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Last update 2008年03月16日

カラン、カラン。  著者:真紅



満月の夜が訪れている街で。
自分の心臓の鼓動だけが、僕の脳を揺らしていた。
今日は暑かったせいかYシャツは汗で汚れ、髪は朝に付けたワックスのせいでゴワゴワだ。
足はもう、引き摺るしか無いかのようである。
繁華街の眩しいばかりの明かりや、賑やかな声達も最早鬱陶しいばかり。
僕は、それ等から逃げるように静かな方へ、静かな方へと歩く。
そうして歩き疲れたその時、僕はその店を偶然見つけた。
その裏通りの、横道の、奥に眠るようにあった店。
目の前の階段を少し降りたドアの向こうから、聞こえて来る。
しかし、耳に聞こえているのではない。
僕の心に伝わってくるのだ。
グラスの中で、酒に侵され、溶けつつも鳴らすその音。
カラン。
どこからとも無く聞こえた気がしたその音に、僕の喉がゴクリと鳴った。
覚えているのはそこまでだ。

 ――――――――――――――――――――――――

カツン、カツン。
歩き磨り減った靴底が、冷え切って埃を被っているであろう階段を叩く。
ドアの上で灯りが灯っているが、実にみすぼらしい。
入り口のそのネオンは電球が切れ掛けているのか、何箇所か点滅している。
店の名も満足に読めないまま、僕はドアノブに手を掛けた。
ゆっくり、押す。
キィ。
ドアは、大した抵抗も無く簡単に開いた。
そのドアの向こうは、やはり少し埃っぽく喉に訴えかけるものがある。
そこにはテーブル席など無く、カウンター席のみの狭いバーだけが僕の視界に広がっている。
カウンターの向こうには、男が一人ウィスキーのラベルを繁々と見ている最中。
僕は埃っぽさに咳き込むと、この店のマスターであろうその男がこちらを睨むように目を走らせた。
僕は少々気圧され、圧倒され掛けたが、すぐさま冷静という服に身を包む。

「いらっしゃい。」

低く、少し篭もった声。
マスターのその低い、それでいて威厳に溢れるトーン。
まるで細い針で僕の皮膚を何度もピリピリと刺すような。

「・・・ト、ッー・・・。」

マスターは、僕を迎えたその時に置いたであろうレコードに針を静かに落とす。
レコードは不器用に音を奏で始めた。
僅か数cm程度のその丸い板が、刻み込まれた音を高々と響かせ鳴いている。
初めは濁っていた音だが、水面に広がってゆく波紋のようにバーに広がって。
それは水中で舞った砂が落ちて、水が再び澄んで行くかのように音は透き通っていった。
その音は、人からすると僕を迎えてくれる歓声にも聞こえただろう。
だが、今の僕には嘲笑う声にしか聞こえなかった。
しかしどうにも薄暗く、店の奥までは見渡せない。
見れば見るほどあまり奥行きの無い、あまり流行っては居ないようなバーである。
僕は反射的にメニューを見るため、カウンターの辺りを左から右へと探す。

「・・・メニューは、当店にはありません。」

まだメニューを探していた僕を、マスターの相変わらず低い声が射抜いた。

(メニューがない・・・?どういう事だ・・・?)

一般的に考えて、メニューがないバーなんてあるのだろうか。
ここは頑固親父の寿司屋、とでも言うのか?
だとしたら、とんでもない店に入ってしまったのだろう。
 ・・・などと一人考えているとマスターが心中を察してか、僕に言い放った。

「当店は・・・お客様の『人生』をメニューとさせて頂いております。」

僕は思わず「ハァ?」と口に出しそうなのを必死で堪えた。
人生をメニューに?
冗談じゃない。
千差万別の人間の人生に合わせて、カクテルでも創ってくれるのか?
「お客様に合わせて、少しほろ苦くしてみました」ってか?

「冗談じゃない。」

思わず口に出してしまった言葉を取り消すように、慌てて咳払いをする。
仕切り直し。
僕は、もう一度言葉を紡いだ。

「・・・人生をメニューに、とはどういう事ですか?」

マスターはその問いに、予め答えを用意していたかのようにサラサラと答え始めた。

「・・・この店には、メニューなるものはありません。私自身がお客様を観て判断したお酒をお出ししています。」

完全なる返答を待たず、俺はさらに問う。

「観て、とは?」

マスターは尚もサラサラと答える。

「言わば、直感ですね・・・。洞察眼とも言います。」

 ・・・オカルトか?

