Mystery Circle 作品置き場

rudo

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nightstalker

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Last update 2008年03月16日

末広さんが泣いた日。。  著者:rudo



 そこは東京郊外の小さな駅の住宅街のすみっこ。
 柿の木の陰に細い階段があって下の方にたよりない灯が見える。 
「BAR ? 」
 こんな目立たないところにある店は常連のみで知らない客はお断りだったりするかもしれないな・・・・・・と入るのをためらっているとかすかに音楽が聞こえてきた。 
 ジャズだろうか、タイトルは知らないがどこかで聞いたことのあるメロディだ。

 末広さんはその曲に惹かれるようにドアを開けた。
 店の中は思いのほか暗くてよく見えない。
 目が慣れてくると四方の壁にはレコードジャケットが所狭しと並び今にもなだれかかってきそうだ。

「いらっしゃいませ」
 初老の穏やかな顔をしたマスターらしき人が大きな猫をカウンターに下ろしながら声をかけてきた。 
 猫はそのままとろけた餅のようにグニャリと寝そべって「ナァァ」と啼いた。

「あっいや 初めてなんだけどちょっと・・・・・・一杯だけでいいんで・・・・・・いいかな」
 なんだか別世界にきたようにドギマギしてしまって末広さんはおかしな言い方をした。
 マスターは目だけで微笑み 「もちろんかまいませんよ。 お店ですから バーボンしか置いてないんですけどね」と言った。

「うん、なんでもいいんだ。じゃあそれ、えーとロックで・・・・・・」
「かしこまりました」

 マスターがバーボンのロックを出してくれるあいだ、末広さんは言い訳のように、独り言のように話す。
「うちは本当はもう2つほど先の駅なんですが・・・・・・終電にはなんとか間に合ったんですけどね、本当に終電でこの駅止まりでしてね。 降ろされゃったんですよ。
 タクシー捕まえるにも何しろ初めて降りたので大通りとかわからなくて迷っていたらここに・・・・・・」

「それはそれは・・・・・・2つ先というと川の近くのニュータウンですね」
「終電とは、こんな時間までお忙しいんですね」
 静かな夜更け。 さりげなく置かれたグラスの氷がカリンと音をたてて崩れた。

 末広さんはバーボンをちびちびと嘗めながら、なんとなく話してみようかなと思う。 自分のことを知らない何の関係もないマスターになら話してもいいような気がした。

「仕事も忙しいには忙しいんですけどね。 お恥ずかしいことですが家の中も少々穏やかとは言えなくて・・・・・・どうも帰る足も鈍ってしまって」

 末広さんの母親がどうやら少し惚けてきたらしい。
 最初は小さな度忘れや、勘違いですんでいたがどうも様子がおかしいと言う。 
 末広さんはあまり真剣に聞いていなかった。

 だから、末広さんの奥さん依子さんが 「お義母さんがお昼を何度も催促するんです」 と言った時も。
 通帳がなくなったと騒ぎ出し、依子さんをさんざん罵倒したあげく「あらっきのう郵便局の人に預けたんだったわ」 と言い。 だけど昨日というのは土曜日で郵便局は休みだし、もしやっていたとしても通帳を預かりにわざわざ来るとは思えない。 依子さんはあちこち大掃除のようにひっくり返し、引っ張り出しして探したが見つからず途方にくれていると3歳になる息子の航がオモチャしていたと聞いたときも。
 末広さんは・・・・・・
「いいじゃないか。 何回食べたって、年寄りは小食だからすぐに腹がへるんだろう」 なんて言ってみたり。
「良かったじゃないか。 通帳はあったんだろう? これからは君が管理しろよ」 なんて言ってみたり。 その頃はまったく取り合わなかったのだ。

 今では夜遅くに「買い物に行く」 と言って寝巻きで外に出ようとしたり、「洗濯するわ」 と言って冷蔵庫に汚れ物を詰め込もうとしてみたり、昼間も帰り道がわからなくなって警察の世話になるのも珍しくなくなってきた。
 そんなこんなで すこしづづ奇行が増えながらかれこれ二年になる。

 そんなことを飲んでは話、話しては飲みぽつぽつと語った。

「それは・・・・・・ご心配ですね。 奥様も一日ご一緒ではご苦労でしょうね」

「そうですね。 そうなんでしょう・・・・・・きっと。 私の母ですしね。 申し訳ないとも思っています。 子供もまだ手がかかりますしね。 そりゃぁ私は帰りもこんな時間ですし、朝も早いですからゆっくり話しを聞いてやることもできませんけど『ただいま』と帰ってもニコリともせず いきなり『お義母さんがね・・・・・・』と始まっちゃうとね。 つい逃げてしまうんです」

