Mystery Circle 作品置き場

なずな

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nightstalker

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Last update 2008年03月15日

What A Wonderful World  著者:なずな



 ********


『人間に会った瞬間、叱責の幻聴が聞こえて来る・・という訳だ。』
黒猫が申します。

黒猫は、月夜の晩にやって来る 子猫の大事な友達でありました。

いつも子猫の もやもやとした色々な気持ちなどを
非常に上手い言葉で言い表してくれる 思慮深い友達でした。
一人っきりの、心通わす 優しい友達でした。

『 ・・・お・・おそらくは そういう言い方もできると思われる』
子猫は よくよく言葉を選び せいぜい賢そうに答えます。

『きみが 初めて拾われた時の話ですね。
拾い主のこどもが その母親に 酷く叱られて
泣く泣くきみを 元のところに戻した、というのは』


今でも 思い出すと 子猫は 身体が急に冷えていくような感じがします。
それは まだ 子猫が赤ん坊だった頃のことでありました。

 ─ 寒くて お腹がすいて なんだかとても心細かった。
小さな温かい手が しっかり 抱きしめてくれた。
温かなものにくるまれてそっおっと 運ばれて
着いた部屋は ほかほかおいしそうな いいにおいがした。

ふんわりとしたものに降ろされて 幸せってきっとこういう感触なのだ・・と
子猫は一寸 思ったものでありました。

 ─ だけど・・・次の瞬間 ものすごく 険しい声が降ってきた。

カミナリが鳴って 、ばたんばたんとトタンの屋根に打ち付ける
冷たい雨の音のような・・
強く激しい、 それは「にんげんの声」でありました。

罵り、謗られているのは 「こども」であったのか、子猫であったのか・・
突き刺すような「にんげんの声」。
そんな 恐ろしい「音」を聞きながら
自分が どんどんちっぽけになっていくように
子猫は感じたものでありました。


 ─ ありんこになって 砂粒になって 消えてなくなってしまう。
いなくなっても きっと 全然だあれも気がつきゃしない。



胸の辺りがきゅっと掴まれたようになり
一瞬で心が、硬く冷たくなるのが解りました。

叩きつけるようなことばの意味は全部は解らなかったのですが
自分は ここにいてはならないのだ・・と
それだけは 子猫にも はっきり伝わったのでありました。




子どもがしゃくりあげながら 歩くので
同じ道 戻り道 ひっくひっく と上下します。

─ 子どもの胸で 上に下にと 揺れるたび
繰り返し 誰かに言われているような気がしたよ



おまえは歓迎されない者だ。
おまえは いてはならない者だ。




消えなさい。


 ********








神足沙良のblogは 誰とも繋がらず、ひっそりと そこにあった。

詩とも夢の覚書ともつかない 何の説明もなく 綴られた 文面。
最近は 結末のない童話のようなものが
不定期にぽつりぽつり、UPされていた。

ユキトのblogの、気楽で他愛ない日記に
「管理人のみ閲覧OK」 のコメントが来なければ
そのblogの存在も 知ることはなかっただろう。
気軽に実名も公開し、コメントつけあっている学校仲間のblogの
リンクのどこにも それは 繋がってはいない。



『同じ時 同じ空を 私も見ていました・・綺麗でしたね』

沙良の席ははユキトと同じ窓際の列の 一番前だった。
沙良の整った横顔の、その目線の先の 空と雲・・
こっそり携帯で写真を撮って、文章を書き添えたのが
その日のユキトの日記だった。


能面・・学校では沙良は密かにそう呼ばれており
話しかけた誰もが 、そのあまりの無表情な対応に 会話を途中で引っ込める。
blogを介して言葉を交わすことがなければ
ユキトだって こんなに近づくこともなかったかもしれない。


 ◇




「要は 怪我した猫を 保護して医者に連れて行く、
一緒に 来てくれって話なんでしょ?」
「・・そう・・とも・・言う。」

放課後の教室。
昨夜の沙良からのメールでの相談は、
要約するとそういうことだった。
blogで綴る物語りの文章は けして短くないのに
メールとなると からきしダメで、
会話に至っては 植物とでも喋ってるようだ。
(植物と喋るとしたら・・だが)。

