Mystery Circle 作品置き場

おりえ

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nightstalker

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Last update 2008年03月16日

復讐  著者:おりえ



 これからの時間がただそうやって過ぎていくことにどんな問題があるというのだろう。
 なるほど、現状に満足している者の言いそうなことだ。
 わずかに眉間に皺を寄せる。それに気づくほど、目の前の人間は鋭くあるまい。

 彼の目の前にいるのは女性だった。階級は少将。准将である彼の上官である。
 女性でありながら彼より年若い彼女は、長い髪をそのまま肩から滑らせ、両指を絡ませたその後ろで意味ありげに彼を見上げていた。
 年代物の机に両肘をつき、見るものによってはそれは官能をそそられるような、サディスティックな目をしていた。
 そんな目に屈する程愚かではない准将は、上官が自分に何か意見を求めていることにようやく気づいた。
「問題はないとお思いでしたら、お言葉ですが、と返させて頂きたく」
「ほう」
 軽口めいたその言葉に気分を害するわけでもなく、少将はわずかにうなずいてみせた。
 これがお堅い大将殿であったら、今頃自分の首はないな、と准将は内心苦笑する。
 少将は初めて彼らの前に姿を見せたとき、唖然としている一同の前で艶やかに微笑んで言ったのだ。


「私を上官と思えぬ者は、すぐにここから立ち去ってくれて構わない。私も君たちにそれほど期待しているわけではないのでな。上からの命令で渋々でも、興味がてらでも、ここに留まりたいと思った者だけ、私に敬礼したまえ」


 准将は、先の戦争で亡くなった盟友を思い出した。
 彼女は頑なに自分が「女」であることを表に出すまいと心がけている女性だった。
 髪はいつでも短かったし、化粧もせず、むっつりと黙り込み、体の線が出ないような服を選んで身につけていた。
 人生を楽しむことも忘れ、ただ銃の手入れをし、誰とも心を通わせず、最期までたったひとりで戦場に散って行った。


「私は自分を女だと思いたくない。そう意識して日々生きているが、体は言うことを聞かない。嫌でも思い出す。思い知らされる。目の当たりにする。……そんな時、私は絶望するのだ」


 彼女はそう言って唇を噛み締め、ぐっと涙をこらえていた。
 意地になっていた。そう一言で済ますには、彼女は事情が複雑だったのだろう。
 死んでしまった今では知りようがないが、唇にきちんと紅を差している目の前の女性を見ると、准将は彼女が浮かんで、言いようの無い憤りを感じるのだった。


「准将。君の意見を聞こう。君は人殺しがしたいと思う人種なのかね?」
「少将」
「おや、怒らせてしまったかな」

 女はくすりと笑った。組んだ両手を解き、細い指が紅色の唇にそっと当てられる。いや、当ててはいなかった。わずかに離れている。……何を見ているのか。
 准将はほっと息をつき、散った盟友を思った。

「今の状況は楽観視していいものではありません。ただの休戦に過ぎない。少将は休戦が続くことに問題はあるのかとおっしゃいますが」
「何もないことほどいいことはない」
「事態は何も変わってはおりません」
「それでもだ。敵側も知恵を振り絞りながら、つかの間の休息を味わっているに違いない。君は楽しむことを知らないね。もっと心を寛容に」
「……」


 しょせんは女か。
 准将は強靭な精神で自身を抑え込んだ。
 何が楽しめだ。楽しめることなどありはしない。
 戦争を知らない人間は気楽でいい。
 自分は知っているのだ。血と泥にまみれながら、あがき、苦しんで死んでいった友のことを。



「結局……」


 彼女の最期の言葉が思い出される。

 結局。
 ……続きは?


