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Last update 2008年03月15日

4コマ風イージーリーディング

『カズヤの異常な通常 ~またはナオは如何にして心配するのを止めてカレーを食するようになったか~』  著者:ヤグタケ


 それを口に含んだとき、カズヤの表情は一変した。
 反省した彼は声を出せないまま、ただナオの手首を握り締める。
「どうした?」
 すんでのところで一口目を制止され、ナオは眉根を寄せてカズヤを見据えた。だが、彼は目元に微かな涙をためたまま、それに答えようとはしない。左手に持ったコップから、満たされた水をちょびちょびとすするだけである。
「だ、騙したな、ナオ……」
 二杯ほど消費したところで、ようやく落ち着いたらしい。カズヤは動悸に合わせて強く短く呼吸を繰り返し、息も絶え絶えに言葉をつむいだ。
「この『インド屋特製・グリーンカレー』……。ものすごく、カラいじゃないか。……くそっ、甘く見た俺が、バカだった」
「そりゃあ、カレーを『甘く』見る奴は、バカか味覚障害のいずれかだろう」
「そういう意味じゃあ、ない」

 *

 ここは、カレー専門の飲食店『インド屋』。
 駅前通りの二つ目の信号を右に曲がってすぐの場所に、小ぢんまりと、だが異彩を放って建っているのがそれである。
 中身も外見に負けず劣らず、小ぢんまりとしていて、かつ異様としか言いようがない。四メートル四方ほどの広さしかない店内には――おそらく、インドを主張したいのだろう――オレンジ、白、緑からなる横じまの国旗やら、赤を基調としたオシャレな一枚布やらが、特に規則もなく雑多に飾られている。流されているのは、独特な音色の打楽器からなるアジア系のヒーリングミュージック。
 しかしこれらは、明らかに『インド』ではなく『インドっぽさ』が主張されていた。

 さて、このようないかにも怪しいお店を訪れる客というのは、たいてい三種類に分けることが出来る。
 物好きか、興味本位か、もしくは無知、に。

 そして今現在、カウンター寄り窓側の席を陣取っているただ二人の客は、それらのうちの『物好き』にあたった。

 *

「ナオ、一つ質問だ」
 先に口を開いたのは、カズヤ。一見すると中学生に見えてしまうほどの童顔が、今では有無を言わせぬほどの厳しいものになっている。
「なんだ? 身長の伸ばしかた以外なら答えてやるぞ」
 一方、テーブルを挟んだ向かい側のナオは、どこ吹く風とばかりに平然としていた。長い黒髪が映えるほどに姿勢を正して座り、切れ長の目で微かに笑みを作りつつカズヤを見据えている。
「身長なんかどうでもいい……いや、よくないけど今は置いておく。それより、『レッドカレーは危険。イエローカレーは注意。グリーンカレーは安全。だから、グリーンカレーはカラくない』とかいうバカな理屈をこねて、俺を騙した奴は誰だか覚えているか?」
「なんと、そんな理屈に騙されるやつがいるのか! きっとそいつは、イチゴなども実が赤く熟す前に食べてしまう物好きなのだろうな」
 淡々としたナオの返答。カズヤは大きく息を吸い込んで。
「……お前の顔を、血で赤く染めてやろうか?」

 *

「もう一度聞く。グリーンカレーはカラくないと、うそぶいていた奴は誰だ?」
 カズヤが左手をきつく握り、表情に険しさを増す。それでもナオは、慌てた様子もなく「むぅ」と思案し、
「私の記憶が確かならば、カズヤの目の前にいる、見目麗しい人物がそんなことを言っていた気がする」
 言い放った。
 カズヤの右頬がピクリと引きつる。
「ほほぅ。だが、俺の目の前に『見目麗しい』人物なんて、見当たらないんだが。それとも、あれか? 厨房にいる、ターバン巻いたおっさんのことを言っているのか? 確かにある意味、見目麗しいぞ? ヒゲの生え具合とか」
 互いに一歩も引かないまま、視線だけが衝突する。
 そして十秒ほど睨み合ったのち、ナオが微かに笑んだ。
「なるほど」
「……なんだよ」
「いや、カズヤという生き物はカラいものを食べると、味覚障害だけでなく『美』覚障害にも陥るのか、と思ってね。よし、忘れないうちにメモしておこう」
「な、殴りてぇ」

 *

「なぁ、ナオ。知っての通り、俺は女を殴る趣味はない。ということで、今すぐ性転換手術を受ける気はないか? そうすれば、お前のことを思いっきり殴れるんだが」
「ならば、カズヤがその手術を受ければいいだろう。女が女を殴ったところで、世間からは何も言われん。まったく、なんでも人に頼ろうとするその思考回路は、感心できないな」
 テーブルで向かい合いながら、カップルが一緒にカレーを食べている。
 傍から見ればただそれだけの光景なのだが、その場の空気はまるで火薬のような危うさがあった。
「……お前さ、毎日思っているんだけど、夜道を一人で歩いて通り魔に襲われる気とかってない? 人払いでも何でもして、影ながら協力するからさ」
「ふむ。そして私が華麗に通り魔を倒し、警察から表彰されるというわけか。実に心ひかれる提案だな。だが、断る。大切な親友が、通り魔の仲間として逮捕されるのを見るのは、あまりにも忍びない」
 無表情のナオと、引きつった笑みのカズヤ。
 二人はそのまま、数分ほどにらみ合い――やがて、ナオが頬を少し赤らめた。
「ちなみにさっきのは、『華麗に』を『カレー』とかけてみたんだが、気づいてもらえたか?」
「……うわぁ、気づきたくなかった」

