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Last update 2008年03月16日

蜜月  著者:かしのきタール



「絶対、開かないって感じ。」
 ケリーバッグをミニチェストに置いたあと、床のアタッシュケースに視線を留めてつぶやく女の肩を掴んで正面を向かせ、耳の上から髪のすきまに手を滑らせて、両手で頭を抑え込む。
特殊なカーボンファイバー製のアタッシュケースは、あらゆる光を吸いつくすかのような鈍い質感と、持ち手以外に凹凸のない形態が、俺以外の人間を拒絶し、内包するものを死守しようとする。
 女の唇をかすめた舌を首筋から下に這わせながら、まとった布を素早くはぎとり、手のひらに吸いつく肌の感触から、最低限の情報だけを得る。その日初めて逢い、二度と会わない。女という性を持て余し、配偶者がありながら男を漁る猥らな女たちに、関心など、ない。男の性を意識する女の、ほどよくしまった肉の感触。滑らかに整えられた皮膚。濡れそぼる粘膜。
 大げさな喘ぎ声をあげはじめた女の口を舌で塞ぎ、乳房を揉みしだきながら、男を受け入れる襞を指でこじあける。はや立っていられなくなった女の腰を支えなおすと、人口鉱物である化粧の匂いが女の体臭と混じり合い、俺の鼻先に立ち上った。

「絶対に開かないって感じだろ。」
 千紘(チヒロ)はそう言って、頑丈そうに見えた錠前を易々とはずすと、「一応、見た目だけ、防犯」と独り言のようにつぶやきながら、俺を招き入れた。千紘の部屋は、自宅の庭に独立して建てられたプレハブだった。贅沢だな、と言うと、まあな、と、タオルを投げて寄こす。
 中学時代に顔見知りだっただけの千紘と言葉を交わしたのは初めてだった。高校からの帰り道、急な土砂降りに遭い、カバンを頭にかざしながら駆けていた俺。
 雨宿りできるような軒先のある家もない。ずぶ濡れになる覚悟を決めた時、呼ばれた気がして顔を上げると、「こっち」と手まねきしている千紘がいた。
「こっちこいよ」
 ドア近くに立ったまま、タオルで濡れた頭や制服の肩を拭いていると、千紘がまた手まねきした。弟と一緒の狭い部屋しかあてがわれていなかった俺は、羨望の思いで、招かれるまま上がりこみ、同じようにタオルを使っている千紘のそばに座りこんで、乱雑に積み上げられた雑誌やマンガの背表紙を目で追い、壁に張られた切り抜きが何なのかを知ろうとし、低い天井からぶら下がったペンダントライトのオレンジ色のカバーを見た。
 ……その時、天井を見上げていた俺の視線が、大きくぐらついた。千紘が横から腕をのばして俺の体をつかみ、床へ引き倒したと気づいた時、俺の両手首は顔の横でその手につかまれ、四つん這いになった千紘が俺を見おろしていた。千紘の顔の後ろで揺れるオレンジ色を、俺は見た。

 女の両手首をつかんでベッドに抑えつける。自由を奪われた女がイヤイヤをするように顔を振り、ふりほどいた手でしがみついてきた。首にまわされた女の両手をもぎとり、力を込めた左手でつかんで再び自由を奪う。尻から太ももに回した右手で女のひざを裏から持ち上げ、足の付け根を大きく開く。屈辱に燃える目で見返す女を無視して、曲線の虚栄と洞穴の猥褻を観察する。哀れな女。哀れな俺。ベッドサイドのオレンジ色の灯りを、俺は見る。

 ドラムを買ったから、と千紘に誘われた時、どうしてついていったのか。初めて言葉を交わした日の、手首の感触と、俺を見おろす千紘の顔。一瞬、触れ合った時の雨の匂い。すぐに離れて後ろを向いた千紘の背中。
 その日、千紘の部屋には、仰々しいほどのドラムセットが真ん中に置かれていて、オレンジ色のペンダントライトは窮屈そうに干渉され、その下の……あの日触れ合った床は、ドラムセットを置くためのカーペットで覆われていた。スティックを握った千紘が、軽くリズムをとってみせる。長い手足がよく動く。
 窓からの日差しが千紘の髪に反射する。スティックを握る手は骨ばっていて、そういえば、初めて見る私服の千紘は、俺よりもいくぶん痩せていた。
 ふいに叩くのをやめた千紘の手を見続けている俺にスティックを差し出して、ドラムの方に顎をしゃくり、やってみろ、というふうに、立ち上がる。スティックを握ると、千紘の長くて骨ばった指が俺の浅黒い指を動かして、正しい位置へと誘導する。千紘の息が、髪にかかる。千紘の目が、顔を射る。俺は千紘を求めていることを知った。

 男の塊で突いてくれとせがむ女を指だけで追いつめた。ぐったりした身体を裏返し、腰を持ち上げて、痙攣している淫らな洞をさらに指でいたぶり、悲鳴を上げる女にかまわず、舌で辱める。自分の価値を確かめるために男を選んでいるつもりの女。虚栄でしかない自己満足に付き合うために、俺はこんなことをしているんじゃない。

 ドラムを口実に、千紘の部屋へ通い詰めた。夏は、迸る千紘の汗を俺が拭いた。
 冬は、暖房を入れても寒いプレハブの中で、二人で身体を寄せ合った。スティックさばきに見惚れているだけでよかった。千紘の傍にいられるだけでよかった。
 スティックが折れた時、その意味を俺は考えようとしなかった。残った一本を差し出して、やるよ、と言い、一本だけじゃ使えないけどな、と、微笑む千紘。その、溶けそうに儚く柔らかい笑顔の意味も、俺はわからないままでいた。わからないでいるうちに、千紘は消えてしまった。

 泣き声にも似た喘ぎを続ける女の腰を後ろから支える。なぜ、という問いに答える義務など俺にはない。挿入にこだわる愚かな女。それを与える愚かな俺。突き放すために女を突くと、俺の心臓は急激に膨れあがり、震えが肋骨を軋ませた。

 アタッシュケースの中、千紘のスティックが俺の震動に応えている。




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