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Last update 2008年03月16日

天使の落し物~光降る坂道で  著者:なずな



心臓が急激に膨れあがり、肋骨を軋ませる。
激しい急ブレーキの音が、朝の通学路に響き渡った。


「おっはよう、タカトぉ」
足早に渡り切った隆人の後ろ、すでに赤になった信号を無視して
追うように渡ってきたのは、同じクラスの山垣直行だった。
車の窓から乗り出して怒声を浴びせる運転手をにこやかにやり過ごし、隆人に向けて ぺろりと舌を出す。
「青になったからって 慌てて突っ込むんじゃないっつーの 
こんな狭い道路、そんなに急いでどこ行くんだよ」
直行は、隆人の横で跳ねるようにして話し続ける。

凍りついたような表情で横断歩道を見ていた隆人は、弾かれたように向きを変えた。
直行の前を、一層速度を速めて歩き出す。
一言も発しない。
きつく握ったこぶしが微かに震えているのに 直行は気が付いた。
「へいへい、交通ルールを守らない方が悪いです。何そんなに怒ってんの、お前
 ・・・おい?」

隆人の前に回り込み、さらに長身の直行は体を折るようにして、顔を覗き込む。
蒼白な隆人の顔。唇も微かに震えている。
「おい、大丈夫か?」
小刻みな身体の震えが止み、虚ろになった目がゆっくり光を宿し、顔に少しずつ血の気が戻る。
「悪い。先に行っててくれ・・でなければ、僕がもう少し遠ざかるまでここで止まっててくれ」

背筋のピンと延びた隆人が 中、高等部、二種類の制服に混じって少しずつ遠ざかる。
「一人にしてくれとか お前と歩きたくないとかさ・・もっと解りやすい言い方があるだろうに」
ひゅうと風が吹き、中等部の生徒が道路の隅に捨てたビニール袋がふわりと舞って 直行の足元に落ちた。
指先でつまんで 持ち上げる。
つかつかとその生徒の所に歩み寄ると 
「おい、落し物」
まだ幼さの残る少年たちに 直行は拾ったゴミを突きつけた。
コソコソと肩をすぼめて謝ると逃げるように走り去る。
それでも、今日「新生徒会長に声かけられた」
彼らは誇らしげに吹聴するのだろう。


 *

その視線にずっと気づいていた。
その視線の意味をずっと考えていた。
誰かを思い出す。
でも、その誰かの輪郭を掴もうとすると闇の中に紛れてしまう。
胸の奥にどんよりと霧だけが残る。
霧の中でもがく。
行き場の見えない恐怖で足がぶるりと震えた。
過去の記憶を探る作業は、ぎりぎりと傷をえぐられるような苦痛を伴う。
隆人は目をきつく閉じた。


「やっぱ、タカト見てるぜ、あの坊や」
ひゅう、と口笛を吹いて直行が隆人の肩に手をかける。
気づかない程微かな嫌悪を示し、できる限り自然に身体を捩って隆人は直行の手を払う。
ひとの手の、その温度までも払い落とすかのようにさらに反対の手で、自分の肩を隆人は拭った。
「何だよ、相変わらず。俺はばい菌ですか?」
直行が顔を寄せて襟首を掴むと
「いや、別に・・そういう意味じゃない。気に障ったら、ごめん」
素直すぎるくらいにすぐ謝る。でも、口だけなのは 直行にも解っている。
「謝んなよ、お前、マジうぜ。直す気もないくせに」
認める、謝る・・会話を続ける気のないときの 隆人のいつものやり方だ。

隆人と直行。
二人が並んで歩くだけで、学内だけでなく、どこに行っても注目が集まった。
通学途中で出会う女子高生だけでなく、学内の同性の後輩からも、
熱い視線で見られるくらい、二人には慣れっこのことだ。




