表する歌手の一人。現在のドンドゴビ県に生まれ、1912年~22年、オンギ三寺院の中等寺院で経典を学び、1923年~27年ガンダンテグチレン寺のダシチョインボル法会の学堂の読経ラマ(読経の際、ラマたちの唱和を先導する)だった。1927年~31年中央生鮮物倉庫で毛皮の仕分け人、1931年~32年国立出版所で紙の運搬業、出版補助業務をやっていた。1932年~1943年国立中央劇場で歌手をし、1943年~48年国立音楽ドラマ劇場で合唱の団長、指導者を務め、1948年~51年ドルノド県音楽ドラマ劇場で合唱指導者、1951年~62年民族歌舞アンサンブル合唱指導者、1962年~65年音楽舞踊専門学校で合唱指導者、国立民族歌舞団でも合唱指導者...
  • S.ソロンゾンボルド
    スレンギーン・ソロンゾンボルド(Сүрэнгийн Соронзонболд、1958- ) モンゴル国の作曲家、音楽学者。作品はモンゴル国内のみならず、中国、モナコ、ドイツ、オランダなど海外でも演奏され高い評価を得ている。 略歴 1958年、アルハンガイ県ツェツェルレグ市に生まれる。1976年、ウランバートル市で十年制学校を卒業。同年、バンド「ハランガ」の現メンバーであるエンフマンライとオドスレンがウランバートル鉄道のウランバートル駅付属楽団のメンバーとして採用された際、彼らと一緒に働こうと同鉄道に就職した。様々な業務につく傍ら、サーカスの楽団員やピオネール宮殿で指導員のプレブジャブの元で小太鼓を演奏したりもした。 1983年、ジャズ楽団のために初めての作曲をする。同年、サーカス楽団で長年指導受けたことを実績とし、文化省専門家認定委員会にプロ音楽家となるための申請をし、試験に...
  • B.ダムディンスレン
    ビレギーン・ダムディンスレン(1919年-1991年) Билигийн Дамдинсүрэн Biligiin Damdinsuren 社会主義時代のモンゴルを代表する作曲家の一人。1919年トゥブ県生まれ。父親はボグド・ハーンの自治モンゴル軍で活躍した軍人。このことは彼の作品のテーマ(モンゴルの自由と独立のために命をかける人民の英雄たち)に影響を与えているという。1924~28年ウランバートルのガンダン寺で小僧。その後小学校に入り技術職に就き、1935年国立劇場の楽員になる。41年から54年まで国立劇場指揮者、54年から56年までレニングラード音楽院作曲科にてO.S.チーシコに師事。帰国後バヤンウルギー県立劇場、国立歌劇場の芸術監督を勤めた後、58~62年今度は北京音楽院作曲科で学ぶ。帰国後国立歌劇場専属作曲家、演出家、ドルノド県立劇場芸術監督、「モンゴル・キノ」映...
  • Ts.プレブドルジ
    ツェウェグジャビーン・プレブドルジ Цэвэгжавын Пүрэвдорж Tsevegjav Pu revdorj バリトン歌手 経歴 1929年ヘンティー県生まれ。ウランバートルに出て中学校を卒業後、出版局でデザインの仕事をしていたが、1947年に国立音楽ドラマ劇場の専属合唱団に入り1955年から1960年スヴェルドロフスク市のウラル音楽院にて声楽を学んだ。帰国後は国立歌劇場で専属歌手となり数々のオペラ公演に出演。歌劇場付属のスタジオや国立文化芸術大学で後進の指導にもあたっていた。2007年没。1969年に人民芸術家、1989年に労働英雄、2006年にブリヤート共和国人民芸術家の称号をそれぞれ得た。
  • Z.ハンガル
    ゾンドイン・ハンガル(Zunduin Khangal 1948-1996) 1948年ウランバートル市生まれ。音楽舞踊中学校に学び、1963~1966年建築業者文化宮殿にて演奏家として働き、1966~1968年音楽舞踊中学校助教、1968~1970年カザフ共和国の首都(当時)アルマ・アタ(アルマトイ)市立音楽院に留学し作曲法をG.ジュバノフに、1970~1976年にはスヴェルドロフスク(現エカテリンブルグ)市のウラル音楽院でB.ギバリンに作曲を学ぶ。1976~1979年音楽舞踊中学校教師、1979~1984年国立オペラ・バレエ・アカデミック劇場座付き作曲家、1984~1986年国立サーカス座付き作曲家、1987年より作曲家同盟会員。1990年、弦楽四重奏曲、ヴァイオリン協奏曲、バレエ音楽《宝珠の山》により国家賞受賞。1910年代から20年代生まれの第一世代の作曲家たちの多忙により若い作...
  • Kh.ビレグジャルガル
    Kh.ビレグジャルガル(Khaltaryn Bilegjargal, 1954-2008) ザブハン県生まれ。68年に中学校からウランバートル市の師範学校に入学、音楽教育科卒(シャラフと同級生)。1972~76年アルハンガイ県師範学校で講師をした後、スヴェルドロフスクのウラル音楽院作曲科に入り76~82年B.ギバリンに、82~84年D.ネメスキーに師事。帰国後は84~87年、音楽舞踊中学校講師、1988年より国立歌劇場専属作曲科、90年から95年モンゴル作曲科同盟委員長。2008年病没。新奇さを出すのが難しいといわれたオペラの分野で《お坊さまの涙》などモンゴルオペラにしてはかなり革新的な作品を残した。 代表作 オペラ《お坊さまの涙》(原作:D.ナツァグドルジ、台本:B.ルハグワスレン)(1985)、《弦楽とピアノ、打楽器のためのパッサカリア》(2007)、《ピアノ・トリオ...
