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Last update 2008年03月16日

丘 の 河 童  著者:国見弥一



 列車の警笛がなりひびき、金属製の車輪が路線をとらえる音が、どんどん近づいた。

 ああ、兄ちゃんがやってくる!
 あの列車には、あの兄ちゃんが乗っているのだ。我が家に遊びに来るんだ。


 いつのことだか、はっきり覚えていない。ボクがお袋に連れられてお袋の田舎に行った時のことだということは分かる。まだ保育所に通っていた頃のことだったろうか。
 細切れだけれど、何処か懐かしい風景を思い出せる。
 でっかい家で、垣根に囲まれていて、垣根の向こうには田圃や畑が何処までも広がっていて、なんだか、凄いところに来たなという感じがあった。

 ボクの家だって周りは田圃だらけなんだけど、その規模が違っていた。田舎じゃ、何処まで真っ直ぐ走っても、隣りの家には辿り着けないような気がした。少し霞んだ彼方には、鬱蒼と生い茂った森が見えた。
 森の中に一際、陰の濃い一角があって、誰に聞いたのか忘れたけど、あそこが「チンジュの森」だと教えられた。
 あの頃、ボクには「チンジュ」という言葉の意味が分からなかった。ただ、幽霊とか魂とかお化けとか、漫画か何かで見知った得体の知れないものを連想していたような気がする。

 お袋は、郷里にいて、のんびりしているようだった。お袋の姉妹たちや親戚の人たちが一杯いて、心置きなくお喋り三昧というわけ。まるで娘時代に帰ってしまって、ボクのことも、ほったらかしだった。
 お袋のお母さんやお父さんは、いたんだろうか、覚えていない。家の奥の座敷に居て挨拶したような気がするけれど、記憶はあいまいだ。

 兄弟姉妹は何人もいたけれど、ボクと同年代の子供はいなかった。みんな、ボクよりずっと年上か(といっても、四つか五つ程度だけど)、でなかったら、赤ちゃんだった。
 ボクは、年齢的に、ちょうどみんなの玩具にされる年頃だったようで、ちやほやされたり、何かというとお八つをくれたり、嬉しいんだけど、こそばゆい感じがして、なんだか面倒だった。

 そのうち、みんなに構われるのが嫌になって、特別興味もなかったのだけど、玄関に置いてある木彫りの動物たちを眺めていた。そこにはタヌキやらクマやらキツネなどの動物が並んでいた。
 中にはどうみても、裸の少年の彫り物もあった。

 見上げると壁に巨大な亀の甲羅が飾ってあった。ボクなんかより図体がデッカイ! 甲羅はワックスでも掛けられていたのか、顔が映りそうなほどにピカピカなのだった。

 すると、後ろから声が掛かった。
「それ、何か、分かるか」
 ボクは咄嗟のことで、返事できなかった。でも、内心は、答えが分かっていた。「カメ」って言いたかった。けれど、何故か口ごもってしまった。

「なんだ、知らないのか。河童だぞ」
「えっ、カッパ?」

 ボクは悔しかった。河童くらい、ボクだって知ってるさと言い返したかった。でも、内心、カメじゃないのっていう思いもあって、どう反応していいのか分からないでいた。

 お兄ちゃんは、ボクがためらっている間に、奇妙なことを言い出した。
「この河童、川にいた奴を似せて作ったんだぜ。ここに並んでいる動物は、みんなそうさ。近くの森にいる奴らを模したものなんだ」
「みんな?」
「ああ、みんなだ。山のほうへ行けば、クマもいれば、キツネもいる。河童も近所じゃないけど、いるんだ。裏の川を遡っていくと、河童の奴が棲みついている場所があるんだぜ」

 それから、おもむろに付け足した。
「お前、これ、カメだと思っただろ」
「そんな…」
「河童だなんて言うと、大抵の人は馬鹿にするから、カメに似せているけど、もともとは河童だったんだ」

 ボクは、河童は空想の動物だってことを聞かされていたから、あまりのことに驚いた。

「えっ、河童って、ホントにいるの?」
「いるさ。だから、ここにこうして置物になってるんじゃないか。俺んちの父ちゃんが捕まえたのさ。檻に入れてさ、殺しちゃう前に、記念だからって、得意の腕を揮って、木彫りの彫刻にしたってわけさ。河童の甲羅なんて、そのままじゃ、やばいからって、亀に似せたってわけさ」

 ボクは訳が分からなくなった。目の前の置物は、とても本物らしく見えた。足のヒレとか、頭の皿とか、細かなところまで掘り込んであって、どうみても、本物のカメそのものに思えていた。

「どうだ、河童、見てみたいと思わないか。それとも怖いか?」
 ボクは兄ちゃんの表情がなんとなく怪しくて、断りたかった。でも、あまりに魅力に満ちた誘いだった。男の意地もあった。怖がっていると思われたくなかった。知らず、頷いているのだった。

 裏の川は、さすがに当時のボクには無理だけど、中学生ほどになれば、飛び越せるような細い川だった。タニシとかをお兄ちゃんが獲ってくれたりしたこともある。
 その用水路のような川の土手沿いの道を、お兄ちゃんと二人、何処までも歩いていった。チンジュの森の奥へ分け入っていった。家がドンドン小さくなっていく。終いには深い木立にさえぎられて家が見えなくなってしまった。
 いつもは口数の多いお兄ちゃんが、何故か沈黙を守っていて、ひたすら先を急いでいるようだった。

