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Last update 2008年03月15日

SHIZURU  著者:なずな



『これほど官能をくすぐられ、欲望をそそられる男性には会ったことがないの』
そういって、女は去って行ったのだ。
 ・・老人は弱々しい微笑みを浮かべ、とつとつと語った。
『あんたなんて世間知らずのお坊ちゃま、ずうっと物足りなかったのよ。気がつかなかったの?』
女は切れ長の目を細め、煙草の煙をふうっと長く吐き出した後 男の愛の行為の未熟さを哂う。
若い彼の一途な想いも、二人の幸せだったはずの日々も 何もかもを踏みにじり紙くずでも捨てるように、女は自分の荷物を処分し、その部屋を去った。 
そして二度と戻ることはなかったという。
「本心でない・・と気づくにはその時の自分は青すぎたんだな・・」

静流は 黙ったままそっとその男の指をなぞり、目で話を促す。
「確かに街に立って客をとる商売女だったさ。けれど、本当は家族思いの心根の優しい生真面目な娘だった。
 そんな娘が一生懸命生きていた、そういう時代だったんだ。」
濁った白目、やつれた頬。 黄ばんだ白髪 筋張った腕。
ベッドの金属の柵が長い影を落とし 静かに夕闇が迫っていた。

「きっと、そのひとも・・」
静流の指は男の指先から 手のひらへ、そして腕へ静かに移動する。
大切な壊れ物を愛おしむかのように。
この身体の感触だけは 忘れまいとするように。
確証のない推測の慰めを 静流はコクンと飲み込む。
静流は目を伏せ シーツの上の男の手を握る。
真紅のマニュキアの指は その女を思い出させる、と老人は涙ぐむ。


◇◇

ハウスシェアはシズルが言い出したことだった。
親との関係を断ち切るように家を出た。
頼る宛もなく薄給のバイトしか見つからず、家賃のなるべく安いねぐらを・・と僕が不動産屋の前で考えあぐねていたとき、いきなりの申し出だった。
「ねぇ、キミ 一緒に住まない?」
シズルは ストリート系の少年みたいな格好。小柄で化粧っ気のない顔。
それでも はっとする程シズルは綺麗だった。

「気に入って買っちゃったんだけど、独りで住むには広いからさ」
半ば強引に連れていかれたシズルのマンションの部屋。シンプルでさっぱりした彼女の性格を思わせた。
シズルは 日当たりのいい一部屋をあっという間に片付け、僕の部屋に当てた。
リビングとキッチン、バス トイレは共用。ただし使ったものは 自分ですぐに片付けること。
無くなったものは補充すること。
共用部分の必需品は個別に使うものは各自が負担、一つでいいものは シズルが買う。

「悪くない条件だよね? それと『ついでだから やってあげる』っていうのもなし。
 自分のことは自分で、がルール。」
少年のような格好によく合うサバサバしたしゃべり方で シズルは二人暮しのルールを決めていった。
僕の口を挟む余地もない。
シズルの言うとおりに任せたら 悩みも無く全てが上手くいきそうな気になりながら 
よく動く形のいいその唇に、僕はただ見とれていた。
一気にしゃべり終えたシズルは僕の視線に気づいて ちょっと躊躇い 
自分の唇を隠すように手を当てて 聞いた。
「何か質問?」

「ひとつだけ 気になるんだけど・・」
「何?」
「僕は『知らない男』だよ? 危険だとかそういうの考えないの?」
シズルは僕の目をまっすぐ見て言う。
「それなら 私もあなたの『知らない女』だわ」
少年っぽく見えた彼女が 急に年上の女性の表情になる。

「わたくしは あなたの行いの清さを信じます。わたくし達のこと、神様は全て見ておられますよ。」
静かな笑みをたたえ、シズルは厳かに言った。
一瞬の豹変ぶりに唖然とした僕の目を覗き込んだ後 シズルはまたクルッと元の表情に戻ると
「私、実は『聖女』なんだ。キミを襲ったりなんかしないから 安心して」
ふふ・・と笑って シズルは僕の肩をたたく。