  • オルティン・ドー
    オルティン・ドー (モンゴル語 Уртын дуу,古い文献にはУрт дууも見られる,モンゴル文字ラテン文字転写ではurtu-yin daγuu, 日本ではオルチンドーとも表記)は、モンゴル語で『長い歌』という意味の民謡であり、ホーミーと並び遊牧民族モンゴル人を代表する歌唱法でもある。 特徴 「非拍節的な自由リズムにもとづく旋律で歌い演奏される」ものと言われる。 歴史 中国の歴史書『魏書』には、紀元前3世紀頃からその地にいた古代トルコ系の高車という人々が狼の吠声のように「好んで声を引いて長く歌」っていた、というモンゴルのオルティン・ドーを思わせる記述がある。また漢の北方に大帝国を築いた匈奴も同じような歌の形式を持っていたらしい。 歌手 代表的な歌手にモンゴル国のドルジダグワ、ノロブバンザド、チメドツェイェーらがいる。 現代のトルコでも民謡はリズ...
  • モンゴル音楽史簡易年表
    下の年表は《青木隆紘(2008)「《モンゴル音楽》の20世紀小史―モンゴル国音楽文化研究に向けて」(『日本とモンゴル 116』、日本モンゴル協会、pp.77-99)》の年表を大幅に改訂したものです。 モンゴル音楽関連簡易年表 年代 出来事 BC400~93年頃 匈奴がモンゴル高原を支配。匈奴軍は鼓吹楽という軍楽隊のようなものを持っていた。またモンゴル国中央県アルタンボラグ郡からは匈奴時代の骨製口琴が出土。 2~3世紀頃 蔡琰(蔡文姬、177?-239?)が自身の運命を綴った詩『胡笳十八拍』(後世の創作説あり)で南匈奴のツォールと思われる管楽器について歌う。 554~559年 この期間に成立した『魏書』「高車伝」によると、紀元前3世紀頃からモンゴル高原に居住していたテュルク系の高車が狼の吠声のように「好んで声を引いて長く歌」っていたとの記述がある。 6世紀~11世紀 柔然、突厥、ウイグ...
  • Ö.ロブサン
    Өлзийн Лувсан(1888-1943) Ölziin Luvsan ウルズィーン・ロブサン  ツェツェン・ハン・アイマクのウイゼン貝子旗、現在のドルノド県ジャルガラント郡に牧民の子として生まれる。14歳のとき両親と死別し、代々受け継がれてきた二弦琴、民謡的叙事詩(ウルゲル)の腕を磨き、それを糧に放浪生活を行う。隊商と共にフレー(現ウランバートル)に来て、通りで演奏し、ボグド・ジェブツンダムバ活仏に招待されたこともある。
  • モンゴル音楽事典用語3
    О огторгуйлиг хөгжим 空間音楽 огцом スタッカート олон хоолой 多声法;多声性 олуул дуу モテット;経文歌 оноот эгшиглээ 示導音色 оргил [туйл] クライマックス оройлго эгшиглэн ホモフォニー ~ хэлбэр ホモフォニー形式 ~т хэв ホモフォニックなテクスチュア орхиц 音符の旗;符鉤 оруулга аяз インターリュード、間奏曲 оруулгын долооц хам эгшиг 短七の和音をもつ長音階において、2度と7度上の七和音を指す呼び方。ハ長調の7度上のh-d-f-a、2度上のd-f-as-c、イ短調2度上のh-d-f-aなど。 оршил プロローグ、序奏 оршихуй ая 定旋律;カントゥス・フィルムス Ө өгсөх дав...
  • G.ジャミヤン
    Гомбодоржийн Жамъян(1919/11/28-2008/2/17) ゴムボドルジーン・ジャミヤン Gombodorjiin Jamiyan 経歴  1919年、ツェツェン・ハン盟、サロール・グン旗のスーデリーン・オハーというところ(現・ドルノド県ボルガン郡)に生まれる。貧しいながらタイジ(チンギスハーンの血を引く貴族)であった父ゴムボドルジよりモンゴル文字の読み書きと馬頭琴を習う。18歳まで両親の元で暮らすが、1937年ウランバートルへ上京、芸能者学校へ入学しD.トゥデブ(1898-1938)及びS.トゥブデン(1901-?)に馬頭琴を師事(1939年卒業)。1938年からは国立中央劇場で演奏者として働くようになる。また1940年ソ連より招聘された作曲家、音楽学者B.F.スミルノフ(1912-1971)に音楽理論を学んだ。同じ時期ブリヤート社会主義自治共和国...
  • モンゴルの近現代音楽とは
    モンゴルの「近現代音楽」とは何か  さて、このサイトに掲げてあるモンゴルの「近現代音楽」とは何か、ここで簡単に考察を試みる。要するに音楽の近代化の話である。  この音楽の近代化とは、考えられるものを挙げていくと、楽器の近代化、作曲技法の近代化、伝達の近代化、演奏・聴取機会の近代化、聴衆意識の近代化などがある。  まず楽器の近代化について。 モンゴルには伝統的に実に様々な楽器がある。民俗音楽研究家J.バドラーの著書「モンゴルの民俗音楽」には、こんなものまで本当にモンゴルの楽器だったのか、と疑問に思えるものまで非常に多数の楽器が掲載されている。それらの楽器は第一に楽器の使われる「場」によって2つに分けられる。仏教音楽と世俗の音楽である。モンゴルではチベット仏教が生活の中心であった。ここでは多種の管楽器、打楽器が用いられる。そして世俗の音楽がある。英雄叙事詩などの弾き語りを、トプ...
