Mystery Circle 作品置き場

なずな

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nightstalker

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Last update 2008年03月15日

ディクロウ  著者:なずな



ああ、なんて清らかな恋でしょう。



高宮桐子さんが、文芸部の文集に寄せた七五調の詩は 退屈な女学校の生活に飽き飽きしていたお嬢様たちの格好の話題となった。

陶器の西洋人形のような皇かな白い肌を持つ、美しく気高い彼女は 
家柄も学力も申し分なく、平素より皆の注目の的。
いつも「お取り巻き」に囲まれている華のある方。
上級生に可愛がられ、下級生に慕われるのも、肯ける。

私、夏川伽耶は、「お家柄」の面では憧れの対象ではない。
桐子さんたちの軽く上を行く成績も、大方の皆様からは疎ましいだけのよう。
「成金」と直裁には言わず、優美に装飾された言葉の数々で、切りつけて来る。
それらの美しい刃をさらりとかわすだけではなく、チクリと針を含んだお返事を 微笑みつつ返すことも、この一年でしっかり会得した。


 ─桐子さんが「図書館の君」に胸を焦がしておられる。

桐子さんは 遠くからその殿方の横顔を見るだけで 喜びを感じ
桐子さんは その方の繊細な指先が 本の頁を捲るのを見るだけで その美しい白い頬を 薔薇色に染められる。

そしてその方の姿を見る事叶わぬ日は 静かに吐息を洩らされ 長い睫毛を涙で濡らされるのだ・・・。

学園の中に「殿方との清らかな恋」に対する憧れが ただひたすら膨らむ。
幼馴染の男子に気軽に挨拶しているのを見られただけで「はしたない」と言われるこの学校だ。
教師も男女交際に関しては厳しく目を光らせていた。だが、というか・・ だから、というか・・
ノートの切れ端に 授業中密かに回される手紙に 美麗な詩を書き連ね、友との会話に「殿方への想い」を語り合う事が流行するのに 時間は掛からなかった。


「皆さん、あまりに浮ついていらっしゃいませんか?」
授業中、回された手紙を取り上げて、教師が咎めたのも当然のこと。

ただ、その教師が手紙の内容を皆の前で読み上げて 難点をあげつらい、書いた生徒の人格をも否定するような発言をして その人を泣かせたのは 私にも 我慢ならない状況だった。
明らかに「お家柄の良い」方のグループではなかったから・・という事が その教師の態度に出ていたからだ。

 *

日誌を教員室に持って行き、担任の机に置いて帰ろうとすると
高宮桐子さんの珍しく上ずった声が 聞こえてきた。

「全て私の詩が発端なのでしたら 私を先にお咎め下さい」
手紙の内容を公開され、内容を哂われ 泣いた級友のことで桐子さんがその教師に抗議していたのだ。
桐子さんの親衛隊なら そのお優しさに心打たれたことだろう。
周囲をぐるり見渡したが 教員室はひっそりとして他には誰もいなかった。

「そうね、貴方らしくもない。おふざけが過ぎましたわね。」 
教師は ほぅと芝居がかった溜息をつき桐子さんを嗜めるように言う。
「つまらない事に心を囚われる事無く、日々をお過ごしになるように。」

蒼白な顔で桐子さんは何か言いたげに唇を動かしたが 私の言葉が教員室に響く方が先だった。
「人への想いを、おふざけとか つまらぬ事なんて、先生が仰るとは不思議です。 先生の教えて下さる古典の数々をも 貶めているのが解らないのですか?
 桐子さんの詩は純粋で美しいものでした。何か恥じるべきだとしたら 良からぬ想像をたくましくなさる 先生方の方だわ」

