Mystery Circle 作品置き場

カラス

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nightstalker

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Last update 2007年10月07日

タイトルなし 著者:カラス


「どうですいい景色ですか?」
 助手席に乗っている遠藤がこぼした。
 フロントガラスを大粒の雨が殴りつけている。ひっきりなしに左右に踊るワイパー。延々と続く峠道。左右へと視線を走らせれば美しい山間の景色……が見えるはずだったのだが、それも今は適わない。今頃はきっと深緑で山々の草木たちが活気付く季節なのにもかかわらず。いや、正確に言うとすでに草木たちは活気付いている。ただ、悔しいかなこの豪雨がフィルターとなって我々の視界を遮っているのだ。
 山の天気は変わりやすいとよく言うが、この土砂降りの雨は季節外れの台風がもたらしたもので今朝からずっとこの調子なのだ。先ほど崩れた天候に文句を言うのならまだしも、峠道に入る前から悪天候だったのだ。
 それを彼は皮肉たっぷりに言ってのけているのだった。
「あのな。天気が悪いのはオレのせいじゃねぇっての」
 言ってもしょうがないことなのだ。それは判ってはいるのだが、悪いのは天気だけではなく、どうやら私の機嫌も芳しくないようだ。
「そんなことくらい判ってますよ。先輩はいつだってそうやって邪険にするんだから。こうやって休日でも顔を見合わせているこっちの身にもなってくださいよ」
「おいおい。君が付いて来たいって言い出したんじゃなかったか?」
 なんという自分勝手なヤツだ。自分で言い出しておいて人に責任を押し付けるとは。まあそれを承知で私はこの性格のひねくれた後輩と付き合っているわけだが、いつものことながら人を苛つかせるのは得意のようだ。
 付き合いだした頃はあまりの勝手さに呆れたものだが、慣れてくるとこれが意外と楽しい。平々凡々とストレスを溜めない生活を送りたいと人は言うが、私にはそういった刺激の無い人生は御免だ。尤もそれはまだ私が若いからかもしれないのだが。
 少々変わり者だと周囲から見られるような共通点が私たちを結び付けているのかもしれない。
「そりゃあそうですけど……あっ!」
「おっ。抜けたな」
 声を上げるのと同時に前方の視界が開けた。ようやくクネクネと蛇行した峠道を抜け、真っ直ぐな道を走れるのかと思うと、悪天候のおかげで重く圧し掛かっていた憂鬱も少しは和らぐというものだ。
 やや押さえ気味にしていたアクセルを踏み込む。車がぐんぐんとスピードを上げていくにつれ、私のテンションも上がっていく。
 私の表情は次第に生き生きとしていった。
 それにつられたのか、彼も笑顔だ。
「いやあ、やっぱりこういった直線をぶっ飛ばす時が一番楽しいですよねえ」
 先ほどまでのふくれっつらはどこへ忘れてきてしまったのだろうかと思うほど、遠藤の表情は晴れ晴れとしていた。
 私は鼻で笑うと、
「山の天気より変わりやすいのがあるんだぜ」
 彼は怪訝そうに首を傾げ、
「え? なんです、それ?」
「君の表情だ」
「先輩だって似たり寄ったりでしょう」
 相変わらず口の減らないヤツだ。
 それはそうと──打って変わって彼は真剣な表情で私に語りかける。
「やっぱりあのときの議論には納得いきませんよ」
 あのときの議論というのは他でもない。実は私たちは大学の同じサークルで昨日からとある知人の別荘に招かれ、そこで様々なことについて夜通し語り合ってきた。そのことを彼は言っているのだった。
 サークルといっても少人数で細々と運営しているちっぽけなもので、そう大袈裟なものでもないのだがこのメンバーというのが曲者揃いなのだ。
