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Last update 2007年10月13日

私と私 著者:一茶


強くなるから、などとはとてもいえない。わたしの意気地のなさを認めてほしかった。

雪を蹴飛ばそうとしたら転んだ。
大きくしりもちを突いて、ドッと涙が溢れた。
「…馬鹿野郎」
恨めしく呟く。
「どうして?どうして分かってくれないのよ!」
空しく声が響いた。
風が強くなってきた。立ち上がって、雪を掃う。
何も考えないように家路を急ぐ。
「馬鹿」と何度も呟きながら。

気が付けばマンションを通り過ぎていた。
誰も見ていないのに慌てて引き返す。
一人暮らしの女にはちょうどいいセキュリティのマンション。
キャリアウーマンとして頑張ってここに住んだ。
やっと出来たはずだった。それなのに。
エレベーターに乗り込む。

玄関についた。
カバンから鍵を取り出して、鍵穴に差し込む。
「え?」
鍵の開く感覚が無かった。
驚いて取っ手を回す。
開いている。
鍵は…閉めたはず。
身の危険があるのにも関わらず扉を開けた。
「あ、おかえり」
奥から女性の声がした。
「そろそろだと思ってたわ」
ガラリ、扉が開いた。
どこかで見たような顔がそこにはあった。
「さ、寒かったでしょ?早く暖まって」
彼女の慣れた対応に促されて、私は玄関の扉を閉めた。

「はい、珈琲。ブラックでよかったわね」
「え、ええ」
いつものお気に入りのマグカップに注がれた黒い液体。
ブラックを飲んでいるのはただのカッコつけだ。
別に好きなわけではなかった。
ジッと液面を見つめる。
「別に、薬なんて入れてないわ。それとも入れてほしかった?」
おずおずと飲み込む。
おいしい。
身体が冷えているせいなのか、それともこの人の淹れ方がいいのだろうか。
「インスタントでも淹れ方さえ工夫するとある程度まではおいしくなるわ」
考えていることを見透かすように彼女は言った。
落ち着いた頭でまだ何も聞いていないことに気付いた。
「貴女は誰なの?」
「私は貴女よ」
意味が分からない。
「ふざけないで!貴女は誰なの?」
「やっぱりこんな言い方じゃ信じないか」
「だから、貴女は誰なの?」
「私は貴女よ。今日、彼からふられた貴女よ」
「えっ!?」
なんで知ってるの?ふられたのはついさっきのはず。
「私が貴女だからよ」
訊く前に答えを言われた。
「そ、それじゃぁ」
私は私のことを訊いてみた。
生年月日に血液型、身長体重…。
思いつく限りのことを訊いた。
彼女はどの答えにもすぐに答えた。
体重にいたっては人前で言うのと実際の両方すら答えた。
「そろそろいいでしょ?」
質問を考えているところで彼女が言った。
「私は貴女。それでしかないんだから」
「そ、それじゃ」
「わざわざ傷跡をえぐりたいの?」
図星だった。
彼女に彼のことを聞こうとしていた。
それを諭されて、思い出して、また涙が。
「泣いちゃいなさい。今の貴女にはそれが必要なんだから」
母のような言い方に私は声を上げて泣き出してしまった。

どのくらい泣いていたことだろうか。
どうにか泣き止んで前を見た。
彼女はただ、自分のことのような顔をして黙ってそこにいた。
「あ、ごめんなさい。ちょっと、思い出しちゃって」
そう言って彼女は笑顔を作った。
「…貴女が私だとしたら、どうして貴女はここにいるの?」
「え?」
「だから、どうして貴女がココにいるのって」
「そんなの分からないわ。ただ気が付けば昔住んでいたマンションにいた。それだけよ」
「うそ、そんなの信じない」
「信じなくていいわ。私だって信じられないんだから」
少しばかりの沈黙。
「さ、貴女は寝てしまいなさい。疲れているんだからね」
「え、ええ」
彼女に促され、私ははじめてお風呂に入らないで床についた。
無用心かも知れないが、このときには既に私は彼女のことを信頼していた。
といっても、自分だからではなく自分の弱さをさらけ出したからではあるが。


翌朝。私は目を覚ました。
枕もとの目覚まし時計を見ると「九時!」と思わず叫んでしまった。
焦ってリビングに出ると、ちょうど朝ごはんの支度をしている彼女がいた。
夢じゃなかった。
「あ、おはよう」
私に気付いたのか振り返ってきた。
「どうして起こしてくれないのよ!」
怒りに任せて怒鳴っていた。
「心配しなくてもいいわ。今日は有休をとったから」
急に肩の力が抜けた。
「どうして?」
「ふられたばかりの人が仕事をしても失敗するだけだからよ」
彼女はまるで自分の体験のように話した。
「さぁ、朝食が出来たわ」
テーブルの上に並んだ二人分の食器。
「貴女の大好物のコーンポタージュよ」
彼女に促されて席に座った。
彼女が鍋からポタージュを注ぐ。
いい匂いが漂う。
彼女が席に着いた。
「いただきます」
二人そろって言った。
どこかおかしくて私は笑ってしまった。
彼女も笑っている。
落ち着いたところでポタージュを飲んだ。
「おいしい」
思わず声を出した。
「よかった。それじゃあ、私も食べよう」
「ちょっと待ってよ。私を実験台に使ったの」
「そうよ」
笑いながら彼女は言った。
「ひどい」
私も笑いながらそういった。
朝食中、私は彼女に質問ばかりした。
彼女は私の質問に、丁寧に答えてくれた。
彼女のプライベートを訊くと、彼女はすかさずこう言った。
「それは貴女が知ってはいけないことよ。それに。知ったら詰まらなくなるじゃない」
朝食を終えて、私と彼女はいっしょに片づけをした。
二人並んで二人分の朝食を片付ける。
彼女と会話はしなかったが、どこか安心できる静けさが漂っていた。