  • モンゴル国歌
    モンゴルの国歌 Монгол Улсын Төрийн Дуулал (詞:Ts.ダムディンスレン(1908-1986)、曲:B.ダムディンスレン・L.ムルドルジ共作) モンゴルの国歌の歴史について見てみたい。  まず、ボグド・ハーン政権下の1914年にロシア人の手による国歌が新設の軍楽隊により演奏されたという記録がある。これはロシアの作曲家でありマリイーンスキー劇場でヴァイオリン奏者も務めていたカドレツ・サンがペテルブルグ大学東洋学部に所蔵されていたモンゴル民謡の旋律を元に作曲したもの。  次いでモンゴル人民共和国成立当初の1924年から1950年迄は「モンゴル・インターナショナル」(1922-23)というソノムバルジリーン・ボヤンネメフ(С. Буяннэмэх;1902年 - 1937年粛清)が作詞した歌が国歌の代わりとして歌われていた(これは社会主義運動の中でよく歌われた「...
  • B.F.スミルノーフ
    B.F.スミルノーフ モンゴル国に国立劇場の音楽指導者として招聘された。彼の主な仕事は西洋音楽をモンゴルの国立中央劇場劇団員および劇場付属学校の生徒に教えることであった。その傍ら彼は、民俗音楽研究にも従事した。彼はレニングラード音楽院でM.F.グネーシンに学んだのだが、グネーシンはリャードフやグラズノーフに師事し、師のリームスキイ=コールサコフの「ユダヤ音楽が自分自身のグリーンカを早急に必要としている」 という言葉に促され、パレスチナに民俗音楽の調査に出向きユダヤ民族楽派の一員として活躍していた経歴を持った人物だった。ロシアの民衆音楽、異民族のあらゆる音楽を源泉とした芸術音楽の作曲を志向したロシア民族楽派の、彼は孫弟子だった。スミルノーフはまさにそのように振舞ったのだった。 彼は任期中、全国的なフィールドワークを行い、多くのインフォーマントから採譜を行った 。この作業自体には多くのモ...
  • 《王鷲》(1966)
    救国英雄マンライバータル・ダムディスレンを主題としたオペラ。ダムディンスレンは内モンゴル、バルガのソムの長だった人で、1911年フレー(現ウランバートル)でモンゴル独立が宣言されるとバルガの代表として馳せ参じ、バルガのモンゴル国への合併を申し出て外務副大臣になり、モンゴル軍を率いて中国軍と戦い、尊敬をこめて「マンライバータル(さきがけの英雄)」と呼ばれた。 第一幕 第一場:ダムディンスレン(バリトン)ら率いるモンゴル軍はホブドの町を漢人の軍隊から解放し、勝利を祝っていた。清朝の役人ゴ・リン(テノール)が連れてこられ武装解除を行う。するとフレーからボグド・ハーン活仏の側近ナサンバト(バス)、その娘ノロブルハム(ソプラノ)、台吉のデムチグバル(バリトン)、高僧のゲンデンバト(バリトン)が使者としてやってきて、ダムディンスレンにマンライバータルの称号を与える。以前から好意のあったノロブ...
  • モンゴルのオーケストラを聴こう!
    このページでモンゴル人民共和国時代のオーケストラの演奏が聴けます。 ニュースポータルサイト「ソニン・ドット・エムエヌ」(ソニン=モンゴル語で新聞) 『黄金時代の音楽文庫』より“モンゴルのクラシック” http //sonin.mn/2009/03/02/mongolianclassics/ 曲目は上から 1、E.チョイドグ作曲:映画音楽「モンゴルの美しき国」より(1961) 2、Z.ハンガル作曲:バレエ音楽「宝珠の山々」より“アダージョ”(1981) 3、B.ダムディンスレン作曲:「ヘンティーの高き山にて」(1947) 4、L.ムルドルジ作曲:映画音楽「わが祖国」より(1971) 5、J.チョローン作曲:バレエ音楽「職人のハス」より“第4幕のアダージョ”、“ワルツ”(1973) 6、J.チョローン作曲:「2つの民謡による主題と変奏」(1951) 7、L.ムルドルジ作...
  • エヴェル・ブレー
    エウェル・ブレー  古代の角笛を復元、改良した楽器。1960年代楽器ができた当初は角製だったが、現在は木製、金属製キィ付き。サックスと同じマウスピースにアルト・サックスのリードを取り付けて奏する。 「エウェル(эвэр)」はモンゴル語で「角」、「ブレー(бүрээ)」は「ラッパ」を意味し、日本語に訳すと「角笛」というほどの意味である。これは1960年に初めて作られた楽器である。当初ゴーシチが楽器の提案し、自身で試作し、それをこの楽器の最初の奏者L.サムバルフンデブが試奏し、改良点を見つけていくというその試行錯誤を繰り返して作られた。後にはインドゥレーが製作に当たった。1960年、最初に完成されたものは、金属の筒状の芯の外側をハイナグ(ヤクと牛を掛け合わせた動物)の角を継ぎ合わせてカバーするという方法で作られた。象牙をはめ込んだ飾りつきで、孔は6つ。五音音階のみ演奏可能で、音域は...
  • モンゴル語の本
    モンゴル語(キリル文字) Ш.Адьшаа, Галдан Бошигт, Улаанбаатар, 2006.[アディシャー『ガルダン・ボシグト』] Анна Акулова, Монгол улс ОХУ-ын Кемерово мужийн хамтын ажиллагаа,Улаанбаатар, 2009.[アンナ・アクロヴァ『モンゴル国とロシア連邦ケメロヴォ県の共同事業』モンゴル国立大学](著者に献呈していただきました!) Аяако, Кимүра. “Монголын “Үндэсний уламжлалт соёл”.” Bulletin The IAMS News Information on Mongol Studies (40/41) International Association for Mongol Studies Ulaanbaatar. 2008....
