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Last update 2008年03月15日

せんちめんたるまんほーる。  著者:空蝉八尋



 彼は、こうして他人を見たことが、かつてあったのだろうか。
 私のような人間を、こうして遥か下から見上げたことくらいはあったのだろうか。
 小さな存在の私よりももっと、豆粒のように小さな存在が居るものだと噛みしめてみたい。
 一種のサディストだ。私は自分に軽く毒づいた。
 そうして自分の醜さを縛りあげたいサディストだ。 

 そんなことを考えながら、腕に這い上がってくる真っ黒なアリを見つめていた。
 よじ登っては吹きかける私の息で吹き飛ばされベンチの上へ落ち、そしてまた暫くすれば登ってくる。
 私のたったひとつの吐息で、その努力はまた無に返される。
 その様子を表情一つ変えずに眺めている自分の姿を想像して、小さな笑みが漏れた。 

 ふと我に返った瞬間、小さな足が視界に入ってきた。
 そのまま顔をあげると、私が腰かけていたすぐ前に、小さな女の子が立っていた。
 だれか同僚の娘だろうか。可愛らしい大きな瞳で私を凝視している。
 ふいに周りを見渡す。昼休みも終わりかけの時間、屋上には誰も居なかった。
 もとい、夏の季節は日差しがキツ過ぎるこの屋上には、ほとんど人影は無いのだ。
 また視線を返すと、少女はまだこちらを見続けている。
 私の黒縁眼鏡が珍しいのか、それともこのネクタイなのかネクタイピンなのか。

「ねぇ。アリさんはどうしてこんな屋上まで来れるか、貴方知ってる?」

 ふいに少女は尋ねてきた。
 私はあまりにも年齢に似つかわしくない声と口調に少し戸惑ったが、すぐに答えた。
「そんなもの。登って来ていなきゃ来れないよ」
「ふーん……登ってるんだ。すごいね、こんなに高いのに」
 少女は届かない身長を懸命に伸ばして、フェンスに手をかける。
「おい、あまりそっちに行くと危ないぞ」
 私の忠告を聞き入れたのか、少女は素早く身を翻すと唐突に呟いた。

「どうして一生懸命登ってくるのかな」

 何故だか。何故に。何故なんだろうか。何故だか分からず。
 私は木槌で脳天をかち割られたような気分になった。
 それでも無意味な言葉だけは、簡単に吐き出てくる。
「さぁね、私にはアリの考えていることなんて分からないな」
「どうして自分のこと私って言うの? おんなのこみたい」 
「丁寧に聞こえるだろう。それに私はこれが好きなんだ」
「すきなの? じゃあいいね」
 少女は無邪気に笑った。ひまわりの花が咲いたような笑いを見ているのに、自分の顔がどうなっているのかばかりが気にかかってしょうがない。
「きっとアリさんはねぇ、自分がどうして登っているかなんてわからないんだよ」
 少女は笑うのを止め、私に囁くようにしてそう言った。
「ただ、貴方の腕があったから登ったんだよ。きっとそれだけ」
 私はなんの言葉も返さぬまま、あのアリを探した。しかし何所にも居なかった。
 ただ私の腕が目の前に立ちはだかったから。
 この腕はどこに伸びているのだろうかとか、この先には何があるのだろうかとか、落とし穴はないだろうかとか。
 そんなことは一切考えてないんだろう。

 なんて愚かで羨ましいのだろうか。

「泣くの、格好悪い」

 そう言われてはじめて、自分の両目から涙が滴っているのに気がついた。
 慌てて袖口で拭おうとし、この背広は一番良いものだと気づき、ハンカチを探したが見つからずに。
 私は深く俯いて、流れる涙を焼けたコンクリートの地面に落した。
 次々と落ちる雫はみるみるうちに蒸発し、私はただ瞬きを繰り返す。
「格好悪いか。そうか、そうか……私は、なにをやっているんだろうね」
 肺に思い切り風を吸い込むと、一気に叫ぶ。

「俺は! こんなところで! 何をやってやがんだ!」

 会社の熱い屋上で。自分が知ってるもっとも空に近い場所で。小さな少女の前で。ベンチに座って。
 動きの遅いエレベーターで。書類が山積みのデスクで。気づけば頭を下げているあの人の前で。

「あああああ!」

 一心の力を込めて声を搾りあげた。掠れて喉を突き破っった嗚咽は、行きどころもなく暫時空気にうごめいた。

「泣くのって格好悪いけど、貴方の泣き顔は好きよ」
「…………私だって人の泣き顔を見るのは好きだ」
「へぇ、なんで?」
「快感じゃないか。自分も、同じように泣いてみたいと思うから」
「あははっ。そりゃ結構なマゾヒストだね」
 そう言われた瞬間、私の頬はカッと熱を帯びる。泣きはらした眼球よりも熱い。
 どうして幼い少女がこんな単語を知っているのかなどという詮索は、余計なことに等しかった。
「私はサディストだ」
「うっそばっかり。貴方が自分の事をサディストだって勘違いしてるのはね、自分の願望だから」
「願望……?」
「そ。貴方がそうされたいと願ってることを、他の誰かに置き換えているだけ」
 意味が分からないまま、俺はおぼつかない足取りで立ち上がった。
 少女はスカートのすそをひらめかせ、子供らしい柔らかな笑みを浮かべている。
「じゃあ、君が私の髪を引っ張り上げて地面に平伏させたら、私は喜べるとでも言うのか?」
「そうゆうこと言ってんじゃないよ。だってそれは貴方がされたいことじゃないでしょう」
「されたいことだと言ったら」
 屋上に、再び沈黙が訪れた。

「そしたら喜んでやってあげるよ」

 ふと自分の足元を見ると、アリが革靴にすがり付いていた。
 踏みつぶしてしまおうか。そう考えて止める。少女の言葉が脳裏に張り付いて離れないからだ。
「ほら、ね。ヒトってみんないつだって、自分が受け止める側に居たいの」
 ただ思いをぶつけても、結局はその答えを受け止めたい。
 愛を上げても、その分の愛を返されたい。
 他人を褒めれば、褒め返されたい、とでも言いたいのか?
「おなじ」


 吹き戻されたい のか?  


「ね、おんなじ」

 彼女は美しく微笑んで、そしてもう一度繰り返した。
 脳裏の奥深くに刻み込むように。

「わたしと貴方はおんなじ」

 ああ。
 同じ。

 近過ぎる太陽の日差しは、人の思考を狂わせる。
 本当に? 

 本当にそうだろうか。彼女と私は、同じ種類なのだろうか。
 私の沸騰した脳内で、いつまでも言葉が渦巻いては砕けていた。




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