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Last update 2008年03月16日

Good-bay  著者:空蝉八尋



 足りなかったのはこれだったのだと気付いた。
 否、気付かされたのだ。
 単純で、平坦で、簡単すぎて、僕の視界には入り込んでこなかった。
『準ちゃん』
 解く手間すら要らない。下等だ。
 僕はほしかったわけじゃない。望んでいたわけじゃないんだ。

 僕を、呼ぶ声。 


「なっ……」
 玄関を開けて、第一声。喉元につかえて上手く言葉が出てこない。
 みるみるうちに血が下がり思わず後ろに二、三歩よろけた。ドアノブを握る手が冷たく震える。
「な、なななっ、なんで」
 外気の寒さと共に部屋に流れ込む、懐かしい匂い。見覚えのある着古したダッフルと、チェックのマフラー。
 これは幻覚だろうか。
「やっほーい! 準ちゃん!」
 幻聴も聞こえる。
 よし、幻だ。目の前に居る人物が、此処に居るはずがない。
「いやー、こっち寒くなーい…って何ドア閉めようとしてんのーっ!?」
「うわ!」
 手袋のまま手を掴まれ、弾かれたように顔を上げる。大きな瞳と目が合った。


 ナリだ。
 紛れもなく、本物の、三村成明だった。


「何で此処に居るんだ」
 最初に言いたかった質問が、やっと口をついて出る。
「いやー、本当は一便遅く来る予定だったんだけどね。空席出たから早く来ちゃった」
「そういうことじゃないだろーが……ああもう、ちくしょう」
「おじゃましまーす」
 思わず重いため息を吐き、頭を抱えた僕の横をさっさと通り過ぎていく気配。
 衣服が擦れる音が聞こえてくる。おそらくすでにコートを脱いでくつろぐ体勢に入っているんだろう。
 僕は一気に振り返って言い寄った。
「ナリッ、お前なんでこっちに来たんだ」
「準ちゃんに会いに来た」
「此処はパリだぞ? お前、なんで連絡のひとつもよこさないで」
「だから予定外に早く来ちゃったんだってば」
 僕の問い詰めをかわし、たった一便の飛行機の時間差を言い訳にする。眩暈がしそうだ。
 そして酷い胸騒ぎがする。
 ナリはいつも行動的で突発的で、思いつきで足を動かす奴だった。
 そうかと思えば無意味な事はひとつもなくて、奴の行動にはきまって何か裏がある。
「ほんとの事言え。分かってんだよお前の魂胆」
 ナリが単純な理由で、わざわざ遠い異国のパリにまで出向くわけがない。
 ましてや僕の住む寮まで突き止めて、「会いにきた」なんてふざけた理由が通用するか。
 ふと我にかえると、ナリは毛足の長いカーペットに座り込んで僕を見上げていた。
「ほんとだよ。嘘じゃない。準ちゃんに会いにきた」
 騙されるものか。
「ああそう、それはどうもありがとう。さあ帰れ」
「あーっ! そうやってつめたい! 遠路はるばる来たってのにその仕打ちィ!? 恋人との再開にその仕打ちィ!?」
「だーっ、もう騒ぐなっ! それに僕がいつお前と恋人になったんだよっ!」
「準ちゃんの声のほうがうるさいジャン」
 ナリは軽く窓の外を眺めると、呟くようにして言う。
「良かった、元気そうで」
 僕は一瞬息をのみ、そして一瞬、ほんの一瞬だけその久しぶりに見る横顔に見入った。
「ナリもな」
 そう返してやると、奴はしょぼくれていた顔を一気に輝かせ、子犬のように歩み寄ってくる。
「やっぱり準ちゃん大好きっ! 俺と結婚してっ!」 
「誰がするか」
 自分の適応能力に、今更ながら感謝する。
 こうして突然現れた居るはずのない人物に、僕はすでにこうしてごく普通の切り返しが出来ていた。
「へへっ、準ちゃんと話すの久しぶりだなー」
 いや。
 違う。
 覚えているのだ。感覚と体が、ナリとの時間を。
 会話と、テンポと、空気と、タイミングが芯に刻まれている。
 違う空気の中で話しているのに、僕達はちっとも変わっていなかった。成長していなかったともとれるかもしれない。
「で、どうなのこっちの生活とか。勉強とか」
「心配なくとも順調だよ。寮だから生活はある程度安定してるし、勉強はついていける範囲だし」
「準ちゃん頭良いもんね。大丈夫だとは思ってたけどさ」
 僕はそこで座っていた椅子から席を立った。不思議そうな顔をするナリに、僕は向い側の椅子を指指す。
「いつまでもそんな所座り込んでないで、こっち座れよ。今お茶でも煎れるから」
 ナリは、僕に柔らかな笑みを向けた。
「……ありがとっ。準ちゃん」

