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Last update 2008年03月15日

パラレル  著者:時雨


 恐らく、致命的な結果を招くことになるとは思ってもみなかったに違いない。
 そう思わせたのは私だし、そう思ったのも他ならぬ私だ。
 どうしたらよかったか、なんて分かる筈もなかった。
 分かったところで、感傷に浸る暇などもう私には与えられてないようなのだが、脳裏を掠め行くのはただ懐かしいような幻想だった。
 目の前の機会が耳障りな高音をたてて私を急かす。
 そしてようやく私の時は終わるのだと笑いながら。


2006.3.31.

 長い、長い夢を見た。気がした。
 それが破られたのは、寝呆けた頭がやっと音を認めたからで。
「……ちょ、起きて、悠。」
「んですか」
「電話。頭どけて、動けない。」
 不自然な姿勢で上体を起こした身の左腕は、隣に寝る悠の頭の下にしっかりと轢かれて。
 失敗した。いつもは上手く首の下に入れるんだけどな、畜生。
 酷く不機嫌そうに眉を顰めたその人は、音のする方向を仰いでみせると、勢いをつけて起き上がる。
 拍子、柔らかな髪が頬を擦った。
「ぅわ、何。」
「貴方が出ると用件が分からなくなるから私が出ます。さっさとお風呂入ってきてください。」
 悪かったな。
 しつこく鳴り続ける機械音。呼応するように痺れる左腕に、思わず溜息が出る。
 この状況は、何と言うかこう、……惨めだよな、俺。

 *

 電話は、二言三言で済んだようだった。
 風呂から出てみると、悠は台所で固まっている。
「悠、風呂空いた。入る?」
 眉を顰めたまま冷蔵庫と睨めっこしていた悠は、俺の顔を見て不意にとろんと微笑んだ。
 虚をつかれて、柄にも無く心臓が跳ねた。
 近くに行けば、つい、と無造作に首筋に唇を寄せられる。ごく、軽く。
「ああ、良い香りですね。」
「……服、濡れるぞ。」
 湿った肌に息がかかる。腰から触れられた部分に向けて、快感が逆流する。
 髪から滴った水滴が、清潔な色のシャツを濡らしていく。
 やばい、これはやばい。何でこいつこんなご機嫌なんだ。
「何、嬉しい電話?」
「そうですね。」
 まるで聞いてないかのような返事が、宙に浮いて、次の瞬間いきなり落ちた。

「大好きですよ、俊樹。」





2007.3.28.

 夜の公園は柔らかさの欠片も含んではいないようだった。
 曖昧な影。無機質な蛍光灯。もういくらか咲いている桜の木だって、照明が自動販売機じゃホラーにもならない。
 春が来るのに風は冷たい。この時期の風は涙の香を孕んでいて居心地が悪かった。
 あれからもう一年だ。もう一年も経つ。世界は嫌になる程ゆっくり歩いているのに。時は思い出を刻む事を拒否するように止まったままだ。
 ブランコ。滑り台。シーソー。砂場。電話ボックス。

 ……電話ボックス?

 公衆電話があるなんて知らなかった。もう何度も通り過ぎた公園なのに。
 ゆっくりと近づきながら、ふと、俊樹が気紛れのように寄越した「もうすぐ着く」の連絡を思い出す。
 大切な存在だった。社会から見れば許されない事は分かっていた。それでも、どうしようもない位に惹かれた。どうしようもない位に愛しかった。同じ性を持っていたのに。
 見た目よりもずっと抵抗のある扉を開く。紫がかった白い光に桜の色を連想する。
 俊樹はここからかけてきたんだろうか。
 馬鹿らしいと思いながらも、おもむろに受話器を取り上げると、小銭を放り込んで、今は空っぽの家の番号を押した。

 一秒

 出るわけも無い

 二秒

 唯一の住人はここで戯れに悲傷に沈んでいるのだから

 三秒


「もしもし」


 心臓が止まるかと思った。いや、止まった。
「もしもし、もしもし?……どちらさま?」
 喉が嫌な音をたてて酸素を求める。心臓の音が頭を揺さぶって、空間までがざわめいてる気がする。
 聞き違いなんかじゃない、間違いなくこの声は、でもまさか。まさか。
「……俊樹?」
「…………誰、あんた。」
 警戒心の混じるその声に、混乱が一気に引いた。
 そうだ、よく似た声なんてざらにある。
 恐らく番号を間違えたのだろうと判断すると、自分の愚かさが痛かった。
 こんな夜中に。迷惑千万な話だ。
 謝りかけて、唐突に叩き付けるようにして電話を切った。

 受話器の向こうに聞こえた声。

『何です?』

 あれは、確かに自分の声だった。






2007.3.29.