「どうも君は、私に対して敵意をむき出しにするきらいがあるね。理由は思い当たらなくもないが、是非直接、君の口から聞きたいのだが」
 准将の思考に、女の言葉が覆いかぶさってきた。わずか目を見開いた彼は、そっと目をそらすことでこの話は終わりという意思を伝えたが、それに乗じるような人間ではないことはとっくに知っていたため、拳を握り締めることで己を律することしかできなかった。
 目の前の女は面白がるような表情で、口元を緩めている。その色づいた唇の色が気に入らない。「何故、―ではないのか」。いや、無意味なことを考えるな。
「私は……」
 唇が荒れて裂けているため、血がじくりとにじんだ。ここ最近で、彼を取り巻く環境は一変してしまったのだから仕方ない。水も食事も些細なものになった。文句を言える立場ではないが、少しは人間らしく生かそうという気持ちはないのかと思う。
「軍に所属している以上、あなたには従います。死ねと命じられればこの場で実行する覚悟もある。……ただ私個人の人間としては」
「そうだろうね」
 女は手入れをした睫をきれいに伏せて見せた。そのひとつひとつの仕草に、どれだけ感情が爆発しそうになるのを抑えているか、この女には分かるまい。
「君は私をとんでもなく嫌っている。あれだけあからさまではね」
「……」
「最初の頃はそうでもなかったと記憶しているのだがね。……どこで間違えてしまったのか」
 傷ついた様子は微塵もなかった。それはそうだろう。この女は自分のことなど何とも思っていないのだ。
 目の前に現れた時から、どれだけその存在に目を焼かれ、胸を焦がされてきたかなど、カケラほど気づいてはいまい。
「私はただ、あなたには部下をもっと見ていただきたいと」
「ふん」
 紅を差した唇が嘲るように歪み、白い歯が覗いた。初めてまともな感情を出したことに対する驚きはなかった。彼はただ、その表情に目を奪われた。
「私を上官とも思わぬ者に、どう目をかけろと言うんだ」
「あなたは勝手だ!」
「勝手?」
 整えられた眉が吊り上がる。「何故、―ではないのか」。まただ。もうやめろ。何を考えているんだ。
「聞き捨てならないね。私の何が勝手なのか、できればお聞かせ願いたい」
「あなたは……殺した」
「?」
 きょとんとする顔が憎らしい。覚えてもいないのだろうか。准将は震える声を振り絞った。


「あなたは、私の友を殺したではないですか」


 ……そう。
 この女は、彼の盟友を殺したのだ。
 この女の命令がなかったら、彼女は死なずにすんだのだ。
 あの日、敵の優勢は明らかだった。隊を撤退させていれば、彼女は死ななかった。ずっと彼の隣にいたことだろう。相変わらず誰にも心を開かずに、銃だけを見つめて。

「……君は」
「わかっています。立場をわきまえろとおっしゃるんでしょう。ですが聞いたのはあなただ。私は言わせて頂きます。あなたの無茶な――、戦争経験も無い、机上でしか作戦を練ることの出来ないあなたのような女性が出した命令で、私は一生癒えることのできない深手を心に負った!」
 前のめりになる。身動きが取れぬ自分の体がわずらわしい。重圧に屈するなと叱り付けても、これだけはどうにもならない。
「何故そこまでむきになる必要がある? それも『君』がだ。私には理解できない」
「……ええ、そうでしょうね」
 だからしょせん女だというんだ。
 彼女に入れ込んでると思われるのは癪だが、それでも彼にとって彼女は。
 少将は背もたれに勢いよく倒れこむと、両腕を組んだ。呆れたように息を吐いている。
「……何を言ってるのかわからないな」
「ええ、年月も経っていますし、あなたに覚えていろと言う方が酷なのは承知です。だが私は」
 女は言った。

「殺したのは君だろう」

 がん、と痛みが走る。
 勢い余って身体が机の上に躍り出ていた。急に力を失って、顎から落ちたらしい。
 何とも無様な格好だった。
「……なんだって?」
 一瞬、立場を忘れた。しかし女は構わなかった。
「あの時、君が撃ったんじゃないか」



『撤退だ。このまま防戦を続けていても、犬死だぞ。味方の隊はすぐそこだ。合流するぞ!』
『いや。弾はまだある。私がここを食い止めておくから、君たちは先に行け。すぐに追いつく』


 ――あの時。


『馬鹿を言うな! 女ひとりで何ができる!? いいから――』
『ここが最後の砦だ。……頼む。私は最期まで軍人でありたいんだ』



「彼女の働きで劣勢だった我々は持ち直し、結果、戦争は終わった。我々は勝利を手にした」
 机に伸びたままで、彼は女の言葉を聞いていた。なんだって? 戦争は終わった?
「……何を言ってる? 戦争は未だ続いている。休戦状態なんだ。さっきあなたが言った!」
「国の戦争は終わったよ。今は我々の戦いだろう。君の――、心の」
 こころ?
「本来なら、我々は顔を合わすべきではないと医者に止められたのだがね。私はどうしても理由が知りたかった」
 少将は机の上で無様に腹ばいになっている男に顔を近づけた。