「さぁ、出かけましょう」
片づけが終わると、彼女が切り出した。
「え?」
「家の中に一日中いたって仕方ないんだからね?」
私は彼女の意見に賛成した。
お気に入りの服に着替えて、髪をセットして二人で出かけた。

町の中を歩いていると、彼女はしきりに懐かしいと言った。
彼女が生きている時代にはもうこの建物は無くなるのとか、この街路樹も切られて自動車道が広げられるなど、様々な事を語ってくれた。
二人でショッピングをして、二人でカラオケにも行った。

気付けばもう夕焼け空になっていた。
「楽しかった?」
彼女は訊いてきた。
「うん。すごく」
そう答えた。
「それじゃぁ、最後のとっておき」
と言って、彼女は私をある料理屋に連れて来た。
「やっぱり、あった」
彼女はそう呟くと扉を開けて入っていった。
「ここが、私のお気に入りのお店よ」
席に座ると、彼女が言った。
「といってもね、私も私に連れてこられたんだけどね」
ウェイターがメニューを持ってきた。
「いらっしゃいませ。こちら、メニューになります」
私達二人にメニューを渡す。
「お決まりになられましたら、呼んでください」
そう言って、ウェイターは下がっていった。
「何にする?」
「何がいいのか全然分からないわ」
「それもそうね。それじゃぁ、まかせて」
そういうと彼女はウェイターを呼んだ。
「このシェフのおすすめを二つ。後、これに合うシャンパンを一本。値段は三万円くらいのを」
「かしこまりました。メニューを」
ウェイターにメニューを返す。
「大丈夫なの?そんな高いシャンパンを頼んで」
「大丈夫よ。ちゃんとお金はあるから」
と、彼女は笑ってそう言った。

「おいしい」
料理を口にして最初の一声がそれだった。
口の中に入れたものがなくなると次の一口をすぐに運びたくなる味だ。
お酒も料理に合っている。
しばらくは二人でとりとめの無い話をした。
次第に、私の愚痴になっていた。
彼がどうのこうのだとか、ここがダメだとか。
昨日ふられたばかりの人間だというのに、怖いくらいにケリが付いていた。
彼女と一緒に一日を過ごしたからだろう。
不意に彼女が言った。
「やっぱり、私だわ」
「え?」
「貴女は私なのはもう信じてもらえたかしら?」
「まだ、信じてなんていないわ。どう考えたって私と貴女じゃ歳が違うでしょ」
「確かに、そうね。だけどこう解釈したらどう?私は未来の貴女だって」
「そんな、夢みたいな話信じられるわけないでしょ?」
「やっぱり私ね。私も貴女の時は信じなかったからね」
「どういうこと?」
「つまり、私も私に会っているのよ。彼にふられたその日に」
「そうなの?」
「だからって、私を信じろとは言わないけど。ただ、必要だったんだと思うわ」
「何に?」
「貴女によ。そして、私が生きれるために」
そこで、彼女は口を閉ざした。
もう、この件はおしまいということなのだろう。
彼女が私でも、この際そんなことはどうでもよかった。
ただ、彼女がいてくれたことが支えになった。
食後のデザートも食べ終えた私たちは、彼女の奢りで店を出た。

ちょうど、今夜は月が見える。
二人で並んで歩く道に足跡が残る。
この時間が続けばと、相手は女だというのにそう思っていた。
「そろそろ、時間か」
彼女は呟くように言った。
「え?」
「ごめん、そろそろ時間みたいなの」
その一言で私は理解した。
「帰るの?」
「そう。私のときもこの時間に帰って行ったからね」
「そっか、そうなんだ」
突然、涙が溢れた。
「やっぱり、泣いちゃうか」
「仕方ないじゃないの。突然なんだから」
「でもね、こんな時間は続かないことぐらい分かってるでしょ?」
「…ええ」
「だったら、最後は笑顔で」
「…うん」
私は懸命に笑顔を作った。
突然、彼女は笑い出した。
「ご、ごめん。私があの時笑った理由が分かったわ」
彼女はお腹を抱えて笑っている。
「なによ、そこまで笑わなくてもいいじゃないの」
「だから、ごめん。でも、やっぱりおかしい」
大きく笑う彼女につられて私も笑ってしまう。
「そうそう、それでいいのよ。どんな時でも笑っていればね」
二人の笑い声が響く。
「それじゃ、さよなら」
「ええ、さよなら」
笑ったまま彼女は一瞬で消えた。
消える寸前、彼女は急いで言葉を投げた。
かろうじて聞き取れたその一言は彼女なりのエールだったのだろう。

「人間ひとついいところがあれば、それでいいのよ」





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