古典の女教師の顔がみるみる真っ赤になる。
自己を正当化するべく、何か叫んでいるのを無視し、桐子さんの手を引いて 教員室から駆け出した。
花咲き誇る中庭の梅林で立ち止まる。笑いながら走ったので息が切れた。
「夏川さん・・」
声掛けられて 漸く気がつき 慌てて繋いだ手を離す。 
桐子さんの白い指が私の手からするりと抜ける。
形の良い桜貝色の爪が、梅の香と共に脳裏に焼きついた。


 *

 ─あの時のお礼がしたい・・庇って下さって本当に嬉しかったの。
桐子さんの家に招かれたのは それからすぐ後の日曜日だった。

風格ある純和風の玄関から入り 長い廊下を抜ける。
形良く剪定された樹木や煌びやかな鯉の泳ぐ池、見事な中庭を眺めることのできる渡り廊下のその先に、西洋風の出窓のある別棟の部屋があった。
「このお部屋に来ていただくのは 伽耶さんが初めてよ」
桐子さんは私を名前で呼ぶと優雅に微笑み、重厚な扉を開けた。
驚いたのは アンティークで纏められた室内の 形良い革張りのソファ、落ち着いた風情のファーの上掛け 金糸銀糸を織り込んだ細密絵画のような敷物、足の細工まで繊細な家具類。
そして・・あちらこちらに くつろいだ様子で眠る数匹の猫を見たからだった。

「猫はお嫌い?」
室内に入る前に立ち止まった私に 桐子さんが不安そうに問う。
「いいえ・・でも こんな立派なお部屋に 何匹もの猫・・」
「驚かれたのね。海外暮らしが長いと やはり寂しくてね。父が私を気遣って飼わせてくれたのを こうして共に帰国して・・」

「ふふ もう私のお部屋か、猫たちのお部屋か 私にも解らないくらいよ」
睫毛を伏せ、軽やかな笑い声を響かせると 桐子さんは私を部屋に招きいれた。

猫なんて飼うと 爪で部屋があちこち傷むとか汚れるとか聞く。
実際我が家では それを理由に猫だけは絶対に飼わないと父が宣言しているくらいだ。
こんな豪華な家具調度類を配した部屋に 複数の猫が暮らしている。
立派なお屋敷に住む海外育ちの純血種の猫たち、お行儀からして違うのだろうか。

メイドさんが運んできたハーブティに砂糖を入れながら、近寄って来た一匹を見る。足の先に違和感があるのが気に掛かった。

ナニカガ チガウ。ナニカガ オカシイ。

何だろう・・じっと見ていると 桐子さんが一匹を膝に乗せながら 邪気のない
目に 柔らかな微笑みを湛えながら言った。

「ディクロウってご存知かしら? 爪除去手術。」
「爪を・・取る?」
よく見ると足先からして明らかに変形している。危うく紅茶を零しそうになる。
「爪だけじゃなく 指から落としてしまうの。
 アメリカにいた時、知り合いのお医者様にお願いしたら すぐにやって下さって・・」


 *

「図書館の君」・・桐子さんの想い人が、私の幼馴染の成彦であったのは 当初から 薄々感じていたことだった。
姿かたちの繊細さ。確かに指もしなやかで美しい。
最近 図書館に用があって通っていることも知っていた。
黙って眺めるだけなら 桐子さんのようなお嬢様が恋い慕うお相手にもなるだろう。

「声 かけようかな・・と思ったんだけどね。凄い美人だな」
成彦が 桐子さんに気づかないはずがない。
「今付き合ってる男とかいないみたい?今度誘ってみようかな。」

「では聞くが、成彦の方こそ今付き合っている女はどうするんだ?」
「え、どの女のこと? というか・・何をどうするって?」

そう・・この男は見た目が麗しい分 質が悪いのだ。
外見につられて近づいてくる女達の気まぐれな恋の相手をしているうちに 相手の気持ちを弄ぶことを覚えてしまった。
最近は相手を傷つける事さえ 面白がっているようにも見受けられる。

「どんな人なの?高宮桐子さんって」
「そうね・・彼女 猫好きだったわ」
「ふうん・・じゃあ 猫の話題から始めて、お近づきになってお部屋に呼んで頂くっていうのも・・」


