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Last update 2008年03月16日

ハーフロック  著者:国見弥一



 あった。あの店だ。
 オレは浩美に教えてもらった店をようやく見つけた。

 やっぱり、あの店だったんだ。

 小さなネオンの看板があることはあるが、灯りが弱々しい。人がやっと擦れ違えるほどの通りをしばし歩かないと見つけられない店。夜半にはまだ時間があるけど、閉店間際に入るのは嫌だった。だから、早めに辿り着けてラッキーだった。


 場所からして、誰が見ても常連しか相手にしてないような店のように思えるだろう。
 浩美がつい先日の夜に寄ったという小さなジャズ・バーだ。
 別にジャズの生演奏が聴けるわけではない。店が女性好みの洒落た作りってわけでもない。男が一人旅の町でふらっと入りたくなるような雰囲気。せいぜい、そんなところか。

 オレは、実は、マスターに会いたくて来たのだった。
 マスターがどんな奴か知りたかったのだ。
 いや、マスターの真意を知りたくて来たのだ。
 そして、浩美のことが本当だったのかどうかを、確かめるために。

 マンションの半地下にある店は薄暗い階段を降りないと、入り口に立てない。エレベーターは住人しか利用できないと表示してある。
 そこには二つ、ドアがあった。が、片方は、貸し店舗とかで、締め切りになっている。

 木製のドアを押し開けると、いきなりポール・ブレイ!
 オレが学生の頃、一時期、夢中になった奴だ。

 カウンターと後ろに数席しかないような、こんな狭い店内でスイングしないような、ちょっと硬質なジャズを聞かせるとは。ピアノなら、せめてキース・ジャレットだろう。
 店主の主義なのか、それとも、客の注文なのか。
 見ると、後ろの席に埋もれるようにして、スーツ姿の奴が曲に聴き入っている。でも、深く項垂れていて、まるで眠っているようにも見える。長い髪が気色悪い。

 カウンター席につくと、掛かっている曲がマスターの好みなのか確かめたくて顔をじろっと見てしまった。
 四十年輩のマスターは、ジッと見られても、穏やかそうな表情を崩さない。
 さすが客商売に慣れている。
 常連だろうと、初めての客だろうと、オレには曖昧に見える笑みで迎える。
 細い目と口ひげと薄暗い店内とが、マスターの人柄を伺い知ることを妨げる。

 ただ、不思議なことに、初めての客でもマスターの顔の雰囲気に何か懐かしいものを覚えるような雰囲気を醸し出している。これも、マスターの人徳なのだろうか。

 浩美のことは本当なのだろうか。このマスターが…。
 店では白いワイシャツに黒い蝶ネクタイ。 銀色のスプリング式アームバンドと、きちんとした服装、髪型だってオールバックだけど、一歩、店を出たら、豹変するのかもしれない。


 オレは浩美にも同僚にも酒癖が悪いと言われている。どうらやグラスを重ねるごとに、人に絡んでしまう性質(たち)らしい。自分じゃ、ただ、誰とでも親しくなりたい気分になり、言いたいこと言っているだけのつもりなのだが。
 なので、普段はウイスキーストレートもロックも避けている。

 でも、今は旅先なのだ。旅の恥は掻き捨てだ。
 どうなろうと、オレ以外の誰に迷惑が掛かるわけじゃない。
 オレが浩美と関係があるなんて、ここではマスターも誰も知らない。

 そうはいっても、いきなり酔いつぶれるわけにはいかない。
 オレは、オン・ザ・ロックはやめてハーフロックを注文した。

 ハーフロックを。ミネラルウォーターにしますか、それとも、ソーダ、ジンジャーエール、コーラ、トニックウオーターと、いろいろ用意できますよ。

 ミネラルウォーターで頼む。

 はい、分かりました。

 綺麗な氷。ウイスキーを注ぎ、等量のミネラルウォーターを注ぐ。マドラーで掻き混ぜる音が耳に心地いい。
 木製のカウンター席の周辺を照らすスポットライトが、出来上がったハーフロックを宝石のように輝かせる。
 マスターは灯りの確度を計算してグラスを置いていると思えた。

 オレはウイスキーの琥珀色が好きだ。だから、一人で居るときは、ウイスキーをグラスに注いだら、グラスの中のウイスキーを明かりを調整した部屋で、ジッと眺め入る。
 もちろん、氷も入れなきゃ、水も何も足さない。ストレートのウイスキーだ。

 琥珀色は数億年の夢を見させてくれる。実際、琥珀は数万年だろうと平気で質を変えずに生き続ける。人や動物や植物の生き死になど頓着しない。我関せずだ。
 ただ、世界を琥珀色に染める。凍結する。封印してしまう。命さえも。

 マスター、あの曲はマスターの選曲かい? それとも、(目線で示しながら)あちらの注文なのかな?