 私たちのサークルは仲良しグループの集まりではなかった。ある講義でグループを組んで決められたテーマに沿ってディスカッションをするというのがあった。主旨は議論というよりは意見交換を通じて他人の気持ちを理解するというものだったのだが、私たちの間にはそんな空気は微塵も流れなかった。他のグループが世間話を交えて冗談半分に会話をしているのに対し、私たちのグループ内には殺伐とした雰囲気があった。もちろんたかだか九十分で決着などつこうはずもないこの議論は延長戦に突入した。そういった経緯で私たちはいつのまにか集うようになった。それがいつしかサークルと呼び名を変えただけにすぎないのだ。
「ああ、確かテーマは『救いとは何か?』だったな」
「ええ、そうです。結論はあるようでなかったんですが、僕なりに纏めると『エゴ』というところに落ち着いたのではないかな、と思うんですが」
 そこで彼は一旦言葉を切った。しばらく耳たぶを弄びながら黙り込んでいる。手が耳たぶから離れると、
「これが腑に落ちないんです。何故かというと、まずエゴというのは外界からの情報に意味をつけることでしょう?
 つまり砂糖を舐めれば甘い。甘いのは味覚に障害がない限り誰でも同じ感覚を共有することは出来るけど、甘いという情報に意味をつける、つまり甘いから好きだとか嫌いだとか、そういった話だと解釈できますよね」
 そういって再び彼は話を区切った。今度は耳たぶを弄ぶわけでもなく前方を見ている。
 私に同意を求めているのだ。
「大雑把に言えばそういうことになるかな」
 私はタバコを一本取り出し火をつけると一服してから続ける。
「人は人以外にも救われることは多々あるわけさ。
 ペットなんてそのいい例だろう。君の話で喩えると甘党ならケーキを食べているときが救いなのだろうし、映画や音楽に癒されている人も多いわけだ。
 それが救いであるのかそうでないのか。それは全て自己の認識──つまりエゴだな──によるもの以外のなにものでもないってことだ。
 その対象が人であろうが物であろうが、そこに救いが介在するのならば、それが救いであるというわけだ」
 彼はすぐに反応を示す。
「でもそれってただの自己満足に過ぎないんじゃないですか?」
「そう。というかね、満足なんて全て自己満足なんだよ。
 君は自己満足に過ぎない、なんて捉え方をしているのかもしれないがな、それは皆そうじゃないのか。他人が満足しているのかどうかなんて、本当にその人になってみない限りそれは推測でしか語れないことなんだ」
 そこで私はもう一度紫煙を肺に送り込む。私がこうやってタバコを吸うのも満足の一端を担っているのだ。
 非喫煙派でも大きく分類すると容認派と否定派が存在する。どちらにしろ非喫煙者からすれば、喫煙者ほど愚かな存在はないのだろうと思う。所謂百害あって一利なしという理屈だ。
 さらに私は続ける。
「誰かを満足させてやろう、なんて思い上がりも甚だしい。結局は本人次第なのだから、極論でいえば他人がどうすることもそれは叶わない夢なんだよ」
 私はわざと挑発するような言葉を置いておいた。彼が何を思ってこの話題を掘り返したかの真意を知りたかったからなのかもしれない。
 彼はまた右手で耳たぶを弄んでいたが、ややあって口を開いた。
「先輩の言うとおりかもしれません。しれませんが……」
 話しながらも彼の右手は耳たぶから離れないでいる。彼が思考を巡らせているときの癖なのだ。
「やはりその他人が自分にとって大事な存在であれば、その人を満足させてあげたくなるのが人情ってもんでしょう?
 それを思い上がりも甚だしいなんて斬り捨てられたんじゃ、あまりにも思いやりの無い一言じゃないですか」
「なるほど。それは尤もな話だ。だがな」
 そこで私は左手の人差し指と中指に挟まれたタバコを彼の前に提示し──このタバコはどうだ?
 彼は黙って首を傾げた。
「タバコを吸いたい人は体に害を及ぼしているのを承知で吸っている。だが家族はその思いやりというもので喫煙者にタバコを止めさせようとすることは多々あるじゃないか」
「ええ、それが何か?」
「つまりこういうことさ──。
 そのタバコを止めさせたい人を妻、喫煙者を旦那と仮定するよ。旦那は体に害を及ぼすのを先刻承知の上だ。だが、妻は旦那の体を気遣って止めさせようとする。
 さあ、ここに二つのエゴがぶつかり合う様が見えるな?」
 私は彼が頷いたのを確認し、すっかり短くなってしまったタバコを揉み消すと、
