Mystery Circle 作品置き場

AR1

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nightstalker

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Last update 2007年10月20日

タイトル:フラッシュメモリー 著者:AR1


「ただただぐるぐるぐるぐる」
 あたしはそうありたくてここに来たのに、たとえばアスファルトの光を見ただけで中途半端に感傷に浸れる余裕を、贅沢を、何でまだ持ってんの?
 自問自答。狂おしい慈しむべき日々はとっくに収束し、衰退し、退化してしまったのだと………そう確信していたのに。
 ここに来てなにを躊躇ったのだろう? 空想の言語に捕らわれて、甘美な虚実になびかれて、ここまで我を捨てて決意を固めて、あたしはなにを足踏みするのだろう?
 あたしの思考は今、ぐるぐると回転している。そこは少し前まで、愛情と光が渦巻いていた。今は違う。今は劣情と激情だけ。
 私怨と私恨の交錯した、理性もが押し流される奔流。
 そこにあるのはあたしではなく、今のあたしは鬼になっていた。いや、鬼になっていた「つもり」だった。
 理性と言う名の枷を切り捨てて、憎悪と言う名の外套をまとったあたしは、もう恐怖など抱かない。畏怖もだ。あたしにとって上位級はなく、あるのは下級のみ。
 今の世界はあたしが最上位。それ以外の概念はない。場所も、時間も、なにもかも。
 なぜか? それはあたしが絶対者であるからだ。全ての基準はあたしが決める
――そんな境地にいる。
 ああ、異常者だってことは分かってる。多分、正気を取り戻したあたしが今のあたしを顧みたら、顔面蒼白になって倒れるかもしれない。
 だがしかし、今のあたしが正気を取り戻すことなどないに違いない。そんなことあってはならないのに、どこかで正常な思考で冷静にあたしを見つめられているのはなぜだろう?
 そんなはずじゃなかったのに。そんなんじゃここに来た意味がないのだ。なにも考えるな。今は激情に身を任せろ。
 研ぎ澄ませろ。感性をではなく、感情を。槍のように尖らせて、切っ先を鋭く研ぎ上げろ。
 幻想のラブソングは終わったのだ。残るは後始末。罵倒はいらない。一撃加えてさようなら。
 後ろ手に隠したナイフの柄を握り締める。迷いは消えた。あとは帰り道を待ち受けて、凶器を突き立てれば終了。
 そう、全て完了。彼の人生もあたしの人生も、もろとも弾けてパーだ。
 あー、まったく。笑い話になりそうなくらいアホなことやってるな、自分。でも、こうするしか選択肢がないなんて辛い自分にも別れを告げたい。
 遠くから見ている冷静な自分は知っている。冷笑するくらいあたしが矮小なんだってこと。屑鉄ならいいさ。リサイクル出来るから。あたしはもう、自己をサルベージする気はない。全ては叶わぬことだから、いっそのこと葬りたい。
 彼が帰り道にこの公園を抜けることは知っている。恐らく、今日しかチャンスはないだろう。明日になったら決意が覆りそうな、短期的で瞬発的な激情でしかないから。
 要は鉄砲水。ダムが決壊して溜まった水が押し寄せるように、今のあたしを突き動かす。しかし、溜まったものがなくなれば、あたしはもとの情けない自分に戻るだろう。
 その前にやることがある。その前に殺る者がある。

 ザッ、ザッ――

 足音。ここは公園、地面は細かい砂利で覆われている。誰かが通るたびにその存在は筒抜けである。
 帽子で隠した目線で窺う――彼だ。
 立ち上がる。帽子を投げ捨てる。アッ、と彼があたしに気づいたようで、立ち止まったのが足音の停滞で知れた。結末は揺るぎはしない。ほんの一秒、このナイフの到達が遅れるだけ。
 軽やかではなく、鉛を仕込んだように重い一歩。エピローグに向けて加速する。
 トンッ、という感触。ズズズッ、と差し込まれる手応え。

 ………………………………ガバッ!!!
 おぞましい感触を掌に覚え、思わず重力に逆らって背筋を直立させた。
「…………あー、そうか」
 記憶を辿って思い当たる。ここは1LDKの部屋の真ん中。大学の試験が近いので、勉強を伝授してもらっていたのだ。人に頼まなければならないくらい、あたしは頭が悪い。しかも短絡的。人間出来てない、The End。
 フローリングに落ちている毛布に気づく。はて、こんなものをかけて寝た覚えはないのだが。
「お、起きたー?」
 声にドキリとする。ビックリしたからではない。あの声にはいつも陶然とさせる、麻薬のようなものが仕込まれているのではないかと思う低い声。
「……今、何時?」
「六時半ちょっと過ぎ」
「二時間も寝てたのか、あたし……」
 大ショック。二十歳になってとうとう、自慢の体力も衰えてしまったか……脳みそが足らない分、体を資本にするしかないのに。変な意味ではなく。
「気にすんな。試験まで一週間あるし、余裕だって」
「頭がいい人はすぐそう言うんだよねー」
「頭を良くしたんです。最初からいいんではなく」
 むう、これは一本取られたのやもしれぬ。
「……で、夢見てたの? うなされてたけど」
 うん、と少し恥じらいながら頷く。それが恥じらいで済めばいいものだ。あの時、幾つかの偶然が重ならなければ本気でお互いに三途の川を渡っているところだ。

 先程見ていた夢は、途中までは真実に基づく回想である。違う点は、あたしがナイフを持って突進しようとした時、彼がいきなり土下座をして「ごめん!!」と猛省し始めたからだ。
 もともとのことの始まりは、あたし達があともうちょっとでカップルになりかけだった、そんな不安定な時期。頭が足らないくせに妙な引っ込み思案をしたあたしは、彼にラブレター――面と向かって言える自身が欠如していたのでメールでだが――を送ったのだ。胸が張り裂ける思いがして待ち侘びた二日後、実にとんでもない返事がメールの文面に踊っていた。
 正直、あの直後に理性と言う理性が吹き飛んでしまったので、内容は覚えていない。ただ、やれ「ストーカーのように付きまとうのは辞めろ」だの「君に女性としての魅力を感じない」だの、根源から全否定されたような、そんな衝撃が視覚から全身へと回ったのを、今でも記憶している。
 そしてあたしは、果物ナイフを持って怒り心頭、決死覚悟で公園で待ち伏せた訳だ。しかし、彼は土下座した。ものの言い方が悪かったことへの侘びではなく、メールの誤送信であったことに。
 要約すると、彼には付きまとわれている女性がいて、あたしとそのストーカー女はほぼ同時期にラブレターを送ってしまったと。彼はその女からの執拗な迷惑メールに悩まされていたらしく、うっかり送信するメールを取り違えてしまったらしい。急いで弁解のメールを打ったのだが返信がなく、血の気が引く思いを体験した、ということだ

「さすがに、俺を殺そうとしてるなんて思わなかったけど」
「あんたが悪いんでしょうが!」
「まあ、そうなんだけどね」
 苦笑する彼。今となっては笑いの種。わだかまりはスッキリ解消して、今は円満な未来が見えているということだ。
「あの誤送信は本当に効いたよ。だって――」
 思い出を懐かしむように。記憶を噛み締めるように。
「もうあんたは、あたしにしかなつかないと思ってたから」




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