短文の羅列。要点不明確。加えて 無表情。



鼻の先ギリギリまで 顔を近づけてやったら沙良は
おどおどと視線を外し 後ずさる。

これでも かなりの進歩だよな・・ユキトは思う。
初めて喋った時の沙良の顔は 今でも印象に鮮やかだ。
無表情・・・いや 感情を出すのを恐れているようだった。

コメントの付け合いから メールでのやり取りになり
やっと 話をするようになった。

文字だけで繋がっていた相手。
正面から見せることのなかった顔。
教室ではほとんど聞けない沙良の声。

リアルで向き合うと 懐かしいような 気恥ずかしいような 不思議な感じ。



 ◇



猫は警戒して,身体を傾け、茂みからこちらを伺っていた。


沙良はしゃがみ込み、目線で その猫をユキトに示す。
「ほら、鼻の先、 怪我」

「名前呼んでも 来ない?おなじみさんなんじゃないの 神足の」

「名前・・・ない」

「何年も ずっと見てきたんじゃなかったっけ?」
「じゅ・・十年・・くらい・・かな」

名前も呼ばずに のら猫を見守ってきたなんて なんか神足らしいや・・
おずおずと不器用に猫に呼びかける沙良の横顔を見ながら ユキトは思う。

「呼んでみたい名前なら・・あった」

「何?」

「・・・ノエル」

聞き取れないくらい小さな声で 沙良が言った。
独り言のような 言い方だった。

10年前のクリスマスの頃 、
生まれたてだったこの猫と出会ったのだ・・と沙良は 言う。


「連れて帰って 酷く怒られた? 飼っちゃだめって・・。」

沙良の綴る物語の 文面を 思い出していた。
だとしたら・・厳しく叱られて 傷ついたというのは
子猫というよりは 神足自身なんじゃないか・・


ヒトが苦手なのは 沙良の方だ。
冷たく無表情な顔のその裏は 臆病で人見知りな少女。
こころの中に言葉をたくさん 抱え込んでいる少女。

ユキトは いつも物語の文面を繰り返し読みながら
主人公の猫を沙良自身に重ねた。







「・・・・会った瞬間 叱責の幻聴って?」

猫を脅かさないように そっと見守りながら ユキトは沙良の背中に聞いてみる。
人を見るときの沙良の酷くおびえた表情と その後の無表情。
沙良に重ねあわすと それはやけにしっくりいく。

沙良の作る物語には 沙良のこころが映る。
ユキトはそれを 読み取りたくて いつも 沙良の書く文章を繰り返し読んだ。

夕焼けはとっくに消え、早々と藍色の闇が広がっていた。
そばにぽつんと一つある小さな街灯が 沙良の髪を照らす。
闇に浮かび上がる白い横顔はどきりとする程 静かで寂しい。

「他人に会った時 何か聞こえるの?誰かに責められてる気がするの?」
気に掛かっていたことを 一気に口にしてしまう。


「しーっ、逃げちゃう」

沙良の答えはなく
猫は 身を翻し 一瞬のうちに 姿を消した。


 ********






『そして愚直なまでに、失われた時への哀惜を叫び続ける・・』

黒猫が目を細めながらつぶやきます。
冴え冴えとした空気に 星が綺麗な夜でありました。

子猫は 答える代わりにふうっと息を吐きます。
黒猫の言葉は難しくて 子猫にはよく解らないこともありますが
その 音楽のようなことばを 聞くのが また 子猫の楽しみでもありました。
子猫の吐いた息は 冷たい空気の中 白く透明になって
ふわふわ昇ってゆきました。

