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Last update 2011年12月03日

あの夏の花火の夜に  著者:松永夏馬



 いくらかふらつく足取りでドアを押し開けると、薄暗い照明と静かに流れるジャズが松永を包みこんだ。

 出張で来た馴染みのない街。仕事の延長でしかない面白味がまったく感じられない飲み会を早々に切り上げた彼は、1人落ち着いて飲もうとこの店へと迷い込んだ。ああいう騒がしい飲み会は好きではない。酒は嫌いではないものの、注いで注がれての飲み方は自分のペースを狂わされて気持ちよくないのだ。今も現にビールばかり飲まされて胃の中が気持ち悪い。少しぼんやりとした思考回路のまま「いらっしゃいませ」と静かに迎え入れてくれたマスターに手を上げて応えた。
「夜になっても暑いですね」
「ええ、まったく。……お客様は初めてでいらっしゃいますね?」
 マスターは口を開いたというよりも、口ひげが上下したくらいだ。物静だがそれでもボソボソとした声ではなく、よく通る渋い声だった。
「ええ、まぁ。ちょっと飲み足りないんですよ」
 グラスを磨く手をそのままに、マスターは軽く頷いた。

 ぐるり見回すまでもない薄暗い店内。カウンタのみの本当に小さな店だが、不思議と窮屈な印象がない。カウンタ席の一番奥に文庫本を片手に酒を飲む中年男が1人いるだけで繁盛しているようには見えないが、平日の夜なのでこの程度なのかもしれない。地味な看板だけの隠れ家的な、いや、本当に隠れ家のようないい雰囲気の店だ。蝶タイのマスターがこれまた古い映画のワンシーンのようなセピア色の世界をいっそう味わい深くしていた。
「……花火大会ですか」
 カウンタに座りながら松永は壁に張られたポスターに目を止めた。自治体主宰の花火大会のポスターだ。静かな大人の時間が流れるこの店に、俗物的というか、少し浮いているように思えたから気になった。その視線に気付いたのか、恥ずかしそうにマスターは微笑んだ。
「店の雰囲気には馴染まないもので、こういったものはなるべく置きたくはないのですが……趣味でやっているような店をとはいえ、構えるにはそれなりに地域と巧くやっていかなければいけないもので」
 そう言って拭いていたグラスを棚に置く。
「ご注文は?」
「えーと、じゃぁウイスキーをロックで」
「かしこまりました」

 手早く注文に応え、スッとロックグラスが差し出される。ふわりと漂う芳醇な香りと、囁くように氷が軋む音。どこか懐かしい色彩。 

「花火大会か……花火大会といえば思い出すんですが」
 松永はネクタイを緩め、ロックグラスを手に取ると、ぼんやりと琥珀色の液体に浮かぶ氷を眺めた。

「実は、子供の頃に幽霊を見たんですよ―――

 ********************

 幽霊を見たのは自分が住んでいたマンションでしてね。山の斜面に沿うようにして建つそのマンション、といっても今みたいな洒落た建物ではもちろんなくて、ただただ白い四角い箱のような建物でしたね。僕がまだ小学校に上がる前か、小学生になったか、くらいです。転勤が多い父だったから、今となってはどの街だったのかはうろ覚えですし、あの当時すでに古ぼけた時代遅れな集合住宅だったからすでに取り壊されているでしょう。

 花火大会の夜でした。会場はけっこう離れているんですけど、南側のベランダから花火がよく見えてね。その日もたぶん家族3人……いや、隣の家族と一緒に見てたはずです。……野間さん。そう野間さんていう家族。ああ、そうそう、野間大輔って同級生が隣に住んでたんですよ。ってことは……小学校1年生の夏なんだろうな。

 酒が好きな父でしたから、野間のお父さんと一緒になって缶ビールを飲んでました。うん。そう。それでね。酔っ払って楽しそうな父達がうらやましくて、そしたらこっそり一口飲ませてくれたんです。そしたらもう気分が一気に悪くなってしまって。花火がクライマックスに向けて盛り上がる一番の見所のところで、僕はトイレに駆け込んでしまったんです。

 ベランダで食べていたスイカの赤い嘔吐物が余計に気持ち悪くて、頭がぐるぐるしてて。子供でしたからね、一口で酔いもあったんじゃないでしょうか。でも子供だったから花火の最後の一発が見たくて、早く戻ろうと顔を上げたんです。
 窓が開いていました。夏だったし、トイレの北向きの小窓の向こうは山の斜面だけだから、普段から換気のために開けてあったんですが。

 その時に出たんですよ。見上げた小さな窓から、生気のない真っ白い顔が。乱れた白い髪が。半開きの口元からダラリと赤黒い舌を出して……。夜の闇の中からヌッと、外は夜で真っ暗なのに白くぼぅっと浮かび上がる感じで。

 一瞬でした。息を呑んで気付いた時にはすでに窓の外は真っ暗闇でその幽霊は消えていました。呆然と悲鳴すら上げられなかった僕は、その次の瞬間、建物を揺らすような大きな音と共に意識が消えたのです。

