Mystery Circle 作品置き場

フトン

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nightstalker

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Last update 2008年03月15日

愛のかたち  著者:フトン



彼女の腕時計を俺は持ってきてしまったということは、俺の腕時計はそれと入れ替わりにあそこへ置いたままだということだ。
女性用のその時計を眺めながら、ため息をついた。
結婚記念にペアで買った時計。
あの時はこうなるなんて思っても見なかった。
ただ、幸せでそれだけで充実していた。
結婚指輪だけでなく記念に残るものが欲しいと、俺に強請ったあの顔が、時計越しにちらちらと浮かぶ。
月明かりが綺麗なあの公園で、微笑んでいる妻の優しい顔が・・・・
 ・・・・何故・・こんな事になったのだろう・・・・どうすれば・・いいんだ・・・
重く冷たい空気が部屋の中に充満している気がした・・・
まるで俺を取り囲み世界中から隔離しているように・・・・


妻が倒れたと聞かされ、飛び乗るようにタクシーに乗り込み病院までやって来た俺に、医師が重い空気をまといながら、静かにこう告げた。
「奥様の病気はかなり進行しています。」
一瞬で、頭の中が真っ白になった。
 ・・・・妻が病気??・・・・・
今朝まであんなに元気にしていた妻が・・病気だと???
ごく普通の朝だった、いつものように子供達を保育園に送りながら出勤した。
妻はいつもの笑顔でそれを見送ってくれた。
本当にいつもの朝だった・・・
「あの・・治るのでしょうか?」
俺の言葉に医師は重く頭を擡げ、首を横に振った。
「手術をしても治る見込みは少ないでしょう・・・」
ナ・オ・ラ・ナ・イ・・・・・・
「どのくらい・・あと!どのくらい生きられるのですか?!」
「もって、半年です。」
誰かに頭を殴られた気分だった。
妻がこの世から居なくなる・・・
自分で言うのも変な話だが、仲の良い夫婦だったと思う。
いつも一緒にいたし、何かにつけ一緒に行動をした・・・
子宝にも恵まれて・・・幸せだった・・・
その生活が・・・・なくなるというのか?
その後の医師の説明は空中でくるくる回っているようで、俺の耳まで上手く届かなかった・・・
ただ、自分の身に起きた出来事を必死に受け入れようと・・・・ただそれだけでいっぱいだった・・そのときの俺には・・・


病室の扉を開けると、朝と同じ笑顔が俺を迎え入れた。
「ごめんね。ビックリしたでしょ?先生なんて言ってた?」
妻はニコニコと俺の顔を覗き込む。
「ああ、暫く入院だけどたいした事はないそうだ・・」
一瞬、妻の顔が真顔になった気がしたが・・笑顔のまま「そう」と答えて、妻が俺の手を取った。
「私が居なくても大丈夫?」
その言葉に、胸を掴まれる・・・
妻が居ない・・・・居なくなる・・・・!!!
「何日も入院なら、子供達の事とか大変でしょ?」
「あ・・ああ。実家に帰るよ。そのほうが静菜も安心だろ?」
妻はうんうんと、頷いて安心したようにまた、布団に潜った。
「お母さんに電話しなきゃね。」
「いいよ。俺が自分で言うから、静菜はしっかり休め。早く良くなってもらわないと俺が困る。」
「もう!しょうがないなぁ。」
いつもの明るい笑顔が俺を居た堪れなくする。
「取り合えず、一旦家に戻って、着替えとか持ってくるよ。何か欲しい物あるか?」
「う~~ん。朝からあんまり食べてないから・・何か食べ物が欲しい!!」
「はいはい・・じゃ!いい子に寝てろよ!!」
俺はそう言って妻に背を向けた・・・
これ以上妻の顔を見ていられなかった・・・


日に日にやつれていく妻を見るのは、耐えるに忍びなかった。
健康的な笑顔が、消えていくのにそう時間はかからなかった。
俺の手を握る力も段々弱くなってきている・・・
日曜日で天気もいいのに病院に拘束されている妻は、ただ寂しそうに窓を眺めていた。
子供達が妻に思いっきり甘えている。
いつも一緒に居た母親がそばに居ない寂しさが、そうさせていた。
妻は子供達の頭を一人一人優しく撫でながら、何か歌を歌っている。
そんな光景が優しく俺に写るのに・・・胸が締め付けられるように痛かった・・・