 雨の音がする。
 響いて、遠のいて、充満していく。
 あまり気持ちの良い目覚めとは言えなかった。

 昨日、電話ボックスは、私が出ると霞のように消えてしまった。
 繋がった電話の向こう、在り得る話じゃないのは百も承知。
 窓を覗くと、外はモノクロの世界。ガラスに薄く映った眼は、戸惑いか不安か、あるいは切望といったどうしようもない感情を色にして揺れた。

 雨の音がする。
 思考が地に落ちて、頭が重たい。
 形の無い直感だけが騒いで、気ばかり急いて夜を待った。

 *


「はい。」


 消えた筈の電話ボックスは、当たり前のようにそこにあった。
 家で見つけた度数の少ないテレフォンカードが、狭い入り口に飲み込まれるのを奇妙な気持ちで眺める。
 繋がらないんじゃないかという不安も、ワンコールで杞憂に終わった。
 昨日と違うのは、出たのが自分だという事。
「もしもし?」
 そうか、その可能性があった。後先考えずに行動した自分に腹が立つ。
「……もしもし。夜分遅くにすみません。……俊樹は」
「今はまだ帰っていませんが。どちらさまでしょうか。言伝などございましたら。」
 考えあぐねて口にした名前は、驚くほどすんなり通ってしまった。
 こうなるともうどうしていいか分からない。
 混乱した頭は、今出来る最短の思考を紡ぎ出す。
 ああそうか、パラレルワールドってやつか。
 ……そんな馬鹿な。
「いえ……いいえ、大丈夫です。すみませんが、教えて下さい。今何年の何月何日です。」
 向こうの自分はこちらの正気を疑ったようだった。一拍おいて言葉が返された。
「あなた誰です」
「お願いします、教えて下さい。俊樹の事に関係するんです。」
 切羽詰まっているのが伝わったのか、最後の一言が効いたのか、いずれにしてもすぐに電話を切るような自分でなくて良かった。
「……今は、2006年の3月29日です。何です俊樹の事って。本当にあなた誰ですか。」

 一年前だ。

「聞いて下さい。私は一年後のあなたです。明後日に、俊樹が死にます。車に撥ねられて」

 電話の向こうで、自分が息を詰まらせたのが分かった。声に切れるような怒気が含まれる。
「……ちょっと待って下さいよ、いくら悪戯でも言って良い事と悪いことが」
「悪戯じゃないんです」
「悪戯じゃなければ何だって言うんですか。いい加減に」
「本当に死んだんだからしょうがないじゃないですか!」
 思わず出た大声は、悲鳴のように狭い空間に響いた。
 余韻が耳に痛い。静かだ。
「……今が、未来だっていう証拠があれば信じますか。」
 沈黙。
 それでも喋ってしまわないと壊れそうだった。どんな事をしたって信じてもらわなくてはいけなかった。
「明日、朝に地震があります。壁に掛かってた三つの絵のうち、左端の猪の絵が落ちて。額のガラスで俊樹が右手の中指を切ります。
 これが起こったら信じて下さい。明日また同じ時間に電話します。あなたが出て」
 言い終わらないうちに電話が切れた。


 雨の音がする。
 妙に熱を持った耳に、周りの音がやっと戻った。






2007.3.30.

「落ちました。指も切れました。どういう事です。」
 電話越しの声は、昨日とは様子が違っていた。それでも尚、疑いをかける向こうの自分に苛々する。早くしないと時間が無い。もう本当に無い。
「どういう事も何も、信じてもらえないんですか。」
「だってこんなのありえないでしょう。何なんです。未来って未来ですか。」
 確かにこんなのは有り得ない筈だ。でも今起こっている。それならどうしたら良い。理解してもらうために。
「……悠、あなた実は引越し祝いに頂いたセットのティーカップ割ったでしょう。五つのうち二つ。ごみ出しは俊樹がしちゃうもんだから、未だに袋に入れて持ってる。」
 信じて、と、何度目かも分からない願望を零すと、長い静寂の後に、観念したように溜息が吐かれるのが聞こえた。