  • 橋本國彦
    橋本國彦(1904-1949) Qunihico Hashimoto 参考文献 『オーケストラ・ニッポニカ 芥川也寸志メモリアル第1集』(Mittenwald,2003年) 『Symphony no. 1 in D ; Symphonic suite "Heavenly maiden and fisherman"』(Naxos/アイヴィー,2002年) 『Just for me Noriko Ogawa plays Japanese piano music』(BIS/King International、1997年) 藍川由美『舞 橋本國彦歌曲集』(Camerata, 1998年) Ontomo mook(「音楽芸術」別冊)『日本の作曲20世紀』(音楽之友社、1999年) 川上晃(2007)「橋本国彦の白秋歌曲」(『群馬大学教育学部紀要, 芸術...
  • ヤタグ
    ヤトガ(ヤタグ/yatuG-a) ヤトガ (ятга)は現在では弦の柱をもつ箏型の楽器を指す言葉である。バドラハは元朝時代におおよそ2種類が使用されており、この楽器を担当する数多くの楽士がいたとしている 。  20世紀初頭、鳥居きみ子がハラチン王府でヤトガが行われていたことを記している。しかしエムシュハイマーによれば、この頃ヤトガは稀にしか見られず、モンゴル人の多くが「古い流行おくれ」のものと感じていたという 。ただモンゴル国で近代化以前と革命後のヤトガをつないだ人たちがいて、それはダムディンオチルやプレブといった人たちであった。ダムディンオチルはボグド・ハーンのお抱え楽士でホール奏者のトゥデブとトゥブデンの師匠ではあったがヤトガを最も得意とした 。また1936年、プレブ公旗(現在のバヤンホンゴル県)の高名なヤトガ奏者だったプレブを国立中央劇場に招き、Dam.ロブサンシャラフや...
  • D.ロブサンシャラフ
    ダグウィーン・ロブサンシャラフ 1926年- Дагвын Лувсаншарав Dagva Luvsansharav 経歴 作曲家、合唱指揮者。現在モンゴル国で最も尊敬を集める音楽家の一人。ヘンティー県バヤンホタグ郡出身。県のクラブで西洋音楽と出会い、16歳でマンドリンやアコーディオンを習う。最初はアマチュア音楽家であったようで、県の道路局などで働いていたが、1944年、国立中央劇場に演奏者として入団、1949年から52年、国立ドラマ劇場の合唱指導者を務める。1954年から59年、モスクワ・チャイコフスキー音楽院へ留学。翌1960年から63年まで引き続き国立ドラマ劇場での合唱指導、1975年国立民族歌舞団芸術監督、1992年から95年同団団長を務め現在も現役で音楽活動を続けている。また音楽以外では1964年から1990年まで革命青年同盟書記長を務めた。1951年モンゴル国功...
  • モンゴル音楽の楽譜
    <楽譜> Д.Батсүх, Монгол ардын дуу бүжиг, Улаанбаатар Улсын хэвлэлийн газар, 1985.[バトスフ『モンゴル人民の歌と踊り』] Ц.Батчулуун(red), Quartet of Morin Khuur, Улаанбаатар, 2009.[バトチョローン編『モリン・ホール四重奏曲(スコア)』] Х.Билэгжаргал, Ламбугайн нулимс ― гуртан бүлэг, зургаан үзэгдэлт дуурь,Улаанбаатар, 2005.[ビレグジャルガル『お坊さまの涙―3幕6場の歌劇(ヴォーカルスコア)』] Т.Гун-аажав/Р.Оюунбат, Монгол ардын дуу дэд дэвтэр-Ардын богино дуу, Улаанбаатар, 2...
  • モンゴル音楽史参考文献
    <モンゴル語>モンゴル語 Ж.Бадраа, Хөгжмийн нэр томьёо, Улаанбаатар, 1956.[バドラー『音楽用語』] Ж.Бадраа,Монгол ардын хөгжим, Улаанбаатар, 1998.[バドラー『モンゴル民俗音楽』] Ж.Бадраа/Н.Жанцанноров, Их дуучны яриа, Улаанбаатар, 2005.[バドラー/ジャンツァンノロブ『大歌手の話』] Г.Бадрах, Монголын хөгжмийн түүхээс, Улаанбаатар, 1960/2008.[バドラハ『モンゴルの器楽の歴史より』] Я.Балжир, Ардын хөгжмийн зэмсэгт суралцах хялбаршуулсан сурах бичиг, Улаанбаатар,1995.[バルジル『民俗...
  • 1911年独立の立役者たち
    1911年独立の立役者たち ボグド・ジェプツンダンバ8世? ハイサン? ハンダドルジ? ダーラマ・ツェレンチメット? ダムディンスレン? マクサルジャプ? ナムナンスレン? バボージャブ?
  • L.ムルドルジ
    ロブサンジャムツィーン・ムルドルジ(1915年-1996年) Лувсажамцын Мөрдорж Luvsanjamts Murdorj 経歴 1919年ウランバートル生まれ。1929年小学校に入り、その後経理を学んでいたが1932年国立劇場に楽員として入り1936年兵役により従軍。軍楽隊に入り後に軍楽隊長となった。兵役終了後1941年より国立サーカス楽団の楽員、指揮者。1950~56年、モスクワ音楽院に留学しE.K.ゴロベーフ、V.G.フェーレに師事。帰国後、国立民族歌舞団専属作曲家となり、歌舞団付属民族楽器大オーケストラの設立に尽力する。民族楽器の奏法を研究し、大アンサンブル内で平均律の半音階を演奏できるよう改良する仕事を指揮した。1970~74年国立師範学校作曲科講師、1974年より組織に属さない作曲家として生活していた。1946年と51年に国家賞を受賞し197...
