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Last update 2007年10月07日

タイトルなし 著者:七穂


『ねえ、もう会えないの?』と彼女は淋しそう言った。


「もう会えない。」彼は静かな微笑を浮かべたまま そう答えた。

避暑地の夏は短い。
8月もそろそろ 終わりに近づく頃
風は日ごとに 秋の気配を運んでくる。
群れ飛ぶ赤とんぼが 高く青い空を一層引き立たせる。


少しうつむいた彼女の口から
「そう・・やっぱり・・・」と言う呟きが漏れた。
「由紀から聞いたの・・・明日でもういなくなるって・・・。」
静かに微笑む彼は 何も答えない。
(どうして 由紀にだけ 教えたの? 何で私に言ってくれないの?
外で由紀と二人きりで会ってるの?)
頭の中で 声にならない言葉が ごちゃごちゃと混ざり合う。

昼下がりのカフェは 遅いランチにビールを楽しむ客や
昼間だというのに カクテルを傾ける幸せそうなカップルがいる。

それを横目で気にしつつ ポツリとつぶやく。
「貴方は冷たい人ね。」
「ああ・・・僕は冷たい男だ。」

「最後にお願いがあるの。」
「お願いって?」
「私のために お別れの乾杯をして欲しいの。」
彼は 微笑をたたえたまま 頷いた。

「貴方は優しい人ね」
「ああ・・・僕は優しい男だ。」
彼女は ちょっと 苦笑いした。

「貴方のオススメのカクテルをお願いね。」
頷いた彼は 見事な手さばきで シェーカーを振る。

2つのグラスにきっちりと等分された赤い色のカクテルは
まさに 芸術品だった。


「おーい! CLOSEの看板を出してくれ!」奥からマスターの声がした。
このカフェの店じまいは今日。だから 夜の営業は無い。


グラスのひとつを取った彼女の手から 2,3滴の液体が
カクテルの中に落ちるのを 観た者はいなかった。

「乾杯!」
彼女は彼にグラスを差し出す。
「貴方のカクテルを・・・」と彼女がグラスを彼に手渡す。
「お別れね・・・」
グラスの音が響く。
「愛していたのに・・・・」
彼女の目にはもう 彼は映らなかった。


「さて・・・皆様 今年の夏も本日で店じまいです。いつもご贔屓感謝しております。そのお礼といっては何ですが 皆様に当店のオリジナルカクテルのプレゼントをしたいと思っております。どうぞ来年の夏も変わらぬご愛顧の程 お願い致します。」
マスターが頭を下げると 数人の客から歓声や拍手が起こった。

マスターは カウンターの中に入りると
「今年も よく働いてくれたな ご苦労様」と彼に声をかけた。
そして 客に見られない様にして、背中のハッチを開いた。

「そういえば、ずいぶん色んな女性から、声をかけられていたじゃないか。 まぁ、オマエが酒を飲まされるほどこっちは助かるんだけどな。」
からかうようにつぶやくマスター。
「でもまぁ オマエにそれが解るわけじゃないものな・・それにしてもさっきから カウンターの彼女どうしたんだろう?酔いつぶれたのかな?」と軽いため息をついた。

「さぁ 皆様 どうぞ!」テーブルにカクテルを配り終え皆が席を立った。
「来年もまた よろしくお願いします! 乾杯!」
マスターもカクテルを飲み干す。

少し秋の気配を感じさせる風が 紫色の花を揺らしていく。

物音ひとつしない店の中で
カウンターの中の彼だけが もう来ることの無いお客を待っている。


何もかもかもがぐっすり眠り込んでしまったみたいに静かな午後だった。





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