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Last update 2008年03月15日

白が満ちるまで  著者:Glan


 そこだけ影が差したように、写真は色あせていた。
 今はもう誰が写っていたのか知るすべもない、古い具象化された記憶の断片。
 一つだけある窓に面した通りからは、足早に駅へ向かう人々のざわめきが押し寄せてくる。
 差し込む毒々しい色のネオン、その光を避けるように部屋の一番奥の隅にうずくまる少年。彼の視線の先には銀の写真立てがある。
 夜の内にある室内は暗い。写真立て以外には何一つ家具がなく、それほど広くも無い木造の部屋。漂うのは木のぬくもりではなく、不安を煽る夜の匂いだ。ひび割れた窓ガラスの明かりが届かないぎりぎりの場所に無造作にある写真立て。
 少年は瞬き一つしない。
 声を失くした少年は、ゆっくりと立ち上がり写真立てを手に取った。暗がりに息を潜めた何者かに見張られているような鋭い視線を感じ、彼はそれでも写真を近づけて見つめる。
 そこに写っているのは彼と彼の両親だった男女である。少年には誰が写っているのかなど分からない。しかし、それでも彼は写真を見つめ続けた。記憶の彼方にあるモノをそっと両手ですくおうとするように、慎重に。
 ふと、窓の外の喧騒が消えた。人々が街から去り、通りの明かりも輪郭も、そこが通りであったという確証すらなくなった。
 街は闇に沈んだ。
 月明かりは雲に遮られる。
 少年は写真立てを捨てた。
 静寂が部屋に侵入し、気づかれないように少年の周りを包み込む。声を失くした少年は、再び何者かの視線を感じた。
"彼"の視線はべったりと空気にまとわりついていた。よそ者を見るかのような、その場所にふさわしくない異物を排斥するかのような、そんな視線だった。
 少年にはどうすることもできなかった。闇にとけた視線は、彼がどうする事も出来ないと知ってさらに鋭い注目を浴びせた。
 声を失くした少年は、喉の奥からうめく様な悲鳴を上げ、部屋の隅へ逃げ込む。視線は彼の動きに合わせて、空気を這うように追ってきた。音はなく、空間の広がりさえ見失ってしまう小さな部屋で、少年は体育座りをしたまま体を震わせた。
 ふと見上げると、声を失くした少年の目の前に、彼自身が立っていた。
 それは少年の影だった。
 影は闇よりも黒く、はっきりとそこに存在していた。少年が戸惑った顔を向けると、影は両手で目のあたりを覆い隠し、風のざわめきのような声で話しかけてきた。
「もういいかい」
 少年が沈黙していると、影はもう一度彼に向かって問いかけた。
「もういいかい」
 声を失くした少年は、目を閉じて心の中で答える。
「……まあだだよ」
 影がカエルのような声で笑った。口元を押さえて、よほどおかしいのか肩を揺らしている。
 少年は両の瞳でその姿をじっと見つめ、怯えるような、怒っているような、その両方の感情が混ざった表情になっていた。
 視線の主は間違いなく"彼"だった。しかし、先ほどとはうって変わって穏やかな空気が部屋を包んでいる。互いに警戒していたのか、影の笑い声で二人の間を隔てる壁が一気に薄くなった気がした。
 どこか遠くの空で、老人の笑い声のようなフクロウの鳴き声がする。部屋の中は、だんだんと熱が引けて冷えてきた。少年は、今度は体が感じる肌寒さのせいで体をブルブルと震わせた。影はじっとその場を動かない。
「寒いのかい」
 影が少ししゃがれた子どもの声で少年に問いかけた。少年はほんのわずかに頷いて答える。
「君の声はどこに置いてきたの」
「しらない」
 今度の影の問いには、少年は心の中で即答した。少し驚いたように、影はしゃがみこんで彼の顔をまじまじと眺めた。
「夜が怖くないのかい」
 少年は静かに頷いた。膝下で組んだ両手がカタカタと機械のように規則どおり震えている。
影は、ゆっくりと少年の体に手を伸ばした。一瞬、少年の体は強張ったが、暖かい陰の手に触れると安心したのか、その手を弱弱しく握った。
「君は子どもなのに、どうしてそんなに冷たい手をしているんだい」