  • モリン・ホール(馬頭琴)
    馬頭琴/モリン・ホール  モンゴル民族の象徴ともなっている二弦の擦弦楽器。多くの場合、四角い共鳴箱からそれよりも長い棹が伸びていて、緩急を手でつけられる弓で弾く。弾き方は写真のように弾くか、現在では主に椅子に座ってひざに挟みチェロのようにして弾く。「ホール」とはモンゴル語で、弦楽器や口琴など広く楽器を指す語(気鳴楽器や膜鳴楽器は含まれない)である。「モリ」は馬のことであり、ネックの部分に馬の頭が彫刻されているのが特徴である(その下に守護神的なものとして龍が彫刻されている場合もある)。  使用される場面としては、伝統的には(伝統的と一般的に言われているやり方としては)オルティン・ドー(音楽用語の項参照)の後につけてヘテロフォニックな伴奏として用いるか、本当にそっくりな馬やラクダの鳴き声や馬の走る様子、家畜の呼び声などの模倣を含むこともある器楽曲、祝辞の伴奏、叙事詩の伴奏などがある。20...
  • 管理者プロフィール
    管理者プロフィール 某大学のヘボ院生だったが最近ようやく職に就く。血液型はA型。 モンゴルを「愛している」のかはなはだ怪しい(まあ「愛は盲目」と言いますし)けどモンゴル音楽に関してダラダラ研究まがいのことを続けています。 一応、日本最初のエヴェル・ブレー(モンゴルの角笛)奏者でもあります。 頭の弱い子なのでどこまでできるか分かりませんが、生暖かく見守ってやってください。 管理者の書いたもの 青木隆紘(2008)「《モンゴル音楽》の20世紀小史―モンゴル国音楽文化研究に向けて」(『日本とモンゴル 116』、日本モンゴル協会、pp.77-99) 青木隆紘(2008)「面白管楽器発見!エヴェル・ブレー」(『PIPERS 11月号(327)』杉原書店、pp.18-21) 青木隆紘(2008)「モンゴルの中心で角笛を吹く」(『日本とモンゴル 117』、日本モンゴル協会、pp.41-5...
  • モンゴル歌謡の分類について
    モンゴル歌謡の分類について モンゴル民謡の曲を分類する作業は、その初期において、言語学者により行われた。唄、儀式歌、祝詞(ユルール)、讃詞(マクタール)、叙事詩をその詞の構造、内容、表現に沿って分類していたので、これは音楽的な面で根拠に欠けるものであった。音楽作品の生命であり真の存在要件たる調子や旋律、音組織の観点からは検討されていなかったのである。 モンゴル民謡の分類をかなり早い時期に行った研究者の一人にA.ポズネーエフがいる。彼はモンゴル民謡の分類を、まずモンゴルの多くの部族ごとに分け、その中でさらに分類した。それをここに示すと: ハルハ族の歌:   1、宗教歌   2、生活歌および父母への賛歌    3、想い人に向けて歌う歌 ウールト族の歌:   1、叙事歌   2、年代記歌   3、祝詞または婚礼の先導唄 ブリヤート族の歌   1、益荒男の歌 ...
  • コンクールその他
    コンクールその他 (特記以外はウランバートルでの開催) 『黄金の秋』音楽祭(“Алтан намар” хөгжмийн наадам) 1982年より、毎年10月もしくは11月頃に行われている、国内最大の芸術音楽祭。作曲家のN.ジャンツァンノロブが「モスクワの秋音楽祭」に倣って開催を提唱した。声楽、伝統楽器、室内楽、オーケストラなどの様々な作品が演奏される。また、これに際し作曲コンクールも行われている。2009年からは海外の作曲家も参加できるよう門戸を開き、ロシア、ブリヤート、カルムイク、中国などより参加者があった。 モンゴル国では社会主義時代、音楽家や舞踊家は文化省で試験され、そのレベルによってランク付けされ、給与もそれによって決められていた。社会主義時代はアマチュアが参加できるコンクールの方が多く、プロになって活躍できる才能を発掘する意図があった。そのために、プロの...
  • 深井史郎
    深井史郎 Shiro Fukai (1907-1959) <参考文献> 秋山邦晴著/林淑姫編(2003)『昭和の作曲家たち―太平洋戦争と音楽』みすず書房 小倉朗「深井さん」『音楽芸術 19(1)』,????,1961/01(ISSN 00302600) (音楽之友社 〔編〕/音楽之友社) オーケストラ・ニッポニカ『第11回演奏会 深井史郎作品展 プログラム』 Ontomo mook(「音楽芸術」別冊)(1999)『日本の作曲20世紀』音楽之友社 富樫康(1956)『日本の作曲家』音楽之友社 深井史郎(1965)『恐るるものへの風刺:ある作曲家の発言』音楽之友社 深井史郎/林淑姫解説(2005)『パロディ的な四楽章(1936)』全音楽譜出版社 林淑姫「「日本主義」と深井史郎の立場〔含 質疑応答〕」 『音楽学 47(3)』p,237~238,2001(ISSN 0030259...
