Mystery Circle 作品置き場

空蝉八尋

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nightstalker

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Last update 2008年03月15日

言い訳Gum  著者:空蝉八尋


 ここに居ろよ、って。
 あんたはそう言ったよね。
 笑っちゃうくらい真剣な顔して、いまにも泣き出しそうな顔して。
 あたしとあんたじゃない人が大勢通り過ぎる空港のど真ん中で、あんたは言ったよね。

 あたしじゃなくて、準ちゃんに。



 ねえ、準ちゃんとあたしが初めてキスしたとき。
 あんなに綺麗だった桜はもう、葉っぱに変わってた頃だった。
 そこからなんであんたが出てきたわけ?
 何処に隠れてたとか、何時から見てたのかとか、そういうのはもういいの。何も聞かないでおくから。

 それよりも。それよりもそれよりも。
 なんであんたにあたしは、キスされなきゃいけないわけ?
 しかも準ちゃんが居る目の前で、見てる前で。

 ……成。その直後のあんたの一言、あたしは一生忘れない。
 忘れてなんかやらない。


『いやっほぅ、これで準ちゃんと間接チュー!』


 ばっっっっかやろう!!!!!!!!!!!







「こーうーこーちゃーん、聞いてる?」


 そう、こんな媚びる様な声の時。
 無視する条件に決め付けたことを、こいつは全然気付いてない。
 成は相変わらず気だるげな呼びかけを放り投げ、あたしの返事を待っていた。
 悪い奴……ではないと思う。少なくとも、世間一般でいう「悪い奴」の類には入らない。
 でもあたしのなかでは極悪な奴ナンバーワンとして常時君臨していて、そのポジションはいまだかつて誰にも奪われたことはない。
 ようするに、至って不名誉な記録を更新中。
「香子ちゃんってば、おれ何度も呼んでんだけど? 無視? 無視ですか?」
 あたしはチラリと成に視線を傾けた。
 憎い事にあたしよりも大きくて、細かい光の粒がいくつも輝く瞳が、まず一番最初に視界に入る。
 次に伸びてうざったい明るい茶色の前髪、そして今は八の字型にひそめられた薄い眉毛。
 下におりて小さく尖りぎみの白い鼻、最後に赤ん坊みたいな唇。
 成が完成した。
「…………うーん」
「お、やっと反応したよ」
「耳鼻科行ったほうがいいのかな」
「空耳扱いしてらっしゃる!」
 頭を両手で抱え、オーバーにのけぞった様子がおかしくて、あたしは思わずふきだした。
 するとあたしの笑い声を待っていたかのように嬉しそうな顔をした成が、前の椅子から身を乗り出して机に寄りかかる。
「あっ、ばか肘退けてよ! プリントしわになるでしょ」
「悪ィ悪ィ。なになに……健康週間はまず食事から……朝食はキチンととりましょう」
 成は小学生が教科書を読んでいくみたいに、あたしの清書した文字列を読んでいく。
「ハーン……おれもこの意見賛成よ、香子はちゃんと朝食ってるよな?」
「時々食べてない……けど」
「おま、保健委員がそんなでいいのかっ!」
「良くないかもねー」
「あ。分かった。だから香子は色気がイマイチ足りないんだ。おれはもっとこう、このへんに肉付きが……」
 瞬間、借り物の定規が成の脳天目がけ垂直に振り下ろされた。
 鈍い音を立てた衝撃に、成は声も出せずに頭を押さえて椅子の上でうずくまる。器用な奴だ。
「誰もナリの好みなんか聞いてないっつうの」
「いってぇなオイ! 今の一撃で絶対脳細胞死んだ!」
「いいじゃない、元々無いようなもんだし」
「あ、そうね……ってコラー! おれの頭脳にケチつける気か」
 あたしは手に持っていた赤の色鉛筆の先端を、成の鼻先に突きつけた。
 それを見つめてより目になった成は、次に不思議そうな視線を向けてくる。
「あたしサッサと終わらせて帰りたいの。ジャマしないでよね」
「へーへー。黙ってりゃいいんでしょ黙ってりゃ」