 そう言って末広さんは鞄の中からパンフレットを取り出した。
 有料老人ホームのパンフレットだ。

 そうなのだ今日いつにもまして帰りたくないのはこんな寄り道をしているのは、このことがひっかかっているからだ。

 今朝、依子さんが施設に入れたほうがいいんじゃないかと言ったのだ。
 来るべきときが来たと思った。
 末広さんも考えていた事だった。
 でも、だからってすぐに「そうだな」 とどうしていえよう・・・・・・

「女房がね、施設にいれたほうがいいんじゃないかって言うんです。
 でもね・・・・・・どうしても素直にそうしようって言えないんです」

 黙って聞いていたマスターがパンフレットを見ながら言った。
「いいところですよ ここ」

 末広さんは驚いた。 
「知っているんですか?」

「私の母もこちらにお世話になっていたんですよ。 もう亡くなりましたけどね」

「ここに入るまでは大変でした。 やはりね徘徊というんですか? 目を離すとあちこち出て行ってしまうし、なんでもかんでもすぐに人にあげちゃうんですよ」

「通帳とかカードとか現金とか・・・・・・知ってる人にもそうでない人にも関係なくね・・・・・・一人にして置けませんでね」

「私も最初は抵抗がありました。 家族が面倒を見るというのが常識の年代ですからね」
「マスターの奥さんは・・・・・・」

「うちのですか? 家の奴はお客様のところのように優しい女じゃなかったですからね・・・・・・さんざん喧嘩もしましたが、出て行っちゃいましてね。 私も仕事がありましたし入れるしかなくなったんですけどね」

「もっと早く考えればよかったと思いました。 家族が壊れてしまう前に・・・・・・
 うちの奴も「優しい女じゃない」と言いましたけど、本当は何もかも押し付けていた私が悪いんです。」

「介護は終わりが見えませんから・・・・・・辛くなるのは当然なんです」

「失礼ですが・・・・・・お客様は一流会社にお勤めのようですし、それなりの立場にいらっしゃるようお見受けしますが、この施設は大変な負担だと思いますよ」

「それでも他の有料ホームに比べたらずいぶん良心的な値段です。 奥様がお選びになったんでしょう? ここは宣伝もしていませんし、足でお探しになったんでしょうねきっと。 特養もありますけど、当たりハズレがありますしね」

「ここは・・・・・・本当に親身になってくれるスタッフばかりです。 奥様もここならと思ってお話なさったんじゃないでしょうかね」

「お母様もお客様や奥様が自分のせいで辛い思いはしてほしくないでしょう」

 依子さんの言葉が思い出された・・・・・・
「いろいろ調べたんだけどこういうところがあって・・・・・・ここなら家からも近いし、しょっちゅう訪ねていけるし、お義母さんに会うために行くんですもの その日はずっと話を聞いたりお世話をしたりに時間を使うことができるわ。
 実はちょっと下見に行ってきたんだけどとても良さそうなの。 スタッフの人たちもみんな感じが良くて。 ちょっと高いけど私もまたパートにでてもいいし。 航の事もあるから私もどうしてもお義母さんに行き届かないことがでるから
 かえって施設の方がいい気がするの」

 末広さんはなんだか哀しくなって腹が立ってつい手を挙げてしまったけれど。
「おまえは世話が嫌になったんだろう? 楽になりたいんだろう。」 そう怒鳴って振り向きもせずに出勤してしまったけれど。

 今や依子さんが片時も母から目が離せなくなっているのを知っていた。
 依子さんが楽をしたくてそんなことを言い出す人間でないことも。
 依子さんは幼い航を待たせておいてもまず、母に手を貸していたではないか。

 依子さんとお義母さんは世間によくある嫁・姑問題には縁がなかった。
 依子さんは優しく気立てのいい女性だったし、お義母さんお義母さんとなんでも頼りにして出産する時も「お義母さんがいるから大丈夫」 と実家にも戻らなかった。
 お義母さんにしても、もともと穏やかな性格であったし、依子さんのことをとてもかわいがって末広さんと依子さんが喧嘩をすればいつだって依子さんの肩を持っていた。 そういう二人だったのだ。


 末広さんは泣いた。 依子さんの心を想って・・・・・・ 母の心を想って・・・・・・
 マスターの手を握りしめ・・・・・・号泣していた。

「そうでしょうか。 いいんでしょうか・・・・・・許してくれるんでしょうか」

 親の願いはいつでも最後は 子供の幸せですから・・・・・・

 お餅のような猫が ひとつ伸びをして 「ナァァ」 と一声ないて丸くなった。




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