Mystery Circle 作品置き場

night_stalker

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Last update 2008年03月15日

The Earth Light  著者:night_stalker



 画像の荒いモニター越しに、リョウの姿と出逢った瞬間、どこからともなく叱責の幻聴が聞こえてきた。
 何しろ、今は危険だからと止める事もせずに、彼の行動を勧めてしまったのは、間違い無く自分だと判っているからだ。
 簡易で、しかも違法の機械で電波を送っている以上、これ以上の画像は望めない。 ましてや今は、この空の上では、目に見えない妨害電波が飛び交っている筈だ。
 だがそれが判っても、背後で見ている彼女の為には、少しでも良い映像で彼を見せてやりたい。 そう願っても、それが無理な事が判っている以上、僕の胸は激しく痛んだ。
「やぁ、優介。 今日も元気か?」 いつもの彼の声が聞こえる。
 僕はただ、「あぁ」と答えておいて、「彼女に代わる」と、いつものパターン。 後はただ、電波の接触が途切れるまで、彼女が彼と会話をするのを、邪魔しないだけだった。
 僕は、相棒のミトンを連れて、なるべく音を立てないように作業を進める。 リョウの声こそ聞こえないが、彼と会話をするマーシュの声は、時々風に乗って僕等の耳にも届いた。
 だが、それはまるで、空を羽ばたく鳥の羽音のようなもので、僕の耳に届く頃には、すっかり言葉の意味は成さなかった。 ただ微かに、お互いに残された時間を惜しむかのような響きが、そこにあったような気はした。

「今回も、無理だったって」
 マーシュは、僕とは視線を合わせずにそう言った。
 彼女もまた、僕に対して気まずい思いを抱いているのだろう。 まるで僕達は、同じ罪を背負った同士の、共犯者みたいではないか。
「そっか・・・」
 僕は気の無い言葉を返して、その次に出て来るいつもの言葉を飲み込んだ。 毎日繰り返される言葉のやり取りの中に、一つでも現実になった希望はあるのだろうか。 僕は今この瞬間に、無責任に希望的観測を言うのは、今後はなるべくしないように心掛けようと思った。
「後、一週間やねぇ」
 僕はそう言って、空を見上げる。 そこには、肉眼でもはっきりと判るぐらいに、リョウのいる場所が、ずれて行ってしまっているのが確認出来た。
 僕が視線を戻すと、マーシュもまた、空を見上げていた。 僕はしばらく、工具を握ったまま、空の向こうのコロニーを見上げる彼女の横顔を眺めた。
 彼女の、短い栗毛が風になびく。 小さい頃から知っているのに、最近になって初めて、彼女を素直に綺麗だと思えるようになった。
 少しして、「じゃあ、私、もう行くね」と、哀しそうに微笑む彼女に、僕はただ一言、「また明日」とだけ、声を掛けた。
 僕は再び工具を持ち直すと、目の前にある鉄骨のボルトに取り掛かる。 横では、自分の胴体からプラグを伸ばし、旧世代のやり方よろしく、キーボードを叩きながら計算式に取り組む相棒のミトンが、「マーシュさぁん、まぁたあぁぁしたぁ」と、間延びした声を掛ける。
 マーシュは、少し離れた丘の上の車の前で、もう一度こちらを振り向き、手を振った。 僕は軽く手を上げると、これはもうぐずぐずしていられないなと、大きな焦りを感じ始めていた。

