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Last update 2007年10月27日

No Title 著者:七夜実


たった一人洞窟の中の暗いお風呂に入っている。
否、人肌ほどの水の中で眠っているというのが正解か。
肢体を白い湯船に浸す姿を見るものはどこにもいない。
水に近い色をした髪が湯面を覆い隠しているのに気づけるかどうか。
そして溢れ出た水の撥ねまわる音が私のいる所まで響いてくる。



その、余興でしかない行為を繰り返しているのが、私の主だ。



『鎖骨、ようするに酸化銀の白々しさ』



「それで?」

私の手からタオルを受け取るついでに、主は今日初めての質問をした。
その間、私の顔を見ることはない。
私がタオルを掲げる角度も高さも、常に変わらないし、水分を多く吸った髪を乾かすのに余念がないのだ。

「二時間後に」

それに必要最低限の言葉で返すのが私。
こういったことで、主のお手を煩わせるようなことが、あってはならない。
主が情報を聞き漏らさないほどの長さで、一度で理解できるぐらいの明瞭な表現で伝えることは、主の仕事を受諾する身として絶対である。

「予襲?復讐?」

「復讐です」

「裏は?」

「独りです」

「相手も?」

「いえ」

「・・・方法は?」

「相手が死に怯えるほど良いと」

「手間掛けさせるわね・・・」

それは私にではなく、今回の依頼主に対しての感想なので、私は答えない。
主はタオルを身体に巻き付けたまま、鏡の前で髪のセットに集中する。
そういった作業は、残念ながら私は教えられていないため、ただ見ていることしかできない。
そうして、主の後ろ姿を眺めながらも、私は今までの段取りの中で他に伝えるべき事項が無かったか、追加で質問される可能性の高い事項がないかのチェックに余念はない。
私がやらねばならない仕事は案外、両手で数え上げられるほどしかないが、それぞれを完璧にこなすとなると、こういった空き時間を使ってですら足りないほどである。
そのため、常に前回までの経験を最大限に生かす形で努力しているにも関わらず、未だに納得のいく結果を出した憶えがない。
やはり復習だけでなく、予習する時間もタイムスケジュールに組み込むべきだろうか。

現在、私自身を優先出来る時間はない。思考中断。

しかし最近、このような時間の掛かる仕事に対し、主が非難的な感想を述べることが、非常に多くなったように感じられる。
やはり、主が一人で興じる時間が減ってきているからだろうか。
主の知名度は既にトップクラスではあるが、世間というものの平穏がここ最近、より一層乱れてきていることも、その原因だろう。
今から2週間前に行った仕事は、最新鋭兵器の開発施設の抹消だった。
ただこの時の現地での所要時間は、準備に掛けた時間よりも短い物であったが。

記憶の回顧にまで思考を回す必要性無し。思考停止。

いずれにせよ、依頼の受諾基準を、よりタイトに変更すべきだろうか?
すべきに違いない。主は負担を感じているのだ。それを減らさなくて、何が私の役目だと言えるのか。
この仕事が終わり次第、変更した受託基準によって変化する主の負担と総合報酬額のバランスを計算することにしよう。

思考結果捕捉。思考停止。

すべては主のために、そのために私は、最大限の結果を導かねばならないのだ。

そういったことを考え終わったのと同時に突き出されたタオルを反射的とも言える速度で受け取り、同時に用意しておいた服を一つずつ手渡す。

もちろん、仕事用の、である。

主は普段、黒一色の上下に白のアクセントとなる装飾品を身につけている、ということが多いのだが、仕事用のものだけは完全に灰色だ。
しかもその服は、この明かりのほとんどない洞窟の中でも淡い鈍色の光沢を放ち、その繊維に鋼の数倍の強度としなやかさ、耐久力を持つ合金が編み込まれていることを示している。
けして軽いわけではないソレを、主はなんなく着付けていく。
ここでも、私の出番はない。ただ見るだけである。
着付けが終わると今度は、傍らのジュラルミンケースの中に仕舞い込まれた十数本の、それぞれ形の異なる短刀を、服の様々なエアポケットに出し入れする動きを確認しながら仕込んでいく。
短刀は、服とは違って黒一色である。ちなみにこれらは、私が主に仕えるようになる前から仕事のために愛用されていたものだそうで、一本も欠けたものも無くしたものもない、と主が呟いていたのを聞かされたことがある。
そして、その服も短刀も、全く錆びたところが無く、それは主が一度も返り血を浴びていないことを示していた。

その後、服と全く同じ素材で作られた指無しの手袋(触感を敏感にしておくため)と靴以上の摩擦力を持つソックス(移動を軽やかに、静かに行うため)を身につけ、私に振り返る。
ここにきてようやく、主は私の顔を見る。
質問はないらしい、となれば、これが私の仕事の一つ、「会話」の最後になる。

「どう?」

「完璧です」

この時の私の表情も返答も、全く感情を伴ってはいないのだが、それでも主は満足そうに頷く。
 ・・・実を言うと私は、この瞬間を何よりも楽しみにしている。
主が笑っているのは常だが、満足そうな表情をするのは、この時だけなのだ。
例え困難な仕事をやり遂げても、そこにいるのは普段と変わらない主だけ。
依頼をこなすのに最も適した計画を、一切の妥協もなく完璧に実行することが仕事と同値である以上、そこには当然の結果しか残らない訳で、そういったものになんらかの感想を持つなど、行った主にとって、ありえないことである。であるのだが、主にとっての最大限のプラスとなる結果を求めることが目的である私にとって現状は、さほど望ましいものではないのだ。

そして、瞬間は瞬間であり、主の視線は私から壁に向く。
その時には、あの満足げな表情も普段の笑みの下に隠される。
壁にあるのは、一つの面。
目の部分に細めのスリットが刻まれただけの、薄く白い仮面。
これも主の呟きではあるが、それは古きヨーロッパにおいて、首を撥ねる役を負った人間がつけていたもので、しかし私には、その白い表面が血で汚れたことがあるようには、どうしても見えなかった。
それを主は顔につけ、再び私へと向き変える。
そこには、笑みですら仮面の下に押しやった、完全なる処刑人がいた。

ここから先は言葉はいらない。
感情も、思考も、記憶すらも置いていく。
私の用意は、ここに来る前に済ませてある。
そのまま主は、私を引き立てるように身を捻って、洞窟の入り口へと向かう。
私はその後を、ただ付き従うのみ。


そして、主と私は洞窟を出ま






「目は覚めた?」



そして、光しかない世界に、顔のないあなたの声が響く。

覗き込むのは、一体誰だろう。



「あなたは誰かわかる?」



ふわふわとした身体は、まだ地に着かず、

その言葉に促されるように、私は思い出す。



「・・・私は?」



そうか、あなたは、

あなたはまだ、この私を、必要とするのですね。



「さぁ、答えてくれる?」



何もかもを失っていた私の中に、

最初に戻ってきた現実感覚は音だった。




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