※上記の広告は60日以上更新のないWIKIに表示されています。更新することで広告が下部へ移動します。

Last update 2008年03月15日

No Title  著者:ゆずり



書くことは人を救わない。
わかっている。
僕がここでどんなに書き綴っても、きっとこのことは人目につくことなく、「なかったこと」にされることくらい。
どんなにこのことを訴えたくても、どんなに言葉を書き連ねても、それは…。

足音に僕は部屋の中のテーブルで、書き散らしていたルーズリーフからはっとして顔を上げた。
都心から離れた住宅街の一角にあるマンションの最上階。
窓からは街を一望できるこの部屋は、僕にとって刑の執行を待つ死刑囚の独房のようなもので、窓から見える景色も手の届くことのない、一枚の絵画か写真のようなものだ。
そんな、この部屋の僕以外の足音といえば彼女しかいない。
この部屋の主で、僕をここに監禁している本人で…僕の憧れていた人。
3LDKの独りで暮らすには充分すぎるくらい広いこの部屋のフローリングの一室に
僕が閉じ込められてから、何日がすぎただろう。
女性らしい清潔で繊細な内装やインテリアも、僕にすればもう味気のない無機質なものでしかない。
「孝太くん、開けるわね。」
その声と共にドアが開いた。
僕が顔を向けると、彼女はにっこりと優しい微笑を向けた。
手にはサンドイッチと紅茶を載せたトレイを持っている。
もう昼なのだろうか。
時計のないこの部屋で、携帯もかばんごと彼女に「預かられている」僕にとって、すでに時間の感覚があいまいなものになりつつあるのを感じた。
「サンドイッチ、作ったの。紅茶も熱いから火傷しないように気をつけてね。」
そう言うと彼女は小さなテーブルにトレイを置いて、自分も僕の向かいの床に腰を下ろした。
中学生の頃から憧れていた三つ年上の彼女の、癒し系というのだろうか、柔らかく優しい雰囲気や顔立ち、物腰、それらが今の僕にとっては恐怖でしかない。

海外留学から戻った彼女と再会したのは偶然か、それとも神か悪魔が仕組んだ偶然を装った必然か。
今となっては、そんなことはどうで良くなってきている。
「絵って描いているとすっかり時間を忘れちゃうくらいにのめりこんじゃうの。いつかは個展を開けるようになりたいな。」
そう言った彼女に僕はなんと言っただろう。
「へぇ、今度描いた絵を見せてくださいよ。僕、絵に興味があるんです。」
まったく絵についてわからないし、興味もなかったのに咄嗟に口を付いて出た、彼女に同調する言葉。
「本当?…嬉しい!そうだ、孝太くん…。わたしの部屋に今から来る?」
本当に嬉しそうに無邪気に笑った後、少し照れながら彼女にそう言われて、僕は「行く」と即答していた。
憧れていた女性に誘われたら、多少無理してでも彼女の誘いを受けたくなってしまうものだ。
絵に興味があると嘘をついてしまったのも、彼女との共通点を作りたかったから。
彼女の部屋についていったのも、彼女と共有する時間を少しでも延ばしたかったのと…彼女の部屋にお邪魔することが出来るという、僕にとって思いもよらなかった最大の「ラッキー」を逃したくなかったから。

