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Last update 2007年11月10日

オオカミ少年 著者:松永 夏馬


 なんとかしなければいけない。言わなければいけない。

「あ……あのッ」
 そうして口をついて出た言葉は、僕自身を驚かせたわりには目の前の刑事の目をぎょろつかせただけに留まった。
「……あ……その……犯人かどうかはわからないけど……怪しい男を見ました」

 僕はウソをつき通さなければならない。そうだろ? 
 きょう―――

 ********************

 紅野真刑事は上司の新居警部補が表情を変えずに頷くのを見て、(ああ、また機嫌が悪くなるな)とうんざりした思いだった。
「ちょっとね、君」
 仕方なく紅野刑事は中性的な顔立ちの高校生・高木理の肩を乱暴に掴んだ。少年の、男にしては少し長めの黒髪が揺れる。
「君を見たという目撃証言があるんだよ」
「え、ええ、だから……その……」
 現場が起きたのは一昨日の深夜、理の通う県下有数の進学校でだった。朝になって遺体は発見され、被害者は同高校の社会科教師黒澤、後頭部を強く殴打されての頚椎骨折だった。
「……深夜に学校へ行ったことは認めるんだな?」
 新居警部補が低い声で重く口を開いた。彼らしき人影が深夜の学校から出てくるところを目撃されているのだ。理少年は新居警部補の底なし沼のような眼差しから逃げるように顔を背け、頷いた。ただ、こころなし何かを決心したかのようで今までのおどおどとした態度が消えたようにも見える。
「男……ね」
 鼻を鳴らして新居警部補が紅野刑事の手を払い、理少年を自由にする。紅野刑事は不服そうではあったが、上司に睨まれて素直に一歩下がった。
「で、どんな男だ?」
「……えと……黒っぽい服を来た年配の男でした」
「身長は?」
「……よくわかりませんけど、僕よりは高いです」
「顔は?」
「暗くてよくわかりませんでした」
「どこで、何をしていた?」
「旧校舎の……一階の教室の窓から出てきて、逃げるように校舎沿いを走り、塀を越えて出ていきました」
 理少年は目を瞑り、一言一言噛むように答えていった。
「その男をいつ見た? そもそも君は何故学校へ?」
 うなるような声で新居警部補は尋問を続ける。
「忘れ物をとりに行く途中で……」
 ここは即答する。そしてしばらく逡巡した後。
「予習に使いたいテキストが教室のロッカーに置きっぱなしだったんです」

 紅野刑事はうっすらと汗をかきながら答える理少年に目を向けたまま、少し離れたイスに腰を降ろした。そっと座ったつもりだが、パイプ椅子が軋んでやけに大きな音を立てる。
 少年を目撃したという女性は高校のすぐ脇にある『ななや』という商店を営んでいる未亡人で、買い食いの常連である生徒たちの顔はあらかた記憶しているそうだ。薄暗闇の中の記憶でも彼女ははっきりと少年の写真を指差して「彼です」と答えている。
 被害者である教諭は昨年理の担任をしており、繋がりはある。殺害に至る動機は不明だがこの少年がその場しのぎのウソをついているのだろう、と紅野刑事は思っていた。
 そっとポケットに手を伸ばす。ジッパー付のビニル袋が指に触れた。
 その中には証拠が存在する。

「怪しい男を見たあとどうした?」
 新居警部補は質問を続けた。
「え……えと……」
「現場には行ったか?」
 理少年は一瞬体をビクリとさせてから首を振った。新居警部補が紅野刑事を見て顎をしゃくる、それを受けて、飛び跳ねるように立ち上がった紅野刑事はポケットから件のビニル袋を取り出して手渡した。
「……ここに現場で採取された毛髪がある。被害者の物とは異なる血液型だ、君は……AB型だったね?」
「今はDNA鑑定ってのもあるんだよ?」
 紅野刑事が口を挟みかけたところで、理少年は「すみません」と呟くように口を開いた。少しだけ俯いていた彼は、訝しげな二人の刑事を挑戦的な目で見て頷いた。
「人影が気になって、僕は旧校舎の中に入りました」
 新居警部補が鼻を鳴らして先を促す。
「そして……その……現場を見ました、扉は開いていたから……。少しだけその教室に足を踏み入れたかもしれませんがよく憶えていません」
「発見したのに通報しなかったのか?」
 新居警部補の問いに紅野刑事は目を大きくして思わず声が荒くなった。
「新居さん! 信じるんですか!?」
 黙れ、と目で叱られて紅野は口を閉ざす。
「通報したらいろいろ面倒じゃないですか? まぁ、結果として今すでに面倒な状態なんで、通報しておけば良かったと後悔していますよ」
「次回からそうしてくれることを願うね」
 皮肉げにそう言って、新居警部補はさらに続けた。
「そうなると君が第一発見者ということになる。現場を見て何か気付いたことはあるかね?」
「新居さん」
「黙っていろ」
 じろりと睨まれ、紅野刑事は不貞腐れたように肩をすくめる。
「……いえ。月明かりで不気味に照らされた死体と床にこぼれた血の跡ばかりが脳裏に焼き付いてて……」
 わざとらしく両手で自分の体を抱きしめ、理少年はおおきくかぶりを振った。
「深夜の学校には行った。事件現場にも行った。でも自分はやっていない、そう君は言うんだな?」
 紅野は演劇部員のような理少年の仕種で、それがウソであると感じていた。
「『ななや』のオバサンの目撃を信じて僕を呼びつけたのに、僕の目撃は信じてくれないんですね」
「彼女の目撃証言には君という裏が取れている。でも君の証言にはそれがない」
「紅野」
「でも新居さん」
 無言で新居警部補は言葉を荒げる部下の腕を掴んで押しやった。じろりと睨んだ目が光り、紅野刑事はさらに一歩下がる。そして再びパイプ椅子を軋ませて腰を降ろした。
 そうして再び理少年をぎょろりとした目が見下ろした。
「……もう少し、質問いいかな?」
 質問の形式はとっているものの、有無を言わせぬような強い口調。返事を待たずに再び口を開いた。
「黒澤先生というのはどんな?」
「え……えと、日本史の担当で去年僕らのクラス担任でした」
「生徒たちのウケは?」
「なかなか厳しい先生で、課題も多いし、あまり生徒には……その、なんていうか」
 小さく頷いて新居警部補はさらに続けた。
「『ななや』にはよく行く?」
「え? ええ」
 突然話題が変わるので理少年も戸惑いを隠せていない。
「週にどのくらい?」
「え……えと、週に3日……くらいです」
「何をよく買うの?」
「パンとか……お菓子とか」
「店のオバサンの印象は?」
「……よく、わかりません。あまり気にしたことないから」
「一昨日の夕方は行った?」
 事件の起きる前の夕方のことだ。
「……いいえ、寄ってません」
「ところで、事件現場を見たあと君はどうした?」
「え? どう……って、帰りましたよ、家に」
「時間は?」
「……たぶん、夜中の12時半は過ぎていたと思います。
 理少年らしき人影が目撃されたのは0時過ぎ、時間的にはちょうどピッタリである。
「すぐに帰ったんだね?」
「え? ええ。もう、死体なんて初めてだからビックリして。慌てて逃げるように帰りましたよ」
 新居警部補はそこで理少年の瞳を覗き込むように近づいて、やっぱり不機嫌な口調でこう言った。