 それから。
 放課後から四十五分経過した教室は静かだった。
 廊下も静かだった。ただ窓から見渡せる校庭からだけ、ボールを要求する声やら規則正しい掛け声やらが遠く響いてくる。
 一番近い音はあたしの色鉛筆が紙の上を滑る音と、成が居る気配。
 あたしは顔をそっと上げて、気配だけになっていた成を見上げる。 
「…………」 
 計算用紙にしていた、文字で汚れた紙を成はやけに丁寧な仕草で折りたたんでいた。
 俯いた顔は真剣そのもので、息使いをまるで感じさせないほどの集中。
「……な、にしてんの……?」
「紙ヒコーキ」
 短く空気を吐き出した成は、合わせた角に狂いなく作られた紙飛行機をあたしに見せる。
 真っ白じゃない、黒鉛で汚れた飛行機。
「ジャジャーン、いいだろー。かっくいーだろ」
「ただの紙飛行機じゃん……昔折ったことあるから、そのくらいあたしにだって作れるけど」
「バッカだな香子。これはちゃんと、おれ流の細工がしてあんの」
 羽根の下を手でつまんだまま、八の字を切って宙を泳がす。
「よく飛ぶヒミツ! 試してみっか?」
 歯を見せ笑う成に、あたしも釣られて笑った。
「やってみせて」 
「おっしゃ!」
 言うなり席を立ち、カーテンの掛かっていない二番目の窓を勢い良く開け放つ。
 風がわずかに吹き込んだ。あたしは成の姿を座ったまま見つめる。




 成の手から 汚れた紙飛行機が 離れた。



 一度舞い上がってまた下がり、そこからなだらかな曲線を描きながら引力にひっぱられていく。
 その飛距離は驚くほど伸びた。
「んー、まあまあ成功したな」
「凄い……結構飛んだじゃん」
 成はまだ眩しそうに目を細め、窓の外を眺めていた。
 あたしはしばらく停止させていた色鉛筆の動きを再開させようと、手首をわずかに動かそうとした矢先だった。
 成の声が響く。


「準ちゃんに届くように、よく飛ぶようにした」


 その声を聞いた途端、自分の体が大きく傾いて揺れた。……ように感じた。
 あたしは一層奇妙な顔で成を見上げたんだろう。
 緑の色鉛筆が床に転がるのも気付かないまま。
「ナリ…………それ言うなって、あんたが言ったんでしょ!?」
 あんたが言ったのに。
 あんたが「準ちゃん」を閉じ込めたのに。
「なんで、今急に……」
「んー……なんか、死んだみたいで嫌になってきたから」
 あまりに軽い口調で、あたしは思わず詰めていた息を吐いた。
「だってさ、可哀想じゃん準ちゃんが! なんか死人扱いっぽくてさー。ごめん香子、もういいや」
「はぁ……?」
 まだ窓の外を見続けている成に、あたしは間抜けな返事を返す。


 ……そういえば準ちゃん、今頃どうしてますか?
 ちゃんとフランス語の勉強してる? パリの街ってどのくらい綺麗?
 相変わらずモテモテですか? 寂しくないですか?


 あたしと成のこと、ちゃんと覚えてますか?


 あたしは準ちゃんの、小指の爪の形まで覚えてるよ。
 準ちゃんは?
 準ちゃんは、あたしの下手くそなリボンの結び方くらい、まだ覚えてくれてる? 

 覚えてくれている? 準ちゃん、貴方が言った言葉を。
 例の最低で最悪な、だけど一生忘れられないキスの思い出。
 あたしが成の横っ面を思いっきりビンタして、混乱と照れを隠す為にとっさに尋ねた質問の答え。

『準ちゃんてば、なんでぼんやり見てんの! このバカ止めてくれれば良かったのに』
 そんなあたしの言葉に準ちゃんは、薄く微笑んでいたかもしれない。
『……そうする理由もなかったから』
 その言葉になんとなく準ちゃんの気持ちが伝わってきて、それから何にも言わなかったけど。
 なんだか、酷く、悲しかった。





「あんた準ちゃん好きだったもんね」
「まーねー! ソーシソーアイだよおれと準ちゃん!」
 恥ずかしげもなく言い放った成に、再び定規の角が飛ぶ。
 今度は寸前に受け止められ、行き場のない左手が一度宙を彷徨った。
「……バッカ。相思相愛なのはあたしと! あたしと準ちゃん」
「はァ? 香子お前、おれと準ちゃんのラブラブっぷりを見てただろー?」
「かなり一方的なラブラブっぷりならたっぷりとね」
 今思えば、なんておかしな三角関係だったんだろう。
 ていうか、ハッキリ言えばおかしいのは成だけであったけど。

 冷静になれば笑えてくる。
 成は公衆の面前で堂々と、毎日のように大告白をしていたのだから。
 それを普通に受け止めてたた準ちゃんも凄い。
 あたしも、実は凄かったんだな。