「孝太くん、紅茶が冷めちゃうよ。」
彼女が心配そうに僕を見つめる。
彼女の部屋に監禁されてから、彼女は毎食手作りで食事を作ってくれて、僕と一緒に食事をする。
その間は趣味のことやテレビのことなど、彼女が話すのを僕はただ聞きながす。
食事以外にも彼女は僕の寝床の準備や洗濯など、甲斐甲斐しく世話を焼いてくれる。
知らない人が見れば、出来ちゃった結婚かなんかで姉さん女房をもらった未成年な夫に見えるかもしれない。
 …僕の足が折れたまま、放置されていなければ。
「孝太くん、ごめんね。…足のお薬、ちゃんと飲んでね。」
紅茶に口をつけながら、彼女が申し訳なさそうに僕に言う。
何日前になるのだろう。
絵を見せてもらったあと、「帰ってほしくない」なんていわれて、有頂天になった僕は彼女の部屋に泊まって。
ただ、それからは帰ろうとするたびに引き止められて、「帰ってほしくない」という理由で監禁された僕は、逃げないように両足を木刀で折られた。
「孝太くんにはずっと傍にいてほしいの。」という言葉と共に。
彼女に好意をもたれているということに、少し前の僕だったら大声で喝采を叫び、この世の全てに感謝しただろう。
だけど、今は彼女の一般から大きく離れた、ねじれた好意に、恐怖しか感じない。
「あのね、……わたし、考えたの。」
彼女は僕を見つめて、思い切ったように切り出した。
いつものように、僕は無言で彼女を見つめる。
「孝太くんに、痛い思いをさせちゃって、ずっとこの部屋に閉じ込めてばかりだと…やっぱり孝太くんに悪いなって…思うの。」
うつむきながら彼女が発した言葉に、僕は思わず目を瞠った。
この部屋から出れる!?
「…本当…か?」
ようやく出た僕の声は、少しかすれていた。
しばらくしゃべっていない人が言葉を久しぶりにしゃべる時、頭ではわかっているのに、口から咄嗟に言葉が出ないとかって言うのは、今の僕にはよくわかる。
言いたい言葉はたくさんあったが、口から出たのはそれだけだったからだ。
「うん…。だからね、」
決意をこめるように、ゆっくりと言葉を紡ぐ彼女を待つ間、僕は喉を潤そうと冷めている紅茶を一気に飲み干した。
「…っ!」
違和感に僕は顔をしかめた。
 ……味が違う?!
よく知っている、飲みなれた紅茶の味とはまったく違う。
何を彼女は僕に飲ませようとしたんだ?!
次の瞬間、僕を襲ったのは胃に走る激痛にも似た不快感、心臓の鼓動するたびに強まる猛烈な息苦しさ。
全身が硬直していくような感覚、痺れと痙攣。
床に倒れて、喉をかきむしる僕を彼女は優しい目で見つめていた。
「孝太くんと離れたくないし、いつも傍にいてもらえるように…わたし、考えたの。…孝太くんをモデルに絵を描いて、ずっと一緒にいてもらおうって…。」
穏やかで柔らかい、僕の憧れていた微笑…。
いや、僕の両足を叩き折って監禁した悪魔のような微笑。
「孝太くん、最近は不機嫌みたいで笑ってくれないから、眠った顔を描くことにしたの。…知ってる?眠ってるときって無防備になるでしょ?だから寝顔ってすごく穏やかで優しいんだよ。わたしも、孝太くんのその顔を描きたいの。」
そう言いながら彼女は、まるで子供をあやすように膝枕をして、僕の髪を優しい手つきでなでる。

見せてもらった彼女の絵は、眠っている人の絵がほとんどだ。
天使のように愛らしい金色の巻き毛の幼い少女が、ソファーに凭れてうたた寝している絵。
目を閉じて、まるで瞑想しているような神秘的にも見える女性の横顔を描いた絵。
1つのベッドで寄り添うようにして手をつないで眠っている、幼い少年と少女の絵。
テーブルで組んだ腕に頭を預けて、うたた寝している少年の絵。
 …僕もその絵の中に仲間入りするのだろうか。
死にたくない、と薄れゆく意識に必死にしがみつこうとした僕の耳に、彼女の優しい唄うような声が聞こえた。

「孝太くんはわたしのね」
うっとりとしたような響きにも聞こえる声。
「絵のモデルになるの。」




コメント

名前:
コメント:
| 新しいページ | 編集 | 差分 | 編集履歴 | ページ名変更 | アップロード | 検索 | ページ一覧 | タグ | RSS | ご利用ガイド | 管理者に問合せ |
|ログイン|