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Last update 2008年03月16日

除夜刻詣  著者:篠原まひる



 北風が、直線的な勢いで、街の通りを吹き抜けた。 風の音は、どんなものにも形容し難い寂しさを持って、この人気の無い街角へと鳴り渡った。
 年明け早々の繁華街は、人影どころか点在するネオンの数すらも寂しく、そこはまるで一見すれば、無人の街にすら見えた。
 だが竹内は、全く迷う事無くその繁華街を早足で通り抜けた。 足はそのまま裏通りへと抜け、そして迷う事なく一本の狭い路地を曲がり、地下へと続く階段を降り始める。
 重いドアーを押し開ける。 一歩足を踏み込んだ瞬間から、世界が変貌する。 竹内は、ようやく外の寒さから逃げ出せたと思ったのも束の間。 あれだけいて欲しいと願ったマスターの顔を見て、一つ、重い溜め息を吐く。
「おや、いらっしゃい。 いや、あけましておめでとう・・・ですね」
 マスターは、いかにも今まで暇を持て余していたかのように、正月用のぶ厚い新聞を折り畳むと、いつもの温厚そうな笑顔で竹内を出迎えた。
 しかし竹内は、そんな挨拶の全てを無視しながら、マスターの正面へと位置するカウンター席へと腰を下ろし、そしてそのまま、マスターへと詰め寄った。
「マスター、思い出して下さい。 どうか・・・どうか思い出して下さい」
 マスターは、そんな竹内の迫力に押され、目を白黒させながらも口を開く。
「思い出せとは、一体何を・・・・・」
 竹内は、右の腕をコートの中へと突っ込むと、おもむろにそれをカウンターの上に叩き付けるようにして置きながら、マスターの反応を待った。
 マスターは、それを見る。 しばらくは全くの無反応だったものが、突然にそれが一体何を意味するものなのかを理解し、「あっ」と一言、声を上げる。
「マスター・・・・・教えて欲しいんですよ」



「ありゃ、もしかしてマスター、私と同郷じゃないですか?」
 ここ最近、頻繁に店へと顔を出すようになった竹内と名乗る男の口から、ふとマスターが漏らした話題の端に反応してか、そんな言葉が飛び出した。
「いや、ね。 さっきの話でピンと来ましたよ。 エイヒレの煮付けをあぁ言う風に呼ぶ地方は限られてますからね」
 竹内は、言う。 マスターはそれを聞いて、細い目をますます細くしながらにっこりと笑った。
 偶然にも、二人の生まれ故郷は一緒だった。
 それからしばらくは、二人で同郷の話題で盛り上がった。 意外にも二人の生まれ住んだ場所は近いらしく、歳もさほど離れていないせいか、共通する場所や話題は、思ったよりも多かった。
 だがしかし、竹内が何度も同じようにしてマスターの生まれ故郷の場所を聞き出そうとするが、何故かそれだけは決して話そうとせず、ひたすらに誤魔化すのみだった事が気掛かりだった。 それでもマスターの方も同郷の話題は嫌いでもないらしく、時折その地方の訛りを混ぜながら冗談を飛ばして会話を楽しんでいた。
「雪の深い地方だったもんねぇ。 ウチなんか農業一本だったもんだから、雪が積もったら親父も爺さんも春まで出稼ぎでしたよ。 私はあれが嫌でねぇ。 冬自体は好きなんですが、子供心に、何で冬になると親父が消えちゃうんだと、いつも恨めしく思ってました」
「どこも同じですよ。 特に私達が子供の頃なんて、越冬中の自宅での副業なんか考えられない時代でしたからね」
「でも、冬は好きでしたよ。 東北の冬は暖か味がある。 風だって、こっちに吹くものとは質が違う。 私はやはり、こっちの冬は好きになれないなぁ。 何しろ、寒過ぎる」
「あぁ、判ります。 あればかりは、向こうに住んだ人間じゃないと理解出来ないものでしょうね」
「きっとこっちの人間には、向こうの冬の暖かさなんか判りっこない事でしょうね。 前にも似たような事を他の人にも言ったんですが、雪のどこが暖かいんだって、逆に馬鹿にされましたよ」