妻が寝ているベットを占領して子供達が寝息を立てているのを愛しむように見ている妻が、静かに口を開いた。
「晃ちゃん。ありがとうね。」
俺は突然の言葉に顔を上げた。
「何言ってんだ?当たり前の事だろ?」
妻はゆっくり首を振った。
「違うの・・・私ね。分かってるの・・・・・もう長くないって・・・」
弾かれる様に妻の顔を見た。
笑顔の奥に寂しさが滲んでいる。
「な・・何言ってるんだ?そんなわけないだろ!!」
妻は俺の言葉に首を振った。
「最初にここに来た時、晃ちゃんの顔を見たときから・・・分かっていたの・・だって、晃ちゃん嘘つけないんだもん。」
そう言って、俺の手をとった。
俺は妻から視線を外した。見ていられなかった。
「私、この子達に何もしてあげられなかったね。晃ちゃんにも迷惑掛けてばかりだし・・・だめな奥さんだったね。」
「そんなこと・・・」
「晃ちゃん。優しいから甘えてばかりだったね。でも、私幸せだったよ。晃ちゃんと結婚して本当に良かった。」
「静菜・・・」
妻が俺の手を離すと、立ち上がった。
「ああ!くやしいな!!この子達の成長・・見れないなんて!」
力のない歩みで窓際まで歩いていく妻の背中を見ながら、涙が溢れていくのを感じた。
「晃ちゃんともっと喧嘩したかったな。」
ふふふと、笑い声が聞こえるのに泣いているようで・・・俺は立ち上がり妻を背後から抱きしめた。
「ごめん。守ってあげられなくて・・・」
涙が溢れて止まらない・・・
妻の前では泣かないって決めていたのに、どうしても止める事が出来ない。
妻が俺の手首にしている時計を優しく触った。
「晃ちゃんの奥さんになれて、本当に良かった。」
抱きしめている手に力を入れる・・・
このまま消えてしまいそうで・・・怖くて・・・
重なった影がカーテンに映し出された。
 ・・・・神は居ないのだろうか?・・どうして俺から奪っていくのだろうか・・・誰か教えてくれ・・・


夜中に病院に来るのは初めてだった。
誰も居ないロビーは暗くて、静か過ぎて・・・・不安を掻き立てていく。
夕方妻が、俺に電話をよこした。
『晃ちゃん。12時になったら、病院に来て!!お願いよ!!』
突然の我儘は付き合っていたときからの妻の得意技だった。
俺はそれを何時も聞かされてきた。
その我儘に答える事が出来るのは俺だけだと知っていたからだ。
その我儘が好きだった。二人の繋がりのようで・・・・
病室に着くと小さな灯りが漏れて俺を誘った。
「いらっしゃい」
いつもの笑顔が俺を出迎え、細くなった腕が俺を抱きしめた。
「どうした?こんな夜中に呼び出して・・・」
「あ~!晃ちゃん忘れてるな!今日は8回目の結婚記念日でしょ?いつもは私のほうが忘れてるのに!!ひどいなw!」
病気のことで頭がいっぱいで、すっかり忘れていた・・・
毎年、妻は結婚記念日を忘れていた。
俺が、何かをして思い出すのが当たり前だった。
記念日を覚えているのは女の方が常なのに、静菜はあまりそういった事を覚えていてくれなかった。
『だってw。晃ちゃんが覚えててくれてるでしょ?私忙しいもん!』
そう言って、いつもはぐらかされてしまう。
子供みたいに表情がころころ変る妻が、いつも明るくて人を振り回すのが上手な妻が・・・今は痛々しいほど細く儚げになっている。
「ずっと、病院に居るからプレゼントは何にも無いんだけど・・・お願いがあるの・・」
もともと小さい体系の妻が、俺の胸の辺りで恥ずかしそうにそう言った。
「最後に・・私のことを覚えて欲しいの。私の全部を・・・・」
ゆっくりと俺から離れ、着ているパジャマのボタンを外す・・
ベットに備え付けられている小さなライトと、カーテンの隙間から見える月明かりに照らされ・・白く浮き上がる体に息を呑む。
「ふふふ。何か痩せちゃって、あんまり綺麗じゃないね。」
そう言った妻を抱きしめた。
このまま、俺の前から居なくなってしまいそうで・・・・あまりにも綺麗過ぎて・・・・
「綺麗だよ・・・」
お互いを確かめるように・・・ただ壊さないように・・・・大切に大切に・・・思いを重ねた・・・
最後の・・・・思いを・・・・



あの時に妻を傷つけないために外した時計が、入れ替わってここにある。
儚く壊れそうな妻を傷つけないよう・・・
隣に妻がいない寂しさに身をよじりながら、俺は声にならない涙を流した。
たった一つ願いが叶うなら・・・妻を治せるのなら・・・
でも、それは叶わない願い・・・・
ならせめて、幸せなまま・・・・
そして、決意をした。
妻が望んだ最後の我儘を聞く・・・決意を・・・・・