 *

「あの時期の はしたない声が耐えられないの。
 生まれて来る子猫は愛らしくて大好きなんだけれど・・。」

爪除去手術の話題の後、他の手術の話になった時、桐子さんは美しい眉をひそめて言った。
「’おいた’さえしないで ずっと清らかで優雅にしていてくれたら・・
 どちらの手術もしないで済むのですけれど・・。」
猫がその季節を迎えて恋をすることはおろか、本能に任せて爪を研ぐことすら 桐子さんとご家族にとっては 耐え難い行為なのだろう。
目を向けないようにしても気に掛かる、猫たちの足先が 桐子さんのおうちの「価値観」の象徴のように思える。

桐子さんが話す海外生活の思い出を、うわの空で聞いているうち時間は過ぎた。
鳩時計が夕刻の時間を告げ、ポットのハーブティーがなくなった頃 桐子さんは私の顔にそっと顔を近づけて 私に言った。
学校の梅林にいた時のような 花の香がふいとする。 

「伽耶さんにだけ見せてあげるわね。私の宝物。」
桐子さんは螺鈿の小箱を二つ、大切そうに運んできた。

最初に開けられた小箱には 艶やかに光る桜貝、細くて長い巻貝。珍しい形の貝殻たち、さんごの欠片。
一つ一つを手に取って、桐子さんが説明を加える。
遠い異国の海岸で桐子さん自身が拾ったというそれらの貝は、どれも完璧な形で 輝きに曇りがない。

「こちらもあるのよ ご覧になって。」
意味ありげな目配せの後、ゆっくりと開けられたもう一つの箱。
猫たちが 一斉に首をもたげる。
静寂。

中にに入っているのは 数個の白く、硬く細長い物・・これは?
尖った先端を目にした途端、ぞくりとして 直視することができなかった。
指先ごと爪を切り落とされる猫の痛みを 即座に連想し身体中に冷たいものが走る。
「美しいでしょ?」
悪戯な目で私を覗き込むと 桐子さんは小箱をカタリと閉じた。

爪ノヨウナ貝殻・・ 貝殻ノヨウナ爪・・貝殻ノヨウナ爪・・・爪ノヨウナ貝殻・・貝殻ノヨウナ・・

足元が揺らいで海の底に引きずり込まれるような 暗い感覚。
眩暈と吐き気を覚え ソファに崩れ込んだ。


大きな出窓から茜色の光が差し込む。
気分が少し回復したので 暇ごいをして立ち上がる。
お互いに別れを惜しむ美しい台詞を交わす。
足先の手術のせいだろうか心持頼りない歩き方で 
私を見送るかのように ドアの辺りまで猫たちがそろり、集まってきた。

「猫のね・・横顔がとても好き。痛々しげなこの足先も堪らなく愛しい。」
桐子さんは目を細め 抱き上げた猫に愛情込めて頬ずりをした。


 *

あれから成彦は桐子さんとお付き合いをしているという。
どのような展開を見せるのか 私には予想もできないが静観させて頂くことにしよう・・と思う。
成彦に 安易な「はしたない おいた」だけは慎むように、忠告した。 
今頃? さあね・・成彦のこと、桐子さんのお部屋で 猫みたいに ごろごろ喉を鳴らしてるんじゃないかしら?


学園の梅林は今日もひっそりとして清清しい。
日の当たる斜面に立ち 成彦と撮った幼い頃の写真をちぎり捨てる。
まだ少し冷たい風が通り過ぎ、私の長く秘めた想いは 細かな紙片となって、梅の花びらと一緒に舞い散った。

「伽耶、やっぱりお前が一番だ」などと、
繰り返される都合の良い甘い言葉を、もう受け容れたりはしない。
この「清らかな恋」の結末で、成彦がどんな痛手を受けようとも 
そう、私には 一切関係ない事だ。




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