◇◇

「すまないと思っている。」
節くれだった手、日に焼けた顔。薄い敷物の上 ごろりと寝転んだまま初老の男は言う。
「でも もう会わせる顔なんてねぇんだよ。」

「不思議だな。目の前のあんたはオレの女房と違うのは解りきったことなのに・・」
男は薄汚れた服の袖で 滲む涙を荒っぽく拭い鼻をすする。
「噂どおりだな。あんたになら 一切合切喋っちまいたい気になるんだもんな」
静流は静かな微笑みを返し、男のほつれた毛を指で梳いた。
「そういう纏め髪をしてた。綺麗なうなじの、なかなか色っぽいヤツだった」
静流に身を任せたまま 男は妻への想いをかすれた声で語り続けた。

「これを『後で』ポストに入れてくれ。あんたへの礼はこっちに入ってる」
男は故郷で旅館勤めをしているという妻宛の手紙を静流に託し 
あちこち破れた薄汚い鞄を示して言う。
「お礼なんて頂かなくっていいんです。それより『今』・・」
静流は言いかけて ふと止める。
意見する仕事ではない・・と決めたはずだ。
「その時」を、幸せにしてあげることだけが 静流の役目だ。

◇◇

深夜のコンビニは 客もまばらで退屈。
睡眠時間のトータルはそこそこなものの シフトの変わり目で、疲労感が抜けない。
お客の流れが途切れた時間、仕事の相棒、フリーターのヨシさんにシズルの話をした。

日を追うごとに僕とシズルの生活は静かに変化し リビングで一緒に過ごす時間が増えていた。
「ついでは 無し」などのシズルが決めたルールも、彼女自身がさりげなく緩いものに変えていく。 
家にいる日はよく、シズルは手の込んだ食事を作っては こんな風に声をかける。
「味見してよ、荘吾くん。でも、うんと褒めてよね。でないと もう作る気、失せるから」
僕がコーヒーを二人分淹れ、二つのカップに注ぐ。果物も半分こ。
コーヒーの湯気の向う、長い髪をバレッタで無造作に纏めたシズル。
白い肌にそばかすの浮かぶ素顔は案外幼い。

「へぇ、羨ましい、年上のいい女と同棲なんてさ。何してるひと?」
それが よく解らないのだ・・というと ヨシさんは好奇心を露にしてさらに聞く。
探偵事務所のバイトもしたことある・・ヨシさんの経歴を聞き出したら長い。
危ない橋も渡ってきたんだぜぇ、そう言いながらヨシさんは自慢気に胸をそらす。

「人に会うのが仕事・・だってことしか教えてくれない。服装も、出かける時間もばらばら」
「で、マンション買えるくらい金持ちなわけ?高い給料貰ってる感じ?」
「それが・・よく解らないんだ・・」僕は繰り返す。

札束が入った封筒を見たことがある。シズルが明け方 帰ってきた日。
リビングのソファに崩れるように座ると 俯いたままじっとしていた。
泣いてるの?
声を掛けると顔を上げシズルは潤んだ目のまま首を横に振り、微笑んだ。

「囲われ者・・愛人とかさ、そういう類? 
 そんな女と同棲しちゃって大丈夫なのかなぁ 荘吾ちゃん。
 そのうち 男が乗り込んできて修羅場とか」
おお、怖・・というように、ヨシさんは大げさに顔をしかめ、肩をすくめた。

◇◇

若い男だった。

狭い部屋の中には西日が差し込み 
擦り切れた畳の上に寝そべった顔色の悪い男の顔を照らしていた。
ゴミの散らかった部屋。饐えたにおい。

「そこだ・・取ってくれ・・これで最後にするから。
 ・・・本当に 何もかも最後にするから。」
震える手。そんな動きさえ思うようにならない身体。男は空洞のような目で静流に言う。
静流は静かに頷いて 男の望むようにそれを渡してやる。
止めたって無駄だ。静流は苦い記憶をかみ締める。
クスリを止めさせようと心を尽くし、手を差し伸べた男は 結局自らの命を絶った。
どちらにせよ逝ってしまう者だったのだ・・・
あんな 終わり方を見るくらいなら あのまま見守ればよかったのだ。
私は 何も変えられない。静流の頬を涙が伝う。

やがて男は正気を失くす。
 ─ おかあさん・・おかあさん・・ こんな息子でごめんなさい
男がすすり泣く。
 ─ ああ、いい気持ちです。温かくて 懐かしいにおいがします。

男の母がよく着ていたというモヘアのセーター。
静流の その柔らかなセーターの胸に 男は顔を埋める。


昨日もヨシさんとペアで深夜勤務。
シズルのことを、もうヨシさんにも話せないでいた。
いつものようにヨシさんは 探偵事務所のバイト時代に培った尾行のノウハウや、
浮気や援助交際や愛人との三角関係の縺れなど ドロドロした話ばかり楽しげにしてくれた。