 翌日は、雨だった。 僕は、人工的に降らせる雨ならば、しばらくは降らせないで欲しかったな・・・と、愚痴った。
 僕が、蒸れる雨合羽を着込んでの作業に辟易する頃、いつもと同じ時刻に、マーシュの車が姿を現した。
 彼女は、普段は着ないような大人しい感じのワンピース姿で、傘を差しながら、車から降り立った。
「もう、そんな時間か」 僕が空を見上げると、降水用の細いベルトが邪魔しながらも、向こうのコロニーの目印となる、赤いタワーが目に入って来た。
 僕は、車のトランクスペースを開く。 そして、モニターの電源を入れると、無線機の周波数を合わせに入る。
 それらしき画像が荒いノイズと共に現れる頃に、背後でマーシュの、湿った土を踏み締める靴音が聞こえて来た。
「おはよう、優ちゃん」 もう、おはようなんて時間でも無いのだが、彼女はいつもそう挨拶する。
「今日はねぇ、サンドイッチ作って来たんだよ。 もしもお弁当持って来てないのなら、どう?」
 そう言ってマーシュは僕に、オレンジ色した、ハンカチに包まれた弁当箱を渡す。
「Thank you」 僕はそれを受け取って、ダイアルを固定する。
 僕は、ワゴンの後部座席に乗り込むと、鬱陶しい雨合羽を脱ぎ捨てる。 後でまた、これを着なくてはならないかと思うと、少々恨めしい。
 少し遅れて、マーシュも乗り込んで来た。 僕は、まだちょっと昼には早いが、早速その包みを開け始める。
「ねぇ、優ちゃん、今朝のニュースは?」
「あぁ、見た。 向こうかこっちか、下手したら打ち落とされるらしいな」 そう言って僕は、一つ目のサンドイッチを口に頬張る。
 今は、どっちが落ちても悲惨だ。 これだけ近い距離。 手を伸ばせば、届きそうなぐらいに近い距離にいて、例えどちらが落とされても、それは目の前で繰り広げられる惨劇だ。 良くまぁ、これだけ近いコロニーを作っておいて、友好国だとか媚を売りながら、戦争になったら手の平返すようなやり方が出来るものだと、感心してしまう。
 突然、無線機から、甲高いブザーが鳴り出した。 僕は二つ目のサンドイッチを箱に戻し車から飛び降りると、後ろへと回った。
 ノイズが強くなる。 そしてしばらく経つと、次第にノイズに、リョウらしき声が紛れ込んで来る。
「聞こえるか?」 鮮明な声を拾った瞬間、こちらもそれに返答する。
「聞こえとるよ。 そっちも雨降っとるんか?」
 そして、リョウの映像が飛び込んで来る。 目に見えずとも、やはり噂通り二つのコロニーは離れ始めている。 日に日に、映像も音声も荒くなって来ている。
「ちょっとだけ、そっちのお流れが来てるな。 やぁ、優介。 今日も元気か?」 いつもの彼の声が聞こえた。
 そして僕は、いつもの通りに、「あぁ」とだけ返して、マーシュへと代わる。
 マーシュは、傘を差したままモニターに向かった。 僕が再び車の後部座席へと乗り込む頃、ようやくマーシュは、彼氏の名前を呼んでいた。
 僕は無言で、彼女が作ったサンドイッチを頬張る。 リクライニングシートの向こうから、彼女の声が聞こえる。
「うん・・・うん・・・大丈夫だよ。 チャーミも元気。 今朝も早朝から、ミルクくれってベッドに飛び乗って来たし」
 次第に、マーシュは涙声になって来た。 これはもう、僕が聞いてはいけない話だと思い、最後の一つのサンドイッチは無理矢理口に詰め込んだまま、合羽の上着を掴むと、車から降りた。
 地面は、嫌と言う程にぬかるんでいる。 今時、このコロニーの上にいて、舗装されていない地面は珍しい。 まぁ、尤もこんな荒れた土地だからこそ、僕程度の人間が激安で借りられるのだが。
 僕は、ぬかるんだ地面に点在する水溜りを避けながら、「縦穴」へと向かって行く。 「やぐら」は出来た。 後は、徹底した計算とメンテナンスだけだった。
 背後で、マーシュの声が聞こえた。 帰って来てよ・・・。 僕の耳には、はっきりとそう聞こえた。