遠く 近く・・
捨て犬の遠吠えだけが 空に染み入るように響いておりました。
悲しげに。切なげに。
子猫はぶるりと震えます。寒いわけではありません。



『野良ってのは 悲しむべきものなのかしら』

『温かい寝床、美味しい食事。
それ以上に家族として扱われた記憶
捨てられた者にとっては ・・・忘れられない事なんでしょうね』

『にんげんと住む・・って そんなに いいことなの?』

『さあてね。だが キミはまだ若い。
差し伸べられる手があるならば
それに頼ってみるのも ひとつかもしれませんよ』


ぴょんと飛び上がる。
黒猫も飛ぶ。
つたたっと走る。立ち止まる。
黒猫も 走る。立ち止まる。

お月様の優しい光の中で、 ひとしきり 子猫と黒猫は 戯れるのでした。



 ********




猫は2日目に あっさり捕まえることができた。
「なんだ、案外 人懐っこいじゃん」
ユキトの胸にすっぽりと抱かれ、その猫は逃げる様子もない。

「ノエルっていうより・・・」

ユキトは赤ん坊を「高い高い」するみたいに 抱き上げ
猫をしげしげ観察して言った。
赤っぽい明るい茶色。 眉毛と口ひげの位置にちょうど白い毛。
コートを羽織ったみたいに お腹のあたりが白く、足先もみんな白かった。
「サンタさん・・って感じじゃない?ぷぷっ 何か愛嬌あるじゃん コイツ」

「ノエル?・・・サンタ・・?」
沙良も 猫を抱き上げて 呼びかけた。
「サンタ」で、猫が みゃあ・・と返事をしたので
「サンタで決まりだね」
ユキトが言うと 沙良は頷いて、静かに微笑んだ。



「飼うの?神足 。たいした怪我じゃなさそうだけど、まず医者連れてく?
確か 駅の西側だっけ?・・あったよね、動物病院。
あの辺ってさ、イルミネーションとかツリーとか、華やかだったよな、この時期。」