 でもあの時は何にも気にならなかった。
 あたしと成はライバルで、準ちゃんの事が大好きだった。
 昔から。
 ひとつも変わらないで、この変な関係を少なからず楽しんできた。
「でも……急に終わっちゃうんだね」
 思わずもらした呟きに、成は大袈裟なため息をついた。
「しゃあないっしょ。準ちゃん、ずっとパリ留学したいって言ってたんだから」
「寂しく、ないのかな」
 あたしは寂しいよ。
 成、あんたじゃ駄目なんだと思うの。
 準ちゃんの隙間は、あんたじゃ足りないんだと思うの。

「寂しいのはおれ達だけだよ、多分」

 普段より何倍も低い声だった。
「……え?」
「準ちゃんはさ、まわりのものが全部新しいじゃん。隙間とか関係なしに、全部入れ替わるじゃん。おれ達の場所は、最初から新しい場所には無かったんだから」
 半分意識を飛ばしてぼんやりと言葉を受け入れながら、あたしはまた成の整った顔を見つめていた。
 酷く強張っているわりには眉の力だけが緩められ、口元は笑っていても舌が笑っていない。
 哀しい顔。一番似合っている表現だった。
「ね、でもおれ達はずっと此処に居るだろ? 準ちゃんの居なくなった隙間を眺めながら過ごしていかなくちゃいけない」
「準ちゃんは、寂しさも薄れる……ってことなの?」
「ま……少なくともおれ達よりはね」
 そう言い放った成は、ふいにあたしに背を向けた。
 肩は震えていない。しゃくりあげる声も聞こえない。けして泣いているんじゃなくて、ただ背を向けただけ。
「ほんと、ナリって意味分かんない」
「……うるっさい、漬物みてーな名前してるクセに」
「いっぺん漬物石にのされたいの?」
「スンマセンでした」
 あんたは泣いてるんでしょう。
 いつも心の深い深い、また深いよどみの水底で。
 あんたが泣き止んだことなんてないでしょう。
 そうやってばかみたいに笑った分だけ、涙を流し続けているんでしょう。

 なんて歯痒いの。

 奥歯を噛み締めても、前歯を強く軋ませても、この歯痒さは収まらなかった。
 それどころか、時間が経過するにつれて強くなっていっていることにも、あたしは気付いてた。

「ねぇナリ……」
 成が振り返ってくれることは、元々期待などしていなかったけど。












「あたしの事好き?」



 質問をされても成は振り向かなかった。振り向くどころか肩ひとつ揺らさない。
 まるであたしの言葉を予知していたみたいに、何の反応も示さなかった。
 しばらくして、風が通るような吐息が聞こえたと思うと、成が頭を少し揺らして言った。
「好き」
 今度はあたしが成の言葉を予知する番だった。簡単で単純な予知を間髪要れずに尋ねる。
「準ちゃんの事は?」
「もっと好きっ!」
 サボった掃除当番のおかげでゴミの散らばるままの床が、轟いた。
 あたしは自分の座っていた椅子を派手に蹴り倒し、その物凄い音に振り返った成と視線が交差する。
 前に前に足を進めていく間中、あたしは成のまん丸に開いた瞳を睨んでいた。
 迫る恐怖に逃げるように、成も立ち上がって後ずさりしていく。
「こ、う……こ? ちゃん?」
 やっとの事で搾り出したであろう成の声は、少なからず掠れていた。
 あたしは返事を返さないまま、両手で思い切り成を突き飛ばす。  
「ぎゃっ!」
 無様な悲鳴を上げ、成は窓際のベランダへと出る為の硝子扉に背を打った。
 顔をしかめて後頭部に手をやる成の両肩を掴み、伸ばされた足を跨いでしゃがみ込む。
「へ? えっ……ちょ、待、香子ッ!?」
「ばかっっっ!」

 あの時叫べなかった言葉を。

 ふいに成へ顔を近付けたあたしに、成の慌てて騒いでいた口が閉じる。
 接近したあたしの唇は、成の唇を……スゥッと横切った。
「…………?」 
 羨ましくなるほどに長いまつげを揺らした成が、閉じていた目を薄く開いた瞬間。