 花火大会最後の20号玉だったんだと思います。でも、その時の僕は幽霊に睨まれた恐怖からか、世界が崩れてしまうような衝撃に感じてしまったのでしょう。

 気が付いた時は母の腕の中でした。目を覚ますと同時にパニックになり、泣きじゃくってしまいました。ビールを飲ませたことに対しとても母が怒っていたのを覚えています。今思えば気絶したのはビールの所為だけではないので父に申し訳なかったですね。

 ********************

 松永が苦笑気味に話しを終えると、しばらくの沈黙の後にマスターがぽつりと口を開いた。
「……私はあまり幽霊というものを信じる性質ではないのですが」
「はぁ」 
「お客様はその窓から見えた顔を『幽霊』だと判断されたのですね? 酔っぱらって見てしまった幻覚や夢だとは思っておられない」
「え? ええ」
 一瞬何を言われたかと思うほど松永はきょとんとした顔でグラスから顔を上げた。
「そういえばそうですね。花火大会の夜に高揚した子供心、一口で気分を悪くしたアルコール、普段と違う精神状態ですよね、たしかに夢だと言ってしまえばいいはずなのに」
 記憶を辿るかのように松永はこめかみのあたりを指で押した。

 カラン、と氷が融ける音がした。

「思い出しました。そう。花火大会のすぐ後に、葬式があったんですよ。最上階に住むマンションのオーナーです」
「ほぅ」
 シェイカーを手にこちらを向いたマスターは興味深そうな顔で静かに頷いて先を促した。
「マンションのオーナーの顔なんて、小学生だった僕は知らなかったんですが、焼香に連れて行かれた時に遺影の顔を見て驚きました。あの時の幽霊の正体なんですから」
「……窓から見たのは幽霊ではなくオーナー本人だったのでは?」
「いえ、窓の外には何もありません。僕が住んでいた部屋は一番端の部屋で、マンションの廊下はトイレの窓まで届いていませんし、足がかりになるようなものもありません。オーナーというのも元気とはいえ高齢の爺さんだったはずです」

 そこでしばらく松永は言葉を止め、ウイスキーのグラスを傾け飲み干した。融けきった氷で少し薄く感じる。そこで、ふと何かを思い出した様子で「あ」と声を漏らした。
「どうされました?」
「いえ……思い出しました。その、焼香の席でだったと思うのですが。オーナーの老人は一人暮らしをしていて、死んでから発見されるまでに少し時間があったそうなんです。んで、そのオーナーの家族が『おじいさん大好きな花火大会が見れなかったね』と言っていたんです。つまり、花火大会よりも前に死んでいたということですよね」
「ふむ」
 少し考え込む様子でマスターは頷いた。
「つまり、僕が見たオーナーはその時すでに死んでいたのです。それを聞いたからこそ、『幽霊』だと信じた」
「なるほど」
 マスターは小さく何度も頷いてみせると、カウンタの奥に向かい、何本かのボトルから手早くシェイカーに液体を注いだ。カクテルを作るらしい。こちらに振り返り慣れた手つきでシェイクすると、マスターはコリンズグラスにカクテルを注ぎいれた。空いたロックグラスを片付け、血を連想させるような真っ赤なカクテルをそのまま僕の目の前に音も立てずに置く。

「これは私からのサービス、ということで」
 細い目をさらに細めてマスターは頷いた。あまり趣味のいいセレクトではないのではないかと、松永は僅かに顔をしかめた。

「花火大会ですか……」
 マスターが呟くようにそう言った。

「実は私、花火大会というと人を殺したことを思い出します」
 グラスに口をつけ一口飲んだところで松永は、ぎょっとした顔でマスターを見つめた。
「正確には、花火大会の朝のことでした―――

 ********************

 私の家はそこそこに土地を持つ資産家でした。祖父は特にやり手で、元々持っていた山を切り崩して宅地にするなど運用に長けかなりの財産を持っていたそうです。祖父は引退後、所有するマンションで一人暮らしを始めました。親族は多かったのですが、資産家の運命とでもいいましょうか、親族間の諍いも多かったからです。
 私の父は三男坊でしたが、末っ子故のワガママで祖父と仲が悪かった。そして仲が悪いまま事故で他界しました。私がまだ学生だった時です。
 残された母と私の生活はあまり楽なものではありませんでした。母は学歴も身寄りもなく、私と妹を養えるだけの稼ぎはありません。それでもせめて私達が卒業するまではと無理をしたのでしょう。元々体が丈夫では無かった母は体調を崩し伏せることも多くなりました。
 花火大会の前日の夜、バイトから帰ってきた私は、祖父が来ているのを不審に思いました。なにせ父の葬儀以来初めてなのですから。