 翌日は、嫌になる程の晴天だった。
 このコロニーには、四季が無い。 いや、簡単に言うと、そう言うイベントを作れない構造になっているらしかった。
 従って、年中気温はほぼ一定。 地球ではもうすぐクリスマスだと言うのに、ここでは年中、初夏の陽気だ。
 どうでもいいが、こんな状況で二つのコロニーが離れるか、片方が落ちるかしたら、それこそ今度は夜も来ない。 二つの小さな惑星のようなコロニーが、代わる代わるに日陰を作っているお陰で、夜っぽい時間帯を作り上げているのだ。 その片方が欠けてしまったら、今度は年中白夜になってしまう。
 向こうでは、いつものように、モニター越しの悲しい逢瀬が行われていた。
 流石に今日は、マーシュもTシャツで来たらしい。 昨日降り続いた雨で、どこもかしこも蒸し暑い。 特にここは、まだ相当にぬかるんでいる土の地面だ。 黙っていても、汗が出る。
「おい、ミトン。 この発射角で、この数値ってのは有り得ないんちゃうか? 打ち上げるもんは、そんなにヤワちゃうんやぞ」
 僕がそう言うと、もう随分と長い付き合いになる相棒は、「そぉれぇぇぇでいいのでぇす」と、いつもの間延びした返事が返る。 別にミトンは、ワザとやっている訳では無い。 もう既に、容量一杯の中を改良して、どんどん新しいソフトを載せているからこその、「必然的間延び」なのだ。 これでも昔は、早口で会話していたものだ。 例えアンドロイドだとしても、上手く喋れない事に対しては、きっと歯痒く思っているに違い無い。
「ねぇ、ゆぅぅぅすけ」 ミトンは、話を続ける。
 僕は、「何や?」と返すと、ミトンは少し小声になって、とんでもない事を言い出した。
「まぁぁぁしゅさぁん、妊娠しぃているねぇぇぇ」
 僕はそれを聞いて、少し擦り落ちた眼鏡を、指で押し上げた。
「マジかよ・・・」

「やぁ、優介。 今日も元気か?」 いつもの彼の挨拶である。
 だが今日は、それを無視した。 代わりに僕は、リョウに質問を投げ掛ける。
「お前の好きなものは何や?」
 リョウは、面食らった顔をした。 そして、質問の意図が判らないと返して来たので、じゃあ、好きな動物とか、好きな車とか、何か無いかと返した。
「何だよ急に。 もうすぐクリスマスだから、何かプレゼントでもくれるのか?」 リョウは笑う。 久し振りの、友人の笑顔だった。
「そんなもんや。 とにかく教えろ。 何でもいいから」
 僕が急かすと、彼は、「猫」と答えた。 それを聞いて、横からカメラに割り込むマーシュが、「猫ならチャーミがいるじゃない」と笑う。
「もっと欲しいの? 猫」
「あぁ、そうだな。 もっともっと、エサ代だけで困り果ててしまうぐらいがいいな」 リョウはそう言って、無邪気に笑った。
 マーシュは笑う。 僕も笑う。 久し振りに、三人で笑える場面だった。
 そんな場面を、この僕が提供出来た事は、普段あまり面白みの無い僕としては、かなり上出来じゃないかと思った。

 良い事は続いた。 昨日の笑いが、何かを呼び込んだとしか思えなかった。
「聞け、優介! 隣には、マーシュもいるのか?」 リョウは、凄い勢いでまくし立てた。
 僕とマーシュは、狭いながらも同時にカメラに映るように立った。 そこでリョウは、「チケットを手に入れた」と、その現物を持って叫んだ。
「帰れる! 帰れるぞ、俺は! しかも、明日だ! ギリギリだったが、何とか俺は帰れるぞ!」
 突然マーシュは、両手で顔を覆って泣き始めた。 こんな事は不慣れな僕だが、幼馴染の特権とばかりに、彼女の肩に手を廻す。
 マーシュは、僕の白衣を握り締め、今度は本格的に大声で泣き始めた。 釣られて僕の涙腺も緩くなると、モニターの向こうでは、リョウも泣いていた。
「明後日のクリスマスは、三人で祝えるぞ! なぁ、マーシュ!」 リョウは、マーシュに話し掛ける。
「それは、僕も入っとるんか?」 僕は、軽く皮肉を言う。
「当たり前だろう! 三人って言ったら、他に誰がいるんだ?」
 僕はマーシュの背中を軽く叩き、「言ってやれよ」と小声で呟く。
 マーシュは、照れながらも泣くのは止められないようで、泣き笑いな顔になりながらも、ゆっくりと慎重に、その事実をリョウに打ち明けた。
「優ちゃんも来るなら、四人だよ。 ちっちゃいけど、ここにもう一人いるんだ」
 次に、顔を覆って泣き崩れたのは、リョウの方だった。
 僕は両手を白衣のポケットに仕舞い込んだまま、未だ作業に没頭している相棒の元へと歩いて行った。 相棒は、そんな事態の好転には目もくれず、ただ黙々と計算作業を続けている。
「よう、相棒。 どうやらこれ全部、無駄に終わっちゃったみたいだぞ」
 僕がそう言うと、「わぁたしは、四人にふくまぁれていないのぉぉぉで、かんけぇいあぁりません」と、ひねくれながら皮肉を言った。