 ああ、あれですか。分かりますか。私の好みですよ。あちらさんは、とっくに酔い潰れて白河夜船ですからね。
 どうやらお気に召したようですね。
 お客さんの居ない時は自分の好きな曲を掛けられるし、あの年代物のレコードプレイヤーでノイズの多いドーナッツ盤でも平気で流せるってのは、特権かな、こういう店の。

 棚を見れば分かると思いますが、ウイスキーとジャズの古いLPのコレクションが自慢でね。あ、何か要望があれば掛けますよ。新しい曲だって一応は揃ってますから。CDだって掛けられるし。但し、スイング系はないです。嫌いじゃないけど、この店の雰囲気とは違いますからね。

 マスターは、饒舌だった。こういう店のマスターは寡黙だと思い込んでいたオレには少々意外だった。
 でも、酒が進まないと口が滑らかにならないオレには、その方が気楽だった。
 煩(うるさ)かったら、返事しなけりゃいい。

 いや、違う。今日は確かめないといけないことがある。
 黙っているわけにはいかない。
 マスターに勝手に喋らせるわけにもいかない。

 オレは段々憂鬱になってきた。話の中身が重過ぎる。酒の席には似合わない。
 酒好きのオレは、何も考えないでグラスを重ねたかった。
 浩美のせいで…、でも、仕方がない…。

 いざとなると話をどう切り出したものか分からなくなった。

 ふと、空腹を覚えた。そうだ、何も食べていなかったんだ。夜の八時ごろに駅に着いて、宿を取って、急いで外に出た。
 それでも、店に辿り着いたのは十時頃だったか。乗り換えのホームで五時過ぎにソバを食べただけなのを思い出した。
 腹が減っては戦が出来ぬ。

 壁を見ると、日替わりメニューが載っていた。パスタ、ホットドッグ、ピラフ、チーズの盛り合わせ、バターピーナッツ。
 オレはダメもとでヤキソバを注文してみた。ダメならパスタにするつもりだった。

 ああ、ヤキソバですか、出来ますよ。

 出来るんならメニューに書いておけよと言い出しそうになったが、思いとどまった。まだ、酒量は進んでいないのだ。

 実はね、あのお客さんがどうしてもって言うんで、材料、急いで仕込んできたんですよ。そしたら、あのざまでしょ。
 どうしようかと困ってたところなんですよ。


 こんなはずじゃなかった。
 ハーフロックにヤキソバ。どう見ても絵にならない。
 しかも、ヤキソバは見方によっては琥珀色なのが、忌々しかった。

 氷が溶けて琥珀色のウイスキーがドンドン希薄になっていくのを尻目に、オレはヤキソバを平らげた。
 すると、急に元気が出てきた。臨戦態勢が整った!

 そもそもの疑問は浩美がどうしてこんな店に来たのかということだ。場末とは言わないまでも、裏通りにひっそりと佇んでいる店。決して汚くはないが、女の子が一人でふらっと入るような小粋な店とは到底、言えない。
 浩美にジャズの趣味があるとは聞いていない。

 もしかして、マスターか誰かが引っ張り込んだ?

 けれど、そんな店とも思えない。

 大体、オレは、浩美に詳しい話を聞いているわけではなかった。訊きたくても、浩美は口を濁すばかりだった。尤も、オレにしても浩美には自分のことを訊かれても適当にお茶を濁してきた。

 よほど、マスターとのことでひどいトラブルになったに違いない。でなくちゃ、結構、お気楽な浩美があんな深刻な表情をするわけがないのだ。

 マスター、オレたちが出会ってから、もう、半年になるな。

 …そんなに。そうですね。

 他人行儀になるなよ。

 一応、店ですから。

 あの日、オレは飲みすぎてしまって、そう、あの客のように寝込んでしまったっけ。その前に、マスターに散々絡んだっけな。

 そうでしたね。でも、お陰で、あたしとやいっちゃんとはこんなに親しくなれた…。

 そう、お互いの本性が分かったから。見栄も外聞も捨てられたんだ。

 オレはいよいよ浩美の話を持ち出す時が来たと思った。喉が渇く。

 ハーフロックをもう一杯。

 いつものオン・ザ・ロックスは、まだいいんですか。

 いや、ちょっと、話があるんだ。


→ ハーフロック(「ウイスキーを楽しむ ウイスキー・ミュージアム サントリー」より)

 マスターの顔に一瞬、緊張が走った。目がマジに成った。けれど、さすがにすぐに柔和そうな表情に戻したのだった。

 話? 

 いや、何もオレたちの関係を解消しようとか、そんなことじゃないんだ。オレたちは、な、固い絆で結ばれてるからな。オレからは別れるつもりはないよ。

 マスターは安心したのか、出来損ないの仏像みたいな笑みを捨て去り、オレにしか見せない顔を覗かせた。

 あの日、飲み過ぎて後ろの席で寝込んだやいっちゃんには参ったわよ。
 でも、やいっちゃんを介抱していたら、あたし、直感したんだ。気付いたんだ。体の反応が、ね、他の奴とは違うってこと。
 ああ、この人、あたしと同類なんだ、仲間なんだって。

 あの日、店を閉めて、二人きりでしみじみ夜明かししたものね。あたしたちの世界が始まったんだって、心底、感じたもの。
 やいっちゃんの腕の逞しさ、無精ひげ、脛毛、何もかもが愛おしかったよ。

 それはオレだって同じだよ。あの日、店に入った時、ポール・ブレイでさ、もしかしてこいつ…って、ちょっと思ったけど、案の定だった。で、二人で夜通しポールプレーでな。
 今夜も入店したら、いきなりポール・ブレイだろう。ホントは安心したよ。

 ホントは安心したよって、どういうこと。何の話か分からないわ。

 いや、何、その、浩美がさ。

 浩美って、あの浩美?