「何故、私を撃った?」






『協力、感謝する。私は君を誤解していたようだ』
 全てが終わった焼け野原で、彼女ははにかんだように笑って言った。
 初めて見る笑顔だったにも関わらず、彼の心には何も届かなかった。
『君は私を疎んでいると――、女が軍に入って何ができるのかと、小言ばかり言っていたから』

 ――これでオマエは英雄というわけか?

『何を言う。君の力があってこそじゃないか。陛下の御前にはふたりで並んで……』


 ――冗談じゃない。


『!?』


 ――オマエは俺の優越感を満たしてくれる、ただの道具でいいんだよ!




「結局君は、私を最後まで認めなかった」
「違う……」
「隠せると思ったか? あれだけ目撃者がいたのに。あれは誤射だったと証言してくれた者がいなければ、君はもっと早くここにいただろうね」
 それが誰か聞いたところで、君は信じないだろうがね。
 言葉が浸透する前に霧散していく。
 違う。彼女は死んだのだ。
 あの女がいるから、自分は優位を保てていられた。どんなに他から蔑まれようが、あの女より下ではないと。
 それがどうだ。
 少将? ――少将だと!?

「おまえが殺したんだ! 彼女を!!」
「違う。君が殺したから、私は生まれ変わったんだ」

 拘束衣のせいで、首から上しか持ち上がらない。向かい合わせで座っていたときは、彼女は上目遣いでこちらを見ていたというのに。
 ずりずりと机の上を這う自分はまるで芋虫のようだ。彼女はそれを踏み潰す駆除人といったところか。

「ようやく女でいても窮屈しない地位につけた。お飾りではなく、実力で得た力だ。だから私は髪を伸ばし、化粧をする。自分が女であることを周囲に認めさせる。再会したときの君の顔といったらなかったよ。君はそれでも私を認めなかった。だが現実と過去の過ちが君を知らずに蝕んでいったのだろうね。……可哀想に」
「!!」
 最後の哀れみをこめた物言いは、彼の怒りに再度火をつける。もしかしたら、彼女はそれを狙っていたのかもしれない。

「何故……」

 食いしばった歯からこすれるようにして出てきた言葉に、彼女は嫣然と微笑んだ。
「永遠に言い続けるがいい。君の現実は、我々にしてみればただの妄想にしか過ぎないのだから」



「何故、俺ではないのか……!」



「蔑んできた私がここにいることが我慢ならないか? 准将」
 目の前の男に階級などないことは分かりきった上で、彼女はわざと剥奪された呼び名で彼を哀れんだ。
 芋虫はしばらくじたばたと机の上でもがいていた。さなぎはやがて蝶になるが、彼は永久に虫のままだ。
 しばらく見守っていると、彼はすっと真顔になり、それから静かになった。機械的な動きで器用に机から降り、用意された椅子に腰掛ける。
 彼女を見つけると、彼は何事もなかったように口を開いた。

「少将」

 その言葉は始まりの合図だ。彼女は肘をつき、両指を絡めてやる。

「一体いつまで休戦は続くのでしょう」

 彼の現実は、彼が真実を知るところで終わり、また始まる。
 彼女がこの場にいる限り、彼はこの螺旋から逃れることはできない。

「……これからの時間がただそうやって過ぎていくことに、どんな問題があるというのだろう?」
 そう言ってやると、彼はわずかに眉間に皺を寄せた。
 やれやれだ。
 彼はその自分の態度が、こちらにはわかるまいと思い込んでいる。それが腹立たしく、彼女もそっくり同じ顔を真似てみたが、どこか虚ろな彼の目に、そんな自分は映らなかった。
 そうなんだよ准将。
 この時間がただ過ぎて行くことに、何も問題はないと思っている。
 ……少なくとも私はね。


「問題はないとお思いでしたら、お言葉ですが、と返させて頂きたく」


 一体いつまで続ければ彼は気がすむのだろう。
 ふとそんなことがよぎったが、彼女は笑ってそれを流した。

「ほう」


 ――また長い夜になる




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