「駅前・・・」
沙良がはっきり解るくらい びくっと身体を堅くした。

驚いて後ろ姿に声をかける。小刻みな揺れ。
「神足?」



蒼白な顔。
息が速く、足はがくがく震えている。

「私・・私ね・・」

何かをユキトに 必死で話そうとしているのは解ったが 言葉が出ない。
 ─こんな 表情の神足は 初めて見た・・・





「神足。何?気分悪いの?」





 ********




おとうさんが 猫がきらいなのわかってて
こんな のら猫ひろってくるなんてね

かえって来ないのは あんたのせいだ
なんて ひどい こども

わたしの くるしみが わからないんだ
それとも わかってて わざと やってるの

なんて つめたい こども



こびた目つきしないでちょうだい
ああ、いやだ


だらしない格好するんじゃないの
恥ずかしい


きちんとしなさい


きちんとしなさい





だれにも うしろ指なんか ささせない



 ********



沙良の様子が普通じゃなかったので 猫はユキトが連れて帰った。

明日 神足に会って、行けるようなら 一緒に動物病院に行こう。
それにしても・・・膝の猫を撫ぜながら ユキトはパソコンの画面を見つめた。

さっき UPされた沙良のblogは 確かそんな文面だった。
いつもの物語の続きでもなく 、ひどく 唐突なのが 気になった。

いつの間にか その記事も削除されていた。



傷ついた こども。
ひりひりするような傷跡。

他人に触られるともっと痛む・・と、
包帯巻こうとした手を振りほどき、逃げ去るように
その記事は ひっそりと消えていた。

クリスマスの頃 あの猫と出会って 飼うこともできず
「ノエル」と呼ぶことさえ あきらめてしまった・・。

神足は あの時 少しだけ「 自分」を語ろうとしてくれたのではないか・・。
受け止め切れない自分、沙良の気持ちを読み取れない 自分が
ただ情けなく嫌になる。


沙良のblog自体が すっかり消えてしまうのではないか
 ─ 語ることをあきらめないで・・・
ユキトは祈るような気持ちで 沙良のblogを読み返す。





「サンタ、預かってるよ。先に医者に診せに行っとこうか?」
「子猫と黒猫の話の続きが 聞きたいな」

携帯は切ってあり、メールを送っても 返事は来なかった。


 ◇


次の日も その次の日も 沙良は学校に来ない。
連絡もとれない。

せめて 神足の望んだようにしてやろう・・ユキトは思う。

 ─ 神足がコイツを飼うにしても 公園に戻すにしても・・
(僕が引き取るとしても)
神足の家から近い方がいいだろう

ユキトは 沙良の家があると聞いた駅まで行き
駅前の動物病院に サンタを連れて行った。

 ─ 帰りに 神足の家に寄ってみよう。

化膿止めの塗り薬をもらい、動物病院を出る。
駅前は賑やかで 華やかで 道行く人たちも 何となくうきうきしている様に見える。
クリスマスの飾りつけいっぱいのショーウィンドウ。
サンタ服でクリスマスケーキの予約を呼びかけるケーキ屋の店員。
電飾のついた街路樹。ロータリーの巨大なツリー。

ファスナーを半分空けたままの スポーツバッグの中で
サンタはずっと大人しく 外の様子を覗っていた。
綺麗な金色の目に きらきら電飾が映り込んでいた。



 ◇

 ・・・何故か 一瞬沙良の姿に見えた。




すれ違ったのは真っ赤な口紅の中年の女性。
「駅西口のマリーさん」・・・ふざけた名前をつけて
クラスメイトが噂していた女性だ。

冬だというのに 薄手のワンピースで 素足。
真っ赤な口紅は 少しはみ出していて 髪は乱れ 目は遠くを見ている。

帰宅するサラリーマンの腕を次々掴み
「お帰りなさい」「お帰りなさい あなた」
繰り返しているのが 遠くからでも見て取れた。


 ・・・何故か 一瞬沙良の姿に見えた。






「おっ、ユキトじゃないか、何してるの?
お前の家って 市外じゃなかったっけ?」

いきなり肩をたたかれ 振り返る。
クラスメイトで体育会系の橘 輝明だった。

 ─ そういえば 橘も このあたりの中学出身だっけ

「最近 うちの学校のヤツ見かけるんだよな。『駅西口の』・・何だっけ。
ほんと 阿呆な野次馬ばっか・・・」
橘は 赤い口紅の女性を遠巻きに眺める人たちをちらりと見、舌うちする。

腕を掴まれて 驚いて振り払う男性に なおしがみ付く 女。


「あ、それとも お前 知ってて来たの?
最近 神足と・・親しいみたいだし・・」

ユキトが言葉の意味を解らないのに気づき 橘 輝明は少し困った顔をした。

「あれ、神足の母親。
昔はえらくキツくてさ。神足が能面みたくなっちゃったのも 、そのせいかなって・・。
最近 やっと離婚決まったみたいでさ。
そしたら今度は急にあんなになっちまったらしい。」

顎で 「マリーさん」を示しながら 橘は 申し訳なさそうに続け、
小学校時代から 娘に異常なほど厳しかったという神足の母親のことを話してくれた。

「能面って・・オレ等もからかった時あってさ・・・・。」

橘は俯きがちに過去の話をし、ユキトのバッグから顔を出した猫を見て驚いた顔をした。
「コイツって あそこの公園の猫?」
「うん。怪我しててさ、神足が医者に診せたいって言ったから・・」