 マスターはそれを聞いて苦笑をする。 お互い、生まれ故郷を離れた歳月は長いのだろう、昔話にはとりとめが無かった。 片方が一つ思い出すと、もう片方がそれに賛同し、話は弾んだ。
「そう言えばね。 私が生まれた村では、不思議なお祭りがありましてね。 真冬の、これから極寒だって時期に夜通し行われるお祭りがあるんですよね」
 竹内は、新しい煙草を一本引き出すと、それを指でもてあそびながら話し出した。
「へぇ。 真冬に・・・ですか」
「えぇ、でも、こちらで言うような縁日の屋台が立ち並ぶようなお祭りじゃありません。 純粋に、祭祀のみのお祭りです。 毎年、師走も終わりの頃に、たった一日だけ行われるお祭りでしてね。 夕方・・・陽の落ちるのが早い東北では、午後七時なんて完全に夜ですけどね。 その辺りから始まって、夜通し巫女さんや神人さん達が色んな衣装を身に纏って、朝まで踊り続けるんですよ。
 私がそのお祭りを見たのはたった二回だけなんですがね。 とてもとても子供心に面白いものではありませんよ。 それでも、その時の雰囲気は良く覚えています。 日本古来の伝統的な楽器で踊る巫女さん達のその妖しい事・・・。 まるで、極彩色の踊りです。 祭祀や儀礼と言うよりも、まるで踊りで伝える伝承のようでしたね。 踊るのはほとんど皆若い人達ばかりなのに、その技は子供が見ても凄かった。 しかもそれを、夜通し朝まで行うんです。 あれはもう、ちょっとやそっとで身に付くようなものではないでしょうね」
「へぇ・・・不思議なお祭りもあるものですね。 しかも真冬ってのが凄い」
 マスターは、空になったグラスに黙ってバーボンを注ぐと、大きめのロックアイスを放り込み、竹内の前に差し出した。
「そう、あれが更に、あのお祭りを神秘的に見せているんでしょうね。 神社の外は極寒の東北ですよ。 雪はと言えば、大人の身の丈よりも上になるぐらいに積もっている中で、人々はその舞い踊りを夜通しで見ているんですよ。 外ではうねり泣く声ようなの風の音。 そして雪に包まれた神社の中では、篳篥、和太鼓、竜笛に笙などが奏でる妖しげな世界。 子供心に、恐いぐらいの異世界でしたよ。 あれは」
 マスターは、「それは確かに、異世界ですね」と答えながら、自分のグラスにも、数杯目のバーボンを注ぐ。 珍しい事に、その日はマスターも、心持ち酔っているかのような雰囲気に見えた。
「そう言えばね、竹内さん。 私にも経験があるんですよ。 真冬のお祭り」 マスターは、バーボンを一口呷ってから、まるで何かの独白のように話し始めた。
「あれは、私がまだ小さい頃の事だったなぁ。 大晦日の、雪が降る晩。 私はそれを見てしまった。 あれはまるで、夢か幻か・・・それぐらい変なものでしたよ」



 東北の冬の夜は早い。 昼を過ぎれば、もはや陽は傾き始めていると思っても、間違いでは無かった。
 その日、私の従兄弟である美千代が、家族三人で私の家に来たのは、昼をちょっと過ぎてからだった。 それでも祖母は、美千代の母である千津さんに向かって、「こったに(こんなに)遅ぐなるならば、もっと早ぅ家出れば良い」と、嗜めるぐらいだった。
 その日だけは、特別だった。 大晦日のその日だけは、陽の傾きかけた時刻に外出する事だけは、完全にタブーだった。
 何故かは知らない。 ただ、私が物心付いた頃には、それだけはいつも強く教わって来た。 ただ不思議なのは、どうして私が住んでいるこの場所だけがそんな特別な慣わしがあるのだろうと言う事だけだった。
 テレビを観れば、その特別さも良く判った。 家族みんなで晩の食卓を囲む頃、テレビの中では、早くも初詣の参拝客で賑わい始めている神社を中継するものの、この辺だけはそれと同じ事を全くしない。 むしろ逆に、午後も夕刻を示す頃には、どこの家庭でも家中の窓と言う窓が閉め切られ、東北の田舎では珍しく、玄関の扉さえも施錠され、つっかい棒が噛まされるのだ。
 私がその不思議を問うたならば、両親は、「初詣は朝ぁなって明るなってがらやるもんだ」と言うし、同じ質問を祖母にしたならば、恐い顔をして、「よんま(夜間)の詣では、先祖様が先だ」と怒られる。 私は、もっと明確なる答えを欲していたのだが、いつもそれははぐらかされていた。