前は大きな病院の特別室、その次見たのは小汚いアパート。
昨日は 若い男の部屋にシズルは入っていったのだ。
ヨシさんに唆されたという訳ではないが、情けないことに尾行までしてしまった僕は
その日 言いようもなく気落ちしていた。
介護とかヘルパーとか老人の話し相手のボランティアの可能性なんかに 縋っていたかった。
これ以上 何も想像したくない・・シズルを「聖女」のままにしておきたい僕がいた。
窓の隙間からなんか見なかったのだ。シズルが若い男と抱き合っている様など。



軽い頭痛を覚えながらマンションに帰ると シズルがリビングのソファに寝転んでいた。
ポストに入っていた手紙類を黙ったままシズルに差し出すと、その姿勢のまま首をもたげシズルがいきなり聞いた。
「荘吾くん、ここに住んでること、ご家族には知らせてあるの?連絡とかしてる?」
「してない、いいんだ、そんな心配、してくれなくても」
「良くないよ、事情はどうあれ、居場所くらいは知らせておかないと、ご家族も心配するでしょ?」
姉さん口調のシズルにカチンときた。
事情って、シズルこそ何なんだよ、家族の話なんて聞いたこともない。
「何だよ、うちの家族のことなんか 知らないくせに。」
きつい口調になった。シズルは上体を起こし座りなおすと、まっすぐに僕を見る。
「何でシズルがそんな説教できるの?誰と住んでるって親に言うわけ?
 自分のこと何にも話さないでさ、シズルがどんな人で何やってて、何考えてるかさっぱり解らないのに。」
素足のペディキュア。顔に掛かった乱れ髪。V首セーターの胸元。
そんなものにどきりとして目が離せなくなる自分を嫌でも意識する。
カサカサした言葉を投げつけたのに シズルは静かに微笑んでいる。

「何をやってるって・・・前にも言ったじゃない、人と会って話しをして・・
 見守って・・」
それ以上言うな!・・僕は後ろ手にドアを閉め 自分の部屋に逃げた。



シズルは時々 リビングで酔いつぶれて眠っていた。
あの時と同じ、封筒に入ったお金がテーブルに無造作に置かれていることもある
「会ってるひと」との関係が終わったんだな・・そんな事 僕にだって解った。
シズルがどんな仕事をしていようと関係ないと 割り切ったはずなのに 
酔って異常にハイテンションになった彼女や 酷く塞ぎこんだ彼女の
白い腕や首筋がやけに綺麗に見えて 胸が痛む自分に気づく。
一つの仕事を終える度、シズルはやつれていくようだ。
ひどく落ちこんだ後は いつしかもとの明るい顔に戻るけど
そんな風に別れを引きずるなんて 一体どういう「付き合い」なんだろう
 ・・・嫉妬に似た感情を自分の中で見つける。
じっと見つめられているのに気づいてシズルが問う。
「どうしたの、荘吾くん?」

「もう 辞めなよ」
「何を?」
「その・・仕事をさ」
「仕事って何?」


「何やってるかなんて 全然知らないくせに。」
シズルはとびきり綺麗な顔でふふふ・・と笑う。

今日のシズルは意地悪だ。


 *

コンビニの仕事を続けながら就職先を探し、やっと希望に合った仕事が見つかった。
仕事の傍ら専門の勉強をする話も、面接で好意的に受け止めてくれた。
「良かったわね、就職おめでとう。やりたかった事に一歩近づいたってことなんでしょ?」
迷いがあるのは勤務地がここから遠いところなのだ。シズルに打ち明けると、シズルはすぐには答えず、じっと僕の目を見ていた。
乾杯しようよ、シズルはキッチンにグラスを取りに行き、ワインを選びながら僕の方を見ずに言った。
「そうね・・ちょうどいいわ。もうここ、出てくれる?荘吾くん」
何で、そんな簡単に言うの?シズルの後ろ姿を目で追いながら言葉に詰まる。

「好きな人がいるの」
ワインこれにしようよ・・とでもいうような調子で、選んだボトルを高く上げ、シズルはこちらを振り返り笑って言った。
「嘘」
「嘘じゃないわ」
「だから 荘吾くんとはもう一緒に暮らせないの。」
返す言葉を捜している僕に目を合わさず、二つのグラスにワインを注ぎながら、シズルは台本でも読むように続けた。
「あれほど官能をくすぐられ、欲望をそそられる男性には会ったことがないの」
シズルの首筋が、指先がシズルの「女」を僕に突きつける。
シズルの口から「官能」だとか「欲望」だとかいう言葉を聞きたくはなかった。
シズルの「仕事」を疑いながらも それでもシズルは僕の「聖女」だったのだ。