 なんだ、やっぱり知ってるのか。だったら話は早いや。

 あれ、もしかして、やいっちゃん、誤解してない。それとも浩美、何か変なこと、言った?

 いや、あいつ、何も言わないんだよ。ただ、マスターの店の名前を酒の席でポロッとさ。でも、それっきりで何を訊いても答えてくれないんだ。
 気になるじゃないか。

 やいっちゃん、何も気付いてないのね。やいっちゃん、この店に初めて来たとき、奥の方に一人、客が居たの覚えてない?

 えっ、そういえば、居たっけ。……もしかして、あれが浩美だったのか。

 そうよ。浩美よ。あの子、あの晩、他の男と待ち合わせしていたんだけど、振られちゃって。そこにあなたが来たってわけよ。
 どうやら、あなたに一目惚れしたみたいよ。
 でも、あなたが酔い潰れちゃったから、あの夜は声を掛けるの諦めて帰ったの。でも、あれからまた、一人で来てね、粘るのよ。

 あたし、困ったわ。二人の客の板ばさみよ。でも、浩美、素性は怪しいとは思えなかったの。なので、あなたの会社のこと、教えたってわけ。

 ……そうか、オレの会社に受付でも何でもします、雇ってくださいって、熱心だったもんな、浩美。そうだったのか。
 なんで、こんな会社に入りたがるのか不思議だったよ。でも、まあ、可愛いし、受け答えも礼儀も常識もありそうだったから、使えるかなって、社長の独断で即決さ。
 社長、結構、御執心だったんだぜ。相当、言い寄って居たっけ。でも、浩美、ガードが固いってぼやいていたもんさ。今も諦めていないみたいだけど。

 そうか、そうだったのか。

 あなたも罪な人ね。鈍感なのね。あたしとはすぐに懇(ねんご)ろになったのに、あんな可愛い浩美には素っ気無いんだもの。

 おいおい、そんなこと言っていいのか。あの子に乗り換えていいのか。

 それは、ダメよ!

 とうとう、オン・ザ・ロックが出てきた。

 そろそろいいでしょ。あちらの客にも適当に出てってもらうし。


 オレは氷を、そして琥珀色のウイスキーを眺めていた。いや、このあとの熱い夜に胸騒ぎしていた。

 どんなに言い寄っても、気を惹こうとしても振り向かない酷薄な男。それがあなたってわけね。で、浩美はますます熱を上げる。
 でも、さすがに浩美もあなたのこと、気付いてきたみたい。
 で、つい、先日、また、私の店にやってきたってわけ。
 問い質しにね。
 誤魔化しきれなくて、わたしたのこと、打ち明けちゃったわよ。あたしの好み、告白しちゃった。
 でも、あの子、あなたのこと、諦めさせるために下手な言い訳してる、作り話に決まってるって。

 そうか、言っちゃったのか。やばいな。同じ会社なんだぜ。居辛いよ。

 でも、あの子、本気なんだもの。
 だから、あの子に、彼にこの店に来てもらえばって。で、あなたの目で確かめたらって、言ったのよ。

 確かめてもらうって、どういうことさ。

 ヤキソバ…。

 ヤキソバ? それがどうしたってんだ。

 すると、突然、寝入っていたはずの客が飛び起きた。そして、勘定は、またね、と言って慌てて店を飛び出していった。

 あの声…、まさか浩美? 

 そうよ。決まってるじゃない。あなたをここに来させたのは浩美のたくらみよ。あたしの入れ知恵もあるけど。ヤキソバだって、あなたの好物を知ってるから、彼女、あたしに無理やり用意させるんだから。

 …あたしとあなたとの遣り取りを聞いて、さすがに悟ったでしょうね。

 そんなこと言って、わざとなんだろ。意地悪な奴だな、お前。そうか、じゃ、会社も辞めるかな。社長、ガッカリするかもな。

 あなたは、全然、どうでもいいのね。

 まそんなことはないさ。明るい子だったし。評判、良かったんだぜ。彼女、目当てに来る営業マンもいたりしてさ。

 そんなこと言って、どうでもいいって顔してるわよ。ホントは浩美とも出来てたんでしょ?

 どうでもいい? そうかもしれないな。浩美は、社長には勿体無くってな。…こうなると、浩美は社長に落ちるかな。でも、やっぱり、どうでもいいことさ。オレの相手はやっぱりお前さ。
 それより、オレたちの夜を楽しもうぜ。

 あたしだって、初めての夜以上に燃えるわよ。

 オレは、オン・ザ・ロックの氷を口の中でガリガリ噛み潰していた。




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