「ふうん・・もしかしたら、こいつって あの時の猫なのかもしれない。」

橘はバッグから出たサンタの頭をちょんちょんと撫でて 話しを続けた。

「ちょうどこんな時期だったなぁ・・サンタクロースの話で盛り上がりながら
友達とわいわい騒いで歩いてたら 神足、見かけてさ・・」

子猫を抱いて 沙良が泣きながら歩いていたのだという。
切なそうで 辛そうで 、浮き足立ってた子ども達も 一瞬言葉を失った。

「クリスマスも サンタクロースも関係なく
悲しい人がいるんだな・・なんてガキなりに思ってさ。
能面・・って面と向かって苛めるヤツもだんだんいなくなった。」



駅前の騒ぎがザラザラした古い無声映画を観るようで
ユキトからどんどん 遠ざかっていくように 思えた。

立ちすくんでいるユキトの目に、
周囲に頭を下げながら、母親の腕を取り連れて行く
沙良の姿が映った。








動けなかった。
ただ、動けなかったんだ。



立ち去る前のほんの一瞬、沙良が ユキトと橘を見た。


能面。

沙良の目は 何も語っていなかった。

脳天気なクリスマスソングだけが 駅前の商店街から響いていた。




 ********


『黒猫は いなくなりました。

もはや 死んでしまったのかもしれません。


子猫は 語る言葉を失いました。


冬の朝の空は冴え渡り

捨て犬の 遠吠えだけが 響きわたっておりました。


子猫はの足元にはぼんやりとした影が映ります。


猫のかたちの淡い影は 子猫をただ 不安にさせるだけでした。』



 ********


何日もたって、やっと更新された沙良のblogはこんな風だった。
家に訪ねて行っても 誰も出ず、学校にも来ない。

 ─ ごめん、声をかけるタイミングを逃しただけなんだ・・
そんな言い訳を 沙良が喜ぶとも思えず
ユキトが見ていたことを 沙良がどう思ったのかを確かめる術もなかった。


家の誰も喜ばない歳になってるというのに 母親が飾ったクリスマスツリーを
ユキトはため息混じりに見る。
きらきら揺れる ツリーの飾りに サンタがじゃれついて遊んでいる。

ユキトはノートパソコンの画面を長い間見つめていたが
パタンと音を立てて閉じ ぐるりと首を回し 少しの間目を閉じて考えていた。
サンタが ユキトの膝に飛び乗って来たのが 重みで解る。
目を開けると 鼻を寄せてきて ユキトの顔をペロリとなめた。



ユキトは 雪の結晶を模ったクリスマスの飾りを一つ取り、
手の平に載せ眺める。
小さい頃 これを飾り付けるのが好きだったな。

─クリスマスも サンタクロースも関係なく 悲しい人がいるんだな・・
橘の声と しょんぼりした小学生の男の子たちが目に浮かぶ。
子猫を抱いて 泣きながら歩く沙良の姿が浮かぶ。



ユキトは 猫のサンタの首にリボンを巻いて
 ’雪の結晶’を きゅっと結わえ付ける。

「付いてきて」
きょとんとするサンタをバッグに入れ、
赤い実の形のオーナメントも外してポケットに入れ
ユキトは自転車で 数駅先の沙良の家に向かった。




チャイムを押しても 玄関ドアをたたいても 何の反応もない。
きっと、いるはずだ・・・高めのブロック塀の向こう、
見上げた2階の窓に黄色い小さな明かりが灯り、
ゆらりと動くものが見えた。