妻の最後の我儘を聞く日は、思いのほか早くやって来た。
俺は担当医の部屋を訪ねた。
妻の最後の我儘を伝えるため・・・
しかし、担当医の答えはNOだった。
無理な願いだと突っぱねられた。
でも、俺は聞かなければいけない。
俺しか妻の我儘を聞いてあげられないのだから・・・・
そして、その日はやって来た・・・・


「ママ!!」
子供達が、妻を見て嬉しそうに抱きついてくる。
妻もそれを嬉しそうに素直に受け止めるが、それには力が足りずよろよろと後ろに倒れる。
妻を抱きとめ、子供達を諌める。
「ママは病気なんだから、優しくしないとな。」
子供達もこの数ヶ月大人達に諭され、母親の状態を幼いながらに感じていた。
素直に俺の言葉に従い、今度は優しく妻に触れた。
「ママ?体痛くない?大丈夫?」
妻のお腹をさすりながら、長女がそう言った。
「大丈夫よ。ありがとう。大好きよ。」
妻が子供達を抱きしめる。
「さぁ、もう遅い。皆で寝ような。」
俺の言葉に皆は頷き、子供達が妻の手を引き寝室へと誘った。
寝室で家族で手を繋ぎ布団に横になる。
寝る間際子供達が誰かママの隣で寝るかで喧嘩をしてたのに今は嘘のように、静かな寝息を立てていた。
「晃ちゃん。我儘聞いてくれてありがとうね。」
「本当だな。明日大騒ぎだぞ。病院」
妻がいたずらっ子のように笑う。
「私ね。晃ちゃんと結婚して本当に良かった。この子達が産まれてきてくれて本当に良かった。とっても幸せだったよ。」
繋いだ手を強く握り締める。
「何言ってんだよ。静菜はこれからも俺の奥さんだし、この子達の母親だろ?」
「それは・・・だめよ。晃ちゃん一応若いんだから、恋愛しなきゃ。」
「一応って何だよ・・」
いたずらっ子の笑い声が耳を優しく通り過ぎる。
「最後に皆と居れて幸せだったよ・・・ありがとう・・」
「静菜?」
繋いでいた手の力が少しずつ弱くなっていく。
妻から規則正しい寝息が聞こえる。
眠れない夜が・・・始まった・・・


何度か鳴り響いた電話を無視し、眠っている家族の顔を交互に見つめる。
電話は病院からだろう・・・何の許可もなく妻を連れ出したのだ・・・今頃大騒ぎになっているはずだ・・・
静か過ぎる夜が、俺の胸を不安で締め付ける。
「晃ちゃん?」
突然妻が目を開けた。
「ん?」
「まだ起きてたの?」
「ああ、」
「晃ちゃん。よく聞いてね。」
俺は無言で頷いた。
「子供達のことお願いね。私が死んだら、私のこと忘れないでね。あ!でも、他の誰かと結婚してもいいよ。」
「何言ってんだ..」
「いいから、私の人生とっても幸せだった、ちょっと短かったけど他の人より何倍も幸せだったよ。だって、晃ちゃんと結婚できたんだもん。だから後悔はしてないの。十分満足してるよ。子供達の事は気になるけど・・いつも傍で見守ってるから・・・だから安心してね。私の分も、子供達を愛してあげてね。」
「ああ。」
「晃ちゃん。ありがとう。愛してるよ。誰よりも。」
「俺も・・愛してるよ」
繋いだ手が・・・温もりが・・・消えかけていく・・
「幸せをありがとう・・・」
月が・・・・妻を連れて行った・・・・・・


妻が息を引き取った後、俺はまだ寝ている子供達を別の部屋へ移した。
台所に行き、コーヒーを煎れる。
まだ薄暗い部屋に遠くからサイレンの音が聞こえてくる。
病人を許可もなく連れ出し、死なせた事実は・・・犯罪だろうか・・・
そんなことを考えながら、外を見やる。
失ったものの大きさに潰されない様・・・・気持ちを奮い立たせながら二つ並んだ腕時計を手で転がす。
留守電に残っていた慌てふためいた声が、異世界のように感じながら・・・・
一睡もせずに病院からの連絡で警察が来るのを待っていたが、そのうちに朝が訪れた。
俺は幸せだった。妻の最後の我儘を・・・俺は聞く事が出来たのだから・・・・
それが・・・・・俺の愛のかたちだから・・・・・




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