 祖父はこともあろうに母の体を要求したのです。要求なんて生易しいものでは無かった。生活の援助、私と妹の学費、養育費を盾に無理矢理病身の母を抱いたのです。泣き腫らした母、不遜な笑みで私を見る祖父。全てを悟った私は背後から男の首を絞めました。元気とはいえ70間近の老人です、病床の母ならともかく高校生だった私に力で勝てるわけがありません。

 思わず。……そう、思わず殺してしまったのです。

 私は考えました。自首すべきか否か。
 しかし私は、私たちは考える間もなく恐ろしい悪魔の言葉に心を奪われてしまったのです。いえ、むしろ首を絞めたその時からこんな恐ろしい計画を考えていたのかもしれません。
 この男が死ねば少なくない遺産が私達にも分けられる。裕福な生活などしなくてもいい、母と妹と三人でつつましく暮らせるだけのお金があればいい。

 私は考えました。
 自殺に見せかけること。そしてこの骸をマンションの最上階まで運ぶことをです。

 小柄な祖父を背後から首を絞めた結果、首吊りに近い形になっていたことが私に味方しました。そのままの状態を維持するため死体は奥の間に吊るしておき、そして夜になってから自宅へと運び自殺に見せかける。しかし、マンションの最上階までどうやって運ぶかが問題でした。できるだけ吊るした状態のままにしなければなりません。万が一住人と出くわしたらと考えると階段やエレベータを使うわけにもいきません。
 そこで私はマンションの北側外壁をロープで引き上げるという方法を選びました。最上階は祖父しか使用していないマンションですから、最上階まで上げてしまえば後の細工はなんとでもなります。
 運良くその日は花火大会です。その最中なら住人は皆南側の窓に張りついているに違いありません。時間も花火大会のクライマックスにかけて盛り上がるその瞬間を狙いました。最上階から滑車をつけたロープで一気に祖父の死体を引っ張り上げたのです。

 後で知ったことですが祖父は大腸ガンが進行していたそうで、それを苦にしての自殺として処理されました。先が長くないと知っていればこんな暴挙には出なかったのかもしれませんが……。とにかく。

 全ては滞りなく済んだ。……済んだはずでした。

 しかし、目撃者がいたのですね。

 偶然にもその窓を通過する瞬間に、偶然にも最後の花火の閃光が照らし、偶然にも幼かったお客様がそこにいた。偶然とは恐ろしいものです。

 そして20余年の時を経て、お客様は私の店にやってきた。この偶然に私は感謝すべきなのかもしれません。

 ********************

 松永は固まった表情でマスターを見つめ、口に含んだカクテルを喉を鳴らして唾液と共に飲み込んだ。味も何もわからない。
「……そんな」
「偶然に感謝しています」
 マスターは繰り返した。そして穏やかな笑みを湛え少しだけ松永に顔を寄せると、

「どうしてこんな話をしているのだと思いますか? どうして平然と殺人者の告白を聞かせているのだと思いますか?」
 マスターはちらりと視線を松永の右手に注いだ。そこには真っ赤な血の色のカクテル。

 ―――毒!?

「ご安心ください、苦しむことなく眠るようにして……」
「ひッ!!」
 飛び跳ねるようにして松永がカウンタから飛び退いた。スツールが倒れる。口元を抑えた松永は驚いた顔で目を見開いて、うるさいと言いたそうな顔でもう1人の客がこちらを睨んだが、気付く余裕すらない。

 その瞬間マスターは口元を抑えて俯き、肩を振るわせた。
「……も、もうしわけ、ございません」
 笑っている。静かにまるでカウンタの向こうに絵のように収まっていたマスターが、今必死で笑いを堪えているのだ。
「冗談でございます。私の話は全て冗談でございます。ご安心下さい」
 悪戯を見つけられた子供のような微笑みを浮かべ、マスターは松永を席に着くよう促した。

「もうしわけございません。少々悪ふざけが過ぎました。お客様、あまり良い酔われ方をされておられない様子でしたから……ちょっと酔い覚ましに」
 大袈裟な身振りで釈明するマスター。スツールを起こし、その背もたれに深く身を預けると、松永は大きく大きく息を吐き、心底安心した様子で照れくさそうに笑った。
「いや、驚いた。……驚いたよ。そんな冗談を言う人には見えなかった」
「バーテンダーたる者、咄嗟にお客様のお話しに合わせる技術も必要でございますから」
 互いに苦笑を交わし、松永は再びカウンタのカクテルに手を伸ばした。もう一度一口含んでゆっくりと味わう。トマトの酸味と少しピリっとした強いアルコールに、頭の中がむしろスッキリするような感覚。アルコール度数は強そうだが、目がさめるような爽やかな味わいだ。胃に溜まった苦いだけの不快なアルコールが一気に洗い流されていく。

「うん。美味い」
 宝物を見つけたような松永の表情に、店の主は穏やかな笑みを返して頷いた。




コメント

  • 俺のこと覚えてる? -- ヤマハラヨシロウ (2011-12-03 12:38:06)
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