「…………明日、車に撥ねられて、ですっけ。」

 *

「俊樹が、昨日割れた額を買いに行こうって言いませんでしたか。」
「言いましたよ。すぐじゃなくて良いって言ったのに聞かなくて、まさかそれで出かけたときに轢かれるとか?」
 轢かれる。そう轢かれたのだ、目の前で。
 ああ、どうしようか。声が滲む。
「交差点で、信号無視した車が突っ込んできて、わたしを庇って撥ねられたんです。」
 喉に刻む一つ一つの音が痛い。
「救急車が着く前に、死にました。」
 涙など疾うに涸れたと思っていたのに。
「お願いです。彼を助けて下さい。どうにかして行かせないなり、別の道を通るなりして。」

「……はい、勿論。」






2007.3.31.

 眠れなかった。
 高揚感だか焦りだか、そんなもので一晩中息苦しくて、あの電話ボックスは夜しか無いんだと承知でそれでも公園に足を向ける。
 無いと、思っていた。
「……あれ、何で。」
 人気の無い公園。電話ボックスは、僅かに陰影を纏って、泰然と薄闇に浮いている。
 今更何が起こっても不思議とは思わない。しかし流石にこれは気が抜けた。
 かけてみようか。
 早朝だから、とか、そんな理由は理由にならなかった。
 想いだけ先走って、胸が痛い。

 電話のコール音が切れるのは、すぐに、とはいかなかった。
 あと三コールで切ろうと思った時に、繋がった。

「今日は早いんですね。」
「……どう、ですか。」
「駄目でしたよ。いくら言っても聞かないんです。でも」
 止めます、止めてみせます。強い口調は心地のいい安堵感を招く。
 短い沈黙の後、驚く程に静かな声が呟いた。
「それから、ひとつだけ。」

「あのひとは言いましたか。」

 何を、と問い返そうとして、瞬間、理解した。
 『同性で恋は成り立たないんですよ。平行線は交わってしまったら行き止まりでしょう?』
 だから、と私は言った。恋心を認めるなんて、許さない。愛を口にするのは止めましょう。それ以外は、別に変える必要もないけれど。
 電話の向こうで自分が、あのひと、という言葉をひどく丁寧に発音したのに苦笑しながら、答えを返す。
 相手は満足そうに笑って、何も言わずに電話を切った。
 きっと向こうの自分はやってくれるだろう。俊樹を助けてくれるだろう。また声が聞けるのだと思うと、剥き出しの恋心が締め付けられて、知らず視界が霞んだ。

 *

 陽が落ちるまでそうかからなかった。
 番号をコールする指が縺れる。きっと。でも、もし。

 向こうが出るまで随分かかった。聞こえたのは俊樹の声だった。
 生きてた、良かった。
 思わず愛しさで理性が飛びそうになった。感じた異様がそれに歯止めをかけた。
「……悠は、悠は居ますか。」
「居ない」
「え」
「死んだ。事故で。もう居ない。」

 もう居ない。

 よく聞けば俊樹の声は滲んでいた。
 ああそうか、庇って代わりに逝ったのか。
 受話器を置くと、目の前の機械は耳障りな高音を立てて、度数の切れたカードを吐き出した。
 白々と頭上で光っていた蛍光灯が、ジジ、と音を立てて点滅する。
 体の先の方から冷えて行く感覚がする。見ると、指先が透けていくのが分かった。
 考えようによれば幸せな最期だ。
 見開いた瞳の向こうで、満開の桜が白い花弁を落としていた。
 『あのひとは言いましたか。』
 代わりに消える事が自分の答えなら、今度は私がそれを言ったんだろう。

 ゆっくりと、瞳を閉じた。





2006.3.31.

「大好きですよ、俊樹。」

 反則だ。
 (認めるなんて、許さない) 先にレールを敷いたのは悠だ。交われない道ならそれでもかまわないと思っていた。
 それを崩すのが、こんなに簡単だとも知らずに。
 白いカーテンが揺れる。窓際に活けた春番紅の花が、僅か不安げに慄いた。

「ありがとう。……俺もお前が好きだよ。」

 瞬間、目の前の瞳が、どうしてか少し悲しげに歪んだ。




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