 それでも、そんな些細なる疑問は、夜も更ける頃にはいつも忘れてしまっていた。 何しろその日は、何から何まで特別な日だったからだ。
 晩御飯には、元日の御節で重箱へと入らないものが並べられ、それだけでも楽しい食卓だと言うのに、その日ばかりは二間ある床の間の仕切りが取り払われ、中央には二つ繋げられた炬燵。 部屋の隅には、子供達用の布団。 大人達は酒を交わしつつ、紅白歌合戦を待ちわびるようにしてテレビへと噛付き、めいめい好き勝手な話題を振り、好き勝手な事をしてその時間を過ごす。 珍しくも、その晩だけはいくら夜更かししても怒られず、しかも一家全員で同じ空間を共有しながら過ごすと言う、実に珍しい日だったからだ。
 しかもその日は、私よりも三歳年下の美千代までがいた。 私には二歳年上の兄がいるのだが、普段から大人しい私と比べ兄の正孝は実に活発な性格の為か、私は普段は滅多に兄からは遊んでもらえず、いつも家では孤独な遊びしかしていなかったのだが、その日ばかりは兄も優しく、三人で疲れ果てるまで遊びに興じる事が出来た。
 遊びは楽しく、不思議と眠気が全く襲って来ない。 テレビを観れば、紅白ももはや終盤へと突入しており、大物演歌歌手が次々と有名な歌を披露している。 見れば、酒の入った大人達の中には、もはや起きているのが限界な者もいた。 祖父と親父、そして美千代のお父さんは、炬燵に足を入れたまま、適当に敷かれた布団の上で寝息を立てている。 祖母は、自分の布団でないと眠れないと言い、居間を出る。 私の母と、美千代の母千津さんは、年越し蕎麦はもう要らないなと言うような会話をしていた。
 突然、美千代が、おしっこに行きたいと言う。 彼女のお母さんが立ち上がるが、僕が案内するよと言い、私が彼女の手を引いた。
 居間を出ると、急な寒さに身が縮む。 手を伸ばし、スイッチを手探りで探し出すと、数秒遅れて冷え切った廊下に、ほの暗いオレンジ色の灯りが燈る。 裸電球ならではの、無骨な灯りだった。
「あんちゃあ、冷えるってなぁ」 美千代が、少しだけ不安そうな声で言う。
「こんたぁもんだべ」 私は、それに答える。
 確かに今夜は冷えた。 冷える以上に、何か異質な空気を孕んでいるようにも感じた。
 それは、普段とは違う特別な日だからだろうか。 それとも、今まさに一年と言う時代が変わり行く時刻に差し掛かろうとしているのを、肌で感じているからなのだろうか。 上手く説明は出来ないが、確かにその瞬間、何か異質なる空気をその中に感じた事は確かだった。
 我が家の厠は、実に遠い。 裏戸の勝手口に近い辺りにあり、そこへと辿るには、暗く狭い廊下を、幾度となく折れて行かなくてはならなかった。
 私は今でこそある程度の覚悟は持てるようになったのだが、昔から夜に厠へと行くには、実に度胸が必要だった。 何しろ、二歳年上の兄ですら、一人で厠へと行くのを嫌う程だったのだから。
 東北の冬は、静かである。 それこそが本当の静寂であるかのように、降り積もる雪が、あらゆる音を消し去り、うなる風音すらも静寂の中の耳鳴りに聞こえるかのような錯覚さえ覚えるぐらいに、静かな世界なのだ。 そんな中、二人の息遣いと、床板を踏み締める音だけが響く。 非常に心許無い中、どこか遠くで、聞き慣れない金属音が聴こえたような気がした。
 ついでに自分の用も済ませて居間へと戻ると、既に兄の正孝以外は眠りについていた。 居間のテレビもいつしか消されていて、もはやそこには、二つの常夜灯以外の灯りは存在していなかった。
 さぁ、今度は私達も寝る番だと思った時、兄の正孝は私の方を向いて、人差し指を縦にして口にあてがい、声を出すなとの合図を送る。 何事かと私が口を開こうと思った瞬間・・・私にも、それがハッキリと聞こえて来た。 静かに流れる、笛の音。 小さく響く、太鼓の音。 そして、規則正しい間隔で届く、鐘の音。 それらは決して幻聴でも空耳でも無く、確実に私達のすぐ傍にて奏でられている、現実の音だった。