 ああ。

 ああ。

 僕はその瞬間、顔を覆って床に崩れ落ちた。
 あまりにも突然で、自分でも何が起こっているのかよく理解出来ないでいる。
 慌てて自分の名を呼ぶナリの声が聞こえ、次に自分の両目から涙が溢れてきているのが分かった。
 食いしばった歯から情けない嗚咽が漏れる。大きな手が僕の肩にふれた。
「準ちゃん、どうした……?」
「うっ、う、ひっ……う、うっ、う」
 駄目だ。分からない。どうして今、僕はこんな醜態を晒しているのかさえ。
 ただ言葉に鳴らない声が噛みしめた唇の隙間から次々にこぼれ、おちていく。
 しゃくり上げながら顔をあげた。酷く滲んだ視界にナリの輪郭がぼんやりと映り込み、錯覚させる。
「し、知らな、かったっ、んだ」
「ん?」
 僕は再び俯き、また暫くの沈黙が続く。ナリは僕の前で膝を付き、左手で僕の肩をしきりに撫でては右手で頭を覆っていた。
 けして問いたださない。
「自分がっ……こんなに、泣きたかったなんて」
 僕がこんなに、沢山の涙を流せるなんて。
 ナリがクスリと笑いを漏らした。僕は顔を上げ、その微笑んだ視線と交差する。
「泣きたかったんじゃないでしょう」
「……?」
 僕は単純な疑問を浮かべる。
「会いたかったんでしょ、俺に」
 そう問われて、とっさに僕はかぶりをふった。
「ち、違っ……、ただちょっと、懐かしくなっただけだ」
「ふぅん」
 僕は急に自分の肩をさする手が、頭を包み込んだ手も恥ずかしくなり、カッと頬が紅潮していくのが分かった。
 その手を払おうと体を動かす。
「準ちゃん」
 震えた。
 僕を呼ぶ声が、僕を支配する。
「聞いてよ」
 頭から背中に、肩から腰にまわった腕に、強く力が込められる。僕の指先は一度だけ、第一関節を折り曲げた。
 カーペットのとどかない冷えたフローリングの床が冷たかった。抱えられながら、僕は冷静にそんな事を考える。
 ただ、ただナリが言葉を紡ぐ時間だけ何も考えられない。 
 僕はそれに支配される。真っ白に。

