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Last update 2008年03月16日

彼女の恋愛倫理論  著者:空蝉八尋



「信じないのか?」
 巻き髪を頬にはりつけ、涙で濡れた女の瞳を、男が強い眼光で見つめる。
「いつまでも信じております……華之丞さま!」
 ひしと強く抱き合うふたり。
 背景には大都会のネオンと走り去る車、見向きもしない通行人。
 BGMはロングゴーン・ビフォア・デイライト……木枯らしの音は聞こえない、冬の空。


 「すっ、す……素敵ぃぃぃぃぃ」
 テレビ画面へ食い入るように身を乗り出していた女子高生、澤口まどかは絶叫した。
 絶叫したというよりも、吐息交じりの言葉を吐いて背後のクッションにバタンと倒れこんだ。
「これです……これですとも、真の愛というものは!」
 そしてそのままボンボンと愛らしいぬいぐるみにストレートを喰らわす。
 一連の事を終了させると、また再び盛大な吐息が部屋に響く。
「私もいつか、めくるめく愛の世界を堪能し! そして愛する方と運命を共にするのです」

 澤口まどか、17歳。その心情は平和でいて残酷である。
 彼女がたっぷり入り込んでいたテレビドラマは、今はすでにコマーシャルの海へと飲まれていた。 





「まどかちゃーん、一緒に帰ろうよ? ね?」
「え…? あ、ハイ…?」
 街を歩けば注目される葉中女子高等学校の制服は、もうそろそろ夏服に衣替えする時期だった。
 澤口まどかは今日もまた、通学路から横道にそれた山道をひとりで帰ろうとしていた。
 そこを、昇降口で背後から呼び止められたのだ。
「まどかちゃんさ、確か神乃木町のほうだったよね?」
「はい、もう少し奥ですけど……えっと、あの」
「あ、あたし? アヤでいいよアヤで。みんなそう呼んでるし」
「アヤさんですね」
 同級生からしてみれば珍しいふたり組みは、並んで校門を出て行った。
 立ち並ぶ桜並木が、今は若々しい薄い緑の葉に包まれている。
 自転車から降りて見物する人こそいないものの、これはこれで彼女たちのお気に入りの風景だった。
「明日からの体育、スポーツテストからやっと解放されてテニスだねぇ。まどかちゃんテニス出来んの?」
「あ…恥ずかしながら私はあまり得意では……ガットにボールが当たらなくて」
「あー! あたしも最初はそうだったよぉ。難しいよねーテニス」
 他愛もない、ごく普通の女子高生の会話だった。
 少しも妙なところなんてなくて、もし他人の耳にこの話が入ったとしても、なんの不都合もないだろう。
 彼女たちは、極めて 普通 だったのだ。

「ねぇー、あたしまどかちゃんに聞きたいことあんだよねぇ」

 このようにして真実の沈黙は、少しのタイミングと装飾を施された前文の後にやぶられる。
 気付いていてもお互い様だという暗黙の了解が、彼女たちの間には通っていた。
 ただ、澤口まどかという異色の人物にはそれが通用するかどうか。
 アヤは今までずっと、それをためらっていた。 

「はい。なんでしょうか」

「…………誤解しないで聞いて欲しいんだけどね?」
 通用の赤丸印が、今日もまた誰かに押されてゆく。
「まどかちゃんさー、何でいっつも手首隠してんの?」
「手首、ですか?」 
 まどかは自分の左手首を右手で押さえるしぐさをした。
 そこには制服と彼女の性格からはほど遠い、スポーティなリストバンドがはめられている。
「あっ、別に言いたくないならいいんだけどね、別にっ」
「私の愛の証でございます」
「……えっ?」

 そのときアヤの脳裏には、一体何がよぎっただろうか。

「へ、へぇー。なんかねぇ、みんな気になってるんだよ。まどかちゃんの…愛の証、だっけ?」
「フフフッ、皆様も私と同じように、他人様の恋愛話は気になるものなんですね」
「……そうだね」
 そうだね、と単調に返された返事を気にも留めず、まどかは半分自分の世界に入り込んで話し始めた。
「私、愛した人とは、一生をかけて連れ添わなくてはならないと思うんです!」
「あー、分かる分かる」
「一人の殿方をずっと、永遠に愛して。そして二人はいつまでもいつまでも、愛と共に過ごすのですよ」
「分かるー……」
「死が二人を別つなど、あってはならないのです」
 丁度山道に差し掛かったときだった。
 アヤの軽々とした歩みがぴたりと止まったのは。
「アヤさん? どうかされました?」


「夢見てんじゃねぇーし」


 消え入りそうで、しかしはっきりとした呟きを残して彼女は身を翻し、一気に山道を駆け下りようとした。
 が、背後から伸びてきた細い腕にそれを阻まれる。
「ま、待ってくださいっ!」
「…………ごめーん。あたし今日部活休んじゃったからさぁ、ちょっと走ろうかと思って」
「……あ、運動部、なんですか?」
「そ。陸上部だよっ」
 まどかは思わず強くつかんでしまった腕を、軽く謝って放した。わずかに指のあとが残る。