 翌日。 もう完全にやる気が無くなった僕は、遅くなりながらも、いつもの現場へと到着した。
 そろそろいつもの無線の交信の時間になるのだが、いつもの場所に、マーシュの車の姿は無かった。
 当然である。 彼女は、リョウを迎えにターミナルへと行ったのだ。
「なぁ、相棒。 これを撤去するのは相当面倒だと思わないか?」
 僕がそう言うと、相棒は、「まぁぁぁあ、のぉぉぉんびりいぃぃぃきましょぉぉぉお」と、いつも以上に間延びして返す。 これはきっと、わざとだ。
 僕は、あくせくと撤去をするには気が乗らず、車のサンルーフを全開にして、空に浮かぶ隣国のコロニーを眺める。
 先月までは、パスポートすらも必要無く気分次第で気軽に行けた場所なのに、今では通信手段すら無い敵戦国になってしまっている事に、あらためて驚く。
 今日も、嫌味なほどに良い天気だった。 少しだけ眠気が襲って来る中、次第に、いつもリョウが目印としていた赤いタワーが見えて来る。 戦時中だと言うのに、今の僕は、すこぶる平和だった。
 そろそろ、マーシュが迎えに行ったターミナルでは、最初の客が着いている事だろう。
 コロニー同士、一番近い距離のターミナルでは、「チューブ」と呼ばれる磁気の線路が、非常に短時間で開通される。 そのチューブを通って、乗客を乗せたカプセルが運ばれる。
 時間的には、ほんの数分。 だが、その数分であっても、今回の突然の戦争によって帰れなくなった国民は、お互いのコロニーで相当数に登ると言う。
 だから、リョウはまだ運がいい。 その、「たった数分」の乗客になれたのだから。
 僕は、開けた窓から入る涼しげな風に吹かれるままに、そっと目を閉じた。 こうしていると、とてもとても、戦争が始まった国にいるとは思えない。 小さいボリュームでラジオから流れる曲は、もしかしたら、今地球で流行ってる曲なのだろうかと考えながら、少しずつ眠りに落ちて行く感覚に身を任せた。
 背後では、相棒のミトンが車を降り、意味も無く後ろの無線機をいじっているようだった。
 無駄だよ、相棒。 その無線機は、リョウの持った違法携帯電話にしか繋がらない・・・と、思った瞬間だった。

 いつもの呼び出し音が鳴り出した。 リョウが、僕を呼ぶ合図だ。
 僕はいっぺんに目が覚めて、車のトランクスペースへと走る。
 僕がダイアルをひねると、一発で周波数が合致した。
「リョウ・・・済まない」 そこには、いつものリョウの顔があった。 だがそれは、昨日とは打って変わった、悔し涙の顔だった。
「済まない、リョウ。 俺・・・バカやっちまった」
「何でお前がそこにおんのや、ボケぇ!」 僕は、自分では気付かない内に怒鳴っていた。
 モニターの向こうの友人は、僕に済まない、マーシュに済まないと詫びながら、結局、全くその真相を語る事無く、ただひたすら泣き顔を見せながら、電波は途切れた。
 見上げると、友人のいる世界が、空に浮かんでいた。 手を伸ばせば、本当に届きそうな場所に、その星はあった。
 風が吹く。 もう既に水は乾き、僕の周りには、茶色い土埃が舞っていた。
 僕は意を決し、車へと戻ると、もはや普段着となった白衣を掴む。 「縦穴」の方を見ると、もう既に相棒は、商売道具を担ぎながら、そっちへと向かっていた。
「作戦続行」
 僕は呟くと、白衣の袖に腕を通しながら、穴へと向かって行った。