「にゃあ・・・」

サンタが急にバッグから飛び降り、その窓近くの塀にスタッと飛び乗ると
窓に向かって にゃあにゃあ 鳴き始めた。

窓がほんの少し開いた。
隙間から沙良は サンタを見下ろし ユキトに気がついた。




「あわてんぼうのサンタクロースだよ。まだ早いって 追い返す?」

ポケットの赤い実を自分の鼻のところにかざし、
「赤鼻のトナカイも いるんだけど・・そこ 行ってもいいかな?」


沙良は静かに肯いた。


 ◇


暗い部屋にサイドテーブルの上の小さい明かりだけ点け、
沙良はずっとひとりで 座っていただけだ・・と言った。

壁に 沙良の形の黒い影が映る。

「小さい頃からずっと私の話し相手だったの。私の友達・・ 私の『黒猫』」

すうっと白い指で指し示す。
影の沙良も 同じように揺れた。



上手く表現できない気持ちを 言葉にし
共感して見守ってくれる 黒い友達
 ・・・それは まさに 沙良自身の「影」だったのだ。

それさえも 虚しくなってしまった。
影も、もう 沙良を 優しく見つめない。





「僕はさ・・神足の童話の中、気持ちの中で、
僕が、あの『黒猫』だったらな・・って 思ってた。
だから 納得いかなかったな。いきなり死んだかも・・なんて」

「にゃあ」

サンタが沙良の前で甘えた声を出す。
ユキトが沙良の膝にそっと乗せてやると
気持ちよさそうに のどを鳴らし、目を細めた。

「神足のこと好きなんだよなぁ・・サンタはさ」
沙良の膝の上で満足そうなサンタをユキトがちょいっと小突く。


沙良が膝のサンタに頬を寄せる。
沙良の影も 影の猫に頬を寄せる。

「・・・ほんとはね 、うちのだれも猫嫌いなわけじゃないかったの。
解ってた。何か理由がないと 立ってられなかったんだ・・うちのお母さん。」

沙良はサンタを撫ぜ、その手つきに 戸惑いが消える頃
やっと 少しずつ 語り始めた。





「プライドだけが支えだったのよね、だから 急にあんなに壊れちゃった・・。」

沙良は天を仰ぐように顔を上げ 目を瞑る。
影も静かに 首を伸ばし 上を見上げる。
やっと 心のうちを 言葉にできた・・そんな安堵のようなものが 静かに伝わる。



「神足。今、お母さんと・・二人で暮らしてるの?」
間抜けな質問の言葉しか浮かばなかった。
物知りで語彙の多い「黒猫」には 自分があまりに役不足なのを
ユキトはしみじみ実感する。

「いつも あんな風な訳じゃないの。
前よりずっと穏かだし 私は楽・・」
影の肩のあたりが 少し堅くなったように見えた。


「上手く言えないんだけど・・」
ユキトは 言うべき言葉を探す。
もやもやした自分の想いを言葉に変えるのは 「自分」しかいない。
きっと・・そうだ。




「一人で背負い込まないで 少しは僕なんかもさ・・
あてにして欲しいんだけどな。

何ができるか 本当言ってよく解らないけど。
あっ・・周りのヤツら・・橘とかだって その・・
何ていうのかな、きっと・・・」

言いたい事がぐちゃぐちゃになって ユキトは口ごもる。



「影と話すより いいことって きっとあると思う。
絶対に そう 思う。」


沙良は 静かにユキトの方に顔を向け笑った。

何かがゆっくり融け出すような そんな微笑み方だった 。








 ********



黒猫は 去る前の夜、 ぽつりと言いました。

『僕は もう君と話せない』


『どこかへ行くの?
ひとりにしないで。
あの 捨て犬みたいに ひとりぼっちにしないで。』

子猫は 言いました。不安で不安で 押しつぶれそうでありました。



『大丈夫。 ボクは きっと キミのそばにいる。』
黒猫は優しく続けます。

『差し伸べられる手に 頼ってみるのも また いいって
この前にも、きみに 言ったでしょ?』



『それでも 寂しかったら?寂しかったら?黒猫?』
子猫が聞きましたが、黒猫は静かに首を横に振るだけでした。




次の朝 探しても見つからない黒猫のことを思って
子猫がぼんやりしておりますと

にんげんが近づいてきて 手を差し延べました。

『一緒にいるよ。大丈夫だよ。
おいで。


いいことって・・ きっとあるよ。』




それは 初めて聞く、 安心するような「にんげんの声」でした。
温かさと優しさにが じんわり身体の奥まで 広がって
この「幸せな気持ち」をもう一度 信じてみよう・・
子猫はそう 思ったのでありました。






暖かい冬の日。
柔らかな日差しに照らされて「にんげん」と子猫は 遊びます。

ぴょんと飛び上がる。「にんげん」も飛ぶ。
つたたっと走る。立ち止まる。
「にんげん」も 走る。立ち止まる。

ひとしきり 子猫は「にんげん」と戯れるのでした。




子猫は 足元の猫の形の影を見ます。
『黒猫?』

足元の影は子猫よりも少しだけ大きくて 真っ黒で
まるで あの黒猫のようでした。

『ちゃんと そばにいるって 言ったでしょう?』
黒猫が そう言ったように思えました。




お日様の光に照らされて「にんげん」と子猫と、子猫の黒い影は 遊びます。

ぴょんと飛び上がる。「にんげん」も飛ぶ。子猫の影もぴょんと飛ぶ。
つたたっと走る。立ち止まる。
「にんげん」も 走る。立ち止まる。
子猫の影も走る。立ち止まる。





『メリークリスマス』



「にんげん」はそう言って 子猫を抱きしめてくれました。
きっと もう 寂しくない。
もう 寂しくない。

子猫は 心から思います。






『メリー クリスマス 』







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