Mystery Circle 作品置き場

おりえ

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nightstalker

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Last update 2007年11月10日

普通の女 著者:おりえ


 コーヒーはとても強く、ひどく良い香りで、太陽が私を少し元気づけてくれた。
「子供の頃は、コーヒーなんて飲み物じゃないと思っていた頃が、私にもあったなあ」
 しみじみと言ってみる。私も大人になったんだなあ。
「目は覚めたか?」
 太陽はそう言って、お日様みたいに笑った。うむ、名に負けぬいい男じゃ。
「うん、覚めた。あーあ、これから寝ようかと思ってたんだけど」
 こくり。コーヒーをひとくち。うーん、苦ウマイ。
「おいおい、俺ひとりに荷造りさせる気かよ。いーから支度しろ」
 太陽はすっと真顔になって嫌なひとこと。うーん、厳しいやつじゃ。
 私はコーヒーカップをぐいっとあおってから、よっしゃと腕まくりしながら立ち上がる。
 グッバイ、マイホーム。君とは三週間ぽっちの付き合いだったね。

 私は平和と自由を愛している、ありふれたごく普通の女だ。特にとりえもない。
 全てが人並み。謙遜? ああ、そんな余裕かましたこと言える女だったらよかったんだけど。
 正義感ぶってご高説垂れる大層な人間にもなれなかったし、クールな悪役気取れるほど明晰な頭脳もない。
 そう、多分私は、普通「すぎる」女だ。いい子ちゃんじゃないってこと。
 駅前で「お願いします」と声を揃えて募金箱を持った子供たちの前をさっさと通り過ぎ、チラシを配るお姉ちゃんを軽くかわし、新聞の勧誘も嫌な顔で追い払い、居留守だって使う。テレビで流れる凄惨な事件に胸を痛めても、次の瞬間にはさっさと忘れる。違法だとわかっているけど、「ちょっとくらいなら」とネットでいけないものを落として使ってみたり、ゴミの分別も時々忘れる。燃えるゴミの日にプラスチックのものを入れる。漫画や小説に出てくる「心に穢れのない女の子」は、こんなことしやしないだろう。私は普通の女だ。人を殺して悦に浸る犯罪者ではないが、いいこともちょっと悪いこともする。
 ――だから。

「…ここ数ヶ月張り込んでてわかったんだが、あの家の監視カメラはハリボテだ。防犯ブザーもしょっちゅう鳴るから警備員ではなく、電話連絡の確認しか来ない。最もそれも二回に一度しか来ないという体たらく。警備会社を替えた方がいいんじゃねえかと俺は思ってるんだけどね」
「なるほどね。つまり電話連絡が来た二度目を狙って行動すればいいと」
「あといくつか考えはあるけど、それが妥当かな。家主も留守にすることが多いし――」
 新たな住居は安っぽい古びたアパートだ。私たちはリサイクルショップで買ったちゃぶ台を囲み、その上にある設計図とにらめっこ。
「それで、決行はいつ?」
「今夜だよ、お嬢さん」
 太陽はにやりと笑って、畳くさい部屋の中でカーテンもない窓辺を親指でさした。

「金持ちは盆と正月に旅行はしない。シーズン・オフが、穴場なのさ」
 太陽が沈んで月が昇る。今の彼に「太陽」は似合わない。なんたること。名前負けだわ。

 私は平和と自由を愛している、ありふれたごく普通の女だ。特にとりえもない。
 いいことも悪いこともちょっとする。
 例えば赤信号でも左右を確認して小走りで横断歩道を渡るような悪いこともするし――
 拾ったお金の額が大きすぎると、怖くなって交番に届けてやれる心もある。
 それの延長上にあるものなのだろう、この仕事は。
 人気もない真っ暗な闇の中は、私たちの仕事場だ。
 世の中には昼間っから平気で仕事をする同業者がいることも知っているが、事を荒立てたくない慎重さを考えるなら夜しかないと太陽は言った。私も平和主義者だし、小心者なので、その考えに従う。
 太陽と綿密に打ち合わせをした通りに動き、防犯ブザーが鳴ろうがおかまいなしに、家に侵入した。
 ペンライトを灯し、そろそろと中に進む。
 目当ての豪邸の家主は、相当金を持て余しているのだろう、大きな陶器や絵画がところどころにあって、人が生活しているような空間には見えない。嫌味なほど綺麗だし、こんな真夜中ではちょっとしたお化け屋敷にもなるだろう。
「金庫はあった?」
「OKだ」
 太陽は化粧箱のようなものを抱えて、廊下で見張りをしていた私のところまで来た。
「…あれ、そんなに小さいの?」
 ペンライトでかざして拍子抜けしたように言うと、太陽は含み笑いした。
「そら、宝石が入っているからね」
「宝石? そうだっけ? 私は現ナマだとばかり」
「今は怖くて現ナマなんか持ち歩かない時代だよ。宝石にしちまうのが一番だぜ」
「…ふーん?」
 そういうものなのか。私は本物と偽物の区別もつかないから、宝石の価値ってよくわからないんだよね。
 元々この仕事をやり始めたのも、太陽が学生時代の悪友で、誘われたからに過ぎないからなんだけど、やってみたらなかなかスリリングだし、お金をたくさん持ってる人から泥棒するんだし、人を殺すわけでもないしいいよね~と、だんだん開き直ってきたんだよね。いい子ちゃんで世の中渡っていくには、人生もったいなさすぎる。多少のリスクを冒して生きてる実感を得るのも、悪くはないんじゃない?
 私たちが意気揚々と金庫を持って「仕事場」から出て行くと、

