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Last update 2008年03月15日

ヘテロ  著者:空蝉八尋



 会った瞬間、叱責の幻聴が聞こえてきた。
 俺の脳内を蝕み、そして侵食していく心地よい幻聴。
 それはいつしか現実へと変化し、狂わせる。
「ねぇ、ちゃんとご飯食べてる? ちょ、聞いてるのっ!?」
 電話ごしに叫ばれるノイズの混じった声でなく、生身の響き。
 それがこんなにも心地よいものだなんて知らなかったんだ。
「ねーえー! 聞いてる?」
「ウン」
 にっこり微笑んで見つめ返すと、呆れた視線を投げかけられた。
「心配してたんだからねっ、ホント。電話繋がらないしぃ、アド変してるしぃ」
 毒々しい原色のマニキュアで染め上げた爪を、ライトに反射させながら指を折り呟く。
「久しぶりに会えたと思ったら、涼ってばこんなに痩せちゃってるし」
「んー……食べること忘れてた」
「馬鹿でしょ」
 勝手に手首を捕まれ、渋い顔で出っぱった骨をなぞられる。
 チャラリ。
 ジーンズのポケットについた鋲が、ジャンパーの携帯とぶつかって音をたてた。
 無意識に足を身じろいだからだった。
「このまま痩せて痩せて、骨になっちゃったらどうすんの」
 真面目な顔をしたかと思うと、馬鹿らしい空想の花を咲かせられる。
 それに水をさしてやれるほどに、俺も暇でしょうがなかった。
「綾が長いお箸で拾ってくれるもん」
「うっわ、絶対イヤ……」 

 伏せた瞳。黒く縁取られ、何かの魔除けのようで。
「涼さぁ、あたしのCD借りっぱじゃないー?」
 どうして栗色にしてしまったんだろう、俺は綾の真っ黒な髪が好きだった。
「お気に入りだったやつ。覚えてる? 林檎と黒電話のジャケットで」
 もう今は、俺と目を合わせなくなったんだね。

「綾」

 ふいに名を呼ばれ、綾は煩く動いていた唇を結んだ。
 橙色の間接照明のせいで、視界が明るく霞む。コーヒーの匂いが体の芯まで酔わせる。
 悪酔いしそうだ。
「なぁに?」
 彼女は、いとも簡単に返事をしてのけた。
「ねぇ、どうして」



「どうして、俺たち会ってるの?」



 その質問は、まるで綾の鏡を割るような言葉だった。
 それでも彼女は崩れない。むしろ不敵な笑みを零して答える。
「涼が心配だったんだもん」
「心配? どうして」
「そりゃ……連絡つかないし、涼の生活適応能力、ゼロに近いし」
 やっぱり、視線は俯かせたままなんだね。
 俺は小さく空気を吸い込む。

「見捨てればいいじゃない、俺なんか」

 瞬間、稲妻が走ったように目線がぶつかる。
「だめッ!」
 張り上げた高い声に、三つ離れたテーブルで新聞を読んでいた紳士が顔を上げる。
 綾は紅潮した頬を両手で押さえながら、恥ずかしそうにまた浮かせた腰を椅子に下ろした。
「ふーん……駄目なんだ」
 ゴミ箱にポイって、遠くから投げ入れればいいじゃない
「だめだよ」
 いつまでその言葉を繰り返すの
「見捨てられないよ」
 壊れたおもちゃみたいだね


「涼が……好き、だから」


 変わらなかった俺の表情に、ひとつの感情が現れる。
 喜びでもない、悲しみでもない、憂いでもなく、安堵でもなかった。
「涼が好きなの。悪い?」
 逆に綾は、自分の感情を表側に出さないよう、必死で踏ん張っている。
 噛み締めた下唇が、花が咲いたように赤く滲んでいた。 
「…………好きになったの」
 潤んだ両目が、俺を捕らえた。
 切なく乞う哀願。


 また別の瞬間から俺は この瞬間を待ち望んでいたのかもしれない 

「これこそ」
 綾のノースリーブでむきだしになった肩がビクリと震えた。
「これこそ、だめだよ」
 口元に笑みが浮かぶのを堪えきれない。
 俺ってこんなに嫌な奴だったんだ。俺ってこんなに歪んだ奴だったんだ。
 嬉しくて仕方がない。綾にこう投げつけるのが。






「だって、女同士なんだから」



 あの日俺が綾に突きつけられた言葉を、また同じように突き返すこの刹那。
 痛みにもよく似た快感が走り抜ける。
 あの日俺が打ちのめされて飲み込まれ、溺れた言葉をまた綾に叩き付ける。
 嗚呼、なんて美麗なこの一枚の画。

「涼……ごめんなさい」
「何で謝るの?」
 綾がヴァイオリンのBGMに消え入るほどに小さな声で言った。
 俺は軟骨まで及んだ幾つものピアスを指先でもてあそんでいる。
 湿気の中でも天に向かって逆立った髪の毛先が、入り口からの微風で一時、わずかに揺れた。
「ごめんなさい」
 嗚呼。
 俺はこの言葉が、彼女にとっては謝りの意味でないことに気付いた。
 繰り返される一節は、壊れたラジカセに似ている。
「ごめんなさい」
 狂わせていく幻聴みたいだ。

 愛してる、と。

 愛していると囁く代わりに繰り返される、綾のラプソディ。
 炭酸水のような破裂音と共に、身体の芯が溶けていく。
 どうすることも出来ないもどかしさとジレンマ。
「ごめんなさい……もう、会わないから」
 そして愚直なまでに、失われた時への哀惜を叫び続ける。
「何で? また会おうよ」
「無理に決まってるでしょ! こんな風に振られた相手とまた会うなん……て……」
 綾は食い入るような視線で俺を見た。
 あっ、と口を動かし、恐ろしいものでも見るような眼だ。


 俺は会ったわけだしね。


 黙りこくってしまった綾に、俺は感情を殺した声で言い放つ。
「組み合わせられないパズルは、一緒に飾っておいちゃ駄目なの?」
 世界はそれを嫌う。
 どうしてだろう、俺はそんな不一致が好きなのに。
 それでも世界は完璧にかみ合って、完成されるパズルが好きだ。
 どうしてだろう、完成してしまったらつまらないのに。

 崩すしか、また遊ぶ術はないのに。



「また此処で会おう。林檎と黒電話のジャケット、俺の部屋で見覚えあるから」
 口から勝手な戯言が流れ出る。釘で打って止めておきたいくらいに耳障りだった。
 放心している綾を残し、俺は伝票を持って席を立つ。
「外、雨降ってるよ。傘ある?」
 無言で首を横に振った綾の手に、俺は立て掛けておいた自分の黒い傘を握らせる。
「またね」
「…………また、ね」
 ドアに吊るされたベルを鳴らし、鼻をくすぐっていたコーヒーの香りが消えた。
 代わって漂うのは、黒い煙と湿った雲の匂い。 
 目の前で俺自身が、降りしきる雨に打たれて道路を歩いているように見えた。
 しかし確かに今、自分の足でアスファルトを踏みしめている。
 なのにどうして自分の背中が見えるのだろう。 

 歯車の止まりかけた思考は動かず、鈍く軋んだだけ。 


「俺って誰なんだろう」

 何なんだろう、じゃなく、一体誰なの。

 そいつはまさに影だった。
 俺の中で影だったものが俺に成りすまし、今度は俺が影になる番なのかもしれない。




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