 兄の正孝は、私の背を押して再び暗い廊下へと出る。 私はすぐに灯りを点けようとするが、それを兄は押し留めた。
「にぃや、ありゃあなんだぁ」
「わがんね(判らない)、まずは二階へ行くべはぁ」
 そう言って、兄は私を二階へと導く。 すると背後では、心細そうな顔で、美千代が私の顔を見ていた。 私は小声で、「一緒に行くか」と聞くと、美千代は黙って頷き、私の手を握った。
 廊下を少し行った辺りに、二階へと続く階段がある。 私と、兄の正孝と、従兄弟の美千代は、黙って二階へと昇った。
 二階へと着くと、今度は兄は自分で部屋の電気を入れる。 ようやくそこには、人が安堵出来る世界が広がった。
 二階には、部屋は二つしか存在していない。 一つは、普段は滅多に使う事の無い、親父の書斎。 もう一つが、兄と私の部屋だった。
 襖のみで仕切られている部屋で、その襖さえ閉めれば、一応はまがりなりにも独立した部屋になる。 そうして私達は、この家の中で唯一灯りの燈る中にいて、先程の音をもう一度聞こうと耳の神経を尖らせる。 だがやはり、音は聞こえた。 間違い無く、その音は存在しているのだ。
「なや、どっから聞こえる?」 正孝が聞く。
「・・・窓の外」 私は、答えた。
 兄の表情が変わった。 私自身も、自分で言っておきながら、その言葉がどれだけ不吉だったのかを改めて自覚した。
 だが、私の言葉は間違いではなかった。 音は、外に存在していた。 固い木造の雨戸を抜け、凍り付いて白くなったガラス窓を抜け、そして黒一色のままの殺風景なる遮光カーテンを抜けて、その音は外から私達の耳へと届いているのだ。
「にぃやぁ・・・」 私は心細い一心で、兄へと話し掛けるが、兄は全く私の言葉には耳を貸そうとせず、カーテンを引いたままの窓辺へと耳を寄せ、外の音へと集中していた。
 隣では、美千代が私の手を握る。 私自身、その火の無い部屋の寒さのせいか、それともその例えようもない不安のせいか、手繰り寄せて抱き締めた美千代の身体に密着したせいで、私は微かに自分が震えているのが判った。
「これはぁ、祭りだ」 兄の正孝は、ぼそりと言った。
「え(家)の前の道を、沢山の人が歩いどる。 皆、なんかの楽器持って、演奏しながら歩いどるは。 シャンシャン鳴るのなば、きっと錫杖みでぇなもんだべ。 何やら、祭りしながら初詣でもしてんだべがぁ」
 そう言いながら、正孝はカーテンを開け、今度は凍り付いた窓を開けようとしていた。 それを見て私は、兄の手に体当たりするかのようにしてそれを止めた。
「にぃや、駄目だぁ。 あげだら駄目だぁ。 今日のよんま(夜間)は、外見たら駄目言われでんべしゃ」
「それなば知ってるたってぇ、聞けば判るべせぇ。 外になば人が沢山おる。 行列作って詣でてるんなに、なしてウチばっか駄目だなよ」
 言われてみれば、私も確かに少し疑問には思えた。 確かに、外に聞こえるのは幽霊だとか妖怪だとか、そう言う類のものではないように思える。 間違い無く、そこに存在して打ち鳴らされている音にしか聞こえないからだ。
「恐えぇ思うなば、見えねぇからだ。 俺はぁ確かめる。 なしてこの夜だげ外出たら駄目なんだが、俺はぁこの目で確かめるってよ。 オメらはぁ、どいてろ」
 そう言って兄の正孝は、キシキシと軋む音のする冷えて凍りきった窓に手を掛けると、力を込めて無理矢理に横に引き開けた。
 静寂の空間に、その音は実に高く響いた。 私は、内心その音を階下の祖母に聞かれ物凄い形相で階段を上がってくる想像までしたが、それが杞憂だと判る前に、既に兄は雨戸を開けようと試みていた。
「美千代。 オレの布団さ入って見んとげ」
 私は、ふとした嫌な予感に、咄嗟に美千代を自分が普段使っている布団の所まで連れて行き、そしてその中へと押し込んだ。 美千代もまた、私の言う事に逆らいもせずに、黙って毛布をかぶると、その中で丸くなった。
 背後で、ガラリと雨戸が開いた音がする。 振り向くと、兄の向こう側の空間は暗い夜空だった。