「香子ねぇ、俺の事好きなんだって」

「…………え?」
 僕は押しつけられた胸元から、顔を上げようとした。が、それも阻止される。
 ナリの顔は見えなかった。ただ心地よい声だけが耳に届く。
「香子……元気なのか」
 長い髪と、無邪気な笑顔と、うるさい声と。
「ウン」
「香子も、懐かしいな」
 準ちゃん大好き。ナリと同じように繰り返す言葉と。
 初めて唇を重ねた、あの日と。
「ウン」
 単調に繰り返される会話。単調で、単調で、なにも感じられない。ただ、気持ち良い。
 痛みも苦痛もない。ただ、優しい。
「香子、ナリの事が好きなんだ」
 それは自分に聞かせるような囁きだった。
 ナリの顎が髪に触れ、頷いたのだと分かる。
「準ちゃんが一番好きだよ。多分ずっとずっと、世界で一番、好きだ」
「……それ、誰の話」
「俺の話」
 腕の力は一向に緩まなかった。圧迫された胸がわずかに苦しい。
 それでも振りほどけないまま、僕は細く息を吐いた。  
「ねえ、準ちゃんは? 準ちゃんには、居ないの?」
 僕は答えられなかった。混乱しているのかもしれない。
 香子とナリが脳裏を交互に行き交う。そしてどっちも消えていく。また涙が出そうになった。
「準ちゃん、俺、実は今日もういっこお願いがあって来たんだよ」
「知ってた。よ……」
 思っていた通り、ナリはまだ本当の目的を口にしていなかった。
 ふと僕を締め付けていた手が緩む。呼吸が楽になり、同時に生温い体温が離れた。
「コレ」 
 ぼんやりと見つめていた床の一点に、鈍い耳障りな音をたてて何かが落下した。
「は……?」
 鎖が、僕の前に無造作に放られている。
「準ちゃん、これで俺を監禁して」
「っ!」 
 まただ。
 また、ナリの声が僕をしたたかに縛りあげる。
 僕は目を見開いて、その無機質な鉄の綱を凝視していた。再びナリは正面に跪く。
「出来るでしょ? 簡単だよ。どっかの柱にくくっとけばいいの」
「な、なに言ってっ……ばかかお前、俺を犯罪者にしたいのか?」
 やっとそう文句をつけると、潤んだ視界が鮮明を帯びてくる。
「そんなの、俺がさせないから大丈夫だよ」
 何が大丈夫なのか全然分からないが。奴の眼は本気だった。
 少しもぶれない。揺れ続ける俺の視線を、一方的に固定させる。
「ねえ準ちゃん。お願い。そうしないと俺、駄目なんだ」
「何が……何がダメなんだよナリ」
 ナリは自分が広げた鎖を手に取って握る。
「準ちゃんを俺の物にしたくてしょうがないんだよ。頭ン中で何度も泣かせて、叫ばせて、犯して、引き裂いた。このままじゃ俺、準ちゃんを繋ぎたくなる」
「ナリ」
 身体が痺れて痛かった。単調で柔らかい優しさはどこにもない。
 切り裂かれていくみたいに痛くて、うまく息が出来ない。
 僕はナリの声を求めていた。ナリは俺を好きだった。
 こんなにも、こんなにも。
「だから準ちゃんが俺を閉じ込めれば良い。俺がずっと準ちゃんの傍に居れば、準ちゃんは俺をずっと傍に置くでしょう?」
 僕はナリの声を求めていたはずだった。ナリは僕を好きだったはずだった。
 なのに。
 なのにどうして。どうして人間は侵食するの。
「俺の事、いくらでも好きにしていいからさァ、準ちゃん……お願い……」
 僕は目の前に放られた鎖を掴んだ。手の中にある、冷たい金属の拘束。ナリの手に押しつけた。
「準ちゃん……?」
「帰れ」
 ナリが鎖に指を絡めたのを確認するとその手を離した。温かいはずの部屋の空気が、ひやりと手の平を撫でる。
 もう一度繰り返す。
「ナリ。帰れよ。それだけなら、早く帰れ」
「帰ったら、もうバイバイだよ」
 何故だか、香子が浮かぶ。
「いいから帰れよっ!」
 僕は固く目を閉じた。少し離れた床に、鎖が静かに置かれた音が聞こえる。

「あーあっ。やっぱダメだったかぁ」

 目を開けると、残念そうに口を尖らせたナリが居た。まるで悪戯が失敗した子供のような口調だ。
 僕が唖然としていると、ナリは以前と変わらない憎たらしい笑いを見せつけた。
「折角考えたのになぁ。準ちゃんはやっぱり真面目だったかー。うーん、そこは誤算だな」
「ナリお前……からかってたのか?」
「え? そんなわけないじゃん。俺、本気じゃないこと言ったことないもん」
 そう言って立ち上がり、立ちくらみからか少しふらつきながら僕に手を振った。
「じゃあね準ちゃん」
「帰るのか」
「帰れって言ったの準ちゃんでしょーが」
 冗談めいた口調でそう言うと、ナリはコートや手袋を着込むと本当に玄関まで歩みを進めた。
 ドアノブに手をかける寸前で動作を止め、薄く微笑んで振り返る。
「ここに居ろよ、って……言ってくれないの?」
 僕の中の消えることのない記憶が、枝をざわめかせるようにして波をたてた。
 今まで見せたことないような真剣な顔して、いまにも泣き出しそうな顔をして。
 香子とお前じゃない人が大勢通り過ぎる空港のど真ん中で、ナリは僕に言ったんだ。
「……言わねーよ」
「ざーんねん」
 そう言い残すと、ナリは扉の向こうに呆気なく消えた。
 その隙間が埋まる寸前に、ナリのにやけた口角が見えた。
「バイバイ」

 奴の行動にはきまって何か裏がある。
 ただこの部屋から帰ったのは紛れもない事実で、そしてもう二度と戻ってこない事も事実だ。 
 部屋の一角に残された、置きっぱなしの鎖。僕は重いそれを拾い上げ、頬にあててみる。
 血のような鉄の匂いと、氷のような感覚が瞬時に襲う。心臓の音が聞こえてくるようだった。
 ナリ。
 最後まで、僕の言葉を聞いて行かなかった。

「ばかやろう」


 朝日が残酷に眩しい。 
 簡素な家の中には色彩がなかった。




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