 *

 先ほどまでの険悪さはどこへやら。カズヤはすっかり毒気を抜かれてしまったようで、力なくテーブルに突っ伏している。
 その後頭部をため息混じりに見下ろしながら、ナオは自らのグリーンカレーをすくいあげた。
 スプーンの先に盛られるのは黄緑の物体。
「しかしながら、それほどまでにカライのか?」
「カラい」
 いまだ突っ伏したまま、カズヤはただ一言だけ答える。
 ナオは一度「ふむ」と頷いて――次の瞬間には、それを口に含んでいた。
「なっ」
 上体を起こし、あんぐりと大口を開けるカズヤ。その前では、ナオがもぐもぐと食を進めている。さらに彼女は、こともなげにそれを嚥下すると、休むことなく二口目をすくいだした。
「え? あ、あの、ナオさん?」
「なんだ。カズヤが騒ぐから身構えていたが、それほどカラくはないな」
「えぇっ?」
「まぁ、たしかに多少はピリッとくるが、その後はココナッツミルクの甘さが広がって、美味いだろ、これは」
 それからも、彼女は苦もなく三口目、四口目と食事を運んでいく。
 カズヤは、ただ呆けた顔でそれを眺めていたが、やがて合点がいったように頷いた。
「えっと……お前、バカか味覚障害だろ」

 *

 ナオの右眉がピクリと動いた。もう一度だけカレーを口にし、おどけた様子で答える。
「そうか? 私が思うに、単にカズヤがカラいの苦手なだけじゃないのか? まったく、子どもっぽいのは外見だけにしろ」
「はん。そもそもだな、カラいのを美味しいと思う人種がいるということが、俺には理解できないんだ。知ってるか? 辛味ってのは舌に刺激を与えているだけであって、味じゃないんだぞ」
「生理学的には、な。だが、文化的にも社会的にも、いまや辛味は重要な味覚の一つだ」
 間髪いれずにナオが指摘するが、カズヤはなおも皮肉気に笑う。
「悪いが、俺はナオのような頭でっかちの文化人でもなければ、そこらにいる歯車でしかない社会人でもないんでね。辛味は味として認めなくて当然なの」
「ほほぅ」
 対し、ナオの方もカズヤの表情に合わせて、皮肉に笑み返すのだった。
「つまりお前は、生理学的な人間でしかないわけだな。辛味どころか、人間味すらないとは、味気無い奴め」

 *

「……もういい。それより、このカレー。マジでどうしよう。なんかターバンのおっさんが、残すなって視線でこっち睨んでいるんだけど……。あの手に持っている包丁は、何に使うんだろうなぁ。俺たち以外に客はいないうえに、追加注文は何もしていないんだけどなぁ……」
「あぁ。もちろんこの店は、残したら追加料金を取られるぞ。下手したら、カレーの具にされるやもしれん」
「マジかよ、やべぇな」
 ナオの話を軽く流しつつ、カズヤが適当に辺りを見回す。そして、ふと『ご自由にお取りください』と書かれた小型のタッパーが目に入った。透けて見える中身の色は褐色。おもむろにそれを引き寄せたカズヤは、蓋を開けるとその中身を次々とグリーンカレーへと投入していく。
「ぬ。それは――福神漬けか」
「あぁ、これで味をごまかしながら食うことにしようかなと」
 肯定の返事に、ナオの表情が少し曇った。
「個人的に、福神漬けは日本のカレーだから合うと思うのだがな。タイのカレーに合わないということもないが、せっかくの味が台無しだぞ」
「いいんだよ。俺の胃はボーダーレスなの。つーか、『インド屋』のくせにタイ料理のグリーンカレー出してる時点で、国境なんか存在してないだろ。それに今流れているこの音楽、ガムランじゃねーか。ガムランは、バリとかインドネシアのほうの伝統音楽だぞ? インドネシアはインドじゃねぇ!」
 力説したカズヤの視線の先には、目を丸くして驚く店主がいた。彼は慌てた様子でCDのジャケットを手にとると、裏面に書かれた説明をチェックし始めていたりする。
「……気づいてなかったのかよ」

