※上記の広告は60日以上更新のないWIKIに表示されています。更新することで広告が下部へ移動します。

Last update 2008年03月15日

砂迷宮  著者:松永夏馬



「未来に向かうということを、あらかじめ諦めているのだろう」

 そう言われて榊ユカリはここに足を踏み入れた時のことを思い出しながら納得した。さすが聖職者、言うことが違う。
 見渡す限りの砂。砂砂砂。
 まるで真夏のように照りつける太陽はやけに高く、砂から立ち上る熱気が身を包む。砂漠の真ん中にいるような風景と、その目の前に立つ男のミスマッチが非現実感をますます高めていた。

 暑苦しい黒い袈裟、手甲、脚半、半球状の笠。貫井団坊となんだかやけに暑苦しい名前を名乗ったその僧侶は、難しい顔をした老人だった。
「だからこそこの砂におぬしは喰われつつあるのじゃ」

「……喰われるって」
 じりじりとした暑さに額の汗を拭きながらユカリは苦笑した。この汗では化粧も日焼け止めも流れてしまう。

「ならばなぜこの地で彷徨い続けておるのだ」

 坊主の問いにユカリは目を伏せた。足元に佇む影が砂から放射される熱でゆがんで見える。いくつの砂山を越えただろう。どれだけ歩き続けただろう。いくら歩いても、砂に軌跡を残しても、未だ海へとたどりつかない。

 大神楽砂丘、太平洋を望む美しい砂の世界。初めての逢瀬で来たこの地を、ユカリは別れの地と定めたのだ。そうして彼を呼び出した。彼は来ないかもしれない。来なければそれでもいい、そのまま海へと歩き去ろう。いや、本当は来てほしい。もう一度私の腕を掴んで安心させて欲しい。本当は来て欲しくない。宿った命を告げたら彼を苦しむだろう。逢いたい。でも逢いたくない。

「お主は今を見失った。だから砂の奴に飲み込まれた」
「飲み込まれたって、だからそういう抽象的な」
「別にたとえ話をしておるわけでもないぞ。この地の砂は生きておる」
「生きてる?」
 ユカリは足元の砂を蹴った。砂埃がキラキラと太陽の光を弾いて舞う。
「砂一粒一粒ではなく、砂丘は砂丘として一個の生物のようだと思わぬか? 砂は常にその姿を移ろわせておる。同じ姿に見えて違う。その違和感が砂の罠じゃ。そうして知らず知らずのうちに砂に惑わされ迷い、いずれ呑み込まれる」
 奇妙な砂の世界。感じつづけてきた違和感の正体を告げられ、ユカリは改めて周囲の砂の山々を見上げた。襲い掛からんばかりに伸び上がる砂の波。その砂はゆっくりと、しかし間違いなく自分に牙を向けて。
「砂は迷うべき人間を狙い惑わす。呑み込まれつつあるのならば……やはりお主には先へと進む意思が無いのじゃろう」

 暑さではない汗が背筋を這った。黄色い魔物に四方から包み込まれる恐怖に眩暈がする。

「わかんないわよ」
 ユカリは吐くようにそう言った。まっすぐに自分を見つめる黒衣の僧侶に視線を向けず、足元から伸びる自らの轍の先を見上げた。砂の丘に消えていく自分の足跡。いままで歩いてきた道。
「それが正しいのかなんてわかるわけないじゃない」
 黄色い砂と雲ひとつない青い空。そしてこれでもかと自分の存在を示す太陽。熱せられた空気がまるで淀んだ澱のように砂漠に沈殿し、自分の行く手を阻む。前にも後ろにも、進めない。
「正しいかどうかなどわからぬ。それもまた答え」
「禅問答には興味ないわ」
 額から流れる汗が視界を滲ませた。手についた砂をパンツの後ろで払い、ユカリは目を擦る。
「わからないの」
 顔を伏せる。

「わからない」

「共に考える相手がいるのではないか?」
 僧侶は淡々と言った。すべてを知っているかのようなその口ぶりに、ユカリは不気味さよりもむしろ怒りを覚えた。
「彼のこと?」
 黒衣の男は頷いた。笠に隠れてその表情は見えない。自分の下腹部に手を当て、ユカリは苦しそうに唸った。
「ダメ。言えない」
「ならば」

 僧侶はあくまでも淡々と。砂の上の陽炎のようにおぼろげな存在感。

「そこで待つ男はなんだ」

 砂が蠢く。大きく波がうねるかのように。

「この地に惑わされずにまっすぐにお主に会いに来た男はなんだ」

 生暖かい風が吹いた。砂を巻き上げ、旋風が踊る。

「正しいか正しくないか、問題はそんなことではない」

 やけに耳に残る言葉だけを残して、砂混じりの風と共にその黒い人影は消えていた。

 海が見える。

 波打ち際で所在なさげに立つなで肩の男の姿が、ユカリの目に映った。

 彼は不器用で、それだけいつもまっすぐな人だった。人目を忍ぶ愛なのに、優しく柔らかく包み込んでくれた。
 彼は優しすぎる。
 別れの言葉を告げても、ひどく彼を罵っても、彼は優しい。

 どれだけ言葉を荒げても、彼は彼のままだった。挑発に乗るということは、それと同レベルまで、自分の価値を下げることだと彼女は知っていた。

 彼と私は違う。彼は降りてきてくれない。彼は優しすぎる。優しさが時に人を傷つけることを知らない。

 彼は迷うことなく私を愛し続けるだろう。それが悔しい。そのまっすぐな思いが、まっすぐな光が私の闇をくっきりと映し出すのだから。

 わからない。

 今はまだわからない。




コメント

名前:
コメント:
| 新しいページ | 編集 | 差分 | 編集履歴 | ページ名変更 | アップロード | 検索 | ページ一覧 | タグ | RSS | ご利用ガイド | 管理者に問合せ |
|ログイン|