「静也、行くぞぉ」
離れていく隆人の背中をじっと見つめていた桐谷静弥は、鷺澤草太の明るいトーンの声に振り向いた。
「何、見てたの?ああ、島崎先輩と山垣先輩だ」
絵になるよな、ほんと。何かタレントみたいだよなぁ、・・指でフレームを作りながら二人を眺め、素直に褒める友人に
静也は笑いながら歩み寄る。
「あの二人って親友なんだ?」
「んー、兄貴に言わせればさ、島崎先輩って物凄いバリヤーあるらしいぞ、周囲にこーんくらい」
草太は両の手をいっぱいに広げて見せ、ちょっと渋い顔を作って笑った。
「本気で親友なんて 作るかね」

草太には、隆人たちより一学年上の高等部3年の兄がいる。
三兄弟の一番上の兄もここの卒業生で、親もそうだというから、情報通なのも肯ける。
入学してすぐに入った新聞部でも先輩以上に色々知っているのが自慢で、古株の先生たちとも、周りがわからない会話で盛り上がっていたりする。
学園の生き字引、中等部一年にして、このあだ名だ。
どんなに近づいても表面上の情報しか集められそうにないタイプの島崎隆人は、
苦手な一人なのかもしれない。

「で、何? ホレちゃったとかぁ?」
からからと笑いながら草太が言うと、何だかそんな話題もさして特別な感じはしない。
「まー、難しい恋になりそうだね。いくら静弥でもさ」
「いくら・・って何、それ、どういう意味?」
「おや、何の自覚もないとは言わせませんぜ、自分のビジュアルにさ。
 そこまで純真無垢ってわけでもないだろう、お前」
能天気でお喋り、がさつそうな見た目の草太だが、案外カンはいい。
「下手に近づくと、嫌われるだけじゃ済まないぞ。憎まれたりしてさ」
「憎まれる?」

「マジな顔すんなー。何となくそんな気がしただけ。失言、失言」


 *

「きゃぁ・・」

乗り換えの駅で電車を待っていると、数列後ろの女子高生が甲高い声で叫んだ。
苦しそうな息をして、その場でしゃがみ込んでいるのは隆人だ。
電車待ちの列にいた静弥が、振り返って様子を見ようとすると、後ろにいた男性が迷惑そうな顔をした。
「大丈夫ですか?」
おそらくは そんな風に声を掛けている女子高生の後姿と青ざめた隆人の横顔が
人ごみのすきまからちらりと見える。
しかし、何があったのか、助けようとした女子高生の友人が、なお苦しそうにしている隆人に向かって
きつい調子の言葉をあびせ出した。ホームのざわめきで何を言っているのかはよく解らない。
間もなく駅員が駆け寄ってきて隆人を支えて救護室に連れて行った。

「あの態度はないよね、春香。ほんとに何て男なんだろうね。ちょっとカッコいいからと思って」
春香と呼ばれたその子が、隆人を心配して助け起こそうとしたのは遠目でも解った。
「ほっといてくれ・・だもんね、失礼なヤツ」
友達が自分のために怒っているのに春香はただぼうぜんとしている。
不自然な雰囲気が気がかりで、電車待ちの列から出て人を掻き分け近づくと、静弥は春香たちに声をかけた。
「島崎先輩が何か失礼なことしましたか?」
「島崎?・・ああやっぱり やっぱり『しまざきたかとくん』だったんだ・」
「何、春香、知ってる子だったの?」

「ねぇ、キミはたかとくんのこと良く知ってるの? あんな風に・・よく倒れるの?」
春香が静弥に詰め寄る。その真剣さに気おされる。
「いえ・・僕は」
そんなに付き合いもなくて・・。静弥は言葉を濁す。
中等部に入学してまだ、1年も経っていない。高等部2年の隆人と接点がないのが普通だろう。
「たかとくん」?・・知り合いなのか。
「どうしよう・・きっと、わたし・・わたしたちが あんな話してたから・・・。」
「何よ、春香、どういうこと?」