 ――― 音が聞こえた。 さっきよりももっと鮮明に、さっきよりもずっと大きく。
 兄は見ていた。 両手で雨戸を握り締めたまま、その視線は斜め下を見るかのように微かに頭を垂れ、微動だにせずに外を見ていた。
 私も堪らず、窓辺へと駆け寄る。 そして兄の手を退かせ、私もその暗闇に目を凝らす。 すると・・・いた。 目の前にはさほど広くもない我が家の庭があり、そこから少しだけ狭い私道が続き、その先には雪で出来上がった天然の門が立ちはだかる。 そしてその門と門の間を、幾重かに並んだ提灯の列が、静かに厳かに、私の家の前を通り過ぎている最中だったのだ。
 ここからでは良くは見えない。 だが、確かにそれは、何かの祭りの御輿行列にも見えた。 静かに静かに、ゆっくりとゆっくりと、手に提灯を持ち、数歩あるく毎に軽くシャンと鐘を打ち鳴らし、その行列は深々とした音の無い雪が舞い散る夜の闇を歩いていた。
 良く見れば、それは長い長い行列だった。 家の前を通り過ぎた列はもう遥か向こうの通りの先に見え、先頭はまだそれより遠い。 これからこちらへと向かう列も、隣の家の影まで隠れ、まだその先には後列があるのだろう。
 皆同じような服装をしているかと思えばそうでもなく、かといってそれがどんな衣装かも良く判らない暗闇の中、その列より流れ出る笛や小太鼓の音は、さもすれば降る雪にその音色が掻き消されそうな中で、優雅に物悲しく、闇に乗り、風に運ばれながら、私の耳へと届いた。
 それは、私の今までの人生の中において、どんな曲にも似ていない、どんなものも連想する事の出来ない、不思議な曲調だった。 ひたすらに哀しく、ひたすらに妖しい、そんな音色だった。
「やっぱぁ祭りだ」
 兄が、ポツリと言う。 そして途端に、私の目が覚める。
「にぃやぁ、こんたな祭りね(無い)べ。 オレは村さだって、こただに(こんなに)人なば居ね」
「したっけ、この行列なばなんただとよ!」
 そう言って兄は、窓も閉めずに部屋を飛び出した。
「にや! どさ行ぐなよ!」 私は、兄の背中に向けて声を荒げる。 だがしかし、既に兄は階段を踏む足音だけを残して、階下へと降りて行った。
「美千代、こさ(ここに)いろな」
 私は、布団をかぶって丸くなっている美千代に声を掛け、兄の後を追った。

 兄は既に、玄関のつっかい棒を外し、そっと軋む戸を引いていた。
 私はそれを止めようかどうしようかと悩んだが、意外にも兄はそんな私の迷いを気付いてか、「お前も来ぉ」と言って、今度は雪避けの張り出しの戸を引いた。
 突然に、夜の冷気が切り裂くような勢いで、私の頬を通り過ぎる。 私は小さく震えながら、もはやここまで来てしまった後悔のまま、冷たいゴム長靴に足を通し、兄の背中を追う。
 雪の中に、篳篥の音が響く。 私と兄の目の前を、提灯を持ち、黒い羽織りに笠を被った集団が、規則正しく同じ動作で歩を進める。 私は、その人達の顔を覗くが、そこには人の顔は見当たらなかった。

 シャン

 鐘に続いて、一呼吸置いて、高い横笛の音が響き渡る。
 くるりと私の方を向いたのは、笠を被った狐だった。 狐は私の方へと提灯の灯りを持って来て、そして私の顔を照らす。
 妙な光景だった。 大粒ながらも、音もなく降り続ける真夜中の雪の中、揺らめく灯りの提灯を手に持ち、真っ黒なだけの羽織りと笠。 そして、そんな奇妙な光景を映し出すほのかな灯りの中、私達の方を振り向くのは、それ以上に奇妙な異形の者達の顔だった。
 狐がいれば、狸もいた。 兎もいたし、ひょっとこやおたふくの面までもがそこにはあった。
 皆が皆、面と笠とで、己の顔を隠しているのだ。 まるでその下の顔こそが、我々の異形の顔であると言わんばかりに。
 列は、進む。 シャン、と掻き鳴らす錫杖の音と共に。
 しばらくすると、駕籠が視界へと入って来た。 最初は御輿か何かかと思ったのだが、そうではない。 豪華な造りはしているものの、それはしっかりと人が乗る為の駕籠だった。
 その駕籠の前には、金や紫に彩られた羽織袴の猿の面が四、五人で和楽器をあやつり、その行進を導いているかのように音頭を取っていた。
