Mystery Circle 作品置き場

松永 夏馬

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nightstalker

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Last update 2008年03月14日

無題 著者:松永夏馬



「こういうのを天邪鬼って言うんだよ」

「別にそんなんじゃねぇって」
 僕は苦笑しつつ生中のジョッキに口を付けた。黄金色の液体が波打つ。消えかけた泡がついた口元を拭うと、猫のように細めた好奇の目を眼鏡の奥から向ける同僚の城岡拓郎と再び目が合った。
「そんなわけねぇだろぉ。明らかにお前ら意識しあってるって。わざと避けてるだろお前ら。オレにはわかる!」
 自信満々に拓郎は頷く。彼の言い分では、僕と今年新入の娘が付き合ってるとか互いに気があるとか言うのだ。
「アレだろ? 社内恋愛だと周囲がうるさいから、隠してんだろ?」
「いや、別になんでもないんだって。知ってるだろ僕の好みはもっとこう……」
「みなまで言うなみなまで言うな」
 コイツ軽く酔ってるな。僕はバシバシと背中を叩かれながらそう思った。

 拓郎は営業成績も特筆すべき程ではないが、日本猫のような人懐っこい童顔と持ち前の明るさで友達が多い。イヤミな上司の相手もそつなくこなす。あまり社交的でない僕から見たら羨ましい性格なのだが、彼からしてみたら、真面目に仕事をこなす僕のストイックさが職場の女性ウケが良くて羨ましいのだそうだが、僕には冗談にすら聞えない。
 真面目さだけが取り柄だからな。好きな女の子には毎回「いい人だね」って言われてきたくらいだからな!

 話はズレたが僕と拓郎は性格は正反対でも親友だ。二人でちょくちょく酒を飲みに行くくらいね。ただ、友情というバランスは間に女性の存在が付加されると取扱が微妙に難しくなるもので。

 彼女の名は望月未来。今年短大を卒業してウチの庶務係に配属になった新入社員。彼女を、いや、彼女と僕が互いに意識しあっているのは拓郎の言う通りなのだが、僕と彼女の間にあるものはそういった可愛らしいものじゃない。むしろ……いや、それについては拓郎は完全に勘違いしているのだが、根本的に彼女のベクトルが向く先は城岡拓郎その人なのに本人が気づいていない。灯台下暗し、いや、ちょっと違うか。
 僕がなぜそんなことを知っているのかというのは置いといても、親友である拓郎にそれを教えないのは何故なのだろう。自分でもよくわからない。

 おそらく……面白くないからだろう。

 ********************

 未来は拓郎のことが好きなのだろう。これはこういったことに疎い僕が見てもわかる。いや、僕だからわかるのかもしれないが。
「で、だ」
 喉を鳴らしてビールを飲み干した拓郎は嬉しそうな顔で僕の顔を覗きこむと言った。
「彼女を誘った」
「彼女ってみ……望月さんか?」
「話の流れから他に誰もいないだろ」
「そりゃま、そうだ」
 僕は居酒屋の店員を呼び空になったビールジョッキをふたつ渡し、追加を頼む。
 拓郎はくくっと喉を鳴らして笑った。拓郎に誘われて未来は喜んだだろうな。あの娘はいい意味でも悪い意味でも純情だ。恋人と呼べた相手を少なくとも僕は他に知らない。
「向かいの店で待ってる」
 今日かよ。ビックリだよ。
「なんだ。そんじゃ早く行ってやれよ。なんで僕と飲んでるかな君は」
「は? お前だよお前。お前の為にお膳立てしてやったんじゃないか」
 その時の僕はどんな顔をしていたんだろうな。目が合った拓郎がギョッとして目が泳いだのがわかった。普段は物静かな僕の、複雑な感情が溢れ出す瞬間が見えたのだろう。
 僕は飛び出そうになる言葉をムリヤリ飲み込んでビールを一口飲むと、じろりと拓郎を睨みつけた。
「……彼女は拓郎が好きなんだよ」
「へ?」
 予想もしていなかったのだろうか。「なんでわかるんだ?」なんて訊かれなくて良かったが、あまりにも驚いた顔をしている拓郎に怒りさえ沸いてくる。
「望月さんは喜んだろうな。自分の片思いの相手に飲みに誘われたんだ。……で、その彼女の想いをお前はどうするつもりだ?」
「でも……お前だって彼女のこと……」
「だから、そんなんじゃないって言ってるだろ」

 拓郎はガタガタと椅子を鳴らして立ちあがると、雑に畳んであった上着を掴む。それでも戸惑ったように僕を見つめる。
「早く行けって」
 親友から顔を背け、僕はテーブルに並んだ肴に集中する。耳に拓郎の声が届いたが、内容までは意識して聞き取らなかった。

 拓郎がいなくなっただけで、騒がしい居酒屋の喧騒がやけに大人しくなったような気がする。僕はホッケの開きをつついてから、ポケットの手帳をめくり、少し端の破けた写真を眺めた。
 高校生になった日の僕と、小学生だった未来。

 この時は、まだ知らなかったんだよ。このくらいの時に教えてくれればまだマシだったような気がするよ。少なくとも、この頃は『近所の女の子』だったんだから。

 親父が浮気してできた子だったとはね。なんで僕らが大人になってからカミングアウトするかねクソ親父。

 ********************

 どういった感情なのかわからない。未来を好きだったのかな。兄妹なのにおかしな話だ。気持ち悪ぃ。

 一人でやけに長く飲んでいたような気がする。気がするわけじゃないか、もう終電間に合うかどうかってくらいだ。頭はぐるぐる回っているようだし、まっすぐ足が進まない。こんなに飲んだのは初めてだ。

 複雑だ。
 何がどうなのかも説明できない。ヘタすりゃ拓郎に「お兄さん」て呼ばれるかもしれないんだな。うわ、コイツは複雑だ。
 ふらつく体をいろんな場所で支えながらなんとか会計を済まし、店員の心配そうな声と共に僕は外へ出た。曇った夜空で星は見えない。明日は雨だろうかと思い顔を前に向ける。路地で黒猫が顔を洗っている。
 面白くない。

「……お兄ちゃん」

 聞き覚えのある声と耳慣れない言葉。僕は誰にも聞えないくらいの小さな舌打ちをした。

 気長に待っていてくれた客は、選りにも選って一番会いたくない相手だった




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