 このコロニーには、本当の意味での夜は無い。 ただ、夜と定められた時間になると、向こう側にあるコロニーが太陽光を遮断し、更に、コロニーを取り巻くような軌道に浮かぶフィルターが、その遮断の手伝いをするだけである。
 従って、深夜と言えども、地球のような闇は無い。 ただ、ひたすらに、「日陰」なだけだ。
 そんな中途半端な深夜に僕が家に帰り付くと、そこにはマーシュの車があった。
 僕が車を降り立つと、彼女も車を降りて来る。 言う事は判っている。 リョウが来なかったと言う事だ。
 マーシュは、大きなクマの縫いぐるみを持って、僕の家に入って来た。 相棒は、黙って珈琲を淹れてくれた。
「リョウは、ね。 小さな女の子に、チケットあげちゃったんだって」
 マーシュは、話し出した。
「私がターミナルに行って、彼の乗るカプセルまで行って、彼の座っている筈の席を見たの。 そうしたらそこには、全然違う人がいた。 小さな女の子の手を引く、おとなしそうなお父さんだった・・・」
 リョウは、目の前で泣く女の子を見たのだろう。 マーシュの話では、向こうのターミナルで、その親子は離れ離れになる瞬間だったらしい。
 チケットを持っているのは、その女の子とお母さんだけ。 お父さんは、戦争が終わったら必ず帰るから・・・と、泣きじゃくる女の子をなだめていたのだろう。
「その女の子は言ったの。 私のお父さんに、押し付けるようにチケットと縫いぐるみを渡して、代わりに行けって、怒鳴ったんだって」
 そう言って、マーシュは泣き出した。
 いかにも、リョウらしいと思った。 僕は、クマの縫いぐるみのリボンに挟んだ、マーシュ宛ての手紙を抜き取る。
 中には、たった一言の、愛の言葉を綴った葉書が一枚。 そして、彼の自国で許可した、マーシュとの婚姻届。 彼が、危険を侵してまで許可を貰いに行った、命懸けの宝物だった。

 玄関を出て行くマーシュの後姿に、僕は声を掛けた。
「明日、必ず来いよ」 マーシュは、無言で頷く。
「マーシュ。 明日はいつもよりも、一時間早く来てくれ。 それから、頼みが二つある」
 マーシュは、なぁにと言ったような表情で、首を傾げる。 そして、泣き腫らした瞼のまま、無理矢理に笑顔を作る。
「明日だけは、ジーンズパンツで来てくれ。 それから、家の鍵は絶対に忘れない事」
 マーシュは、一瞬きょとんとしたが、すぐに、うんと頷いた。
「明日は、一緒にクリスマスを祝おうね。 三人・・・いえ、ミトンも来てね。 四人で仲良くやりましょう」
 そう言ってマーシュは、車の前で手を振った。
 僕と相棒は、玄関から先へと出る事もせず、ただ無言で、手を上げるばかりだった。

「完璧だろうな?」
「かぁあんぺきなんてぇぇぇえなぁぁぁい」
 僕達は、「縦穴」の前で、お互いの不安を押し殺そうとしながら、お互いを罵りあっていた。
「失敗が許される状況か!?」
「やぁれる事は、やったぁぁぁよぉ」
 背後に、足音が聞こえる。 振り向くと、上下デニムのマーシュが立っていた。
「やぁ、マーシュ。 やっぱマーシュは、そう言う格好の方が似合うねんなぁ」
 僕が言うと、マーシュは昔ながらの笑顔で、はにかむ。
「良し。 じゃあ、君達の、家の鍵を渡してもらおう。 後は、何か言い残す事はあるか?」 僕は、矢継ぎ早に言う。
 マーシュは僕に鍵を手渡すと、「何事? もしかして、死刑宣告?」と、笑う。
「そんなもんや。 時間が無い、早くこれ着て。 そんで背中にこれ背負って」
 僕はそう言って、マーシュに、ツナギのスーツを手渡した。
「何をするの?」 流石にマーシュも、声高に質問をする。
「大した事や無い」 僕は、「縦穴」の方に向かいながら返答する。
「あっちのコロニーまで、ジャンプするだけや」
 僕は、空を指差した。