 妙な形の笙があり、哀しい音色な竜笛や、一際高い音色を奏でる篳篥を吹く猿もいた。
 私達兄弟は、ただひたすらに、呆気に取られているばかりだった。 開けた口を閉じる事も出来ないままに、そんな真夜中の雅楽が通り過ぎるのを、唖然と見守るだけだった。
 気が付くと、いつの間にか駕籠は、私達の目の前まで来ていた。
 つうと駕籠の仕切りが開かれると、そこには目を疑うようなぐらいに綺麗な衣装の女性が座り、それこそ面と同様なぐらいに白く塗られた顔は冷ややかなぐらいに微笑み、朱で染まった唇が開き何かを呟くと、女性は私達に向かって手を差し伸べた。
 私達は、手を伸ばす。 一人ずつそれを受け取り、私もそれを手の中でぼんやりと眺め、そして礼を言おうと顔を上げると既に仕切りは閉められて、駕籠はまたゆるゆると村の奥の方へと進んで行くのだった。
 私は、ふと後ろを振り向く。 少し離れた空中に、唯一の人工的灯りである、二階の窓から洩れる蛍光灯の灯りが見えた。
 暗闇の中に、切り取られたかのように存在する灯りの中、私は、その窓辺から身を隠す小さな人影をそこに見た。 私が振り向き見上げるのと、その小さな頭がふいと身を隠したのは、ほとんど同時だった。



「・・・・・それで、どうなったんです?」
 竹内は言う。 結局、火を点けられなかった煙草は、その指の間でもてあそばれたままだった。 竹内は、ようやく一区切りが付いたかのような表情で、胸のポケットからライターを取り出した。
「どうもしませんよ」 それを見て、マスターは、三本ほどの吸殻の入った灰皿を取り替えながら言う。
「それで終わりです。 それだけのお話しです」
 そして、沈黙が訪れた。 マスターは本気で、それ以上は口を開く様子はなかった。
「そんなぁ。 それは無いですよ。 まだその話の中で、明らかになっていない部分が沢山あるじゃないですか」 竹内は、それでもしつこく食い下がる。
「そこでマスターは、その駕籠の女性に何をもらったんですか? そして、それを貰えないまま夜中の祭りを見てしまった従兄弟の子は、どうなったんですか? お兄さんは?」
「そんな矢継ぎ早に聞かれても困りますよ」
 マスターは、笑った。 笑いながらも、その細く開かれた目までは笑っていなかった。
「それがですね。 全く思い出せないんですよ、その女性から貰った物を。 確かに僕と兄は、そこで同じ物を一つずつ貰った。 確か兄は、それを使用したか何かしたとは覚えているんです。 でも、その物が思い出せない以上、何をしたのかも思い出せない。 そして私自身に至っては、貰ったままその物の行方すら思い出せないのですよ」
「それでは、あれ程祖母から禁忌扱いされていた祭りを見た、マスターの従兄弟はどうなったんです? 二階の窓から見てしまったんでしょう?」
「・・・えぇ、恐らくは」
 そう言ってマスターは、再び無言になる。 竹内は、その無言が何を意味しているのかがなんとなく理解出来た。
「では、マスターと一緒にいたお兄さんは?」
「・・・思い出の中の兄は、貰った物を使った。 確かにそれだけは覚えているんです。 ただ、それが何なのか思い出せない以上、どんな消費かも思い出せない。 食べたのか、使って消えたのか、それともどこかへと飛んで行ったのかすら」
 竹内は、次の言葉をためらった。 何故ならば、マスターが自分の兄の事を、「思い出」と呼んだからだ。
「では、マスターだけが正しい選択をした。 そう言う事ですね?」
「・・・何が正しかったのかなんて、今更どうでもいい事です。 ただ一つだけ確かなのは、間違い無く祖母達は、その危険性を知った上で私達を止めていたと言う事。 世の中には、知ってはいけない事と言うものは、ちゃんと存在しているんですよね」
 マスターはそこで言葉を切り、絞った布巾でカウンターを拭き始めた。 今度こそは、間違い無くそれ以上は何も言わないという表情にも見てとれた。
「竹内さん、ラストオーダーですよ」 マスターは、言う。
