Mystery Circle 作品置き場

松永 夏馬

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nightstalker

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Last update 2007年10月13日

魅せられた者 著者:松永 夏馬


人間ひとついいところがあれば、それでいいのだ。

 友人の尾出がそんなことを言っていたなと、芥川知里子はふと思い出した。ネット恋愛に夢中な男友達の顔を振り払うようにして思考を切りかえると、知里子は手にしたばかりの本の背表紙をもう一度眺めた。開店を店の前で待ち、並べられたばかりの本を自ら購入したその一冊の本。
 平凡な自分にただひとつと言っていい、自負できる唯一の才能。いや、才能じゃない。夢を見た時からずっと、努力しつづけてきたじゃないか。人一倍本を読み、書いた。「才能」だなんてたった一言で済ませていいものじゃない。それは、そう、ただひとつ、自分が存在するための証。
 作家を目指し単身田舎を飛び出すようにしてきた知里子が、最低限のバイトだけをこなして後は孤独な作業に没頭し、何度も何度も練りなおして完成したひとつの物語。独身で恋人もいない知里子には当然経験もないが、この作品に感じた産み出す痛みと産まれた時の感動はまさに自分の子供と言っても過言ではない。

 本来作者の顔写真が載る部分。家に篭りがちな自分の青白い顔が載るべきその四角いマスは、白いただのマス。

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 知里子が、この作品が「本」になると知らされた時、呆然とそれきり機能が停止したように立ちつくしていて、師事していた九十九龍一氏とその担当編集の四ツ谷青二が声をかけても気付かなかったくらいだ。見かねて四ツ谷が知里子の肩を揺すり、我に返ったのだが、それでも知里子は興奮で半ばパニック状態であった。人気作家の九十九にしてみれば、「本」になることくらいで浮かれていてはいけないと言う。評価されるのはこれからなのだから。
「知里子君、名前はどうするのかい?」
「え……と。本名で行こうと思っていますが」
「それはどうだろうねぇ」
 文学賞の名前にすらなる大作家と同じ名字を誇りに思い提案した知里子の言葉を遮ったのは四ツ谷だった。
「芥川という名前はどうだろう。芥川龍之介の遺族やファンから何かクレームでも付くかもしれない」
 自分とは真逆の意見にぐっと言葉を飲みこんだ知里子の視線を受けて、九十九は複雑な顔で腕を組んだ。初老にさしかかる年齢に加え、作家という主として机にに向かう仕事であるにもかかわらず、その腕は筋肉質でやけに逞しい。
「そうだね……名前か」
 呟くようにそう言うと、面白いことを思いついたといった妙に子供じみた光を目に浮かべ、両手を広げた。
「いっそのこと覆面作家ってのはどうだろう? 素性も性別も一切謎。話題性抜群だ」
 九十九は一人勝手に満足そうに頷き、知里子に細めた目を向けた。
「……知里子君、君はずいぶん肌が白いよね」

 こうして覆面作家「白(ハク)」は『黒き語り部達の輪の犯罪』を掲げデビューしたのであった。

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 大御所作家九十九龍一の推であるから、謎に包まれた覆面作家であるから、当然そういった要素の影響も少なくはないだろうが、それでもその作品自体の質の高さは読者にも評論家達にも評価され、『黒き語り部達の輪の犯罪』は近年稀に見る大ベストセラーとなった。
 インターネット上で集まった無名の推理作家志望が書き上げた、いわゆるリレー小説をなぞるようにして起こる連続殺人。不可思議で超常的な事件の連続に捜査は混乱、ネットでその小説に携わった作家達の死で謎のリングは輪を閉じる。場末の私立探偵が辿りついたその前代未聞にして驚天動地の動機とトリック。さらには最後の数ページでその世界をひっくり返す驚愕の仕掛けが施されていた。
 二段三段にも組み上げられたストーリィ、世界観は現代的でそれでいて雰囲気は乱歩を彷彿とさせる深みがあり、その結果として幅広い支持を得て、発売と同時にすさまじい売り上げを伸ばしていた。当然それにより作者である「白」は誰なのかという疑問が文壇でも大きく取り立たされていて、それはネットを含め各メディアでも毎日のように話題となっていた。そしてそれは本当に新人のデビュー作なのかさえ疑問視される程だった。別ジャンルの大御所作家によるものだ、いや、複数の作家による協作では、などとまで言われる始末。