春香と少し話をして、自分の名を告げメールアドレスを渡し、静弥は救護室に向かった。
「・・『大天使』様だったとはね・・」
図らずもメンバーが集まってきた・・不思議な吸引力、それこそ誰かのお導き?
「どこに導いてもらえるのやら・・・」
静弥は自嘲的に笑うと隆人の後を追った。


 *
片手で春香のアドレスを打ち込みながら、救護室のドアを開けた。
長いすに静弥はゆっくり近づき傍まで行くと、隆人の白い顔をそっと覗き込む。
静弥は隆人の前髪に手を伸ばし、ふわりとかき上げた。
「何するんだ!!」
眠っているかと思われた隆人が、青い火花でも散るかのような激しい声を上げた。
ついたてで隔てられただけの駅員室全体の空気が一瞬凍りつく。
二人の間に予期せぬ緊張が走り、周囲の人たちが息を止めて見守る。
事情が全く飲み込めない。気まずい沈黙の後、やっと駅長が声を掛けてきた。

「そ・・そんな大声が出るようなら、もう大丈夫かな?
 キミは同じ学校? 一緒に学校まで付き添ってくれる?」
隆人は起き上がり、身支度をするときちんと毛布をたたみ、
「ありがとうございました。もう大丈夫です。ご迷惑をおかけしました」
駅長に隙のない笑顔をみせると、くるりと向きを変え、静弥に一言も言わせないでひとり部屋を後にした。

「何だか不思議な子だね。キミを置いてっちゃったよ。先輩?」
ひとの良さそうな初老の駅長は残された静弥に気を遣って、話しかける。
「はい。生徒会の副会長です。でも・・彼は僕のこと知りませんから」
「助けようとした女の子の手も 思いっきり振り払ったんだって・・。
 礼儀正しそうな子なのにねぇ・・」
なおも、納得がいかないと首をかしげる駅長に、静弥はにっこり笑って答えた。
「先輩が女子に興味ないのは知っていましたけど・・あの様子では、ボクの気持ちにも応えてくれそうにないですね」
唖然とした顔の駅長にぺこりと頭を下げ、静弥はホームに駆け出した。

前髪の下に隠された傷。
静弥はじっくりとその形をなぞるように 思い浮かべる。
 ─たかとくん・・僕はずっと、あなたを見ていたんだよ。


 *

「何でダメかね、真面目にするって言ってんのにさぁ」
昼休みの中庭で直行がぼやく。
「お前も説得付き合えよ、いい案だと思うのに」
隆人は直行をひとり 喋らせたまま 本から目を離さない。

「せんぱーい」
あれから学校で 静弥はよく近づいてきて、休み時間を直行と喋って過ごしたりする。
「おう 駅長室で置き去りにされた少年と、生き字引か」
静弥と草太が手を振ると、直行はこっちこっちと傍に呼んだ。
「直行先輩、何か イライラしてます?」
カンのいい子だな、と思う。
気づくと静弥の視線がいつもこちらを向いていた。髪をかき上げられたのは何故だろう。触れられたくない傷をわざと見た、と感じるのは考えすぎだろうか。
隆人はどうしても 静弥に苦手なものを感じて、避けてしまう。
今も、直行が相手しているうちに、立ち去りたい衝動に駆られた。


「何が問題なんですか?」
「クリスマス祝賀会だよ。生徒会の出し物」
「あ、知ってます。毎年生徒会の先輩方が聖歌隊とかやって下さるんでしょ。
 お祈りと園長先生のお言葉、神父様のお話、クリスマスっていっても 楽しみがないって親の世代は文句言ってて・・卒業した先輩が作った一つだけのお楽しみが 生徒会の出し物なんだ、そうですよね?」
「さすが 生き字引」
得意そうに鼻を膨らます草太の頭をぐりぐりと撫ぜて 直行はからからと笑った。