  • モンゴル系諸民族・民族問題
    総論 ユ・ヒョヂョン、ボルジギン・ブレンサイン編著(2009)『境界に生きるモンゴル世界 20世紀における民族と国家』、八月書館 中華人民共和国領内のモンゴル系諸族(チャハル、バルガ、ダグール、オルドス、オイラート、青海、ほか) 塚田誠之編(2010)『中国国境地域の移動と交流 近現代中国の南と北』、有志舎 モンゴル帝国期におけるアス人の移動について、「民族分裂主義者」と「中華民族」—「中国人」とされたモンゴル人の現代史、など ブリヤート 池田秀實(1935)『ブリヤート・モンゴル共和國ニ於ケルブリアート族ノ研究』、蒙古事情研究會 宇山智彦編(2008)『地域認識論 多民族空間の構造と表象』、講談社 「カルムイク人とブリヤート人の民族意識—「モンゴル」認識と「独自の道」)」所収 クドリヤフツエフ/蒙古研究所譯(1943)『ブリヤート蒙古民族史』、紀元社 黒田悦...
  • リムベの無形文化遺産登録
    リムベによるオルティン・ドー演奏の技法―循環呼吸による リムベは硬質の木材、もしくは竹製の横笛である。伝統的にモンゴルのオルティン・ドーという長く声を引き延ばすのが特徴の民謡の演奏に使われてきた。循環呼吸の使用により、リムベはオルティン・ドーに特有の持続される幅広い音域の旋律を奏することが可能となっている。演奏者は鼻から息を吸い、同時に口から息を吐く。その際頬の中に空気をためることで間断なく演奏することができる。オルティン・ドーの歌詞の一節分はおおよそ4~5分にも及ぶ。1曲の全体は3~5、あるいはもっと多くの節で構成され、この間ずっと休みなく12~25分も吹き続けることが要求される。この楽器の伝統的なメソッドの中には、この技法を習得するために、火のついたロウソクを消さずに息を吹きかけ続ける、もしくは水の入ったコップにストローで息を入れ続ける訓練が含まれている。リムベの演奏の特徴は響きのよ...
  • モンゴル音楽事典楽器
    弦鳴楽器 シャンズ Shanz ヤタグ Yatga トブショール Tovshuur ホーチル Khuuchir モリン・ホール(馬頭琴) Morin Khuur ヨーチン Yochin 気鳴楽器 ツォール? Tsuur/Tsoor エヴェル・ブレー Ever Buree リムベ Limbe 無鍵の横笛。 ビシグール Bishguur カンリン? ガンダン・ブレー? イフ・ブレー ドン・ブレー 膜鳴楽器 体鳴楽器 ドーダラム Duudaram ヘル・ホール/アマン・ホール(口琴)?  戻る
  • ドン・ブレー
    ドン・ブレー дун бүрээ チベット語で白い法螺貝を意味するドゥン・カル(dung dkar)が由来。 有史以来宗教楽器としてチベットの宗教音楽において使われてきた。チベットでは仏教の到来以前、シャーマニズムであるボン教が信仰されていて、トゥンカルは霊を呼び起こして家畜や作物の成長を助けたり、病や破滅を齎す悪霊を消し去るために使われていた。 モンゴルでは、装飾のないものも多くみられ、法要の開始を告げるのに使われる。 モンゴル音楽事典楽器
  • モンゴル国の指揮者
    N.ツェレンピル?(軍楽隊指揮者、1915-1978) G.ビルワー(作曲家・指揮者、1916-2006) B.ダムディンスレン(作曲家、1919-1991) E.チョイドグ(作曲家、1926-1988) D.ロブサンシャラフ(作曲家・合唱指揮、1926-) Ts.ナムスライジャブ(指揮者・作曲家、1927-1987) J.チョローン(作曲家・指揮者、1928-1996) P.ハヤンヒルワー(作曲家・軍楽隊指揮者、1935-) S.スンデド?(民族楽器楽団指揮者、1938- ) Ch.ジャムスランジャブ?(指揮者、1943-1994) Ts.バータルジャブ?(指揮者、1944- ) J.ブレンベフ(指揮者・俳優、1946- ) N.トーライフー(指揮者、1954- ) N.ブテンバヤル? B.ルハグワスレン?
  • G.バドラハ
    Гажидын Бадрах(1894-1938) Gajidiin Badrakh ガジディーン・バドラハ 内モンゴル出身で、北京で絵画などを学び、モンゴル国へは1920年にボグド・ハーンに自治返上を迫るためフレーを占拠した安徽派軍閥・徐樹錚の通訳としてやってきた。1920年代から30年代、モンゴル人民共和国の小学校、および師範学校で教師をしていた。中国語をよくし、当時の典籍委員会(現モンゴル国科学アカデミー)の依頼を受け、漢語歴史文献(『元史』など)を用いてモンゴル人として初めてモンゴル民族の音楽史『モンゴルの器楽の歴史より(Монголын хөгжмийн түүхээс)』を1936年に著すも、民族学研究シリーズとしてB.ソヨルトイ(1901-1937粛清)の挿絵付きで出版されたのは没後かなりたってからの1960年。この際、校訂とまえがきを担当したのは民族主義的文学者と...
  • モンゴル国の作曲家
    19世紀生まれ M.ドガルジャブ(歌手・作曲家、1893-1946) 1900年~1910年代生まれ S.ゴンチグソムラー(作曲家、1915-1991) L.ムルドルジ(作曲家、1915-1996) G.ビルワー(作曲家・指揮者、1916-2006) B.ダムディンスレン(作曲家、1919-1991) G.ジャミヤン(馬頭琴奏者・作曲家、1919-2008) 1920年代生まれ E.チョイドグ(作曲家、1926-1988) D.ロブサンシャラフ(作曲家・合唱指揮、1926-) Ts.ナムスライジャブ(指揮者・作曲家、1927-1987) J.チョローン(作曲家・指揮者、1928-1996) 1930年代生まれ P.ハヤンヒルワー(作曲家、1935-) 1940年代生まれ Ch.サンギドルジ(作曲家、1940-) J.メンドアマル(ヨーチン奏者・作曲...