 沈黙と退屈ほど、彼女たちが恐れるものはないのだ。    

「それ、リスカじゃないの?」
 恐怖に負けたのは、勿論アヤの方だった。
 その恐怖から逃れるために、彼女は心の奥底に沈んでいた言葉を無理やりしぼり出す。
 まどかはキョトンと目を見開いて、アヤの問いかけを繰り返す。
「リスカ……ですか?」
「なに? まどかちゃんリスカ知んない?」
「リストカット。の、ことですね」
 すばやく返答したまどかに、アヤは単調な苛立ちを覚えた。
 同じタイミングで、周りの木立が風で揺れ声を奏でる。
「知ってんならさぁ、なんでそーやって言わないの?」
「いえ。これはリストカットではありませんから」
「ちょっ、だからさぁ。手首切ってりゃみんなおんなじだよ!」
「いいえ、いいえ!」
 剣幕とすごみが増したまどかに、アヤは少し身を引いた。
 その瞬間を見逃さなかったのか天然なのか、まどかは更に声を荒げる。
「同じではありません! 私は、私はそんな理由でこの証を刻むわけではないのです!」
「わざわざ目立つ場所に傷付けて格好つけてさ、しかもそれ証とか言っちゃって。何のつもり?」
「何のつもりと申されましても、私はただ恋の信念を貫くまでにございます!」
 アヤはここまで、同級生しかもクラスメイトに対して邪険な態度を取るのは初めてだった。
 そんな自分と、切り返してくるまどかに驚いてもいた。
 言葉は常に絹を着せ、自分も相手も傷つかないように。
 優しさではなく、自分を守る為に。

 砂糖の自分が、カップの底へ溶け残らないように。

「まどかちゃん、それ違うよぉ」
 アヤの人当たりの良い、歯を見せる穏やかな微笑が復活する。
「…………?」
「恋に憧れがあるのは分かるよー、ウン。でもさぁ、まどかちゃんは恋に恋しちゃってるだけでしょ?」
「恋に……恋。私が……?」
「そだよ。恋っていう言葉に、あたしたちの倍くらい敏感、そんで、あたしたちの倍の倍くらい憧れてるんだよ」
 アヤはまどかの左手を柔らかな動作でつかむと、自分の目の前へ持っていく。
 しばらく、リストバンドに隠された下を透視するように見つめていた。
「その気持ち、すっごい分かるよ」

 分かるよ、と。

「では、アヤさんはどうなのですか?」
「あたしかぁー」
 わざとらしく考え込むふりをし、横目でまどかを眺める。
 長い腰までの髪を揺らし、彼女は真剣な面持ちで答えを待っていた。
 今にも泣きそうで、それでもけして泣かないだろうと思える瞳で。
「あたしも恋はしたいよ、まどかちゃんと同じでね?」
「…………では、それも憧れでは」
「違うよぉ」
 言葉を遮るように、アヤは顔を背けて続ける。
「あたしは……ううん、あたし達は。ハヤリの恋愛小説みたいな恋にすごく憧れるよ。でもねぇ、それは他人事だからなの。自分に降りかかって来られたら、きっと逃げるし」
「私は、そんな恋愛が出来たらどんなに素敵か……」
「悲劇のヒロインなんかになるつもりは全然ないから。結婚するまでに沢山のヒトを知りたい。それに、出来れば上手く世を渡りたい。」
 そこでアヤは一度言葉を切る。
「お嬢学校でしょ、あたしたちの学校は。そこで大人しくて可愛い人形になんかなりたくないわけ。人形が最高の人生送れるわけないでしょ?」

「多分、恋に対して挑戦かけてるんだよ。まどかちゃんが、恋に恋するみたいに」

 長い、長い恐怖の時間が過ぎてゆく。
 お互いの視線は、地面にはりつく自分の足元に這わされていた。 

「憧れでは、いけないのですか……?」
 か細くポツリと、まどかの口から呟きがもれる。
「憧れではいけないのでしょうか。それは、ヒトが恋をする理由にはならないのでしょうか!」
「別に良いよ。でもさ、まどかちゃんはそんなお遊びの恋愛ゴッコが満足なの?」
「恋愛ゴッコなどでは……っ」
「そんなら!」

「そんならなんでさぁ、こんなチマチマしたことやってんの!? 本気なら、本気なら首でもなんでも掻っ切ればいいじゃん! こんな風に、一人でロマンチックにひたって満足!?」
 そこで初めて、アヤはまどかのリストバンドを許可なく外した。
 白い手首があらわになり、影をつくって浮かぶ。


「………………………え?」


 アヤの目に飛び込んだのは、傷ひとつないまどかの手首だったのだ。
 青白い血管を浮かべ、かさぶたが剥がれた痕も引っかき傷すらも見当たらない、美しい肌だったのだ。
「……なに? まどか、ちゃん。切ってな、い……じゃん」
「ええ。私、一度も“刻んだ”とは申しておりません」
 膝が崩れその場に力なくしゃがみ込んだアヤは、そっと顔をあげてまどかを見た。
 初めて見た時と、授業中と、昼休みと、先ほどほどまで並んで歩いていたときの表情となにひとつ変わらない。
 何か一種の気迫のようなものに包まれた、迷いのない顔をしている。
「あたし、知った気でいた。まどかちゃんの話聞くまで、全部知ってた気でいた」
「私も同じです。今までの脳裏には無かったものでした」
 アヤとまどかの声が重なる。

「「醜い」」

 アヤは地べたに堕ちたリストバンドを拾い上げ、まどかへ手渡した。
「なんでこんなのしてるわけ? 紛らわしいじゃない……みんな、あれは絶対リスカだって……」
 まどかはそれを受けとると、身に着けずに鞄へとしまいこんだ。
「それは私の自由ですから、別に何をつけていたっていいじゃありませんか。理由というものも、一応はありますけど」
「なんなの? 理由って」
 まどかは目を少し細め、笑みを作ったようにみえた。



「人避けにございます」



 だから私は愛したい。
 だから私は愛されたい。

 ただ自分の願望と欲望を満たすためにそれだけに
 貴方の喉笛へ喰らいつくの


 どちらかの少女の瞳から、透きとおる涙が堕ちた。
 女の涙は最大の武器だといったのは……誰だったか。




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