「そこでだな、今年は趣向を変えて、と・・・オレは考えた」
間合いを取って、直行は二人の興味を引く。
「幼稚園で練習の声が聞こえたんだ、コレだ、と思ったね」
「聖劇ですか?」
「正解。静弥も聖親幼稚園?」
静弥はなぜか、ちらりと目線を外し、ゆっくりと隆人を見た。
隆人は本に目をやったまま、微動だにしない。
「いえ・・僕は違います。その頃は他県にいましたから」
「僕は卒園生。クリスマスの伝統です。数十年来同じ台本でやっていて・・先輩、あれをやるつもりなんですか?」
「男のマリアさまはちょっとねぇ・・って教頭に物凄く嫌な顔されて、ボツ、かも」
静弥がプッとふき出し、草太は少しほっとしたような表情を浮かべる。
「いい案だと思ったのになぁ・・もう 歌も覚えちゃったのに」
 ─御子の生まれし清きこの夜、みんなでお祝いいたしましょう・・
直行が歌いだすと かき消すように予鈴が鳴った。
本をパタンと閉じて 隆人がつぅと立ち上がる。
「おい、待てよ」
またな、と二人の後輩に手を上げて、直行は慌てて 隆人を追った。

 *
その幼稚園は、なだらかな坂の途中、教会の敷地内にある。
テスト期間などで、帰りが早い時、直行は駅からゆっくりと坂を下りながら、
幼稚園から聞こえる幼い子ども達のざわめきを聞くのが好きだった。
カトリックの私立幼稚園だが、最近は信者の子だから・・というのも 案外少ないそうだ。制服がかわいいとか、行事で綺麗なドレスが着られるとか、そんな入園理由もあると聞く。
クリスマス祝賀会は最大の行事のようで、可愛らしい練習の声が聞こえてくる頃は、お迎えや、交通安全の旗当番に来て、立ち話する母親のテンションも高い。
配役へのあれこれ、わが子の衣装の話、無邪気な歌声の響く中、母親たちの関心は少し別の方向を向いているみたいだ。

系列の小学校はないので、一旦卒園生はばらばらになるが、
同じカトリック系で場所も近く、雰囲気を同じくするこの学園に息子の入学を希望する親も多い。
卒園生の再会する場。ただし男子校なので、初恋の「彼女」との再会はあり得ないんだけれども。

幼稚園の入り口に立つ。今日はもう園児たちも帰った後で 園庭は綺麗に片付いていた。
門は閉ざされているが奥で枯葉を掃いている中年のシスターと目が合った。
「あの・・」
とっさに直行は声を掛けた。



「聖劇を・・ですか?」
柔らかい微笑みを絶やさずに、シスター姿の園長は直行に紅茶を勧めた。
「はい、ふざけた意図ではないんです。でも教頭先生のダメ出しもあって 実現するかどうかも解らないんですが・・」
「ダメ出し?」
「あ、はい。男のマリアさまはちょっと、って」
「そうね、男子校ですものね」
園長は尼僧の装束に包まれたふくよかな身体を揺らしクスクスと笑って直行を見た。
「お笑いにするつもりはないんです。女装だってダメならやらないし。だいたい笑われるようなものをやるなんて言ったら、隆人が絶対反対するし」
隆人の名前が出たとたん、園長が笑顔を曇らせた。
「隆人って・・違ってたらごめんなさい・・まさか『しまざきたかと』くん?」
「そうですが・・?」

隆人が全然無関心な様子だったので、聞きそびれていた。
卒園生だったことも知らなかった。それならば聖劇経験者だということも 簡単に想像ついたはずなのに。中等部からもう5年一緒に過ごしてきたのに、隆人のことは実際はよく知らない。そんなことに今更ながら気が付く。
真面目で、誰にでも公平に優しくて、物静か。誰もが認める優等生。
今、電車通学だということは、あれで通ってきたのだろうな。
窓から見える園児送迎用の天使の絵のついた小さなバスに目をやりながら、直行は幼い隆人の姿を想像してみた。幼児らしくはしゃいだりダダをこねたりする隆人の姿など、到底想像できない。