  • Ts.エンフトゥル
    ツェンドルジーン・エンフトゥル ЭНХТӨР, Цэндорж() |略歴 ウランバートル生まれ。父は作曲家G.ツェンドルジ?。音楽舞踊中学校にてピアニストT.ツォルモン?に師事、モスクワ音楽院付属音楽専門学校に留学、T.ガリツカヤに師事。帰国後更にモンゴル国立文化芸術大学にて研鑽を積む。1992年よりピアニストとして活動を始め、モンゴル国内のみならずロシア、ウクライナ、中国、アメリカ、日本など海外でも演奏活動を行っている。クラシック作品のみならず現代モンゴル国の作曲家の作品も得意とし、父ツェンドルジ、S.ゴンチグソムラー、Kh.ビレグジャルガル、Z.ハンガルの作品を録音している。
  • フランツ・フォン・エッケルト
    フランツ・エッケルト(Franz Eckert、1852-1916) 参考文献 内藤孝敏(1999)『三つの君が代 日本人の音と心の深層』、中央公論新社 大月玄之(1989)「お雇い外国人 フランツ・エッケルト 音楽教育への貢献」(『三重大学教育学部研究紀要. 教育科学 40』、三重大学教育学部、pp.197-207) 近衞秀健(2002)「GRADUS A PARNASSUM--Japanisches Musikstudium in 19jh. 明治奏楽始 伶人とその師匠フェントン、メーソン、エッケルトたち」(『独協大学ドイツ学研究 (48)』、獨協大学外国語学部ドイツ語学科、pp.105-143) 近衞秀健(2003)「GRADUS A PARNASSUM(2)--Japanisches Musikstudium in 19jh. 明治奏楽始(2) 伶人とその師匠フェン...
  • N.ジャンツァンノロブ
    N.ジャンツァンノロブ(Natsagiin Jantsannorov, b.1948) ウブルハンガイ県生まれ。小学校のとき小さなアコーディオンで遊んでいたのが音楽に親しんだ最初。1971年ウランバートル市の師範学校講師、75~79年ウクライナのキエフ音楽院にて作曲と音楽学を学ぶ。日本でも上映された映画音楽《マンドハイ賢妃》、ラジオ番組のテーマ音楽《モンゴルのメロディー》などは頻繁に聴かれ、人気作家である一方、83~92年モンゴル作曲家同盟委員長、80年代初頭にはモンゴル人民革命党政治局イデオロギー局員、文化省副大臣、国会議員を務め、文化政策に影響力を持っている。また1988年馬頭琴協奏曲、1991年箏協奏曲を作曲したがこれはこの種の民族楽器の協奏曲の最初となった。1989年と2002年に国家賞受賞、2005年には人民芸術家の称号を得た。作曲家としての立場からモンゴル音楽を研究して...
  • モンゴル近現代文化の参考文献
    モンゴル近現代文化の参考文献リスト(音楽以外) (#印付きはモンゴル語の資料、それ以外は原則日本語) 多分野に亘るので、私一人ではどうにもならないページの一つです。修正や追加があればどんどん編集お願いいたします。 文化史 モンゴル国立文化芸術大学文化芸術研究所編纂(1999年)《Mongoliin soyoliin tu ukh(モンゴル文化史)》(全3巻)、ウランバートル# Sh.Natsagdorj編纂(1981/1986年)『モンゴル人民共和国文化史(BNMAU-iin soyoliin tu ukh)』(全2巻、モンゴル国立出版所、Ulaanbaatar)# 秋津紀穂(1972年)「モンゴルの文化革命」朝日アジアレビュ- 3(2),152~155,1972/06/00(ISSN 03872785) (朝日新聞社) 田中克彦(1992年)『モンゴル 民族と...
  • モンゴル音楽事典用語4
    Ц цагинаа хоолой ディスカントゥス;ディスカント цан【器】シンバル цараа 全音域;全声域 ~ны бүс テッシトゥーラ царгил хөгжим【器】シロフォン(ксилофон《露》) царны нүүр 響板;共鳴板;(弦楽器の)表板 цахилгаан орон зайн хөгжим 電子音楽 цахилгаан хөгжмийн зэмсэг 電子楽器 цовоо ヴィヴァーチェ;ヴィーヴォ цовхрох бүжиг ギャロップ цоглог хөгжим[аялгуу] スケルツォ цомнол: 1、[цомог](オペラ、バレエなどの)台本;筋書き 2、旋法;モード(J.バドラーの用語) цохиур 爪;プレクトラム;ピック;義甲 цохивор хөгжмийн зэмсэг 打楽器 цөлдөн ...