「お詫びのしるしに、最後の一杯は私の奢りとさせて下さい」
「・・・何か、しばらくは胸のつっかえが取れない気がしますよ」
 竹内は言う。
 シュと、音がして、火花と同時にオレンジ色の炎が揺らぐ。 竹内は、最初の煙をゆっくりと吐き出しながら、バーの天井を見上げながらこう言った。
「今年は帰ろうかな。 しばらく里には顔出してないし」
「いいですねぇ」
 マスターは無言で、空のグラスに氷を放り込んだ。



「マスター・・・・・教えて欲しいんですよ」
 竹内は、この上ないほどに真剣な表情で、マスターへと詰め寄った。
 マスターはそれに返事をしない代わりに、眉一つ動かさずに、竹内の反応を待った。
「これに見覚えがある筈です。 昔あなたは、駕籠の中の白い顔をした女性から、これと同じ物を貰った筈だ。 そしてあなたは、あなたの兄である人の行動とは、全く違う行動を取った。 そしてあなたは、今でもこうやって生き長らえている。 そう、あなたは神の怒りを受けなかった稀有な人間だ。 だからどうか思い出して欲しい。 あなたは昔、これを受け取って一体どうしたのかを」
 マスターは、黙ったままそれには答えない代わりに、ボソリと小声で竹内に聞いた。
「竹内さん・・・あなた、見ちゃったんですね?」
 無言で竹内は、目で頷く。 そしてその顔は、その真剣さを現すかのように、真剣に見えた。
「竹内さん、とりあえずお座り下さい。 まずはお話しを聞きましょう」
 マスターは、棚から一本のブランデーを取り出すと、二つのグラスへと注ぎ始めた。
 竹内は、カウンター席へと腰を下ろすと、気忙しそうに貧乏揺すりを始めた。 そして胸のポケットから煙草を取り出し、一本引き抜く。 そうしてから、ようやく竹内はポツリと話し始めた。
「この前、マスターの話を聞いてから、私はマスターの故郷を調べ始めたんですよ。 ・・・そうしたら、皮肉にも簡単に判ってしまいました。 あの地方で、マスターの話に酷似する伝承があるのはたった二箇所。 但しその中の片方は、しっかりとした理由あっての大晦日の夜のお祭りでした。 だけどもう一つのN村は、もはや完全に伝承となってしまっている、民話のような言い伝えが存在しています。 私はすぐに、ここだと直感したんですよ。 ただ一つ、その村は二十年程前にとある悲劇によって死に絶えてしまった村であると言う部分だけが引っ掛かりましたが・・・・・」



 それは本当に、ただの好奇心だけだった。
 竹内は大晦日の夜遅くに、自分の直感にて推理の行き着いた、その廃村の入り口に立っていた。
 雪こそほとんど降っていないものの、その寒さに身を縮めながら、竹内は実家の父に借りた4WDの中へと戻る。
 村の入り口から見るその村の様子は、正に廃村そのものだった。 覆い尽くすその雪や、点在する家々から全く洩れて来ない灯りと言い、そのもの全てが持つ、「生」の存在感の無さと言い、それらの全てが、この村は完全に死に絶えていると言う事が判った。
 竹内はぼんやりとしながら、小一時間程前に入って行った除雪車を待った。
 夜遅くに、竹内はその村へと辿り着く。 村の中へと分け入る唯一の道路は、降り積もる大雪によって、かなり走行が厳しいであろう事は、見て判った。 4WDであれば充分に走行は可能に見えたのだが、それでも少し躊躇っていたのは間違いのない所だった。
 そうやって考えあぐねていた所に、一台の除雪車がやって来た。 除雪車は竹内の車を追い越し、まさかと思うまま、そのN村の中へと進んで行った。
 車の上部へと付いている煙突のような部分から、勢い良く掻いた雪を放り投げる除雪車。 まさか、何でこんな廃村に除雪車が来るのだろうかと竹内は不審には思ったのだが、これほどの降雪量で、4WDが乗り上げられる程度の雪しか路面に無いと言う事は、恐らくは毎日この廃村にも、除雪車は入り込んでいると言う事なのだろうと思った。