「・・・・元気にしている?」
暖房が効いた部屋なのに、まるで急に寒くなったかのように両手をすり合わせ、
俯いたままの不思議な長い沈黙の後、かすれた声で 園長は直行に聞いた。
「はい。オレが無理やり引っ張って、彼が生徒会の副会長で・・」
そう答えながら、園長の表情を窺う。卒園生のひとりひとりを、先生っていうものはそんなに覚えているものなのだろうか?
「そう・・」
何か言いたげになった口もとが、少しの間をおいてきゅっと引き締められる。微笑みが消えると、随分厳格な印象になった。
丁度廊下から園長を探す声が聞こえ、続いてドアがノックされた。
「はい、今行きます」
園長は直行に目礼すると立ち上がった。

「聖劇はクリスマスの意味を伝え、心を清らかにしてキリストの降誕をお祝いするもの。ただのお芝居ではないのよ。
 私たちがとても大切に伝えてきたものだってことも、解っていて欲しいですね」
ドアノブに手をかけながら 園長は穏やかだがきっぱりと言い、壁に掛けられた幾枚もの写真に目をやった。
直行も同じように 目を向ける。
マリア、ヨセフ役のこどもを中心に多くの園児たちが衣装を着けた集合写真が、古くて黄ばんだもの(おそらくは親の世代からの)ずらりと並べて掛けてある。

「また、いつでもいらっしゃい」
許可とも拒否とも取れない言葉だけ返して、園長は部屋から先に立ち去った。

 *


嫌な夢をまだ見る。

少女が自分に向かって駆けて来る。
立ちすくむ。 金縛りにあったように身体は動かない。
大きな擦る音。叫ぶ声。何かがぶつかる鈍い音。
目の前が真っ暗になって少女の姿が闇に消える。

落ちていく。
落ちていく。

こめかみ近くの傷がうずくような感覚を残し、目が覚める。
後ろの側溝に転落して、あの時できた傷。
「あの瞬間」からの後のすべてを見届けずに済ませた「都合の良い」傷。



髪をかきあげ、もう痛むはずのない傷を鏡で見ていると、こちらを不安そうに見つめる母の奈津子の姿が鏡の奥に映った。振り向くと奈津子はもうそこにはおらず、キッチンで皿を洗う音がした。
「おはよう」
先ほど鏡の中でお互い姿を見たことなんか なかったように声を掛け合う。
朝食を食べ、制服のジャケットを羽織ると奈津子がいつものように眩しそうな目をして隆人を見た。
「いってきます」
物言いたげな母ににこりと笑って見せ、隆人は家のドアを開け、いつものように駅に向かった。女子高生の前で倒れた日から、隆人は家を出るのを30分早くした。
枯葉を巻き上げ、冷たい風が吹き付ける。
道路の先、横断歩道と信号の点滅が視界に入ったとたん、首の後ろに冷たいものが走り、隆人は堅く目を瞑った。
 ─どうしたら、忘れることができるのだろう。


「タカト先輩」
駅から出ると 声をかけてきたのは静弥だった。
思わずこめかみに当てた手をぎこちなく下ろした。
「電車、30分も早くしたんですね」
人懐っこい笑顔、まだ少年のような声。
改札を出て歩き出す。何でお前まで、また同じ電車?疑問を言葉には出さず、隆人はあいまいに会釈して先に行く。
坂は二手に分かれていて、大きくなだらかな坂が正門に、小さく急な坂が裏門に通じている。目指す校舎や部活動場所、自転車置き場が近い方など 中高関係なく入り乱れてどちらかの坂を登って登校している。隆人が正門に向かう坂に足を向けると、静弥が追ってきた。
「隆人先輩は、ずっとこっちの坂を使ってるんですか?」
小さな静弥が隆人に歩幅を合わすと小走りのようになる。
「正門から入る方が好きなんだ」
隆人が答える。できれば一人で歩きたかったが、静弥はお構いなしに後ろを追いかけてくる。
「・・・・幼稚園ですね」
道路の反対側に幼稚園の門が見え、第一便の通園バスが門の中に入っていくところだった。ちらと見ることもなく、隆人は足を速める。
「クリスマス祝賀会の聖劇、」
静弥がぽそりと呟く。
「僕、歌えるんですよ、マリアさまの歌」
びくりと肩を震わし振り返る。静弥は真っ直ぐ隆人を見返す。
静弥は澄んだまなざしで見つめ、ふふ、と目を細めて笑う。
「10月から練習してるじゃないですか。聞いてると覚えちゃいました」

