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Last update 2007年10月27日

葬恋 著者:nymphaea


「俺のことはあの人の目にどう映っているのだろう」
「食料じゃないかしら」
 至極当然の応えを返した紋白に、男が顔を顰める。そんな不本意そうな顔をされても、彼女には他に答えようがなかった。
「だって、あなたは蝶で、彼女は蜘蛛でしょう。他に何があると仰るの」
「もっと他に何か、考えてくれていないだろうか。俺の美しさについてなどね」
 春に生まれた男は、頭の中まで春に生まれついてるらしい。自分の捕食者に恋をしたと、忙しい紋白を捕まえては寝言をのたまう。
「彼女こそ、まさに運命的な女。あの美貌、あの肢体、あの鋭い感覚。男を魅了して止まないが、その肌に触れれば待つのは死。あア何と素敵なんだ」
「あなたのおめでたさも、危険極まりないですわ」
 鮮やかな青紫の羽を震わせて恋を語る男は、種族が異なる紋白の目から見ても美しかった。男の薄羽に刻み込まれた紋様は丹精で、繊細で、こんな蝶を彼女は他に知ら ない。
 何匹もの雌が彼に恋をして、そのせいで蜘蛛の犠牲になっているとの噂もある。この馬鹿な男をふらふらと追いかけて、銀硝子の巣に絡まるのだ。
 確かに蜘蛛は危険だが、用心すれば済む話だ。蜘蛛の罠へ他を誘う蝶の方が、よほど危険だろう。
「せめて、他の方にご迷惑を掛けないようになさったらいかが」
「俺は何もしちゃいないさ。勝手についてくる奴が悪いのだ」
「分かってて、それでも、やっていらっしゃるのね」
 白詰草の蜜は淡白で、紋白好みの味がする。器の底まで飲み干すつもりだったが、何ともその気が失せ、彼女はストロオを懐へ仕舞った。
「もう行きます。あなたにも、もう少し真っ当な生き方を御勧めしますわ。春は短いのですもの」
「俺はこの上なく、自分に正直だよ」
 誰もそんな事など聞いておらず、これ以上この相手と話を続けるのが紋白には辛い。曖昧に返事を受け流して、彼女は己の白い羽を風に乗せた。

 つがいの蝶と交尾して卵を産んでしまえば、紋白の役目は終わり。自分が生まれた理由を、彼女は良く知っていた。緑の小虫として葉の上を這いずっていた時は、それが分からなくてもどかしかったものだ。だが重苦しい蛹を破り、敏感な羽が風に触れた瞬間に、彼女は天啓を受けた。
 卵を産まなければならない。ただ、卵を産んでしまえばいい。
 もう何を考えずとも、本能が全てを知っている。
 求愛してきた数羽の小蝶はどれも同じく見えたが、とりあえず衣の紋様が一番鮮やかな雄を選んだ。あの大振りの青紫とは比べるべくもない、白く貧相な羽の男。そして数回の交尾の末に、彼女は自分が身ごもった事を知り、男に別れを告げた。
 彼は何も言わずに、姿を消した。
 死に場所か、新しい雌か、そのどちらかを探しにいったのだろう。どちらにしろ、紋白にはもう関わりのない事だった。