 *

 それから二十分ほどが経過して。
「どうした、カズヤ」
 ナオは紙ナプキンで口元を丁寧に拭きつつ、問いかけた。目の前でダウンしているカズヤへと。
「ダ、ダメだ。福神漬けごときじゃ、このカラさは打ち消せねぇ……。またもや俺は、このカレーを甘く見てしまっていたようだ……」
 ちなみに、ナオの皿はすでに空になっているが、カズヤのものは十五分前とほとんど変わっていない……というか福神漬けが盛られた分だけ量が増えている。完食には程遠い。
「だから、ぜんぜんカラくないだろうが、これは」
「味覚障害者の意見など当てになるか。――って、そうだ、ナオ!」
 何を思ったか、カズヤは急に目を輝かせて起き上がると、ナオの左手を両手でギュッと握りしめた。突然の事態に、ナオの手からナプキンがこぼれ落ちる。
「な、なんだ?」
 頬を微かに染め、少し上ずった声で問いかけるナオ。その視線の先には、無邪気な笑みを浮かべたカズヤ。
「俺のカレーを半分でいいから食べてくれないか?」
「……カズヤ。『プライド』って言葉を知っているか?」
「あぁ。頭の固い奴が、拒絶時に用いる言い訳用の文句だろ? そんなことより、お願いします。容姿端麗、才色兼備で性格もこれ以上となく素晴らしいナオ様! あぁ、ナオ様、ナオ様万歳」
 ナオは大きなため息を一つだけついて。
「そういうお世辞は、相手の目をしっかりと見て言え。……なぜ、九十度も横を向く」
「いや、ほら。いくらお世辞とはいえ、ナオを褒めるなんてさ。俺にもプライドがあるから」

 *

 結局、手を握ったまま話そうとしない態度に折れ、ナオは力なく首を振るとスプーンを手にとった。
「まぁいい。ここで恩を売っておくのもアリだろう。食べてやる」
「おぉ、それでこそナオ。大好きだ」
「私は大嫌いだ」
 無表情のままカズヤの皿を引き寄せて、ナオはその中央部をスプーンで指し示した。
「それでは、食べる領域を決めようか。私は真ん中からこっちをもらう。カズヤは逆側だ。それでは頂くぞ」
「……ちょっと待て」
「どうした?」
「お前の側は白い陸地ばかりで、俺の側には緑色の海しか広がっていないように見えるのは気のせいか?」
「安心しろ。私の目にもそう映っている」
「安心できねぇよ! カラい目にあうの、俺だけじゃねぇか!」
 怒りが含まれたその叫びに、ナオが一瞬身じろいだ。その手が、口が、何かにおびえるかのように細かく震えている。
「カズヤ……」
「な、なんだよ」
「今のセリフはあれか? 『カラい』と『ツラい』を漢字で書くと、送り仮名も含めて同じになることをかけているのか? ……ちっ。巧いことを言ったからって、いい気になるなよ」
「なぜ、憎々しげに俺を見る」

 *

「あぁ、もうアレだな。興がそがれてしまった。帰る」
 ナオはため息を一つだけつくと、静かに席を立った。
「え、ちょっと、素晴らしきナオ様? 一緒に食べていただけないのですか?」
「すまん、カズヤ。私はこれから録画した水戸黄門を見なければならないんだ。代金はここに置いておくから、一緒に払っておいてくれ」
「いや、ちょっと待て。録画したなら、見るのはいつでもいいだろうが」
 カズヤが横を通り過ぎようとしたナオの手をつかみ、引き止める。ナオはそれを軽くあしらうと、カズヤの頭をくしゃくしゃと撫で回した。
「そうだな。本音を言うと、私はお前を窮地に陥れたい」
「なっ!」
「では、生きていたらまた会おう。カレーと成り果てたお前と再会しないことを祈っている」
「ナオっ!」
 帰らせまいとカズヤは腕を伸ばす。
 だが、その手がナオの肩に触れようとした瞬間、カズヤの肩が逆に何者かにつかまれた。
 振り返る。
「お客さ~ん?」
 そこにいたのは、頭に白いターバンを巻き、見目麗しいヒゲをたくわえた、店のおじさん。
 なぜか、包丁を持参。

 *

「だ、大丈夫ですよ。食べますから。ちゃんと食べますから、そんな殺気のこもった声を出さないでくださいよ」
 作り笑いを浮かべて、おとなしく席に着くカズヤ。スプーンをカレーに差し込んでから、ちらりと横見。店主は相変わらず、険しい顔つきをしている。
「あはは~」
 その迫力に押されるように、カズヤはカレーを口に含んだ。噛む回数を抑え、水で流し込むように食す。涙をこらえつつ、さらに口に含む。
 それを繰り返していると、なぜだか自分がとても惨めなように思えた。
「うぅ、それにしてもこの不可解な状況が、そもそもなぜ起こってしまったのかがわからない……。あいつの恨みを買った覚えは……やべぇ、死ぬほどあ――」
 意識を朦朧とさせていたカズヤが、ふと窓の方に視線を移した。するとそこには、口元をいやらしくゆがめたナオが、デジタルカメラを片手にこちらの様子を伺っている。
「てめぇ、ナオっ……」
 怒りに任せて立ち上がろうとしたその体はしかし、店主の腕によって押さえ込まれた。
「あ、店主さん。あのですね、ちょっと一度席をはずしたいんですが……」
「い・い・か・ら、さっさと食うね!」
「ぴ、ぴぎゃあぁっ!」

 その後、インド屋には、男の絶叫が響いてくるという噂が広まったとか、広まっていないとか。




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