風に乗って、園児たちの歌声が聞こえてくる。
─いざ行かん 明るき星に導かれ、救い主は今こそ生まれぬ
隆人の胸が またきりきりと締め付けられるように痛む。

 *

「納得できないなぁ」
直行がまたぶつぶつ言いながら 隆人の周りをうろうろする。
「お前、澄まして本ばっか読んでないで、何か意見出せよ。どうなの、反対?賛成?」
劇に関して 全くノーコメントを通してきた隆人に直行がそろそろじれ始める。
「おかしいじゃないか、誰に聞いても反対も賛成もしないって 何で?
 この話出すと、皆何にも聞こえなくなっちゃうみたいでさ、どうなってんの?
これ」
隆人は本から目も上げない。
「嫌なら嫌、ダメならダメであきらめもつくさ。例年通りの聖歌隊でも構わないさ。
 でも、変じゃない?何で 無視よ、訳わかんねぇ」
「先輩!」
途中から傍に来た草太が、直行の腕を引っ張る。
「お前さ、説明してくんない?この疎外感は何?オレ何か空気読めないことやってんの?」
「直行先輩!ちょっとこっち来て下さい。」
小さな草太に思いっきり腕を引っ張られ、直行はしぶしぶ 草太に付き合ってその場を後にした。


「何だよ 生き字引。よそ者のオレに何か教えてくれるっての?」
「先輩は、ここの中学に入る前 他県から引越しして来られたんですね」
「そうだよ、だからよそ者なんだろ。地元ったってあちこちの小学校から集まって来てるくせに 
 何だよ、もお。オレだけのけ者みたいな雰囲気にしてくれちゃってさ」
直行は子どもみたいにむくれて、ドカンと中庭の芝生に座り込んだ。
少し離れたところに 静弥の姿もあった。
「静弥も引越し組なんだろ?変だと思わないか?この雰囲気」
「僕は・・」
静弥が何か言いかけたのに気が付かなかったのか、草太が話し出した。
「先輩、みんな事故のこと、言い聞かされて育ってるんです。みだりに話さないようにって。
 それに隆人先輩は一番辛い立場だし」
「事故って?隆人が何?」


 *

「こんにちは」
坂道を駆け下りて、直行は幼稚園の園庭のエプロンの先生に声を掛けた。
「園長先生にお会いしたいのですが」
体調不良と偽って早退届けを出し抜けてきた。まだ、園児はバスを待って三々五々園庭で遊んでいた。
マフラーを頭から被って、台詞の練習をしている女の子、聖劇の歌を歌っているグループ。
同じ部屋に通された 直行は改めて、壁の写真の額をひとつひとつ見て行く。
××年度、××年度・・・・。
丁度直行たちが年長児だった年度が抜けているのを 直行は確認した。
この空白が隆人の胸の錘として迫ってくる。
静かにひとつ大きな息を吐き出すと、ソファに座り 園長を待った。