 スーツを着込んだマーシュと僕は、「縦穴」の内部に設置した、工業用の簡易式エレベーターに乗って、穴を降りて行く。
「やる事は簡単や。 カウントダウンの合図で発射したら、数秒後にブザーが鳴る。 そうしたら、何も考えんと、目の前にあるボタンを押す」
「そして、もう一度ブザーが鳴ったら、ドアーを開けて、今度は自力で飛び上がれ・・・ってのね」
「上出来」
「本気で言ってるのよね?」
「本気かどうかは、もうすぐ判る」
「でも、何でロケットなのよ?」
「知らんのか? 宇宙へと飛び出す時は、ロケットってのが男のロマンなんや」
「真面目に」
「・・・双方の国の法律で、機械を原動力とする乗り物で、コロニーの上空を飛んだら、犯罪なんや」
 僕はそう言って、肩をすくめる。
「うわ・・・本当にパチンコな訳?」 マーシュは、その装置の単純な部分を見て、呆れた声を上げる。
「心配無い。 計算上ではバッチリや。 ちゃんと、発射の際の衝撃も考慮されとる」
「ううん、そうじゃなくて・・・」 マーシュは、一旦言葉を切る。
「今の世で、こんな事考えるの、優ちゃんしかいないよな・・・と、感心したの」
 そう言って、マーシュは笑う。
「全く・・・ずっとこんな荒地で変な事してるから、一体何かと思ってったら・・・」
「まぁ、保険みたいなもんやったから、何も言わんでいたんや」
 僕はそう言って、照れ隠しにあごの辺りを掻く。
「言い残す事は?」 僕は腕時計を見ながらそう聞いた。
 マーシュは、ちょっとだけ考え込んで、そして言った。
「まぁ、チャーミのお世話は、言わなくてもしてくれるだろうけど・・・。
 後は、付けっ放しのパソコンの電源落としておいて。 それから、今夜やる筈だったパーティーのご馳走があるから、優ちゃん頑張って平らげて」
「ご馳走だけならええんけどな。 ケーキも豪勢やったら、たまらんなぁ」
 僕達は、お互いの顔を見て笑った。
 そして、数秒の後、マーシュは黙って、僕にキスをくれた。 それは、僕の人生の中で、生涯三度目のマーシュからのキスだった。
「・・・ありがとう。 優ちゃん」
「うん、気ぃ付けて」
「でも・・・もしも失敗したら、どうするの?」
「簡単や。 デカいケーキを、二人で食うハメになるだけ」

 僕と相棒は、埃っぽい地上で、カウントダウンを聞いていた。
 開発中止となった荒野で、一見無意味な穴の前で、僕達は実に不釣合いなビーチパラソルの日陰の中にいた。
 白いテーブルの上に置かれたモニターには、ヘルメット越しに、緊張した顔のマーシュの顔が見えていた。
 秒読みが進み、カウントゼロになる直前に、マーシュは軽く、モニターに手を振って見せた。 そしてモニターは、激しく揺れた。
 案外、ゴムが原動力の発射音は静かなものだった。 マーシュは、「シュン」と言う音と共に、物凄い勢いで、空へと飛び上がった。
「いっけぇぇぇぇぇ~~~っ!」
 僕は思わず立ち上がり、空へと向かって吼えた。
「マァイクに向かぁってぇ、言ぃぃぃえばいいのぉにぃぃぃ」 隣では相棒が、至極尤もな突っ込みを入れる。
 少し遅れて、ビーチパラソルがバタバタと風に煽られる。 思いっきり土埃が舞い上がり、ちょっとだけ目に厳しいが、そんな事はどうでも良かった。
 モニターから、ブザーの音が聞こえた。 僕は、望遠鏡を覗き込みながら、ちゃんとボタンは押せたかと、相棒に聞いた。
 望遠鏡の中でも、それはしっかりと、切り離しが確認出来た。 第二ロケットは圧縮空気。 玩具の発想だと、笑わば笑え。 どんな方法であっても、向こうまで飛べれば僕等の勝ちだ。
 どんどん、モニターの画像は荒くなって来る。 次のブザー音が聞こえる前に、マーシュは何か言ったような気がしたが、それは僕の耳には届かなかった。
 モニターから、マーシュの姿が消えた。 望遠鏡を覗くと、そこには、今まさに第二ロケットを蹴って、自力で空へと飛び立つマーシュの姿が見えた。
「行け・・・行け・・・行け・・・行ってくれ。 どんな不恰好でもえぇわ。 向こうの重力にまで辿り着ければ、それでえぇんや」
 マーシュの身体が、空へと舞っていた。 背を後ろへと剃らせ、彼女は天を見据えながら、その身体は空を泳ぐ魚のように見えた。
 それはまるで水に浮かぶ木の葉のようで、ただ静止しているのか、それとも流れに任せているのか、時折り軽くきりもみを繰り返しながら、彼女は天に向かっていた。
 そしてしばらく経ち、ふとマーシュの姿が、突然にこちらへと振り返った。
 一瞬、「無理だったか」と思った。 僕は思わず、望遠鏡にしがみついた。