「忘れ物はどうした?」

 その時の理少年の顔。目が見開かれさっと血の気が引いて、よろめくように一歩後へ足をずらした。
 ウソを認めた瞬間だ。

 パイプ椅子を跳ね倒すように紅野刑事が立ち上がる。
「……キミはやっぱりウソをついているね。犯人は君だ」
 真っ直ぐにその若い刑事の視線を受け―――理少年はむしろ清清しい表情で頷いた。

 ********************

「……はい。僕がやりました」
 僕はゆっくりと頷いてそう言った。

 そう。やっぱりこれでいいんだ。

 そのはずだったのに。

「……それもウソだな」
 目玉のぎょろりとした年配の刑事が吐き出すようにそう言って僕を睨みつけた。

「僕です、僕がやりました。揉みあってるうちに突き飛ばしたら、机の角に頭をぶつけて……」
「犯人は君じゃぁない」
「僕です」
「君は事件の後にその場所に行った。そして遺体と血痕を見ただけだ」
「違う! 僕が殺した。僕が黒澤の後頭部を机に叩きつけた。床に血が流れ出すのも見た」
 僕が犯人なんだ! 僕がそう言ってるじゃないか。そう叫びかけた僕は、ぽかんと間抜けな顔で見つめている若いほうの刑事と目があった。さっきまで僕を犯人だと睨みつけていた目が、戸惑いの色を見せている。

「被害者は出血していないんだ」
 ポツリと呟いた青年刑事の言葉が僕の思考を停止させた。それを受け継いで中年の刑事がつまらなそうに口を開いた。
「事件現場に残された血痕はおそらく犯人のものだ。血液型は被害者のそれとは違う、AB型」
 僕は目の前が歪んだような気がして、それでもなんとか足を踏ん張って声を絞り出す。
「は……はは……僕ですよ。思い出しました、僕がその時に怪我をして……」
 年配の刑事が鼻を鳴らした。
「怪我などどこにもしていないじゃないか」
 そうだよ、怪我なんてどこにもなかった!

「庇っているのだろう? 双子の姉を」
 姉さん。同じ顔をした僕の大切な半分。
「―――犯人は高木京か」

 ********************

 今朝刑事に弟の理が連れていかれてから数時間経った。
 一昨日の深夜、黒澤を殺してしまった私は怯え、混乱し、理にケータイで助けを求めた。理は私とは違い頭もいい、あの進学校にも合格したくらいなのだ。理ならなんとかしてくれる、そういう甘えがあったのかもしれない。そうして彼は刑事の訪問を受け、雨の振る中自ら進んでといってもいいくらいあっさりと警察へと出向いて行った。
 事件のショックで不定期に起きた生理で下腹が苦しい。精神的なストレスが体にも負担をかけているのだ。

 でも本当にこれでよかったのか。
 理はどうしただろうか。彼に任せて良かったのだろうか。
 一人で行かせてしまった自分に後悔の念が押し寄せる。女性にしては短めの髪を無意識に掻きむしり、髪が乱れた。
 無理矢理落ち着かせようと私は、濃い目に煎れた苦いコーヒーを一口啜った。そして立ち上がり閉まったいたカーテンを引き裂くように開けた。雨はどうやら上がっているようだ。

 すっと顔を上げる。

 窓の向こうで重苦しい雲の隙間から光が差し込むところだった。
 今からでも遅くはない。

 コーヒーはとても強く、ひどく良い香りで、太陽が私を少し元気づけてくれた。




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