「だから お別れ。」
握手、と差し出された手を僕は振り払う。払った手に思いがけない力が入ってシズルは後ろによろけた。
赤いワインが飛び散り、グラスがひとつ カシャンと割れた。
シズルの身体が壁に打ち付けられる鈍い音。
はっと、我にかえり 僕は自分の手と壁際のシズルを交互に見た。
こぼれたワインが一瞬 血の色に見える。
顔を上げたシズルの目には怯えはなく、静かで穏やかな微笑みを湛えている。
慈愛に満ちた聖母。

このまま一緒に暮らしても 嫉妬が僕の中で抑えようもなくなって暴力に形を変えていくかもしれない。
目に浮かぶのは 僕が最も嫌悪した父親の姿・・耐えて微笑む母親の姿。
振り切って 捨ててきたはずの僕の記憶。
何よりも 自分が怖かった。震えが全身を襲う。
泣き崩れたのは僕の方だった。
僕の腕にシズルの手がそっと触れた。びくっと身を硬くした僕をシズルは後ろから抱きしめた。
温かいシズルの腕の中、シズルの髪の匂い。シズルの額がコトンと僕の背中に押し当てられる。
そのままシズルは僕の背中を静かにさする。嗚咽が止まらない。

シズルにそうやって触れられているうちに 両親のことや自分のことを 語る言葉が溢れ出す。
押さえ込んで来た感情や 親に対して頑なになった心が 少しずつ解れていく。
理解なんて到底できないと思っていた父にさえ、心寄せることができそうな気がした。
心が洗われ、重荷が取れていくような、それは不思議な感覚だった。
僕はいつの間にか眠った。そして明るい光に満ちた幸せな夢を、僕は見たのだった。

次の朝 シズルは黙ったまま、テキパキと僕の荷物をまとめ、
「さよなら。貴方は幸せに生きなさい。きっとできるわ、大丈夫」

僕に一言も言わせることなく 清らかに微笑んでシズルは僕を玄関から押し出し

そうして僕らの二人暮しは解消した。



シズル?静流のことかい?
あんた ほんとに知らないの?ここいらじゃ 有名だよ。
「もうすぐ死ぬやつ」のところに やって来る。
一人ぼっちで孤独に死んでいくやつのところにね。

ただ 手ぇ握ってさ。
身体さすってさ。

会いたいけどもう会えない家族や、
謝りたいけどもういない相手なんかの代わりにさ
話 黙って聞いてくれてよぉ・・・泣いてくれるんだとよ。
静流になら 何だか聞いて欲しくなってさ。
話すだけで 何だか 心が軽くなってさ。

笑って死んでいけるんだってよ。
それでもやっぱり 生まれてきて良かったっんだって・・
安心して 幸せに ・・・・逝けるんだってよ。

見返り?そんなもんないさ。

たださ、みんなが勝手に 金 押し付けるんだよ。
金持ちは金持ちなりに。
なけなしの金無理やり渡すヤツもいたって聞くよ。

へぇ?アンタ 静流と暮らしてたって?
そりゃ 羨ましいね、いい女なんだって?

でも、アンタは生きてるんだねぇ。
やっぱり 別れて良かったのかもなぁ・・・。

「聖女」だって言うヤツが多いんだけどさ
「死神」だって言い張る ばあさんがいたっけな。
元占い師の イカれたばあさんだったがね。

冗談、冗談・・忘れてくれ。
静流さんに申し訳ないや。ひどい話さね。


「聖女」の噂を耳にしたのは 僕がシズルのマンションを出て何年も経ってからのことだった。



あれから僕はシズルに会ってない。
公園や簡易宿泊所、病院などを探してみたが 一度も会えなかった。
一緒に住んだ部屋も もう別の人が住んでいる。

シズルは今もどこかで 孤独なひとの最期に立ち会っているのだろうか。
僕があのまま孤独に生き続けたら、最期のときシズルは会いに来て
泣いてくれたのかな。

ねぇ、シズル? 
僕は 呼びかける。どこかにいる彼女に向けて。

「聖女」でいるのに飽きることはないの?




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