「っ!」
 あたしは成の右耳に思いっきり噛み付いた。
 成が息を飲み込む音がすぐ近くで分かる。こっちを見ようと必死で首を動かそうとしているのも分かる。  
 でもそれは両肩を押さえ込んだ手が妨害となって、ただもがくだけの行為に終わった。
「イデッ」
 あたしはもう一度軟骨に歯を当て、次に首の筋肉、そしてはだけたYシャツの鎖骨。
 歯型が残るのも構わずに、あたしは肉をも裂く勢いで噛み付いていった。
 その度に成の体に力がこもり、小さな悲鳴があがる。
「って、ててッ! バカヤロッお前は犬か!」
「犬だったら舐めるでしょ」
「あ、そうね……ってコラッ! 冷静にツッコミすんな」
 振りあがった成の手を掴むと、その青い血管の浮き上がった手首も前歯に挟まれる。
 僅かに舞い上がった埃が斜めに差し込む夕日で反射され、水面に近い海中のようにユラユラと揺れていた。
「準ちゃん準ちゃんって、ばかみたいだよナリ」
 指先に力を込めると、骨ばった肩に食い込んだ。成の眉がひそめられる。
「あたしはもう、準ちゃんの隙間なんか……埋まらなくてもいいと思ってんのに」
「イッ!」 
 成が何か言いださないうちに、左耳にも歯形をおとす。
 頬に伸びてきた成の右手の、一番口に近い親指の爪も犬歯で噛んだ。
 奇妙な音を立てて、少し伸びた爪が削られていく。
「なんでナリは……そうやって、いつまでも……好きだ好きだ言ってんのよぉッ……!」 
 あたしに押さえ付けられた成は、一度も動かなかった。
 いくら全身の力を込めていても、所詮あたしなんかナリには敵わない。
 なのに成はあたしを跳ね除けなかった。
 一度も、挟まれた足を動かさなかった。
「香子……泣いてんの?」
「あたしの目の何処に涙があるってゆーの……」
「じゃあ何それ? ヨダレ?」
「…………心の汗」
「古ッ」
 準ちゃん。
 準ちゃん準ちゃん準ちゃん!
 戻ってこないで。あたしの中に戻ってこないで。
 準ちゃんは、

 準ちゃんは、成に戻ってきてあげてよ。




 そうじゃないとあたしはいつか、いつか成を噛み殺す。 



「香子、足痺れてきた」
 成があたしの頬を軽く叩く衝撃で、ふとずれかけた焦点を戻す。
 あたしは肩に置いた手を指先からゆっくり外し、立ち上がってすぐ脇の机につっぷした。
 どのくらい時間が経っただろう。
 気付かれないようにそっと目を開けると、まだその場から動いてない成が居た。
 点々と赤い痕がここからでも分かるほどに浮かび上がり、それはキスマークとは程遠い痛々しい痕。
 あたしはまた心の汗が溢れそうになって、再び目を閉じた。
「……ねぇナリ」
「んー?」
 普段と少しも変わらない口調。
「あたしあんたにキスされたとき、舌噛んどけば良かった」
「は? これまた古風な自殺? ジャパニーズ忍者?」
「違うっつーの。自分のじゃなくて、ナリの」
 成は一瞬ヒク、と喉を鳴らして、何故かそっと微笑んだ。
「フーン。チャンス逃して残念だったね」
「なんで嬉しそうな顔してんの? マゾ?」
「どっちかってーとサド。ヤだね、ベロなんか噛まれたら痛そうだもん」
 そう言っていたずらっぽく舌を出した。
 さァ噛み付いてもいいデスヨと言わんばかりに。

 でもあたしは噛み付く代わりに、角の磨り減った消しゴムを投げつけた。

「あだっ!……ったく、なんでもかんでもすーぐ暴力に走るんだからこの子は……」
「暴力じゃなくて正義の鉄拳」
「ふーん、最近のヒーローは善良な市民にも鉄拳を与えるんだね」
 あたしの机に消しゴムを置いた成は、自分の鞄へ歩いていったかと思うと急に振り向いた。
 そして満面の笑みを見せつけて言う。














「なんで俺の事好きだって言わなかったの」











 本当に、あんたはまだあの頃のばかやろうでしかないね。
 準ちゃんの隙間は、成なんかじゃ到底埋まりっこない。
 埋まってほしくなんかないもの。

 準ちゃんの居ない隙間は、そのままでいいんだと思ったの。
 たった今。

「……今までは」

 ようやく口を開いたあたしを見て、成はため息まじりで静かに笑った。
 それはどこか

 誰かに似ている笑顔だった。

「そうする理由もなかったから、ね」




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