「事故のこと 聞きました」
園長と向かい合って腰をかけると、直行は切り出した。
園長室には緩やかな初冬の日差しが差し込んでいる。園庭の幼子たちのざわめきも、窓ガラス越し、遠くに聞こえてくる。
「たかとくんは、今どんな?・・私ね、その頃、まだ新人で、たかとくんの担任だったんです」
よく覚えています。賢くて、誰にでも親切で、おしゃべりで活発なこどもだったわ・・
園長は静かに 隆人のことを語りだした。
「おしゃべりで、活発ね・・」
こちらから「知ってます」と切り出さなかったら、決して話してはくれなかっただろう。
悲しい交通事故のことを、亡くなった園児のことを、軽々しく話さない・・
亡くなったその子と悲しみに沈む家族のために祈ることだけ、幼稚園では徹底して幾度もお話があり、
素直な子ども達にその教えは 浸透し、刻み込まれた。
話渋る同学年の卒園生や草太たちに、あらかじめ聞き出しておいて、正解だったな・・と直行は思う。
「そう、優しくて、穏やかで 真面目で・・・いいヤツです・・ただ」
「ただ?」
「本心が見えないっていうか・・僕は中学からずっと一緒のクラスにいて友達のつもり、なんですが」
「事故のことなんかは全く?」
「知りませんでした。小学校が同じだったヤツから聞いた話では、この時期になると体調を崩し、欠席が増えたそうです。
 事情を知っている者は、まさかここの近くの中学へわざわざ受験して入るなんて思わなかったそうで・・」
「もう 5年も通ってるのね、まだ、そういう状態は続いているの?」
「いえ・・。意地でも休まないっていう感じで・・坂も絶対 ここの前を通る正門側を使います」
「彼なりに 避けず、乗り越えようとしている?」
「はい。でも、それがかえって痛々しくて。隆人は他人には苦しい顔見せないし」
つなぎ合わせれば気が付く。
この5年間でも数度、隆人の青ざめた顔を見た。震える唇を、堅く握り締めるこぶしを見た。
誰にでも優しい顔の後ろに、決して他人を入れないバリヤーも感じてきた。
季節になると体調に出ていた頃の方がきっと解り易かったろう。
もう「おしゃべりで活発」でない隆人。
不自然までに過去の話をしなかったのは隆人自身がまだ何かを引きずっているからではないのか。
幼稚園で同じ学年の女の子が 横断歩道で車に跳ねられ、死んだ。
信号は赤で、道路の向こう側にいたのは、ほんの5歳の隆人。
少女は隆人に向かって駆けた。
だから?だから何だ?
「隆人とその子・・めぐみちゃんは そんなに仲が良かったんですか?」

「とても 大人しい子だったの。主役にするなんて、私も考えていなかった」
園長は少しの間、直行を見つめ、そして隆人の年度だけ抜けた記念の集合写真に目をやった。
「たかとくんは・・彼は早くからヨセフ役が決まっていてね、私聞いてみたの。
マリアさまは誰がいいと思う?って」
隆人は、大人しくて目立たないめぐみの名を挙げた。
とても綺麗な声で歌うのを聴いたことがある、めぐみちゃんがいい、5歳の隆人はきっぱりと言った。
子どもをマリア様役にしたい母親 やりたいという女の子は他にも沢山いた。
例年のことなので、歌やバレエを習わせて わが子をマリアさまに、と入園当時から力の入った親もいる。
何故、あの子が・・嫉妬と羨望に満ちた目で練習を見つめられ、めぐみちゃんは更に緊張する。
何度言われても舞台の上で声が出なくて 毎日毎日泣いていたのだという。
そんなめぐみちゃんの手をいつもきゅっとつないで、励まし、庇い続けていたのがヨセフ役の隆人だったのだ。

「事故の当日は 何かあったのですか?」
幼い隆人が 目立たない一人の女の子を励まそうと一生懸命になる。
穏やかな表情に反し、触るだけでびりっと電気が走るように振り払うあの隆人が、
つないだ手に力込め、周囲のプレッシャーから女の子を守ろうとする。
それが、もともとの隆人なのかもしれない。
そんな隆人のいる道路の向こう側へ 駆けていく少女。直行は目を閉じて想像する。


 *


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