思わず毒を吐いてしまいそうだったが、耐えた。
僕は冷静を保ちつつ、率直に聞いてみる事にした。

「信用できるのか?・・・その、洞察眼とやらは。」

マスターは、無言で頷くのみ。
そのあまりにも自信満々な顔に、僕は思わず「じゃあ頼むよ」と言ってしまっていた。

 ――――――――――――――――――――――――

この間買ったばかりの、僕の腕時計はちょうど0時を指している。
この時間だと、もう終電は行ってしまっているだろう。
まぁどうせ自宅まで3駅4駅程度の距離だ、と自分に言い聞かす。
物思いに耽っていると、マスターが僕の前にグラスを置いた。
何の飾りっ気も無いグラス。
普通過ぎるグラス。
僕はまじまじとグラスを見つめる。
マスターは、そんな僕に言う。

「この、グラスが貴方。」

僕は、思わず呆気に取られた。
まさか、客にそんな事言うか・・・?
今言ったの、「アンタは、飾りも何も無いつまらない人間だ」と同意義だぞ・・・?
マスターは気にせず続ける。

「そして、此処に命を吹き込む・・・。」

ゆっくりとそう言ったかと思うと、マスターは氷をグラス一杯に注ぎこんだ。
カラカラカラカン!
実に涼しげな音。
だが、グラスに所狭しとひしめき合う氷の姿は暑苦しさを僕に伝えるのみだった。
僕はボーッとグラスを見つめる。
しかし、マスターは氷を入れて以来身動きをしない。
直立不動、字の如く。
聞いて良いものか迷ったが、訪ねてみた。

「・・・続きは?」

マスターは首をかしげた。

「続き?」

僕は即座に返す。

「そう、続き。お酒を注がないのか?」

マスターは、かしげた首を元に戻して言う。

「このお酒に完成はありませんよ。」

何故?と、疑問符が浮かぶ僕。
それを感じ取ったのか、マスターは続ける。

「・・・先程も言った通り、当店は『人生』をメニューにします。」

それは分かってる。

「つまり、完成しているお酒は「人生」が「終わっている」んです。」

 ・・・?

「貴方は・・・まだ此方の人じゃない。」

何を言ってるんだ、コイツは。
僕は何故か震え出した身体を、手で押え付けた。
熱い。
体が、体が熱い。

「貴方が、こちらの人になるまでお酒は出せません。」

ああ、そういえば。
この店に来る前の記憶が無い。
じゃあ此処はどこだ?
自分は誰だ?
一体、これは何なんだ?
痛みが、じわりじわりと身体から湧いて来た。

「代金は、その時に頂きます。」

視界がボヤけ始めた。
感覚も薄れ行く。

「・・・ではまたのお越しを、お待ちしております・・・・。」

 ――――――――――――――――――――――――

白い。
白い白い世界に、黒い点が一つ。
これは、僕か。
そうだ、僕だ。
そう認識した途端、目の前に映像が広がる。
路地裏から、フラっと出て来た男を車が撥ね飛ばす鮮明なシーン。
どうやら、撥ね飛ばされているのは僕のようだ。

「・・・痛っ。」

ツゥ、と額から鮮血が滴った。
白い白い世界に、黒い僕の赤い点が彩られた。

 ――――――――――――――――――――――――

鈍痛が、まだ覚醒し切ってはいない僕の意識を叩く。

「う・・・ん。」

病院、か。
僕は上半身を起こす。
ベッドが音を立てる。
布団は僕をそっと包んでいた。
夢、だったんだろうか。
なんとも夢とも思い難い夢であった。
僕は一通り、今の夢に対しての感想を心の中で纏め上げる。
文章に起こすような事はしないが、せめて記憶として留めて置こうと思ったから。
ジットリと、この暑さで汗をかいてシーツと服は湿っている。

「喉が・・・渇いた。」

テレビ台があるであろう、今向いてる逆方向へと身体を捻る。
痛みが少し走ったが、気にするほどではなかった。
まだ重い瞼を開きつつ、同じく重い手を伸ばすと冷たい物に触れた。
その冷たい物は、カランと音を立てて僕を誘うのだった。




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