 川はやがて、細い筋になっていったと思ったら、そのうちに林の中に呑み込まれていくのだった。これじゃ、どうやって河童が棲めるんだろう。勘の鈍いボクも、そんな疑問を抱いた。

 でも、林を分け入っていくと、すぐにそんな疑問は氷解した。
 突然、ゴーという水が激しく流れ下る音が聞えてきた。と思ったら、水しぶきの上がる渓流が眼下に見えたのだ。

 そう、ボクたちが辿ってきた筋は、もっと大きな川のほんの小さな支流に過ぎなかったのだ。

 崖の上にボクたちは上っていった。上流のほうを望むと、滝があった。高さはどれくらいだったろうか。ガキのボクには、迫力を感じるばかりだった。あまりに意外な景色に、呆然と見惚れていた。

「あそこが河童の棲み処さ」
 お兄ちゃんの声だった。
「えっ、何処?」
「あの滝壷の辺りに河童が棲み付いているんだ」

 ボクは、しばし、轟々と流れ落ちる水の迫力に圧倒されていた。
 水しぶきは夢の中で見た竜のような、蠢く巨大な蛇のような、不思議な生物となって、滝を落ち、水面と衝突し、白い噴煙を上げ、一気に破裂するのだった。
 光の加減なのか虹が出来て、それがまた水しぶきを竜の胴の鱗のギラツキに見えるのだった。

 兄ちゃんに促されるままに、滝の真下近くの岩場に立った。水しぶきが顔だけじゃなく全身をずぶ濡れにするのだった。
 水面は、巨大な竜の胴体をやすやすと飲み込み、深い深い水の底へと引き摺り込む。
 汚れのない綺麗な水のはずなのに、渦巻いていて、水面を覗き込んでも、水底など、まるで覗き見ることは叶わなかった。

「河童はな」と、お兄ちゃんは、滝の音に負けないよう、大声でボクに言った。
「この水底に棲んでるんだぜ」

 ボクは足が震えていた。今にも河童の奴が水面に顔を出し、それどころか手だって伸ばして、僕の足首を掴まえ、水の中に引っ張り込む、そんな恐怖を覚えてならないのだった。

「お前さ、河童って、どんな恰好してるか、知ってるか?」
「河童? 知ってる。図鑑で何度も見たことあるし」

 すると、兄ちゃんは、ふふふと不気味な笑いをするのだった。

「お前、勘違いしてるぜ」
「勘違い?」意味が分からなかった。

「あの、頭が皿で、ヒレがあって、背中にカメの甲羅みたいなのを背負った奴を河童だと思ってんだろう」
「そうじゃないの。ちゃんと図鑑で見たよ。空想の動物だって書いてあったけど…」

 ボクは、空想の動物ということを強調したかった。存在して欲しくなかった。そんなもの、見たくなかった。もう、帰りたい一心だった。
 すると、兄ちゃんは、また、ふふふと得体の知れない笑い声を上げた。

「何がおかしいの?」

 しばらく、奇妙な沈黙があった。滝の轟音ばかりが鳴り響いていた。

「お前に河童の正体を見せてやる」
「河童の正体?」
「そうさ。お前、ウチに裸の子供の彫り物があったの、覚えてるよな」
 そう、言いながら、お兄ちゃんは服を脱ぎだした。
 そして、真っ裸になった。

「ホントの河童は、オレなんだよ」
 そう言うと、兄ちゃんは、ボクの背中を押して、水面へ突き落としたのだった。
 そして、あとから兄ちゃんも飛び込んできた。

(ボクは丘の河童なんだ、泳げないんだ。溺れちゃうよ!)

 でも、水の中では声になるはずがなかった。ゴボゴボ、ガボガボという哀れな音がこもっているだけだった。

 水中には、ホントに河童がいた。兄ちゃんという河童が。兄ちゃんの魔の手がボクの足首を握って、水の底深く、引きずり込もうとしているのだった。

 それからあとのことは、何も覚えていない。透明なような、濁っているような、泡だらけのような、真っ白な雲の海のような、真っ暗闇な押し入れのような、高周波音の鳴り響く無音の宇宙のような、訳の分からない真っ赤な闇の時空を駆け巡っていた。

 気が付くと、ボクは、岩場の何処かに横たわり、青い空、白い雲を眺めていたようだった。が、すぐにまた、紅い闇の坂道を転げ落ちていった。
 そのあとは、何もかも真っ白になった。

 やがて気が付くと、大きな屋敷の奥の座敷に一人、寝かされていた。襖の向こうの、はるか遠くの茶の間からは、みんなの賑やかな談笑の声が聞えてきた。
 中でも、兄ちゃんの笑い声が、一際大きかったことをボクは覚えている…。

 あの事件のことは、兄ちゃんにはただの冗談だったのだろうし、とっくに忘れていることらしいけど、オレは決して忘れちゃいない!
 あれから6年。オレはもう、あの頃のガキなんかじゃない。

 オレは密かに誓っていた。今度はオレが河童になってやる。
 そして、兄ちゃんを…。




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