 彼女は愛しい卵を孕んだ腹を、優しく撫でる。

 訪ねてきた青紫の羽が放った第一声は、なかなかに印象深いものだった。
「見舞いに来たよ。君、もうすぐ死ぬんだってね」
「卵を産んだら、もう此処に用はありませんもの」
 顔色も変えずに言葉を返す紋白に、彼は喉奥にくぐもる低い笑い声を立てた。
「あア、そうだから俺は君が好きなのだよ」
「結構な告白ですわね。羽ばたくだけで吹き飛びそうに、軽くて」
「君の言葉は、相変わらず重いね」
「あなたと違って、独りを選べませんでしたから。それなりの生の重みを背負っていますの」
「俺は選んだのじゃない」
 軽口の応酬は、男が声のトオンを一段落とした事で突然終わりを告げた。相手を怒らせたという事実が嬉しくて、紋白は仄かに頬を笑ませる。
「それは失礼いたしました。自ら選ばれた道のように見えましたの」
「此処に俺の仲間はいない。皆、疾うに彼岸に行ってしまっている。それでどうやって、独り以外の道があったと言うのだい」
「他の種族の群れに混じれば良かったでしょう。あなたを好いている娘は沢山ありましたわ。だけど皆、死んでしまった。あなたが彼女達を蜘蛛に与えてしまわれた。そんなに他が厭わしかったのなら、お仲間を探して独りで何処ぞへ飛んで行っておしまいになれば良かったものを」
 かつて遠く風に運ばれてきた葉についた卵は、半分以上が孵らなかった。運良く生まれた子供もほとんどが長く育たず、紋白達と一緒に冬を越して蛹になれたのは彼だけだ。
 他の兄弟が嫌って食べなかった葉を食べ、紋白達が敵をやり過ごす場所に共に潜み、そうやってたった独り生き延びた。
 まだ緑の身体を持っていたその頃の彼は、生きる事に貪欲だった。変わってしまったのは、紋白の背に白い羽が生え、彼が青紫の羽を持った朝。共に葉を囓り、共に眠る日常は終わりを告げ、彼らは違う道を歩き始めた。
 紋白には共に育った仲間達の群れがあったが、男の羽と同じ光沢を持つ蝶は他に一匹もいない。
「もう少し小高い土地にならあなたのお仲間が多くいると、鳥達が囀っていたでしょう」
「この頼りない羽で、そこに辿り着ける可能性がどれほどあると言うのだい。大体、俺はあの人のいない場所になんて興味を持てないね」
「また馬鹿げた蜘蛛のお話かしら。本当のお相手は、別にあるくせに」
 身代わりの娘ばかりが、彼の憧れる死の網に掛かる。
「あなたは死に焦がれてばかり。そのくせ本当に死ぬ事など、お出来にならない」
 恋した男の恋を追って、恋した男が真に恋する相手が死だとも知らず、代わりに罠に飛び込んだ娘達。
 こんな男、卵のうちに死んでいれば良かったのだ。そうであれば、あんなに多くの雌蝶が哀れで滑稽な死に方をする事はなかった。
 紋白が、自ら満足がいくはずの一生に、こんな空しさを覚える事もなかった。
 彼女は、彼女に課せられた生の義務を全てやりとげた。最後に卵を産み落とし、満足感の中を死んでいくはずだった。
「あなたなんて、死んでおしまいになっていれば良かった」
「俺が死ねないのは、君が卵を産むのとも同じ理由だろうさ。子を生してもいない俺は、死んではならない。子を生すまでは生き延びるべき事を、君も義務として知っているだろう。だから、俺は独りでも生きなければならぬのだよ。仲間を失っても、君を失っても」
 男の声音に、再びいつもの陶酔の響きが蘇る。それは、彼がこれ以上紋白に真情を語るつもりがない徴なのだろう。
「そんな俺の目に、目に見える死であるあの人は、どれほど魅力的に映るか」
 大袈裟な口調と仕草で蜘蛛を讃える彼に感じる哀しみを、紋白は膨らんだ腹を撫でてやり過ごした。哀れみを男は望んでいないであろうし、彼女にそれを口にする資格もない。
 所詮、二人とも本能のしがらみから放たれる事が出来なかった。諾々と従った紋白にしろ、抗った男にしろ、それは然り。
「最後に一つだけ、聞かせていただけるかしら」
「話にもよるね。なんだい」
 紋白が、彼にずっと尋ねたかった事柄。
 もう一両日の内に、彼女は間違いなくこの世を去る。この男に会うのはこれが最後になるだろう。だから、口に出来る機会はこれきりだ。
「種族が違っても」
 けれどその答えを知って、紋白はどうすると言うのか。男が真実を話すとも限らない。そして、たとえその返答が彼女の望むものだったとしても、もはや意味を成さなかった。
 だから、彼女は質問を変えた。
「…あなたに恋してしまった娘達が死んでいくのを見て、彼女たちを罠に誘って、あなたは何を思っていたの」
「羨ましかったよ。そこに罠があると知る俺は、飛び込む事を許されなかった。…何も知らずにいられたら、どんなに良かっただろうね」
「そう」
 何も知らないままで、ずっと緑の小虫でいられたら良かった。空舞う蝶に憧れたままで、いつまでもいられれば良かった。
 羽を得て、手に入れたのは解くことの叶わない縛り。
 そんな先も知らず、二匹の小虫は届かぬ空を見上げて何と言ったか。
「こうやって空見てると、だんだん足とか背中とかもぞもぞしてこない?」




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