 次の瞬間、マーシュは僕に向かって、両手を振った。 いや、彼女は、両手どころか全身で、「バイバイ」をしていた。
 どんどん、望遠鏡のピントがずれる。 間違いなかった。 マーシュは、向こうの重力を掴まえたのだ。
 何度も何度も投げキッスをくれながら、両手両足を振り続け、ずっとずっと落下しながら、「さようなら」のモーション。 今までずっと、僕の近くにいて当然だった存在が、遥か向こうの世界へと飛んで行く。
「行けぇ~~~っ! 落っこちろ~っ! そのままリョウの所まで、落っこちて行ってまえ~~~っ!」
 隣では相棒が、小声でうるさいと罵る。
 僕の両目は、そろそろ彼女の姿を追えなくなって来る。 どれだけピントを調節しても、溢れ出る靄は消えなかった。
 そしてマーシュの姿は風景の一部と重なり、こことは正反対の、薄暗いだけの夜の世界へと溶け込んで行った。

 直後。 時間は定時刻。 車の中で、呼び出し音が鳴る。 僕は無線機に飛び付く。
 映し出されたモニターには、「やぁ、優介。 実は今日で、この無線での通信も終わりだと思うんだ」 と、実に呑気なリョウがいた。
「うっさいわい、アホぉ! いいから黙って空を見ろ!」 僕は、彼の反論を許さない勢いで怒鳴った。
「今からお前に、お望み通りのプレゼントを贈る。 そろそろ現われる筈や。 お前の好きな、猫の絵が見ぃへんか?」
 モニターの向こうでは、口を半開きにしながら、空を見上げるリョウがいた。
 しばらくして、リョウは言う。
「何、あれ・・・猫? 灰色の猫って・・・チャーミの顔じゃん。 ヘタクソだけど」
「うるさいわい」
「あれは・・・何だ? パラシュート? 何が乗って・・・」
 そこまで言って、リョウはこちらを向く。
「メリークリスマス。 えぇから早よう拾いに行けや。 そっちの風向きなんか、全く考慮に入れてへんのやからな」
「あれは・・・彼女なのか?」
「知るか! 自分で確かめぇよ! お前が昨日、小さな女の子の為に手放した、大事なモンがあそこにあんのや! どんな理由であれ、今度手放したら、お前なんぞ絶交や!」
 少しの間、リョウは僕の顔を見つめ、それから一言、「メリークリスマス」と共にクサい台詞を吐いた後、彼は自分の意思で、無線を切った。
 結局、僕が彼を見るのは、その日が最後になった。
 人との別れは、案外突然なものだなと、僕はしみじみ思った。

 翌朝、僕が空を見上げると、相変わらずそこには、敵国のコロニーが浮かんでいた。
 だがやはり、いつもの時刻になっても、無線機は全くの無反応だった。
 その日の僕達の仕事は、散らばったロケットのパーツの回収と、「縦穴」と、「やぐら」の撤去。 もしかしたら、軍警察とかに捕まるかとも思ったが、全くそんな雰囲気も無い、平和な日だった。
 辟易したのは、彼女が作ったケーキの大きさが、僕の予想を上回った事。
 そしてその日から、僕の家には、猫のチャーミが家族の一員になった。