「これは夫が自分中心に物事を考えていて、妻は夫の身を案じている図式だ。それはそれで間違っちゃいない、が時としてそれは夫が悪で妻が善のように世の中に認識されやすい。だが、それは大きな間違いなのさ。
 こういうと君は思うはずだ。旦那が悪なのは判るが、妻が善でないのは何故か、と。
 それは妻自身の愛というか情というか、先ほど君が言った思いやりにあたる部分。それがエゴだからさ。旦那が病気になると妻は悲しむわけだ。大袈裟に言うなればそれは不幸だ。
 言い換えれば夫の健康を思うことが、妻の救いに繋がる。救いを求めるがあまり、夫の喫煙といった救いを奪うことになる。
 矛盾していると思わないか?」
「身勝手なのは夫も妻もそれほど変わりはないということですよね。でもそれは健康を思っていることであって、長い目で見れば救いを奪うことにはならないんじゃないですか?」
 いや、そうでもない──私は切り返す。
「救いというのは必ずしも健康的で道徳的で人道的であるとは限らない。
 映画を観るのと同じさ。必ずしもアクション映画が好きでなければならない理由なんてどこにも存在しないだろう? 満足にしても同じさ」
「ううん……納得いかないなあ」
 彼は首をすぼめて唸っている。
 私は彼がこういった話で熱くなるのを知っていた。知っていたからこそ、彼をあえて挑発するような言葉を投げかけてみたのだ。彼のような人情を重視した考え方は嫌いではない。
「納得しなくてもいいのさ。
 ただ今オレが言ったことを忘れちゃいけない。納得しなくてもいい。だが君は先に挙げた例を知っておかなくてはならないのさ」
 彼はますます混乱したように表情を曇らせた。
「いいかい?
 そういったことを知って初めて思いやりという言葉を使うべきなんだ。
 オレが言いたいのは世の中、善と悪で割り切って考えちゃいけないってことなんだ。その境界線は曖昧でグレーであるべきなんだ。もちろんこれは客観的に観た場合。主観となると話は違ってくる。
 先の例え話でいうならば、夫と妻は世の中のグレーに線引きをすればいいじゃないか。その境界線は世論ではなく自分たちでしか決められないことなんだ。そしてその境界線こそがエゴなんだ。いくら多数の支持がある意見だとしてもそれを他人に押し付けたって押し付けられた方は理解に苦しむだろうさ。
 もっと簡単に言うとこうだ」
 そこで私は二本目のタバコに火を点けた。
「お互いの考えを言葉に出してじっくり話し合えばいい」
 少しばかり彼の表情は晴れてきていた。
「なるほど。そういって具体的に言ってもらえるとなんとなく判ります。
 つまり深いコミュニケーションの上でのみ、思いやりは成り立つ、そういうことですよね?」
 彼の理解力は高い。こういったところも嫌いではない。
「そう。喫煙者、禁煙者という枠だけである人物を語ることなんて誰にもできやしないし、してはいけないのさ。その程度の情報で人を救おうなんてことは」
 車は信号待ちでスピードを落とし、やがてゆっくりと停止した。
 私は彼の顔をじっくりと見据える、と私たちは同時に口を開いた。
「思い上がりも甚だしい」
 もうすでに彼の顔から疑問という名の仮面は剥がれていた。すっきりした様子で満足そうにしている。
 それと同調したかのように雨脚も弱まっていき、西の空の雲間から夕日が覗いていた。
 もしかしたらあの夕日も私たちの議論を雲の向こう側でこっそり盗み聞きしていたのかもしれない。そうなのだとしたら夕日は有害ガスを多量に排出している私たちの車を眺めながらこんな話をするだろうか。
「地球さん。車というタバコは止められないのですか?」
 私は助手席でいつの間にか眠りについていた後輩を横目に見た。彼の顔はとても幸せそうだ。
 視線を反対側に転じる。
 夕日はすっかりその顔を現した。その表情は助手席の遠藤と同じく幸せに微笑んでいるように見えたのはきっと気のせいなのだろう。
 微笑みは、いまの話を本気にする必要はないと語っていた






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