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Last update 2008年03月15日

かみ  著者:おりえ



「やれやれ。彼女の好奇心に私は振り回されっぱなしだ」
 両手を広げて大げさなポーズをとって見せると、友人は苦笑した。
「君が彼女の願いをことごとくかなえてしまっているのも、要因の一端なのではないかな?」
 なるほどそれは一理あるかもしれない。
「君のすごいところは、彼女が『絶海の孤島から宝を手に入れて来い』と言ったら、すぐにそれを実行してしまえる所にあるのだと思うよ。僕にはとても真似できない」
「大して難しい問題じゃないさ。だろう?」
 私の穏やかな笑顔に、今度は友人が大げさに両腕を広げて肩をすくめてみせた。
「そう言ってしまえる君に賛同できたらいいんだけどね」
「君もすぐにできるさ。さ、コーヒーが冷めてしまわないうちにどうぞ」
「これはどうも」
 私がすすめたコーヒーのカップに手を伸ばす友人は、口をつける前にぐるりと周囲を見渡した。
「これらは全て彼女のために君がした功績の現われだね。来るたびに色々と増えているじゃないか」
「私には必要なものなんでね」
「なるほどねぇ」
 壁には首から上の鹿の剥製が生え、床には上質の絨毯の上に虎の皮をはぎとったものが広げられ、友人が座るソファの隣には、しっかりと地に足をつけた熊の剥製がそびえている。友人が目ざとく見つけたのは、恐らく壁にかけられている蛇の生皮であろう。彼女の頼みごとを聞いた翌日に手に入れたものだ。他にもありとあらゆる動物の剥製がこの部屋には置かれている。誰もがこの部屋へ入ると気分が悪くなるか落ち着かないとそわそわするものだが、目の前でうまそうにコーヒーをすする友人だけは、この部屋がお気に入りのようで、昆虫採集が趣味の少年のような目で彼らを眺めるのだ。
「こうたくさんあると、どれかひとつでも勝手に動き出しそうな気がするね」
「ははは。夜なんか、電気をつける前はどきりとするよ」
 彼らから発するすえた臭いが部屋中に染み付いて、妻はこの部屋に入るのを嫌がるようになった。お陰で私は思う存分この部屋で彼女とふたりきりになれる。……私はもしかしたらそれを望んでいるのかもしれない。
「さて、今度はどこへ行くつもりだい? 君がこの世界中で行ったことのない場所なんて、もうありはしないと思うのだけれど」
 友人は意地悪そうな目で私を見つめる。充血した濁った白目はまるで死体のようで正直薄気味が悪い。しかし私も恐らくは似たようなものだろう。彼女のために日々寝る間も惜しんでいる身だ。外見のことなど構ってはいられない。彼女は幸いそのことを気にするような女ではない。そんな女は、私には必要がない。
 私はどこまでも自由で、奔放で、貪欲な彼女が大好きなのだ。だから私は、彼女の望みを叶えられるだけ叶えてやりたいと思っている。
 だけどたったひとつだけ、私は彼女にしてやれないことがある。友人はそれを知っていて、わざとけしかけるような言葉を投げつけてくる。嫌なヤツだ。
「人間が立ち入れる場所は限られている。私の行動範囲の狭さは、君もよくご存知だろう」
「僕も似たようなところにいるからね」
 友人は肩をすくめた。
「しかし君のような力はないよ。どうすれば君のようになれるのか――」
「ここだよ、君」
 私は額を指差して見せた。友人は苦笑する。
「頭のデキが違う、とでも言いたいのかい?」
「結論から言えばそうだ」
 友人はコーヒーを一息で飲み干すと、ふっと笑った。何を言い出すのかと見守っていると、首を少し傾げてみせる。それから私に向かって手を挙げ、それを開いたり握ったりし始めた。
「……?」
「そこまで言われるとは思わなかったね。正直怒ってもよさそうなものだが、ここは素直に感心しておこう」
「どうしたんだい……」
 そこまで言いかけて、私はぱっと口元を押さえた。友人の姿が、透けている。彼を通して、ソファの輪郭が浮き上がってくる!
「キャラクターが暴走する、なんてよく作家の間で言われることがあるだろう」
 友人はまだ手の動きを繰り返している。私は身動き一つ取れず、ただ見ている。
「僕はそれを、作家の力量不足だと信じて疑わなかった」
「………」
「君が彼女の要求を叶えるためにここまでしでかしたとき、僕は焦ったよ。当初の予定とは随分違うんだからね」
 透けて行く友人は、興味深そうに再度部屋中を見渡した。
「君ができないこと、君が行けない場所は、ただひとつ」
 友人はこつこつとテーブルをたたく。片方の手は相変わらずの動作を繰り返している。
「紙の中だけだ」
「!」
「そこまで恋焦がれていながら何故君は僕と同じことができないんだ? 僕にはできたのに」
「なにを……」
「僕の手を離れて自我を持つようになるなんてね……はは、キーを叩く手が別人のようだ。コーヒーまで飲んじゃって。あはははは」
 私は気づいた。友人は、私にさよならを言おうとして、あんな手の動きをしているのだと。
「君はこれからもそうやってこの部屋に居続けて、彼女の望みを叶えてやればいい。大丈夫。君は僕とは頭のデキが違う。行ったことのない場所でもまるで見てきたかのように表現できる力がある。それは誇っていいことだよ」
「待ちたまえ、君は……」
 私ははっとした。その隙に友人はふっと消えうせる。
 ああ、そうだ。彼は友人でもなんでもない。何故気づかなかったのだ。
 私はこの部屋から出たことがない。だから友人だっていない。妻はいることになっているが、一度も見たことがない。だから彼の名前すら、私は知らない。
 そう、君だ。この指を動かし、文字の羅列を作って行く君。文字を目で追っている君。
 わかるかい? 私だよ。今、君に話しかけてる。君からのアクセスは嬉しかった。私はずっとここにひとりでいたから。手を振ったら私が見える? 文字だけだとイメージがつかない?
 私は今日も彼女と向き合う。君のようにパソコンを使わないから少し面倒だけれど、君がそう設定したのだから仕方がない。ああでも今度パソコンを置こうか。ここは文字だけの世界。君がいれば、私は永遠に生きていられる。この文字を読む人がひとりでもいれば、私はここにいることになる!
 さあ、私がこれからする行動を、誤字なく書き起こしてくれよ。今日も君を寝かせる気はない。
 私は剥製だらけの部屋の隅にぽつんと置いてある文机に向かう。そら、今向かっているよ。机に向かい、座る。万年筆はインク切れを起こさない。原稿用紙もなくならない。便利な世界だ。
 さて、彼女は今音楽に夢中なんだ。
 私が君を動かすように、彼女が私を動かしている。
 原稿用紙に書き出す最初の一文は、こうだ。

「いつから、ジャズは、小難しい音楽のジャンルに入ってしまったのかな、と、彼女は少し不服に思う。」

 さあ、ここからが私の腕の見せ所。
 君とは頭のデキが違うってことを、嫌という程教えてやるよ。




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