「はい、ごくろーさん」

 すました顔したおじさんが数人、私たちを待っていた。
 あーあ、太陽。何事にも、常に例外はつきものってことね。

「最近、防犯対策が強化されて、怠慢な防犯会社のケツを蹴り上げてる最中なんだよ。運が悪かったな、おふたりさん」
 ランプを消した状態のパトカーが二台あって、私たちはそれぞれ別の車に促された。
「どうも、ご迷惑おかけします…」
 私はまだよくわかってない頭で、そんな台詞に相槌なんて打ってる。太陽もそうなんだろうな。まああいつのことだ、へらへら笑って世間話でもしていそうだけど。
「おたくら、この道長いの?」
「んーと、一年ちょい、ですかね」
「なるほどね。手ごたえがありすぎて、ちょっといい気になってる頃だな」
 隣のおじさんは穏やかだ。その穏やかさが、今はなんだかありがたい。
「金持ちの家は、無防備なところとそうでないところがあるんだ。ここは半々かな」

 おじさんは萎縮している私を見て笑顔になった。カツ丼食べさせてくれそうだな、このひと。
「防犯カメラはハリボテ。だけど防犯ブザーは本物。おたくらがもちっと慎重で、もちっと早くやってりゃ、捕まらなかったかもしれねえけど、世の中は甘くないんだな、これが」
「…ですねえ」
 私はおじさんと話しながら、なんだか胸がすっとしてきて、いい気持ちになって、それから、涙が出てきた。
 私はやっぱり「普通」の域からはみ出ることができなかった。
 私には「普通」に家族がいて、多分泣いてくれる両親も、弟も妹もいる。太陽にも少なからずそういう人間はいるだろう。
 やるべきじゃなかった? …それについての後悔は、ない。
 けれどこうなって迷惑を被る家族や友達のことを思うと、いたたまれない。
 こういう情を捨てることの出来ない私は、やっぱり「普通」なんだと思い知らされた。
 ちょっと悪いことをして感じる罪悪を、知らずに胸の中に溜めていたんだと思う。だから捕まったことが嬉しい。
 格好つけて悪いことをしてイキがる小悪党。私はそれになるにはあまりにも、普通すぎたのだ。


 私と太陽は然るべき処置を受け、然るべき場所で刑期を終えた。
 それまでまともに会ったことはあっても話すことは許されなかったから、刑期を終え、新たなスタートを切ろうとしていた矢先に太陽とばったり出会えたとき、ものすごく久しぶりな気がして、私は言葉が出なかった。
「おっ、久しぶりっ」
 そう言って笑う太陽は、最後に見たときより幾分か痩せていた。でも元気そうなのは相変わらずで、ほっとする。
 私は家族とともに母方の実家に引っ越していた。竹林生い茂る田舎で、ここでならやり直せるのではという思いが皆にあったからだ。だからここで太陽と会うとは思ってもいなくて、これは夢なんじゃないかって目を疑った。
「な、なんで? なんでここにいるの?」
「偶然だ、偶然。俺親に勘当されたし、行く当てもねーから、ど田舎行って、農家の手伝いでもやろうかと思ってさ」
「それにしても…」
 唖然としている私を見て、太陽は真面目な顔つきになる。
「ばれたら、あんまりいい顔はされないだろうな、おまえの家族にも、…警察にも」

「…そうだね」
「俺さ、ずっと謝りたかったんだ。軽いノリでつき合わせちまったろ。このままじゃいけねえよなと思ってる矢先に捕まったから、後悔してたんだ」
 そんな太陽はすっかりしょげていて、私は唐突に、ああと思った。
 太陽も、普通の人だったんだなって。
 悪いことして平気でいられるほど、太陽も強くはなかったんだ。
「あんたに誘われて、やろうって気になれたのは私の意志だよ。それに、ちょっと楽しかったし、謝ることなんてない」
 私は首を振って、太陽を見上げた。
「お願いだから、そんな顔しないでよ。せっかく会えたんだよ? ねえ、嬉しくないの?」
 私の言葉に、太陽はまるで陽を受けて顔をあげるひまわりのように、徐々に顔を輝かせる。
「嬉しいけど、申し訳なくてさ」
「全く!」
 田舎の古臭い商店街の中。流行おくれの服がいつまでもショーウィンドウに飾ってある店の前で。
 私は太陽を力いっぱい、抱きしめた。

 私は平和と自由を愛している、ありふれたごく普通の女だ。特にとりえもない。
 だけど太陽といるときだけは、ちょっぴり普通じゃなくなっている。

「またふたりで、何かしない?」
「へっ!?」
 駅ビルのカフェでふたりしてチョコレートパフェを食べながら、私はスプーンを左右に振って見せた。
 太陽はパフェの中のバナナを頬張っているところで、危うくそれを吹きそうになる。
「おまえ、何言って…」
「ノンノン。勘違いしないでね。悪いことじゃないわよ」
 私はふふふと意味深な笑みをこぼす。
「でも、なんだっていきなり?」
「あんたと一緒にいるとね、何かやりたくなるのよ」
 そう。太陽の傍にいると、元気になれる。いつだってそうだった。
 人が空の上に浮かぶ太陽なしでは生きられないように、私もきっと、目の前の太陽なしでは、普通のまま、埋もれてしまう人間なのだろう。
 それをこいつに理解してほしいとは思っていない。私は私のためだけに、目の前の太陽を手放す気はないという気持ちをわかってもらうつもりはない。最初に会った時から予感はあった。これは私の問題なのだ。
 呆気に取られている太陽の口元のチョコレートを見つめながら、私は言った。


「それは理屈の問題でもないし、道徳の問題でもないのよ。感受性の問題だわ。第六感の」


 案の定、チョコを拭いもせず太陽はぽかんとした。
 いいのいいの。一生わからなくていいから、太陽、あんたは名前負けしない程度に、私をずっと、照らしていてよ。




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