 影の声は特徴のない平坦な声だったが、少年にはまるで悪戯好きの男の子の声のように聞こえた。闇の中で、少年の声にならない振動が夜の空気と混ざりあう。
「僕の手はこんなに冷たいのに、それでも君の手よりずっと暖かい。昼の世界が怖い?」
 答えは無かった。ただうずくまって、影の手を強く握っていた。影が困ったように黙り込んでいると、背後でパキという写真立てのガラスにひびが入る音がした。音の無かった世界で、それは少年の耳に突き刺ささった。
「パパとママが――」
「ちがう」
 影の声を少年が遮った。今まで影が聞いた少年の声の中では、一番強くはっきりとしていた。
 先ほどとは違う種類の静寂が部屋の中を満たし始める。フクロウの声が聞こえなくなった。
「もうすぐ夜明けだよ」
 そっと語りかける。
「夜から抜け出したくないのかい」
 少年は何も答えない。
「抱え込まなくていいんだよ」
 少年がすっと顔を上げた。
「全てを受け入れようなんて、思わなくてもいいんだよ。そんなの、僕にも誰にも出来やしないんだから」
 影は少年に近づき、びっくりするほど素早く両手で抱きしめた。少年の冷え切った身体は息を吹き返したかのように強く脈打ち始める。少年はヒューヒューと必死で何かを言葉にしようとし、何も言えず影に抱きついた。
「失くした声と、殻に入った心と、みんなゆっくりと取り戻すんだ」
 影の声は、いつの間にか子どもではなく女性のような声に変わっていた。聖母のような、温かく全てを解かしてくれる声だ。
「今までずっとこの場所にいたんだね。君は目を閉じていたから、気づいて上げられなかった」
「ぼくのこと、しってるの」
「そうだよ。僕は君の影だから、君の事は何でも知ってる。やっと、目を開けてこの場所を見つけたんだね」
「いままでずっと、なにもみえないところにいた」
 肩で息をしながら、少年は興奮した様子で影に語りかける。心の中から響く熱い声を、影はしっかりと見逃さず聞いていた。
「ここよりもずっとくらいんだ。なにもみえないんだ。きがつくとあさになってるんだ」
「そうだね。そうやって君はずっと我慢してたんだね。その痛みはずっと僕も知ってたよ。体が半分に裂かれるような痛みを、君はずっと一人で耐えていたんだね」
「だれのこえもきこえなかった。だれもいなかったよ」
「目を閉じていると、見えるものも見えなくなってしまうんだ」
 影は少年の柔らかい腕にほおずりした後、背中をそっと撫でた。冷たかった少年の体はもう影よりも熱くなり、ほのかに甘い匂いがした。
「そうか、思い出したんだね、自分の姿を。本当の顔を」
「あったかい、ママのおなかのなかみたい」
 少年の頬からは温かい雫がつたった。。
 雫が、明けてきた東の空からの光によって照らされ、輝く。それと同時に、影の姿は半透明になっていき、今にも消えてしまいそうだ。
「どうして、きえちゃう」
「また寂しくなったらおいで。君の目はもう開かれている。すぐに声も取り戻せる」
「でも」
 少年は、濡れた頬を震わせて必死にかぶりを振った。影の感触はあるが、その黒い体からは部屋の窓が透けて見える。
 影はしがみつく少年の手をゆっくりと払い、窓辺に立った。
「光の世界は怖くない、優しくて温かい。さぁ、その瞳で思いっきり光を感じるんだ」
 少年はおずおずと立ち上がり、透けた影の体ごしに窓から射し込んで来る光を見つめる。
 眩しい。だが、声を失くした少年の体は、その眩しい光に呼応するかのように、力強く鼓動していた。不安と期待が闇の彼方に沈み、朝と交わり光と共に新しい一日が始まる。その瞬間を静かに、そして噛み締めるように味わう。
「からだがあったかい。こころも、あったかい」
「もう一つの君が、目覚めるんだよ」
「ぼくは、どうなるの」
「どうにもならないさ」
 既に声だけになった影は、笑って答えた。
「君は元の場所へ帰るんだ」
 眼前の光景は、柔らかな白に満たされていく。


Fin




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