 そうして竹内は、除雪車が出て来るのを、ヒーターを目一杯利かせた車の中で待ち続けた。 除雪車が出て来たのは、意外にもたっぷりと一時間以上も過ぎた頃だった。 地図で見る限りでは、奥行きはいくらもない小さな集落である農村だ。 最後の民家を通り過ぎると、それからしばらく行った先に、ポツンと行き止まりの神社があるだけの、そんな村だった。
 除雪車は、竹内の車の横を通り抜け、そして暗闇の中へと走り去って行った。 竹内は、腕時計を見る。 時刻は、午後の十一時。 もう後一時間で、今年も終わりだと言う時刻だ。 竹内は、サイドブレーキを降ろして、ゆっくりと車を発進させる。 恐らくは、もしも向こうから対向車が来てしまったら擦れ違うのに一苦労だろうと思うような道幅の中を、ゆっくりと車を進ませる。
 入ってすぐに、竹内は後悔した。 そこはあまりにも、死の色を濃くした、そんな村だった。
 見えて来る民家の全ては、全く生の息吹が感じられない死に絶えた建物でしかなく、灯りは無ければ、除雪車が掻き出して行った雪の壁すらもそのままに、各家々の前に山のように積もっているだけだった。
 竹内は、酷く後悔する。 この分だと、車はどこまで行っても、Uターンをする事が不可能だからだ。 それこそ、一番奥の神社まで行き、除雪車が折り返した所まで行かない限り、車は戻れないと言う事を意味していた。
 竹内は、酷く狼狽しながらも、車をゆっくりと走らせる。
 そこは、死と静寂の世界だった。 竹内は、再び大粒になって降り注ぐ雪の中、どんな生命も存在していないであろう廃村を、気味の悪い伝説のある神社の方角へと向かっているのだ。
 もはや、どの家がマスターの家だったのかと言う関心すら持てなかった。 竹内の胸の中には、何故に単なる好奇心だけでこんな所に来てしまったのだろうと言う後悔と、もしも最後まで行き着いても、折り返す為の道など存在していないのではないかと言う不安で一杯だったのだ。
 4WDの強力なるビーム以外には、全く何の灯りもない道を、竹内は進む。 単に、道に沿って延びているだけの細長い村だと思っていたその村は意外にも奥が深く、時計を見れば、既にあれから十五分を経過している。 竹内の焦りは、かなりのものとなった。
 N村は、約二十年程前に、全国のニュースで流れる程の事件が起こり、その村の住民のほとんどはその事件によって亡くなってしまったと言う、実に忌まわしき過去のある村だった。
 竹内は、気が気でない状態のまま、民家が途切れてなくなってしまう辺りまで辿り着く。 ・・・そして、戦慄する。
 無人で、人と言う人の全てが死に絶えた村の中、終点である神社の麓では、等間隔で並べられてある燈篭の全てに灯りが燈され、それは遥か上まで続く石段へと繋がり、まるで何かを招き寄せているかのような雰囲気を持ちながら、灯りは上へ上へと登っていた。
 それは、その場の雰囲気が醸し出す狂気ではあれど、目を奪われる程の綺麗なる光景だった。 降り積もる雪と、灯篭の明かりと、その中に浮かび上がる赤い鳥居が、その厳格さと美しさを強調していた。
 そしてその途端、竹内は気が付いた。 もはや自分は、別の世界へと続く境界線まで来てしまっていると言う事を。
 見ればすぐ横に、除雪車が折り返したであろう小さな窪みが、雪の壁の中へと挟まるようにして存在していた。 竹内はすぐにその中へと車をバックさせ、Uターンを試みる。
 ギアを前進へと戻し、軽く踏み込む。 しかし、車を通じて伝わる感覚は、踏み込めば踏み込む程に、車体が斜めになって地面へとめり込むような感覚だけだった。
「スタックだ」 竹内は呟く。
 車は、前進後退どちらのギアでも、結果は一緒だった。 掻けば掻くほどに、車は平衡感覚を失うかのように傾くだけだった。
 竹内は、しばらくそのままで放心していた。 もはやその場から脱するべき方法を思いつかなかったからだ。
 降りて、タイヤに歯止めを噛ますかどうかで悩み始めていると、どこかで小さく、「シャン」と言う鐘の音が聞こえた。 腕時計を見れば、時刻は今年も、後十数分と言う所だった。


続き 
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