 自分の作品だと声を大にして叫びたい。知里子はそんな誘惑に駆られながらも九十九の言う通りただ静かに、毎日のように取り上げられる自分の作品の話題をテレビで見ていた。
 自分の作品が認められた。自分の能力が認められた。それだけでも十分知里子は幸せだった。

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 『黒き語り部達の輪の犯罪』発売から半月程経ったある日。九十九に呼ばれ知里子は奥多摩にある九十九の別荘のひとつへと足を運んだ。最近完成したばかりというその別荘は真新しく、新築の家独特の臭いが篭っていた。まだ完成していないという裏庭と離れを居間の窓から眺めた後、知里子は九十九が促すままにソファへと腰を下ろした。

 そこで知里子は四ツ谷が煎れてくれたお茶を飲み干すことなく、その短い生涯を終えた。
 死因は、九十九龍一による絞殺。

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「魅せられたんだ。……僕はね、彼女の作品を最初に読んだ時、気を失うかと思ったよ」
 笑いながら九十九は、張り付いたような微笑を浮かべた四ツ谷にそう言った。四ツ谷は「私もです」と頷き、お茶を啜った。
「無名の作家志望が書いたとは思えないような出来栄えだ。正直……自分のものにしたいと思った」
 四ツ谷は相変わらずうんうんと頷いていた。
「白、という名も気が利いてると思わないかい? 百(100)から一(1)を引いて白、つまり九十九(99)だ。これなら実は九十九龍一の作でした、ってことにしても遊びが利いてる」
 九十九は声を漏らして笑うとお茶を啜った。
「一汗かいた後のお茶は旨いね」
「ええ、まったく」
 二人のくつろぐ居間のソファからも見える裏庭。その先にある離れ。その基礎となる地面。明日には業者によってコンクリートで固められる予定の地面の数メートル下に、芥川知里子の死体は眠っていた。

「ひとつ、気になるんだ」
 九十九は取り出したタバコに火を付けながら不思議そうに言った。
「どうして君は、『黒き語り部達の輪の犯罪』の作者を僕にしようとしたのかってことだ」
 四ツ谷は笑顔を少しだけ崩し、困ったような、寂しそうなそんな雰囲気を一瞬浮かべて、ゆっくりと語りだした。

「私は、いや、編集者というものは、売れる作品を手がけるということが何よりの喜びなんですよ。傑作、名作、と永劫に名を轟かせるような本の制作に携わるというのが、編集者として最大の栄誉だと、そう思いませんか?」
 四ツ谷とは長い付き合いであったが、九十九は四ツ谷の静かだがこれほど熱のこもった言葉は初めてだった。
「正直……怒らないで下さい、最近の先生の作品は名前だけで売れているようなものばかりではありますが、それでもデビューから数々の賞を総なめにした腕の持ち主、カリスマ性も話題性も今の作家達に比べても頭ひとつ出ていると私は思っています。その九十九龍一の作品としてこの『黒き語り部達の輪の犯罪』は申し分ない。それこそ未来永劫名の残る一冊になる。無名の新人作家では足りない、九十九龍一の名こそ相応しい、そう私は確信した。……ええ、ただそれだけなのです」
 静かに、それでいて熱く四ツ谷は語ると再び湯のみに口を付けた。

 四ツ谷青二の言葉通り、覆面作家「白」の正体を「大御所・九十九龍一」であると発表した日から、再び『黒き語り部達の輪の犯罪』は飛ぶように売れ、増刷を繰り返していた。国内でのドラマ化、映画化、さらには翻訳され世界6カ国での発売を皮切りに、ハリウッド映画化と話題が話題を呼んだ。

 九十九龍一は笑いが止まらなかった。再び莫大な富と名声を得た作家は毎日のようにメディアに引っ張りだこで、テレビに出ない日は無いというほどだった。

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 そんなある日の深夜、九十九は突然四ツ谷の来訪を受けた。
 四ツ谷は相変わらず張り付いたような笑顔のままで、ポケットから出した小型の拳銃を九十九に突きつけたのであった。

 淡々と四ツ谷は言った。

「作家の突然の自殺。これで『黒き語り部達の輪の犯罪』は作家、作品、そして話題性ともに完璧な名作として名を残す」

 九十九は自らが手を下した犯罪を思い出して目を閉じた。こめかみに当てられた銃口の冷たい感触。手に残る細い首の感触。

 ああ。

 人生はどこかで帳尻が合うものだと思わずにはいられない。





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