  • 歌唱法その他
    モンゴルの歌唱法その他 モンゴル歌謡の分類について オルティン・ドー ボギン・ドー? 掛け合い歌? ホーミー ウルゲル 叙事詩? 祝詞と賛歌? 歯笛(イスゲレー)? モンゴル音楽小事典
  • モンゴル音楽事典その他
    演奏団体、劇場 国立歌劇場(Монгол Улсын Дуурь Бүжгийн Эрдэмийн Театр) 公式HP http //opera-ballet.mn/ 1924年設立のスフバートル記念クラブの芸能サークルが1927年建設の人民娯楽場(“緑ドーム”の愛称で呼ばれた)に移ったのが前身。同じ建物内で1931年国立中央劇場(劇団)が組織され1949年同建物が家事で消失するまでそこで活動。1943年には専属のオーケストラを設立(それまでは伝統楽器で劇の伴奏をしていた)。1951年に開場した現在の国立歌劇場の建物で活動再開。1963年に演劇部が分離、国立ドラマ劇場に本拠地を移し、オペラ、バレエ中心の国立歌劇場として再スタート。名称を変えながら現在に至る。510人収容。現在の正式名称はモンゴル国立オペラ・バレエ・アカデミック劇場。総合芸術監督B.ジャミヤンダグワ(バレエマイスター...
  • N.ノロブバンザド
    ナムジリーン・ノロヴバンザド(1931-2002) Намжилын Норовбанзад Namjiliin Norovbanzad モンゴルの女性歌手。モンゴル民謡オルティンドー歌手。  略歴 モンゴル人民共和国ドンドゴビ県で遊牧民の子として生まれる。1957年モスクワで開かれた世界青少年音楽祭で金メダルを獲得。モンゴル国立人民歌舞団などで活躍した。1978年には国際交流基金主催の「アジア伝統芸能の交流」のために初来日。1993年には福岡アジア文化賞を受賞した。オルティンドー歌手として天性の素質と洗練された芸術的な表現力は、モンゴル国内でも100年に一人の歌手として評される。世界でも評価は高く、日本の音楽家にも彼女のファンは多いと言われる。1969年にモンゴル人民共和国人民芸術家の称号を授与され、1984年に国家賞受賞、1996年に労働英雄、1999年にはモンゴル国家最...
  • M.ドガルジャブ
    Магасаржавын Дугаржав(1893-1946) Magsarjav Dugarjav マクサルジャビーン・ドガルジャブ  優れた歌手で、作曲、民俗音楽の研究も行い、1911年のボグド・ハーン政権を支えた官僚でもあり、1921年の革命にも参加している。 モンゴル近代音楽の祖というような評価を受けている。 その生涯  スフバートル県ムンフハーン郡の生まれ。父親は清朝時代からの官吏で、ボグド・ハーン政権時代も裁判所長官などを務め、ドガルジャブと同じく自治モンゴルを実務家として支えた。ドガルジャブはまた長身で、180㎝近くもあったという。  ドガルジャブ自身の経歴は、ボグドハーン自治時代の1917~18年には国防省および外務省の官吏、ウンゲルン時代には軍指揮官をしながら、モンゴル人民党(後の人民革命党)結成に参加した(当初はダンザンらと共に東クーロンのグルー...
  • モンゴル音楽事典用語
    モンゴル語音楽用語小辞典(仮) Монгол Ядон хөгжмийн нэр томьёоны харицуулсан толь 注:引用などご利用の際は引用元(当HP)を明記してください。 凡例 【略】略語 【器】楽器 【歴】歴史 【響】音響学 【伝】伝統音楽、伝統文化の用語 《露》ロシア語 《西》チベット語 《中》中国語 [ ] 置き換え可能 例:гигэлгэн[гунил] аязはгигэлгэн аязまたはгунил аязの意。 ~ 用例・準見出しの中の語の全部、または一部に変えて用いる。 → 参照すべきものを示す А аажуу アダージョ(速度記号) аажуухан アンダンテ авад зохиомж 即興演奏;即興曲;インプロビゼーション авиа 音;声 ~ дэвсгэрлэх ар...
  • 青木孝義作品表
    青木孝義 Aoki Takayoshi(1951-2011) 作曲家 【生年】昭和26(1951)年7月22日 【出身】岡山県 【学歴】津山工業高等専門学校(昭和47年)卒 【賞】音コン作曲室内楽曲部門第1位(昭和46年),音楽之友社創立30周年記念作曲賞(昭和46年),大阪文化祭奨励賞(昭和47年) 【プロフィール】鐘紡生産技術研究所に勤務の傍ら、作曲家として活躍。昭和46年「シンクロニゼーション」で音楽コンクール作曲室内楽曲部門第1位となり注目される。主な作品に「協奏的変奏」「Geschwatzigkeit 72」「無伴奏フルートのための“呪咀2”」がある。 【所属団体】日本現代音楽協会,大阪楽友協会 <参考文献> 秋山邦晴(1979)『日本の作曲家たち〈下〉―戦後から真の戦後的な未来へ』、音楽之友社 細川 周平、片山 杜秀監修(2008)『日本の作曲家...
  • 大澤壽人
    大澤壽人(1906-1953) Hisato Ohsawa 新資料 『煌きの軌跡 一大澤壽人作品資料目録一』 (関西に在住する音楽評論家でつくる「音楽クリティック・クラブ」特別賞受賞) 内容:この資料が神戸女学院に寄贈された経緯にはじまり、作品が、器楽曲、声楽曲、放送作品、といったジャンルで整理され、創作ジャンル不明作品、未確認作品まで、さらには編曲作品まで収録されている。 出版日:2007年12月4日 編集・発行:神戸女学院 頒価:1,000円 問い合わせ:662-8505 西宮市岡田山 4-1        神戸女学院史料室(0798-51-8503)  注:大澤壽人の生年については、1906年と1907年と二説あり、本人も両方使っていた形跡があるが、1906年が正しい。  名前の読みについても、おおさわ (Osawa) と、おおざわ (Ohzawa) と二...
  • @wiki全体から「スヴェン・ヘディン」で調べる

更新順にページ一覧表示 | 作成順にページ一覧表示 | ページ名順にページ一覧表示 | wiki内検索