 結局、僕達を巻き込んだ戦争は意外と長く、終結したのはそれから七年後。 コロニーはどちらも打ち落とされる事も無く、今に至った。
 そして、その後の二人がどうなったのかも判らない向こうのコロニーは、「チューブ」どころでは間に合わない程遠くになってしまっていた。
 ――― 人は、愚直なまでに、失われた時への哀惜を叫び続ける。
 徒労だと判っていても、そうせずにはいられない自分がいるからなのだろう。
 結局、たかが自国のプライドだけで、一体幾人の時間が、無駄に費やされた事なのだろうか。
 ようやく、地球光の白夜から解放されつつある空を見上げながら、果たして数年前のあの日に、どれだけ数多くの想いが、この空へと木霊したのかと、僕は少々感傷的な気分になった。


「どう思う? 相棒」
「さぁ。 どこかの中継衛星で、引っ掛かってたんじゃないの?」
「まるで、喉に刺さった魚の骨やな。 これなら、葉書で送った方が、よっぽど早かったんちゃうか」
「事前に届けば、用は済むだろ。 ガタガタ言わないで早く行こうよ」
 最近、コアを取り出して、ソフト、ハード総入れ替えを果たした相棒は、意外なまでに強い。 どうやら、今まで上手く喋れなかった事の腹癒せのようだ。
 今回の論点は、衛星を通じて送られて来た電子メールが、とんでもなく遅かった事。 お陰で僕は、寝癖を直すどころか、一張羅のスーツを着る暇さえ無かった。
「あ~あ~あ~。 その寝癖と、その白衣で充分。 それが一番、アンタらしいよ」
 僕は相棒が放った皮肉を、苦笑いで返した。
 引き出しを開けて、形の違う、二種類の家の鍵を取り出す。 片方はポケットに入れて、もう片方は手に持って・・・。
 出て行こうとする僕の足に、数匹の子猫がまとわりつく。 はいはい、いい子と、脇に除けると、子猫はコロコロと転がるように走って行く。 全部、チャーミの子供だ。 やれやれ、まだまだしばらく彼女は現役らしいなと、僕はぼやく。 どうでもいいが、どこまで家族を増やすつもりなのか。
 なんとなく、いつだったか友人が、餌代に困るぐらい猫が欲しいと言った言葉を思い出す。 賑やかなのは微笑ましいが、総合的にはそんなにいいものでは無いなと、僕は思った。
「早ぅしてぇな、相棒。 もたもたしてると、シャトルが到着してまうぞ」
 僕が玄関先で叫ぶと、ミトンは子供用のお菓子の袋をぶら下げて現われた。
「私がメールチェックしてなかったら、今よりももっと遅れたと思うけどね」
「はいはい。 そりゃあまさに、アンタのお陰やね」
 玄関のドアーを開けると、そこはいつもの、初夏の陽気だった。
 チリンチリンとベルの音が鳴り、玄関のドアーが閉まる。 車へと向かう騒々しい二人の声が、抜けるように青い空へと吸い込まれて行った。



 子猫が二匹、窓辺へとよじ登る。
 窓の外では、今まさに、一台のワゴンが庭から飛び出して行った所だった。
 少しだけ開いた窓から風が吹き込み、薄手のカーテンを揺らす。 揺れるカーテンの下には、電源を入れたままのパソコン。
 遅れに遅れて届いたメール。 返信しようとして、無駄な事に気付き、一行目だけ書き込まれて終わってしまったままの返事。
 開かれた添付の写真には、両手に一人ずつ、小さな子供を抱く父親。 そして隣には、女の子と手を繋ぐ母親の姿があった。
 窓辺へと登った子猫を探しに来た母猫のチャーミが、椅子からちょっとだけ背伸びをして、そのモニターを覗く。
 果たしてチャーミが、そこに何かの面影を見付けたのかどうかまでは判らない。 ただ、写真に写った、そのあふれ出る笑顔は、七年の時と、遥かなる空を飛び越えて来たものだった。




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